㉑訳ありメイドと転生者達の回顧録的日常
この屋敷に越してきてから3日目の朝。
鬱蒼とした森が窓の外から見える小部屋で、私シンシアは酔い潰れている料理人を叩き起こしていた。
「リサさん! あーさーでーすよ、起きて下さい!」
「んええ~」
「この瓶は何ですか、貴女またワインセラーから持ち出して飲んだんですか!」
「いやこれは……気になって昨日町から取り寄せたやつでぇ……気持ち悪」
ため息を吐きながら私は凄絶な顔色をした料理人を見下ろす。
リサは、本邸に勤めていた頃から相当な酒浸りで、使用人達の中でも噂になっていた。伯爵家のワインセラーを盗み飲みしてしまうことも何度かあったそうで。
それさえ無ければ料理の腕も、料理の味を開拓する探究心もあるのだけれど。小部屋にはすでに料理本やメモが雑多に広がっていた。
「水を汲んできました」
リサに活を入れていると、後ろから声がした。私と同じメイドのメアリーだ。
「あーもう仕方ない。先にオリバー様を起こしに行って」
「はい」
「ふああ……あれ、シンシア? 今何時?」
「……私もオリバー様を起こしに行くので。オリバー様のお支度が終わるまでにはせめて料理の準備を整えていて下さいよ」
とりあえずリサが起き上がって髪を纏め出したのを見て、部屋を出る。
この屋敷の主人であるオリバー様は朝に弱いというのが、身近でお世話をするようになって分かった。そういう人間味のあるところを知ることができるのが、今の仕事のちょっと嬉しいところ。
でも今は特に、慣れない場所に来たばかりなので、疲れもあるのだろう。体調を崩されていないか心配だ。
……それにしても、昨日見たオリバー様の寝顔なんか、子供みたいに安らかでとっても可愛らし――
「うおぁぁ!?」
寝室から聞こえた叫び声に私は慌てて階段を駆け上がる。
「何事ですか!」
勢いよく扉を開けると、そこには特に変わりのない様子のメアリーと頬を抑えているオリバー様がいた。
「いや、あの……。いきなり平手打ちで起こされたもので」
「手荒な真似をしてしまい申し訳ございません。ご無事で何よりです」
困惑と怒りに無言でメアリーを睨んだけれど、平然として彼女は言った。
「……昔、深い眠りについた者を狙い、悪戯に魔法の掛かった夢で蠱惑し、自分の夢の中に閉じ込めてしまう邪悪な精霊の話を聞きました。一度声を掛けましたが起きないようでしたので、もしやと心配になりまして」
だからって気持ちよく寝ている主人をビンタで起こすメイドがどこにいる。
「そんな馬鹿馬鹿しい言い訳が主人へ暴力を振るったことへの理由になると思ってんのか!?」
「ま、まあまあ。僕もちゃんと起きるから」
い、いけない。はしたない物言いになってしまった。オリバー様に窘められて我に返る。
「それにしても、それは夢魔とも違う存在みたいだけれど、特定の地方だけに伝わる御伽話なのかな」
「……メアリーの言うことなど気にしないでください」
眩暈がしそうになった私は思わず眉間に手をやった。
(これじゃ実質私一人でこの屋敷とオリバー様を支えていくようなものじゃない……)
◇
時は半月ほど前に遡る。
都の近くにある本邸で、私は大旦那様に突然呼び出された。
家政婦の後を付いていき、書斎に入る。部屋の中にいたのは大旦那様と、その横に大旦那様の次男である青年、オリバー様。そして横に見知らぬ顔のメイドが控えていた。
「こちらがメイドのシンシアです」
「うむ。……シンシアのメイドとしての働きはどうだ?」
「はい、この通りまだ若いですが、誠心誠意働いていると聞いております。メイドとしての能力も同年代の者達より秀でているようです」
一通り家政婦に私の評価を聞いた大旦那様は、少し込み入った話がしたいと言って家政婦を下がらせ、私へ向かいの椅子に座るよう勧めた。
「少しこちらの都合があって、調べさせてもらった。まず、そなたが鳥人族というのは真か?」
予期していた質問だとはいえ、一瞬息を飲んでしまう。
……というか最初に「調べさせてもらった」とか言い出すあたり半分尋問では? この狸親父――とは間違っても口に出すまいが。
オリバー様が気遣うようにこちらを見ていた。蜜色の瞳を見て、とりあえず言ってみようと気持ちが定まる。
「――はい」
「魔力はあるか? 適性のある種類は?」
「はい。正式に保有量を測ったことは無いのですが、土と風魔法を少々」
「……鳥人か。機動力が必要かどうかは分からないが、あって困るものではないな」大旦那様は顎に手を当てて考えたのち、「よし」と一人頷いた。
「お前にはオリバーの使用人として居を移ってもらう」
オリバー様は転生者である。国内で存在を確認された転生者はおよそ80年ぶり。
10代後半で転生者としての前世の記憶と祝福が発現したらしい。発現後はそれまでより一層剣技、勉学共に力を入れて取り組むようになり、優れた資質を発揮してきたらしい。
そこで今回、王家から今回直轄の領地と屋敷をもらい、居を移ることになったのだ。
「土地をもらったといっても、おそらく任期は期限付きだろう。神聖な力が残るといわれる、王家にとっても大切な土地だからな」
「……それでも、任地はここから遠くなる。嫌なら辞退してくれて構わない」
オリバー様に言われ、一瞬だけ母親のことが脳裏をよぎった。けれど今母がいるかもしれない場所はここからだろうが遠い。
主がオリバー様だというなら、きっと大丈夫だ。そう思った。
転生者なんて今までは、未知の、少し得体の知れない存在だと私も思っていた。でも、オリバー様は穏やかな性格で、使用人にも優しく接してくれる。
何よりある日、癖毛の髪とくすんだ赤い目を揶揄されるのが嫌で、つい髪を引きむしる癖が出ていた時。綺麗な黒髪が痛むから、と通りすがりにやんわり止められたことは、今でも覚えている。
「いいえ、よろしくお願いしますっ。不束者ですが精一杯……!」
「あ、そうそう」
大旦那様が手を打って、後ろに控えている人物を振り返る。
「知り合いからこいつの世話を頼まれたんだが。もう少しこちらに来なさい」
招かれたのは私と同年代の少女。正直さっきからちらちら視線を奪われて困っていた。
白髪のショートヘアに瞳は薄水と薄桃のオッドアイ。見た目の珍しさに後ろ指さす人を美貌でねじ伏せるような、中性的で恐ろしく端正な顔。
「実はこいつも鳥人族だ。同じくオリバーの使用人として付ける。これから支度をする中悪いが、今まで使用人としての経験が無いらしい。お互い面識を深めるついで指導をしてやってほしい」
「メアリーです。よろしくお願いします」
こちらがいっそう引け目を感じるような涼やかな声で少女は告げた。
◇
そんなこんなで私は仕事を受けることになった訳だけれど、それからはメアリーの指導で大変だった。
真面目にやっているのは分かる。ただそれにしても不器用、世間知らず、無意識に出てくる不遜な態度の三拍子。勘弁してほしい。
「あなたってどこの貴族のお嬢様?」
「貴族……いえ、私は貴族ではないと思います。森にいたので」
「も、森?」
何でもいいけど、人選が謎すぎる。私に鳥人族かどうかを聞いたのだってそうだ。鳥人族かどうかなんてオリバー様の使用人になる条件になるの? それともメアリーと同じ種族だから?
その疑問が解けたわけではないけれど、いざその屋敷に赴いた時、オリバー様に命を下した王家の真意が何となく知れる気がした。
王家の直轄地といえば聞こえがいいが、そこは都から馬車で数日かかるような僻地だったからだ。しかも屋敷は麓の町からも離れた山の中腹にある、仄暗い雰囲気を纏ったものだった。
優秀さを認めると言っておきながら、その実、イレギュラーな存在への扱いに困っていたのだろう。
朝食後、私は玄関を掃除しながら考えていた。
(オリバー様はここに来たことをどう思っているのだろう……)
何の因果か、意図されてか、普通の場所では浮いてしまう人間ばかりがここには集まっている。私は疎外されることに慣れたからいいけれど、オリバー様は……。
裏庭からはリサの声が聞こえる。小さな畑を作ってみたいと、町の人と一緒に土から石を除く作業をしているところだ。さっき見かけた様子だと、大分二日酔いも覚めたらしい。
玄関からは麓の町と、遠くに海が見える。
この地は上空に元々天空人の住まう地があり、300年前魔族と天空人との最後の戦いが起こった古戦場でもあるのだとオリバー様が教えてくれた。
(いまや天空人の存在も伝説だけどね……)
箒に組んだ手と顎を乗せて空を見ていると、不穏な風が森から巻き起こる。烏の大群が近くの森から喧しく飛んできて屋敷の周りを飛び回り始めていた。
「中に入っていてください」
庭に出ようとすると、いつの間にかメアリーが横に立っている。
「え、何かあったの?」
――グァァアアア!!
私が言い終わる前に咆哮と共に頭上に低く現れたのは、獅子の身体に黒い翼を生やした猛獣だった。
「何あれ!? ここの森ってこんなの出るの!?」
「グリフィンでしょうか。実際に見たのは初めてです。私のイメージと少し違いますが」
へー、って、今そういうのいいから! 私は苛立ってメアリーの手を引く。
「隠れるわよ!」
「いえ」
一歩進むメアリーの背中に、鷹のような斑の翼が地に着きそうなほど大きく広がる。
その右手にはすでに空間を歪ませるほどの魔力が集まっていた。見たところ種類は――火魔法?
「帰っていただきましょう」




