㉙幽霊になったモーツァルトの望みを叶えます!
最近、俺に弟が生まれた。
ほっぺに触ると柔らかくて笑った顔が可愛い。俺とは十一才離れていて、今まで兄弟がいなかったから特別に嬉しかった。
リビングではベビーベッドの上にメリーが揺れる。その中では赤ちゃんがウトウト。聴かせれば頭が良くなると聞きつけた母さんが、昔の海外の音楽家のCDを流している。
本当に効果あるのかな? 気休め程度じゃないかな?
音楽を聴くだけで頭が良くなるんだったら、みんな人生を苦労しないよね。少なくても、テストで悪い点数を取って母さんから叱られることはないはずなんだ。
俺を見つけた母さんが声を掛けてきた。
「海斗、赤ちゃん眠りそうだから、騒がないでね」
「はーい」
リビングを出て階段を上り、自分の部屋で読みかけの漫画をペラペラとめくる。それもそのうち飽きてきて、床に座ったままテーブルに突っ伏した。
開けた窓から下の階の音楽がまだ聴こえる。題名も知らない曲が。
小学校で課外授業があって疲れが溜まっていたからか、そのままスーッと眠ってしまっていた。
「……君! 僕の演奏会の最中なのに、居眠りをするなんて失礼じゃないですか!」
僕の演奏会? そんなところに行った覚えはない。音楽を聞いたままじっと座るのがまず無理だ。
誰がそんなことを言ってきたのかと目を開けると。
耳元で毛先がくるんと巻かれた銀髪の子がいた。後ろの紺色のリボンで一つに束ねた銀髪もカールしていて、外国の貴族の子どもが着るような赤い上着に赤い短パン、白タイツをはいている。
外国の男の子? それにしては日本語が達者のような……。もしかしてハロウィンのコスプレか?
「…………君は誰?」
「僕のことを知らずに演奏会へ来たんですか。可哀想なので教えてあげます。僕の名前はモーツァルトです」
この子、真顔で冗談でも言っているのかな?
昔の有名な作曲家の名前だ。勉強嫌いの俺でも、音楽の授業で習った覚えがある。そう、あの人は――。
「魔王の人だ!」
そう、マイファーザー、マイファーザーってフレーズが印象的だったんだ。歌の中に魔王が出てきて少し怖かったと思う。
自信満々に言い放つと、モーツァルトは呆れた顔をした。
「違います。僕の代表作の一つは魔笛です。ちなみに――魔王はシューベルトの作品ですよ」
しまった、間違えた。そういえばシューベルトって名前だったような。音楽は俺の超苦手分野だった。得意なのは体育と図工だけだけど……。
ここにいるのは本当に過去の偉人のモーツァルトなのだろうか。ただの同じくらいの小学生だとしたら、やけに物知りだ。
「モーツァルト。ここは日本の俺の家だよ。演奏会でなく、母さんが音楽プレーヤーでモーツァルトの曲を流していただけなんだ」
「音楽プレーヤー?」
「CDを流す機械だけど……」
「シーディー?」
聞き返されるばかりで話がまるで通じない。彼は本気で分かっていないようで、タイムスリップしてきた過去の人と話しているようだ。
まさか、本当にモーツァルトなのかな?
「もしかして、君は幽霊なの? モーツァルトの幽霊?」
俺がそう言うと、モーツァルトは家の周りを見回した。
そこで初めて違和感があったようで……。
「ここは僕の生きていた時代ではないようです。この家には見慣れないものがたくさんありますから。不思議なことに、音楽に関しては死んでからのことも僕の頭に蓄積されていて……シューベルトは僕の死後に生まれてきた作曲家ですが、よく知っています。そう、幽霊ってことで合っています。こうして誰かと話したのは初めてですが」
モーツァルトも自分が幽霊だったと受け入れるのに時間がかかったようだ。さっきも本気で演奏会をしていたと思ったらしい。
よく観察すると、モーツァルトの足は地面から十センチくらい浮き上がっている。彼は幽霊で間違いないようだ。
「君の音楽を流していたから、俺の家にやってきたの?」
どうして彼は俺の前に現れたんだろう。モーツァルトの曲が流れる機会は、世界中のどこでもあるはずなのに。
「下の階にいる赤ちゃんが……僕の音楽を聴いて、すごく気持ち良さそうにしていたから引き寄せられたのかもしれません」
彼が俺の前に現れたのは、きっと叶えてほしい望みがあるからだ。そうに違いない。
「でも、俺、音楽苦手だから君の役に立たないかも。ピアノは習ったこともないし、歌も下手だし……」
そう言った途端に、モーツァルトはにじり寄ってきた。
「音楽が苦手!? もったいないです! 音楽は人生を豊かにしますよ。だって、どんな人とも、国境を越えても分かり合えますから!」
「そ、そうか……。でも、それは芸術分野なら同じことが言えるんじゃない? 演劇や絵画とかでも」
「確かにそうですね。でも、人の心に安らぎと感動を与えるのは音楽の力が大きいと思います」
モーツァルトの言うことに聞き入ってしまった。音楽って良いかもと少しくらい思ってしまうくらいには。
「そうだ。君の名前を教えてくれませんか?」
「俺? 俺は富永海斗十一才だよ」
自己紹介してから、外国って苗字と名前は逆だったかな? と思い出す。
でも、モーツァルトはどちらが名前か分かってくれた。
「カイトと呼んでいいのかな?」
「うん!」
「……カイトにお願いがあります」
モーツァルトは俺の手に彼の手を重ねた。幽霊だから、もちろん感触はない。
「死んでからずっと、音楽の中を漂ってたんです。僕が天国へ行くお手伝いをしてくれませんか?」
成仏できなくて幽霊になったということかな。このままでは可哀想だ。
モーツァルトを放っておけない。俺は決心して「いいよ」と返事した。
「この世の未練があるから幽霊になっちゃったの?」
「心残りはたくさんありますね。僕って三十五才で死んだんです」
「え? 俺と同じくらいに見えるけど……」
俺は驚いてモーツァルトを見つめた。彼はきょとんと目を瞬く。
「そんなに幼く見えるんですね。……ああ本当だ。手も小さいし足も短い」
自分の体を触って確認して納得した。
俺の父さんよりも若い年で死んだんだ。そういえば、音楽室の肖像画で青年姿の絵が飾ってあったな。
「ピアノを弾きたいから体を貸してもらえませんか。僕、かなり上手なんですよ」とお願いされたけれど、「やだね」と速攻で断った。だって自分の体が意識せずに動くのは怖いじゃん。
モーツァルトのことが知りたくて、学校の図書館で彼の伝記の漫画を読む。小さい頃は神童と呼ばれるくらいピアノの才能があって、生涯に渡って曲を作り続けた人だと分かった。
俺は答え合わせをするように、モーツァルトへ問いかける。
「三十五才で死ぬなんて、早くに死んだね。もっと曲を作りたかった?」
「そうですね。完成しなかった曲もあって残念でした。僕が死んでから二百年以上経って、新しい音楽がたくさん出てきています。今の僕の音楽を作曲したいくらいです」
モーツァルトからは強い意欲を感じる。偉大な作曲家は頭の中のスケールも大きくて、凡人の俺とは考えが違った。モーツァルトが新曲を書いたら、とんでもないことになっちゃうんだろうな。
「もっと家族と過ごしたかった?」
でも、モーツァルトの家族もとっくの昔に死んでいるから、その願いを叶えるのは難しそうだ。
「……そうですね。まだ小さな子もいたから、成長を楽しみにしていました」
すっかり親の顔だなぁ。
小学生の見た目なのに、急に大人びた顔になって俺を驚かせた。
◇
ある日、スーパーで買い物している母さんに、おもちゃ売り場で一人で待つようにと言い渡された。正確には一人じゃないけれど。
嬉々として、目を輝かせたモーツァルトが俺の隣にいる。
「たくさんおもちゃがあるんですね! どれも魅力的です!」
モーツァルトは楽しそうだ。
一通りおもちゃを眺めると、子どもの遊べるキッズスペースが目に入った。ブロックやヒーローの人形、おもちゃのピアノなどが置いてあって、自由に遊べるようだ。
「あー! あの子、私のおもちゃ取った! 返して!」
「やだ! わーん!」
おもちゃを取り合って、子ども同士の喧嘩が始まった。片方の子は大声で泣き、そのお母さんはなだめるのに必死だ。
そうだ――。
雰囲気を変えたくて、俺はモーツァルトにお願いした。
「あのおもちゃのピアノ弾ける?」
「弾けますよ」
「楽しい曲を弾いてほしいな」
「わかりました。体をお借りしますね」
そう言うと、モーツァルトが俺の体に乗り移った。
体が勝手に動いて、おもちゃのピアノの前に座って鍵盤に手が乗せられる。
指が軽く跳ねる。演奏が始まった。
この曲、俺でも分かる。キラキラ星だ。でも、ただのキラキラ星ではなくて、モーツァルトのアレンジが加わっている。自分で上手と言うだけあるな。
彼が演奏し始めた途端に、子どもの泣き声がピタリと止んだ。
滑らかな指の動きで、楽しい演奏に子どもたちは聞き入っている。
俺の頭の中に「天才」の言葉が浮かび上がった。素人でも分かる。即興のアレンジがいくつもあって、よく知る曲なのに聴く人を飽きさせない。
「ありがとうございました」
弾き終わると、子どものお母さんが俺にお礼を言ってくれた。
(モーツァルト、ありがとう)
頭の中で念じると、モーツァルトが「どういたしまして」と返事してくれた。
良いことができたな。
人助けができてほっこりしていると……。
「あれ? 海斗くん――?」
俺は肩をビクリと震わせる。
ヤバい――!
よりにもよって、あいつに演奏を聞かれた?
現れたのは幼馴染の水戸花音だった。