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─ 三日目 ④ ─


── 本郷三丁目 ──


 西京百貨店を出た田所は、昼も近いしそこいらで飯を食おう、と桐谷を誘った。もちろん、確認しておきたい、問い質したい、釘を刺しておきたい、と諸々あったからだが、桐谷は、「ああ、帰りの飛行機が、もうぎりぎりなんで行かないと。申し訳ない」そう言って、あっさり逃げてしまった。

 憤懣やるかたない気持ちを抱えながら、会社に戻った田所は、そこで部下から、山之内の件で警察が訪ねてきたと報告を受けた。

「刑事が来たのか?」

「そうですね、私服だったから」

「で、何だって?」

「山之内さんの昨日の行動について、教えてもらいたいって」

「で、なんと答えた?」

「午前中は社内にいたけど、午後は外回りで直帰したと、まあ、ありのままを言いましたけど」課長が睨むように見てくるので、部下は思わず、「まずかったですか?」と上目遣いをする。

「あ、いや」田所は、知らず前のめりになっていた体を戻すと、表情を和らげた。「別に隠すことはないから」

「でも警察は、夜、誰かと会う予定になっていなかったか、なんて訊いてきたんですよ」

「夜、誰かと?」

「そうです。でも、分からなかったので、そう答えて、まあ、それで終わったんですが、課長にも話を訊きたいからって。戻ったら電話をくれるようにと」と田所に名刺を手渡した。


 部下が席に戻ると、田所は渡された名刺を持って事務所を出た。

 階段で上の階にいく。そこは会議室が幾つも並んでいた。どの部屋も、廊下に面した壁は磨りガラスになっているため、使用中かどうかが一目で分かる。田所は一番奥の無人の会議室に入り、立ったまま、名刺の番号に電話をかけた。

「はい、刑事課」

 てっきり、受付に繋がるものと思っていた田所は、いきなり刑事課と言われて、「あの、澤野さんって人、お願いします」どぎまぎしながら言った。

「失礼ですが、どちらさん?」ラフだが少し警戒するような調子だ。

「あ、失礼。ニッタ商事の田所と言います。電話するように言われて」

「ああ! はいはい」と急に明るくなり、「澤野です。すみませんね、わざわざ」なにやら、がさごそと音がした後、「ええと。ニッタ商事さんの、新規市場部、一課長さん」

「そうです。田所です。山之内のことで、会社に来られたと聞いたのですが、あの、どういうことでしょうか?」

「山之内さんが怪我されたことは?」

「はい、知ってます。階段から落ちて入院したと。今朝、奥さんから連絡いただきました。で、何か問題が?」

「事故か事件か、そのあたりを調べてましてね」

「事件って」田所は寸の間、絶句した。「階段から落ちたんでしょう?」

「ま、ご本人がまだ意識がないものですからね」そう言うと、咳払いを一つし、「ところで。山之内さんの昨夜の行動など分かりましたら」

「わたしと一緒でしたよ」

「ほう」澤野はそう一声上げた後、また二回ばかり咳払いをし、「一緒と言われると、一杯引っ掛けていた、ということですか?」

「いえ、お客の接待ですよ」田所は、昨晩の会食の時間、場所、同席者について説明した。途中、大石の名を出したところで、はっ、という息を吸い込む音が聞こえた。

「なるほど。では午後七時から九時までの二時間、今言われた四人で食事をなされていたわけですね。で、店を出てからは?」

「皆、帰りましたよ」

「みなさん、帰った? ばらばらに?」

「ああ、ええと。みんなでぞろぞろと茗荷谷駅まで歩いて、駅で二手に分かれました。わたしと新田は、東京方面。山之内は大石部長と、池袋方面。で、来た電車に乗って帰りましたが」

「そうですか。では、山之内さんも地下鉄で帰られた、と思ったわけですね」

「ええ。駅の改札に入るところまでは一緒でしたから。あの、乗らなかったんですか?」

 だが、澤野はそれには答えず、「山之内さんは、相当飲まれていましたか?」

「いえ、接待する側ですから、我々は。ほとんど飲んではいなかったかと」

「そうですか。店を出た後、大石さんとどこかに行こうなんて話はしていませんでしたかねえ、山之内さんは?」

「いいえ、それは分かりませんが」一呼吸おいて、田所は尋ねた。「大石部長も、一緒に落ちたんですか?」

「なぜ、そう思います?」刑事は、まるで、待っていたかのように素早く訊いてきた。

「あの・・・実は、先ほどまで西京百貨店で打ち合わせがありまして、大石部長が怪我をして入院されたと聞いたものですから」

「あ」息を吐くような音がして、「そうでしたか。実はね、そうなんですよ。二人揃って階段の下で倒れていたのを、通りかかった人が見つけて、通報してきたんですがね」

「あの、山之内は意識がないと聞いていますが、大石部長はどうなんでしょうか。やはり、悪いんですか?」

「申し訳ないですが、話せないんですよ、そういったことは」刑事は、ぽつんと言葉を切ると、改まった口調になる。「ところで、どこだか、気になりませんか?」

「え、どこって?」

「階段ですよ。どこの階段だか、気になりませんか?」

「あ、どこ、ですか?」

「お教えできないんですよ」

「なんですか、それ!」からかっているのか。田所は思わず声を高くした。

「すみませんねえ。からかっているわけじゃないんですよ。捜査情報ってやつは制約が多くてね。ただね、普通は、こういう聴取をしていますとね、大概訊かれるんですよ。どこでですか、と、いつですか、をね。そう言えば、いつなのかも、お訊きになりませんな、課長さん。ま、訊かれても、答えないですけどね」

 澤野という刑事に会ったことはないが、田所の頭には、人の悪そうな顔が思い浮かぶ。

 刑事との通話は、それ以上の質問もなく終わった。電話を切った田所の手はじっとりと汗ばんでいた。



── 本郷三丁目 ──


 新田は、受話器に伸ばした手を掴む直前で止め、うーん、と低く唸ってから引っ込めた。携帯電話には二度かけた。しかし二度とも留守電になっていて、繋がらなかった。ならば、と一課長の席に直接かけようとしたのだが、しかし、もし本人が不在で他の者が出たら。常務から直接課長に電話があったぞ、いったい何事だ。そうなるだろう。妙に目立ってしまうことは避けた方がいい。

 だが。

 どうにも、じれったい。どうして連絡をしてこないのだ、あいつは!

 不意に、ノックの音がした。

「あ、どうぞ」

 秘書が顔を出した。「新規市場部の田所課長が、お会いしたいといらしてますが」いかがいたしましょうか? と首を傾ける。

 やっと来たか! 思わず声に出しそうになるが、すんでの所で飲み込むと、「ああ、井上部長がまだ休みらしいからな。通して」と、椅子の背にもたれて言う。

 秘書と入れ替わりに、田所が入ってきて扉を閉めると、新田は椅子を蹴って立ち上がり、机を回って歩み出た。

「遅いじゃないか、何してた!」と吠えてしまってから、一旦口を閉じて鼻から息を出す。「で、分かったか?」

「大石部長も入院しています。しかし、それ以上は分かりません」

 二人は立ったままで顔を近づける。

「あと、警察が捜査しています」

「警察」新田は少し声を高くしたが、「いや、こういったことでは、普通なんだろう」自分を落ち着かせるように言い、「で、何か訊かれたのか?」とやや上目遣いで見た。

 田所が、刑事と交わした電話でのやり取りを掻い摘んで説明すると、新田は苦い顔になった。

「そうか・・・大石の容態は分からないか。しかし、まるで、引っ掛けるようなことを訊いてくるんだな、警察ってのは」そして鼻を鳴らすと、「君が疑われているわけじゃないんだろうな」ぎょろりと見る。

 田所はのけ反るように顎を引くと、「いえ、まさか。疑われるようなことは、何もありませんから」

「だが、接待の内容が知れたら、我々を見る目が変わるんじゃないか?」そう言って、田所の顔をじっと見る。

「しかし、知れることはありません」

「ああ、当人が喋らなければな。結局はそこだよ、そこ」と田所の胸に指を突き付ける。「大石の容態を掴まないと。田所、すぐに調べるんだ」

 はい、と頷いて、田所は部屋を出て行った。

 新田は、革張りの椅子に戻ると、首元に手をやりながら背もたれに寄りかかり、「そうか・・・ここにも、来るかも知れんな、警察が」ぽつんと呟く。そして、しばらく何やら考えていたが、やおら受話器を持ち上げ、秘書にかけた。

「あのね、これから関西支社に行くから」

「あ、はい」キーボードを叩く音がし、「常務。支社長との打ち合わせは明日の予定となっておりますが」

「ああ、分かってる。打ち合わせは変更ないよ。ただ、ちょっと早く行こうと思ってね。夕飯を一緒にどうかって、支社長に連絡しておいて。あと、ホテルの予約も頼む」

「承知しました」

 そして、受話器を置くと、「三十六計逃げるに如かず、だ」と口を曲げた。


お読みいただきましてありがとうございます。

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