⑦成り上がったマグロ、かつての相棒ネギとの契約を破棄す
人間様の呼び方で言う、江戸時代中期に値する頃のことだ。
下町の食堂の厨房にて、緑の長髪と日に浴びたことのない真っ白な肌をした美青年が、大きな声で水槽の方を向いて叫んだ。
「おーい、マグロ!今日もよろしく頼むぜぇ」
「あたぼうよ、ネギのアニキ。今日も熱々の醤油出汁に浸かって、ねぎまの完成と洒落込もうじゃねえか」
美青年ことネギのアニキに返事を返した俺っちは、マグロだ。
自分で言うのもなんだが、下魚の部類に入る。
なんでも、鮮度がすーぐに落ちちまう上に、トロの部分がやたらと脂っこくて下品だと、上流階級の方々には不人気なんだと。
てやんでい、べらぼうめ。その脂が甘くて美味いんだろうがよ。
まあそんな感じで、高貴な御人からはボロクソに言われている俺だが、庶民の奴らは違う。
ほら、見ろよ。
「くぅ〜!仕事終わりはやっぱりねぎまに限る!トロの脂の甘みと醤油出汁の香りは相性抜群だし、さっと醤油出汁に潜らせただけの、未だシャキシャキ感を保つネギとの相性も抜群で……(以下長々と食レポが続くため割愛)」
あれは鳶職の兄ちゃんだな。
肉体労働は体力を激しく消耗するから、タンパク質豊富な俺っちの赤身の部分はピッタリってわけよ!
「オゲェフッっゲッホゲホゲホ、ううむ。このネギは鉄砲仕掛けであったか」
あっちはお忍びで来てる御大名だな。
こいつは御武家様の癖に庶民舌らしく、大分前に初めてこの店でねぎまを食べたところいたく気に入り、かなりの高頻度で通っている。
毎度毎度懲りずにネギを前歯で噛むせいで、熱々の芯が喉奥へ引っかかって酷い目にあっているのだが、あんなのが大名だなんて世も末だな。
ネギのアニキも毎度のことだがゲラゲラと笑っている。よく飽きないな。
まあ、俺たちが沢山の人から美味いと思われるのは純粋に嬉しい。
下魚と呼ばれようが、俺っちの相棒にネギのアニキがいる限り、なんの問題もない。
こんときの俺っちは、そう信じて疑っていなかったんだけど、な。
時代はうんと進み、戦後の世界。
日本では食品を冷凍するという技術が発達したもんで、生モノをそのままの鮮度であっちこっちに運ぶことができるようになった。
腐るのが早いと散々言われていた俺っちは、その技術の恩恵に預かって瞬く間に人気な魚になったんだ。
あと、欧米の食文化が浸透したからなのか知らんが、脂っぽいモンを好む風潮も生まれ、昔はときに捨てられることすらあったトロがもてはやされるようになったな。
そうして俺っちは乱獲され、その影響で個体数も漁獲量も激減したことで、さらに値段が高騰。下魚が一転して高級魚の仲間入りを果たした。
昔はもし出会おうもんなら即座に頭を下げなければならなかったハモの姫君やタイの御大臣とも対等に言葉を交わすようになり、なんなら高級魚の代表格まで出世した。
ネギのアニキ……いや、あんな庶民的な食材、呼び捨てで十分だ。ネギの野郎とは、もうしばらく会っていない。
そもそも、時代が変わっても安いままのアイツとコンビを組み続ける必要はないだろう。
確かに昔は世話になったこともあったが、兄貴ヅラをされるのはあまりいい気分じゃあなかったし、それにいつも飄々としているアイツが顔を歪ませるのを見るのもなかなかに面白そうだ。
よし、アイツは捨ててしまおう。
そう決めた俺っちは、召使のツマたちを通じて俺っちの城へネギを呼び出した。
ついでに、ハモの姫とタイの大臣も招くことにする。
愉しいモノは共有することで余計に楽しくなるからな!
そうしてやってきたネギに、嘲笑を向けながら傲慢に言葉をかけた。
「よく来たな、ネギ。お前とのぱぁとなぁ契約を破棄する!」
「……理由を教えてもらおうか、マグロ」
チッ。狼狽えた顔が見たかったってのに、ネギは動揺するそぶりも見せず、冷静に口を開く。
「そんなの其方がよくわかっておるであろう、ネギよ。マグロ殿は今や、我ら高級魚界の代表。しかし其方はなんじゃ?未だに庶民にばかり食われている一般の野菜に過ぎん。そんな其方がマグロ殿に釣り合うとは、わらわは到底思えぬなあ」
コロコロと笑いながら合いの手を入れたのは、ハモの姫だ。それに追い打ちをかけるように、タイの大臣も言葉を発する。
「それに、そちは圧倒的に子供からの人気がないでおじゃる。その苦みも、グニュグニュした食感も、苦手とする子供が多い。一方のマグロ殿は、甘みと旨味の洗練された絶妙な調和により、子供から大人まで、幅広い層からの支持を得ているでおじゃる。これが、そちとマグロ殿の違いよ」
「俺は高級料理にも普通に使われているし、子供の嫌いな野菜ランキングでも6位と、そこまで高順位ではない……まあ、そう言っても無駄なんだろうな」
さよならだ、マグロ。お前たち高級魚たちに睨まれちゃ、この国に俺の居場所はないようだな。
そう言って振り向きもせず城から出ていったネギ。興が覚めたじゃないか。最後まで役にたたん奴め。
まあ、あんな奴のことなんて気にするだけ無駄だ。
そう切り替えた俺はその夜、ハモの姫とタイの大臣と共に派手な宴会を開き、夜更けまで騒いだ。
――この後、ネギが日本から消えたことで様々な食材たちから俺たちが強く非難された挙句、海外で無双するネギに見事にざまあされたのは、また別の話。