第58話 決断のとき
研究所の空間が、再び静寂に包まれていた。
結晶の輝きは鈍く波打ち、完全には閉じず、かといって完全に開く様子もない。
まるで、判断を“こちら側”に委ねているかのようだった。
「……あれが、兄さんだったなら」
千尋が小さく呟いた。目は結晶の奥を見つめたまま、微動だにしない。
「直哉さんは、自分の意志で“あれ”を止めようとしてる」
柚葉が、両手を胸の前で組んだまま言った。
「でも、彼だけじゃ止めきれない。だから──私たちに伝えに来たんです」
ユイが歩み寄り、壁の端末を操作する。
「扉のエネルギーフレームは不安定。でも、閉じるなら今しかないわ」
「その代わり──次に開く保証はない」
水科が続ける。
「ここまで集めたデータと魔力、それに帰還者三名の“共鳴”があってこその状況だ。これを捨てれば、二度と異世界との接触は……」
高野は、そっと目を閉じた。
リリィの笑顔。
ゴルドの咆哮。
ミリアの祈り。
──それらが、脳裏に浮かぶ。
けれど、もう一つの世界の重さと、今この世界で背負った現実が、
高野の胸に、確かな重みとなって残っていた。
「閉じよう」
静かに、だがはっきりと高野は言った。
「異世界の仲間のためにも。……この世界を守るためにも」
誰も反対しなかった。
それぞれの位置につき、ユイが封印術式を展開。
水科がシステムに閉鎖コマンドを入力。
柚葉が精霊と共鳴し、境界を安定化させる。
そして高野が、結晶に右手を重ねた。
「──《時制停止・極点》」
蒼銀の光が、空間全体を包み込んだ。
その光の中、結晶は静かに、深く、眠るように収束していった。
まるで、使命を終えたかのように。
長い戦いの一幕が、終わりを迎えようとしていた。
(続く)




