第59話 残された兆し
研究所の空気はようやく静けさを取り戻していた。
蒼く光っていた結晶は封印され、異世界との境界も落ち着いたかのように見える。
だが、そこにはわずかな違和感が漂っていた。
「……魔力濃度、完全には戻っていないわ」
ユイが眉をひそめ、端末の数値を見つめる。数値は落ち着いていたが、明らかに“揺らぎ”が残っている。
「閉じたはずなのに、これは……?」
柚葉も結晶の跡地を見つめながら空気を感じ取るように言った。
「共鳴が続いてる……というより、これは──“呼ばれてる”?」
そのときだった。
水科の端末が突然反応音を発し、画面に見慣れない文字列が走る。
『補助リンク:識別不明座標──同期継続中』
その場にいた全員が顔を上げ、画面に視線を集中させた。
「補助リンク? そんな機能……初期プログラムにはなかったはずだ」
水科が眉をひそめながら端末を操作し、解析を始める。
「これ……兄さんの仕込みかもしれない」
千尋が呟いた。画面には見覚えのある独特なコードの断片が映っている。
「直哉が、研究当時に秘密裏に組み込んだ“観測リンク”……。もしかして、彼は何かを見続けていた?」
補助リンク。それは、異世界と現実を観測的に繋ぐ裏回路であり、制御ではなく、常時“視ている”ための仕組みだった。
「……じゃあ、誰かがまだこちらの世界を“観測”してるってことか?」
高野の問いに、ユイが静かに頷いた。
「封印で結晶を閉じても、“繋がっていた状態”自体は切れていないの。むしろ、何かが粘って繋がろうとしてる」
その言葉に、柚葉がハッとしたように言葉を紡ぐ。
「じゃあ……あの扉の向こうに……“誰か”が、まだ……いるの?」
再び場が静寂に包まれる。
その沈黙のなか、ふいに微風が吹いた。
風などあるはずのない地下施設に、柔らかな流れが生まれる。
全員の視線が、自然と結晶の跡地へと向かう。
そこに──微かに、淡く、脈動する小さな結晶片が浮かび上がった。
誰もその存在に気づいていなかった。
それが、静かに、だが確かに、生きているかのように鼓動していることに。
そして、それと同時に端末から、誰も聞いたことのない“声”が再生された。
『──観測、継続中。境界は揺れている。選定対象、適合』
無機質でありながら、どこか意思を帯びた声だった。
誰もが凍りついた。
異世界──いや、“あちら側”から、今もなおこの世界を見つめる“何者か”の存在。
新たな脅威は、静かに、だが確実に、幕を開けようとしていた。
(続く)




