第30話 地下に広がる、もうひとつの世界
マンホールの下──
そこには、俺の知っている“日本の下水道”ではありえない空間が広がっていた。
コンクリートの壁ではない。
自然石を組み上げたような、迷宮じみた通路。
壁にはうっすらと青白い苔が光り、湿った空気には魔素の匂いが漂っていた。
──間違いない。
これは、あの世界の“残響”だ。
そして俺は今、その中に足を踏み入れてしまった。
(ここが……日本の地下? いや、繋がってしまったのか……)
足音を殺しながら、奥へと進む。
スライムの姿は見当たらない。
だが、足跡のような粘液の痕が、通路の先へと続いていた。
この道の先に何があるかはわからない。
だが──確かめなければならない気がした。
再び異界が、この世界に触れようとしている。
通路の突き当たりには、異世界の王城地下で見たような、古びた石扉があった。
扉に刻まれた紋章は、かつて魔王が使っていた封印文様と酷似している。
右手に力を込め、《魔力視》を展開。
扉の向こう側に、反応がある。
何かが、確かに“存在”している。
(これは……ただの残滓じゃない)
喉が、ごくりと鳴った。
そのとき──背後から、ぴたりと気配を感じた。
「……来てしまいましたか、高野さん」
静かに、しかし確かに響く声。
振り向いた先にいたのは──水科社長だった。
白髪混じりのスーツ姿。
表情は穏やかだが、その瞳の奥には冷たい光が宿っていた。
「ずっと探していたんです。……あなたのような“本物”を」
俺は無言で距離を取る。
反射的に、体が異世界仕様で構えを取っていた。
空気が変わる。
まるで、魔王と対峙したあの瞬間のように──
現実の皮が一枚、剥がれていく感覚。
「……何が目的だ」
「この世界が、変わろうとしている。
あなたが扉に近づいた時点で、それは始まった」
水科の視線が、ゆっくりと扉へ向けられる。
「開けるか、封じるか。
いずれにせよ、あなたの意思が鍵になるでしょう」
「……俺は、ただ戻ってきただけだ」
「ですが、向こうの力は、あなたの中に宿っている」
扉の前に立つ俺の足元で、空気が震える。
魔力が、呼応している。
これは──選択の場だ。
会社員・高野陸。
異世界帰還者。
その二つの顔が、交差しようとしている。
(続く)




