第40話 水科という名の影
昼休み。俺は、社内を抜け出して駅近くのカフェに身を潜めていた。
テーブルの上では、コーヒーがすっかり冷めている。
思考が忙しすぎて、飲む暇すらなかった。
頭の中で、ひとつの名前が何度もリフレインする。
──水科。
都内のIT企業「ミズシナテック」の社長であり、俺の部署と長期契約を結んでいる取引先のキーマン。
だが最近、彼の行動には妙な違和感があった。
やけに俺たちの部署に顔を出す。
魔力や転移の話にも眉一つ動かさずに乗ってきた。
そして何より──昨日のデータ封鎖。
あれは、偶然じゃない。誰かが意図的に異世界関連の情報を潰した。
「まさか……あの人が?」
だが、その可能性は否定できなかった。
俺の耳には、過去の会話が蘇ってくる。
『世界には、まだ“アクセスされていない資源”がある』
当時は抽象的な経営比喩だと思っていた。
だが今思えば──それは“あの世界”を指していたんじゃないか。
扉の向こうにある、未知の領域。
それを“資源”と呼ぶなら、俺たち帰還者は……ただの道具か、踏み石だ。
そのとき、スマホが震えた。
画面には、“神楽坂柚葉”の文字。
『高野さん。放課後、話せますか?』
彼女も、感じ取っている。
水科の放つ、何か得体の知れない揺らぎを。
俺は即座に返信を打った。
『放課後、例の駅前カフェで。待ってる』
コーヒーのカップを口元に運び、冷めた苦味を飲み干す。
目を閉じ、深く息を吐いた。
……戦いは、もう始まっている。
でも、それが本格的に動き出す前に、俺たちは準備しなきゃならない。
水科という名の“影”に──踏み込む、その時が来る前に。
(続く)




