第12話 社畜勇者、今日も満員電車に敗れる
朝7時五52分。
高野 陸、33歳。異世界帰還者。──出社中である。
俺はいま、JR中央線のとある駅ホームに立っていた。
目的地は職場。そして、ここから先は──地獄。
そう、満員電車である。
異世界で魔王を倒し、5年に及ぶ戦争を生き抜いた俺が。
現代社会で“唯一、まともに勝てていない相手”。
それが、この通勤ラッシュだった。
黄色い線の内側。無言で詰め寄る通勤戦士たち。
生気のない目と、無意識の押し合い圧し合い。
俺はこの戦場に、今日もたった一人で挑む──
──はずだった。
が、次の瞬間。
ゴゴゴゴゴ……ッ!
中央線の車両が、重低音を響かせて到着した。
ドアが開いた瞬間、押し寄せる肉の壁。
「……くっ!」
左足が浮き、右肩が押し込まれる。
まるで魔獣の突進に巻き込まれたときのような感覚だ。
それでも俺は、精神を集中させる。
──制御しろ。
魔力を刺激するな。
冥想術……ミリアに教わったあれを思い出せ……
だが、押し合い圧し合いのなかで、足場が崩れかけたその瞬間──
《時制操作──強制起動中》
世界が、ゆらいだ。
周囲の乗客の動きが、スローモーションになる。
「っ……まずい、暴走する……!」
俺は慌てて、魔力の流れを断ち切った。
肺の奥から熱が抜ける。
冷や汗が首筋を伝う。
──完全に、戦闘直前の反応だった。
異世界じゃ、これで敵を数十体まとめて葬ってた。
だというのに──現代では、“通勤電車の圧”に耐えるだけで限界とは。
会社に着いた頃には、魂が八割くらい削れていた。
「……満員電車、マジで魔王より強い……」
おまけ:昼休みのLINE(from 柚葉)
【柚葉】:今日、山手線で“おっさんの腕”が私の顔に迫ってきました
【柚葉】:とっさに風魔法の詠唱始めそうになりました
【柚葉】:通学時間、向いてないです。帰還者には。
【高野】:俺も今日、スキル暴走しかけた
【高野】:乗客がスローモーションになってた
【高野】:たぶん俺のせい
【柚葉】:なんであれ、魔王戦より通学の方が難しいんですか……
【高野】:誰かこの世界のダンジョン設計ミスを報告してくれ
──異世界を生き抜いたからといって、現代を生き抜けるとは限らない。
通勤電車、それは文明の顔をした“戦場”。
今日もまた、俺はそこで完敗したのだった。
《続く》




