第61話 意志体の試練
結晶が脈動を強めた瞬間だった。研究室の空間が、ねじれるように歪み始めた。
壁が波打ち、天井は奥行きを失い、色彩が徐々に抜け落ちていく。
代わりに満ちてきたのは、形容しがたい“圧”だった。
異世界の空気を吸い込んだことのある者なら、
誰もが理解する──これは、あちら側の“気配”だ。
「この感覚……まるで、境界域に近い。いや、これは……干渉領域か」
水科が硬い声で呟く。彼の顔にも、これまでに見せたことのない緊張が走っていた。
空間の中心、浮遊するように現れた黒い球体。
表面は滑らかだが、見る者によって形が異なるように錯覚する。
まるで“存在そのもの”を拒むような歪んだ存在。
それが、意志体──“異界の監視者”だった。
そして、次の瞬間、全員の耳に直接語りかけるような“声”が響いた。
《試練──開始》
《適合者、それぞれに課す》
その言葉とともに、彼らの足元に陣が広がる。
魔力が逆流するような風が吹き荒れ、床を割り、天井を引き裂く。
「っ、これは……!? みんな、下がれ!」
高野がそう叫ぶが、声は届かない。
眩い閃光が空間を満たし、全員の視界が一瞬で“白”に飲まれた。
◇ ◇ ◇
目を開けた時、高野はひとりだった。
足元は固い土、頭上には曇り空。そして前方には、見覚えのある戦場の地平が広がっていた。かつて仲間たちと肩を並べ、剣を振るった地──異世界で最も多くの命を落とした、あの地だ。
「……ここは……俺の記憶の中か? いや、違う。これは……再構成された世界?」
周囲に誰もいない。ただ風だけが、過去の亡霊のように吹き抜けていた。
背後に気配を感じて、振り返る。
そこに立っていたのは──魔王ザルグ=アンドロス。
その存在は高野の脳裏に、未だに鮮烈に刻まれていた。
死闘の果てに倒したはずの“終末の象徴”。
だが、いま目の前に立つ彼は、剣を振るわず、静かに高野を見つめていた。
「……試練ってのは、まさか……お前とまた、戦えってのか」
《過去に向き合い、乗り越えよ。それが、意志体からの課題である》
その声は、ザルグの口から発せられたものではなかった。
頭の中に直接響いた、意志体からの指令だった。
過去の選択。後悔。仲間を救えなかったあの日のこと──
高野は、ゆっくりと剣の柄に手をかけた。
これは、自分自身との戦いだ。魂に刻まれた記憶と、向き合わなければならない。
──そして、遠く離れた場所では。
柚葉、ユイ、水科、それぞれが同じように“記憶の世界”に引き裂かれていた。
意志体の試練。それは、彼らが“鍵”とされるにふさわしいかどうかを量る
──過去と未来を繋ぐ戦いの、始まりだった。
(続く)




