第47話 水科敬司/記録と境界
静かな部屋だった。
地上の喧騒も、地下の魔力反応も、ここまでは届かない。
ただただ、記録装置のLEDが淡く点滅し、壁面のモニターが無音で揺れていた。
水科敬司は、データを見つめていた。
その目は冷静で、だがその奥には、過去に囚われたような影が宿っている。
──異世界。
それは彼にとって、未知の冒険でも憧れでもなかった。
事故。失策。喪失。
「……あの瞬間、全てが変わった」
五年前、初期試験段階で“扉”が不安定化し、観測班の一部が巻き込まれた。
彼自身も、数週間──異世界にいた。
森の中だった。言葉の通じない人々。法則の異なる空気。
魔力。
感覚が鋭くなり、空気が重たく、精神が削られていくようだった。
それでも彼は、科学者として冷静に観察し、記録した。
「“適応”できる人間がいる。だが、同時に、狂って戻れぬ者もいた」
そして直哉──
あの事故で、“向こう側”に取り残された、唯一の仲間。
共に理論を築き、次世代の可能性を語り合った相棒。
「私は……取り戻したいと思った。科学の手で、再現し、回収する」
それが、今の“扉計画”の核心だった。
魔力反応、帰還者の生態、高野陸の異常値──
全ては水科の演算と観測の中にあった。
「だが……問題は“予測不能の要素”だ」
神楽坂柚葉。
そして──葛城ユイ。
扉の観測ログには、彼女の魔力パターンが初期から登録されていた。
にもかかわらず、誰も彼女を“帰還者”として認識していない。
水科は、かすかに目を細めた。
「──やはり、あのとき……あの仮面の巫女は、君だったのか」
その真偽を問いただすつもりはない。
ただ、記録と結果が彼の全てだった。
「……そろそろだな。結晶脈動値、閾値突破まで15秒」
彼は席を立ち、白衣を翻す。
“境界”が再び揺れる。
それが誰かの願いであっても、呪いであっても。
水科敬司は、扉の前に立ち続ける。
過去と、結果と、世界の“次”のために。
(続く)




