第37話 転移反応
その日の午後。
会社のプリンタールームで、俺はひとつの異常に気づいた。
プリンターの横にある古い電源盤。
普段は気にも留めないその壁が、かすかに脈打つように明滅していた。
(……まさか、ここまで影響が出始めてる?)
このフロアは魔力を抑え込む結界が張られているはずだ。
それでも“扉”の緩みは、じわじわと現実世界に滲み出してきていた。
「──転移反応、だよ」
声をかけてきたのは、突然現れた本城千尋だった。
手には社内用のタブレット端末。
そこには、独自に設置された“魔素感知ログ”が表示されていた。
「三日前から、社内に微量の転移波が散発してるの。
最初は偶然かと思ったけど……どうやら本格的に始まったらしいわね」
彼女の表情は、冷静そのものだった。
「このままじゃ、次に開くときは“誰かが落ちる”かもしれないわ」
「……扉が、勝手に人を吸い込むってことか?」
「ええ。実際、数年前にもひとり“消えた”人間がいたの。
そのときは事故扱いされたけど……私の調査では、痕跡がまるで残っていなかった」
その“誰か”という名前は語られなかった。
けれど、彼女が今こうして俺たちに接触してきた背景に、何かしらの因縁があることは明白だった。
「……私の兄よ」
唐突に、千尋がぽつりと漏らした。
「五年前、彼はここから姿を消した。何の前触れもなく、まるでこの世界ごと消えたみたいにね」
俺と柚葉は黙ったまま、耳を傾けるしかなかった。
「両親は“過労による失踪”って納得したけど、私は違うと思ってた。
あのとき、私は“扉”のそばにいたの。
一瞬だけ、空間が歪んで、兄の姿が消える瞬間を……見たの」
彼女の手が震えていた。
「それ以来、私は異世界に関するあらゆる資料を集めてきた。
扉の位置、魔力の痕跡、帰還者の記録──全部、私の手で確かめたかった」
「だから……」
「だから、あなたのことも調べていたのよ。“蒼銀の戦神”」
まっすぐな視線が、俺を貫いた。
「あなたが帰還者だと知ったとき、やっと“繋がった”気がしたの」
彼女の言葉は、虚勢でも命令でもない、ただの“願い”だった。
「……どうか、協力してほしい。今度こそ、扉を制御できるように」
俺は息をのみ、小さく頷いていた。
ここから先は──もう、巻き込まれたじゃ済まされない。
(続く)




