─ 四日目 ③ ─
── 本郷三丁目 ──
会社に戻った私は、一旦は自席についたものの、どうにも落ち着かずに小さな会議室に再びこもった。
「なあ、いるんだろう。出てきたらどうだ」初めて自分から妻を呼んでみた。「出て来いって」
「ここだ」また後ろで声がする。振り返ると、妻がいた。
「だから、どうして後ろからなんだよ」
「そういうものなんだ。いい加減に慣れたらどうだ。それより、呼び出すとは珍しいな。どうした」と訊ねる声の調子は相変わらず抑揚がなく、表情も変わらない。なんだか出来の悪いロボットと喋っているようだよな、と今更ながらに思う。
「大石部長だよ。どう思った?」
「初対面だったんだぞ。そのわたしに訊くのか? お前の方が分かっているだろう」
確かにそうだ。
私は、大石部長のいかにも実力者然とした、脂ぎった顔を思い浮かべた。西京百貨店の仕入れの決定権を握っている彼は、納入業者から見ればまさに絶対権力者だ。私も何度となく商談を交わしたが、いつも歯切れがよく、もたつくと言うことがない。粘るところはとことん粘ってくるが、決定する際には即断即決する。その手腕に、感銘を覚えたことすらあった。
それだけに、あの病院での受け答えは違和感だらけだった。
「霊とは言え、まるで別人だったな」私がぽつんと言うと、
「いつもは違うのか?」妻が問う。
「全然違う。もっと、なんて言うか、威勢のいい話しっぷりの人なんだよ。なんなんだ、あの歯切れの悪さ。すぐに黙りこくって」
「後ろめたいのだろう。金を受け取ったんだ」
「やっぱりそう思うか。なんか、とんでもなく悪いことが起っている気がする。それを暴かないと。そして止めないと」私は頭を掻きむしった。「だが、どう調べりゃいいんだ。やっぱり田所を問い詰めるしかないのか」
「無理だな。話すわけがない」妻は断言する。「家事を思い出せ。食事の支度や洗濯や」
私はきょとんとした。「何の話だよ。家事と何の関係がある」
「わたしと同じ立場になって、やってみて、初めて、大変さが分かったろう。そう言っていたじゃないか、家事って色々あるんだなあ、としみじみと。仕事も同じじゃないのか? 相手の立場に立って、考えてみろ。五郎右衛門特別展で何が起ってどうなったか。田所はそのとき、どういう立場にいたんだ。そしてどう対処した。相手の立場に立てば、見えてくるんじゃないか」
田所の立場・・・か。
私は、事務所に取って返した。
席に座り、パソコンの画面で、過去のメールを遡って、五郎右衛門特別展までの経緯を整理した。
日本伝統工芸ビッグバンプロジェクト、無論、これが起点である。新田常務が室井社長一派へ対抗するために立ち上げた新規市場部の主要企画であるこのプロジェクトで、国内販売の提携先として西京百貨店グループが挙がった。西京百貨店グループは、高級磁器である五郎右衛門に強い興味を示し、五郎右衛門の販売が軌道に乗って一定の利益を上げられれば、ビッグバンプロジェクトの全製品をグループの全店舗で展開すると約束した。これが、三年前である。
これ以降、五郎右衛門を担当する新規市場部第一課の田所課長宛てに、新田常務からのメールが度々入るようになった。無論、大半は部長である私と田所の二人に宛てた指示なのだが、中には、宛先が田所で私へは写し、で送信されるようなこともあった。
やがて、西京百貨店での五郎右衛門の試験的な販売が始まると、製造数を増やせないか、納入価格を下げられないか、と西京の仕入れ部門から催促されるようになる。
そして田所は、西京の大石部長と、五郎右衛門窯の桐谷課長との間で奔走し、半年ほど前から、やっと製造量が増え、西京への卸値も低く抑えられるようになってきた。その甲斐があって、ビッグバンプロジェクトの他の製品についても、西京百貨店グループでの販売開始の見通しが立ってきた。これは田所の大きな業績であり、新田常務もよくやったと上機嫌だった。そのまま、西京百貨店グループでの全面展開が現実のものとなり、ビッグバンプロジェクトが成功すれば、新田常務の社内での立場は確固たるものとなり、田所の将来も約束される。
そして迎えた、今回の特別展。
ところが、偽物とまで疑われるほど質の悪い物が納入され、西京からクレームがついた。ここで、問題が大きくなれば、三年間をかけてやってきたことが台無しになる。
私が田所なら、どうする?
「そこで、思ったんだ」
私は、糸井営業部長の机の前端に両手を載せ、声を潜めながらも興奮気味に唾を飛ばした。「どうするって問題じゃなく、どうしたのかだ、ってね」
私の思考の過程を一通り聞かされた後だったからだろう。糸井はすでに、うんざりとした表情だ。「どうしたのかって、何を?」
「だからさ、製造量の不足と、高いコストだよ。ピンチは今回のクレームが初めてじゃない。その前にも大きなピンチがあったんだ。数は少ない、物は高いじゃ、西京百貨店に旨味はないじゃないか。あのままだったら、西京は五郎右衛門から手を引いていた」
「でも、軌道に乗ったじゃないか」糸井が椅子の中で私を見上げながら、眉を寄せる。
「ああ、半年前に問題が解決したからな。田所は上昇志向が強い。半端なく強い。頭も切れるし実行力もある。加えて新田常務の後ろ盾だ。そんな奴が、ピンチに直面した。それも将来を左右しかねない事態だ」
「で?」
「普通にやったって、簡単に解決するような問題じゃないだろう。製造量にコストだぜ。奴ならきっと、強引な手を使う」私は、さらに上体を乗り出した。「やったんだよ、そのときに」
「何を?」
そのとき、糸井の部下が声をかけてきた。「部長。先ほど言われた件ですが、検索結果をメールしておきました」
「お、ありがとう」糸井は部下に手を挙げて見せると、パソコンの画面を見ながらマウスを操作した。
「ええと。これか・・・。お前さんが調べろといったやつの回答だ。よく聞けよ。ええと、うちが一括買い付けして、五郎右衛門窯に卸している原材料だが、あれ、七品目が他の会社にも卸されてるな」
私は机を回って、糸井の横に並び画面を覗き込んだ。
彼の部下から送られた検索結果には、七つの物品のコードと品名、その横に丁寧に注釈が付けてあって、上から、「陶土」、「呉須」、「釉薬」、「以下は絵の具」、とあった。
私は糸井と顔を見合わせた。
「どこに卸されてる?」私が訊いた。
「ああ、ええと、花緑製作所と奈苗工房。住所は、両方とも佐賀県有田町」
「五郎右衛門窯の側だ」
私たちはもう一度、互いの顔を見合った。
私は、上着の内ポケットに手を突っ込んで手帳を取り出すと、そこに挟んでいた紙片を見詰めた。
ことは重大だ。これ以上、事務所で話しているのはまずい。私は、糸井を連れて再び会議室に戻った。
手にした紙片を糸井に見せて、それを読んだ。
「『五が半分で六と七でもう半分とは何のことで誰が言った?──五郎右衛門の納品の話、桐谷が言った』、五と六と七だ」
「なんだ?」
「これは、五郎右衛門窯の営業課長の桐谷、奴が漏らした言葉なんだ。五が半分で六と七でもう半分。田所ならこの意味が分かる、そう言ったんだよ、山之内に」
「五、六、七は、五郎右衛門と花緑と奈苗ってことか?」糸井が察しよく言う。
「五郎右衛門用の原材料は五郎右衛門窯にしか卸していない。そういう契約だからな。他の会社が、うちから原材料を入手することは出来ない筈なんだ。なのに、この花録と奈苗というところに何故か流れている」
「うちの人間が関わっているな。じゃあ、田所が?」糸井の顔が引き攣る。
「桐谷と組んで、その二つの会社に、五郎右衛門のコピーを造らせているんだ」
私たちは揃って長く息を吐き出した。
しばらく間があって、糸井が口を開いた。「で、どうする、井上?」
「ことがことだ。裏を取る」
「田所を問い詰めるのか? これ、常務もグルかもしれないぞ」
「ああ、おそらくな。問い詰めても田所は吐かないだろう。だから、もう一人に訊く」
「もう一人って、桐谷か?」
「ああ」
「それこそ吐かないだろう」
「正面からいったらな。だから、仲間のふりをする」
私は電話機を載せた台に歩み寄った。「じゃあ、かけるぞ」そう糸井に宣言すると、彼はごくんと唾を飲み込んだ。私も釣られてごくりとやってから、受話器を持ち上げた。
名刺を見ながら、番号を押す。呼び出し音が鳴る。異様に長く感じられた間の後、カチャという音がして女性の声が出た。
「はい?」
「ニッタ商事の井上と言います。お世話になっております。あの、桐谷課長さんはいらっしゃいますでしょうか?」
お待ちください、と言った後、しばらく音楽が流れ、「はい、桐谷ですが」とだみ声が聞こえてきた。白髪混じりの狸顔が頭に浮かぶ。
「ああ、ニッタ商事の井上です。実は、田所から花緑製作所と奈苗工房が上手くいってないと聞きましてね。大丈夫かと思って電話したんですが」
強張りながら喋る私の横で、糸井がにんまりとした。
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