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⑨クソみたいな人生をやり直せたら

 どうしようもないクソみたいな人生だったな。


 先月五十の誕生日を迎えた。人生百年時代ならばようやく半ばといったところだが、平均寿命を考えればとっくに折り返し地点は過ぎている。


 誕生日と同時に三十年近く勤めた会社が倒産した。


 驚きはない。給与の未払いが常態化していたし、ボーナスなんて話にすら上がらない。退職金はもちろんゼロだ。


 そんな職場、辞めてしまえばよかったのに。実際その通りなのだが、俺が困っているときに声を掛けて受け入れてくれた社長を裏切るような気がして結局最後まで決断できなかった。彼は最後まで戦っていたし、俺もそんな社長の姿にきっと最後は逆転できる、今の苦労やどん底だって笑って話せる日が来る。そう思っていた。現実はドラマのように甘くは無かったけどな。


 

 貯金は無い、妻も子どももいない。金が無いから車もない。


 だけど――――もう俺を縛るしがらみは無くなった。



 久しぶりに感じる解放感。人生をやり直せるチャンスを得た気分だったが、雇用保険料が払われていなかった事実を知ってそんな甘い見通しは瞬時に絶望に変わった。


「こりゃあ銀行強盗でもするしかないか」


 もちろん冗談だが、そうとも言い切れないことにため息が漏れる。


「……仕事探しながらバイトしないとな」


 しがない中年の身には、落ち込んでいる余裕すらない。稼がなければ生きていけない。

 


 とはいえ、ろくなスキルもない中年男に出来ることなどそう多くはない。学び直すにしても先立つ金がないのだからどうしようもない。


 面接に向かう交通費すら躊躇してしまうほど財布の中身は厳しい。


 結局、近所で募集の張り紙をしていた清掃会社でバイトを始めた。別に待遇が良かったわけでも、社風が気に入ったわけでもない。とにかく人が足りなかったらしくて、必要とされたことがほんの少しだけ嬉しかったのかもしれない。あるいは薄汚れた自分の人生を奇麗に洗い直したいと思ってしまったのかもしれない。いや、きっとどこでも良かったんだろう。不安で押しつぶされそうな状況から一刻も早く抜け出したかっただけ。


 ただ、歩いて通えること、食事が付いていることは有難かった。勤務態度が良ければ正社員の可能性もあるというのも俺にとっては眩しい希望のように思えた。 


 部屋の家賃には一応の目途は立ったが、バイトだけでは正直食べていけない。食べるだけならなんとかなるが、保険や年金を払うことが出来ない。


 もう一つバイトを掛け持ちすることも考えなければならないが、体力の衰えを感じることが増えた身体でやっていけるだろうか? もし動けなくなったら……人生は終わる。不安しかない。睡眠が浅くなって眠れない日が増えている。


 このどうしようもない人生が破綻するまで、あとどのくらいだろうか?


 気付けばなるべく苦しまずに死ねる方法を調べている。実行しないのは未練があるからじゃない。ただ意気地がないだけだ。


 結局のところ、俺はずっと流されるまま生きてきた。目の前のことに真面目に向き合ってきたと云えば聞こえは良いが、その結果がこのざまなのだから救いようがない。


 ギャンブルも、酒もタバコもやらなかった。真面目にコツコツ頑張れば幸せな人生を送れるんだと言われて育ったけれど、何が足りなかったのだろう。



 そんなある日、一通の手紙が届いた。


 家の郵便受けに入っているのは請求書と督促状の二種類しかないが、今回はそのどちらでもなかった。


『同窓会のお知らせ』


 高校時代の同窓会。これまでも何度か案内が届いたことはあるが、一度も参加したことは無かった。あんなものは社会的に成功した人間が自慢するために集まるのだ。こんな状況で参加したところで惨めな思いをするだけなのはわかりきっているし、会費だって交通費だって今の俺には負担が大きすぎる。


 いつもならそのままゴミ箱行きだが、今回に限ってそうしなかった。


 差出人である幹事の名前を見てしまったからだ。


 ――――桐原 花恋(きりはら かれん)


 俺が人生で唯一付き合った女性。付き合ったとは言っても、高三の時数か月だけ。受験勉強もあってデートらしいデートも出来ずに行き違いも重なって、卒業後は自然消滅したのだが。 


 あの時の後悔はずっと尾を引いている。俺が結婚しなかったのは多分にその影響だ。もっとも経済的に出来る状況ではなかったことも理由の一つではあるが。



 気が付けば、俺は参加に丸を付けて投函していた。


 今の俺が今更彼女に会ってどうするつもりなのか? 苗字が変わっていないからといって独身だとは限らないこともわかっている。


 だが、自分自身、もう人生を諦めている。


 それなら会ってみたい。どうせこれ以上悪くなることなんてない。明日病気になってそのまま野垂れ死にすることになるのなら、最後にやりたいことをやろう。


 会費を払い、当日の交通費やなんだかんだの費用を考えれば今月の食費はゼロになるが、知ったことじゃあない。


 どんなに苦しくてもずっと手元に残しておいたコレクションを含め金になるものはすべて換金した。


 どんなに落ちぶれていても、当日だけは最高の自分でありたい。


 整髪し、靴や服を新調する。筋トレやウォーキングも始めて体を引き締め、肌のケアも出来る限りやった。


 ――――同窓会当日


 新宿駅を南口から出て会場のホテルへ向かう。



「おお、もしかして火野(ひの)か? 久しぶりだな、卒業以来じゃないのか」


 真っ先に声を掛けてきたのは、金谷だ。ずいぶんと体型がふくよかに変わっているが、人好きのする愛嬌のある雰囲気は変わっていない。


「久しぶりだな。その……ずいぶん立派になったな、主に腹の辺りが」

「ハハハ、そうなんだよなあ、ダイエットしなきゃと思いつつ意志が弱いからさ。お前は全然変わっていないからビックリしたよ」


 変わっていない……か。たしかに今でも年齢より若く見られる。暴飲暴食はしてこなかったし、仕事で走り回っていたから運動不足もない。ここ最近のケアで十歳くらいは若返ったような気はしていた。


 花恋に会いたい気持ちだけで来たが、こうして話していると急速に高校時代に戻って行くような気がして思ったよりも楽しんでいる自分がいる。あの頃の記憶や生々しい感情まで同時によみがえってくるのは正直しんどいが。


「木下も来ているのか?」

「ああ、ほらあそこにいるぞ。同期の中で一番の出世頭じゃないのかな、最近よくテレビにも出てるし将来の総理候補の一人にも名前が挙がっていたよな」


 派手な高級スーツを着て級友に囲まれている男。木下登(きのしたのぼる)は、大物政治家の孫で現役の国交大臣、高校時代からカリスマ性があって人気だった。


 だが――――俺にとっては花恋が別れることになった原因を作った男でもあり、家族がめちゃくちゃになった原因そのものであり、さらに言えば勤めていた会社が倒産したのもコイツの作った法律のせいだったりする。


 忘れようのない恨みの感情が本人を前にしてむくむくと鎌首をもたげる。

 


「あれ? 火野ちゃん久しぶりだね? 元気してる?」


 木下が俺に気付いて近寄ってくる。そうだった、こいつはこういう話し方をする奴だった。テレビでは猫を被っているがお調子者で薄っぺらい人間だ。


「……久しぶりだな」


 正直口も利きたくないし、顔を合わせているのも憂鬱だ。後でぶん殴ってやろうとは思っているが、今はまだ我慢しなければならない。


「今、仕事何してんの?」

「失業してバイトしているよ」


 今更見栄を張る必要も感じない。


「なんだそれならうちの事務所で雇ってやるよ、ビラ配りとか好きだったろ?」

「悪いな、政治にも選挙にも興味は無いんだ」


 どんなに好待遇だったとしてもこいつの下で働くぐらいなら死んだ方がマシだ。それにビラ配りって……学園祭の時のことを言っているのか? ふざけやがって……。


 花恋のことが無ければ、この場でコイツをボコボコにしていただろう。


 何とかあふれ出る感情を飲み込んでその場を離れる。



「火野君……久しぶり」


 背後からの声に身体中の血が逆流する。


 懐かしい声――――変わらないその呼び方に心臓が早鐘を打つ。


「久しぶりだな……花恋」


 内面の動揺とは裏腹に言葉は自然と零れ出す。


 花恋は今でも美しかった。どう見ても三十代以上には見えない。昔から変わらない好奇心の塊のような知的な眼差し、勝気な口元。話したいことはたくさんある。言わなければならないこともある。だが、三十年以上の時間の壁がそれをさせてはくれない。


「ねえ、火野君、この後時間ある?」


 だが、そんな俺の内心を見透かしたように、花恋はそっと耳元で囁いた。




「……ここは?」


 同窓会の二次会から抜け出して連れて来られたのは巨大な建物の中の一室。近未来的な装置が所狭しと並んでいる。


「私の研究室よ」


 研究室……そういえば花恋は科学者志望だったな。高校時代は科学部に所属していたし、機械いじりが趣味だって言ってたっけ。


「すごいな、自分の研究室を持てるなんて。何の研究をしているんだ?」


「タイムマシン」

「……は?」


 一瞬冗談を言ったのかと思ったが、本人は真剣だ。


「完成するまでに三十年近くかかってしまったわ。でも……ようやく完成したの」


 嘘……だろ? タイムマシンが完成した? それってノーベル賞どころの話じゃないだろ。


「それでね、火野君に来てもらったのはお願いがあったからなの」

「……俺に?」


「うん、貴方にしか出来ないことだから」


 俺にしか出来ないこと?


「このタイムマシンで過去に行って欲しいの」


 唐突過ぎて理解が追いつかないが――――


「行って何をすれば良いんだ?」


 俺はもう結論を出していた。 

  

「決まってるじゃない。私たちが別れるのを阻止してちょうだい」


「もしかして……そのためにタイムマシンを?」

「当たり前でしょ、私、ずっと貴方のことが好きだったんだから」



「行ってくる」

「気を付けてね」


 装置の操作は花恋しか出来ないので、俺が行くしかない。肉体は移動しない。意識だけが過去にスライドする。過去が変われば自動的に未来も変わる。


 今度こそ失敗はしない。

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― 新着の感想 ―
[一言] 50男のシニカルな展開と思いきや、かつての彼女と企む過去のやり直しとは?ざまぁされそうな木下もいるので、何か起きそう。 (*´ー`*)結末はリア充爆誕を予感させますね!
[良い点] 共感を誘う書き出しですねぇ…… 人生、こういうこともありますよね。 ふとした拍子に、今まで歩いていた道から落ちてしまうリスクがそこここに広がっていること、多くの読者さんがお持ちの認識だと思…
[良い点] いい人なのに、あるいはそうであるがゆえに、うまく行かない人生を歩み続けてきた主人公の過去と現在の描写が巧みで、一つひとつのエピソードから多くのイメージを喚起され、ぐっと感情移入させられてし…
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