⑳真実の愛を見つけた(らしい)王弟殿下の詳細レポート
ある夜の出来事。国王カーマインの弟であるダルトンが、「真実の愛」を見つけたと叫んでいた。
人間に興味がないのではないだろうかと思っていた弟がそんな相手を見つけたのだから、兄としては祝福してやりたい。しかし、その相手はどうも一癖?ありそうで。
真実の愛を見つけたダルトンは、その恋を叶えることができるのだろうか。
(企画終了後に連載開始予定です)
~〇~〇~『満月に落ちる』~〇~〇~
月闇に響く蹄の音は、ゆっくりとしたリズムを耳に届けていた。夜空を見上げれば、満月だった。
――綺麗だ。
遠くの森でオオカミの声が月夜に響くと、秋の夜空はさらに広がり、澄み渡った。
「ダルトン王弟殿下」
とても静かなマリオの声に振り向くと、不安そうな表情を浮かべる若い方、デュムラが見えた。
「月が綺麗だとか、思っていませんか?」
幼馴染みの騎士マリオは、なぜか私の心を正確に読む。
「案ずるな、私は正気だ」
そんな風に答えたが、私の道を照らしていた月光は、その答えを翳らすようにして、不安を呼び起こした。
月の光を吸い込んで、その色を深くする草むら、その静寂を広げていくような虫の声。そして、月闇に鎮まった家の影は、闇の色を濃くする。
月夜に輝くあのお方をもう一度。そして、この溢れんばかりの気持ちを伝える。できるのならば、共に暮らしたいと告げたい。たとえ、お返事がなくても、この景観を壊さないような小さな離れを建て、そこに住みたいこともお伝えせねばなるまい。
「それに、兄上に迷惑を掛けるつもりもない」
そう、建築のイロハも知っているし、小さな小屋くらいなら、自分でこしらえられる。
なんと言っても、あの方はここを動くことの出来ないお方なのだから……。
それが宿命だとしても、なんと切ないことだろう。
あの美しい佇まい。あの独特な肌触り、清らかな白い素肌。
ひんやりとしたその肌に吸い込まれていく青白い月の光。
そして、あの日私は人生で初めて『恋』というものを知ったのだ。
あぁ、恋とはこれほどにも胸が熱く切なく締め付けられるものなのだ、と知った。
彼女に出会って、今まで夢中になっていたもの全てがつまらなくなってしまった。あれだけ、毎日通っていた教会も屋敷も、出張度に会いに行った辺境の廃墟も、全てが彼女に会うための布石だったとしか思えない。
陽光を浴びるお姿。
薄曇りにも輝きを無くさぬお姿。
雨に淑やかなお姿。
そして、あの夜。
月が綺麗な夜だった。彼女への、いや、我が女神へ対する溢れんばかりの胸の高鳴りと痛みが抑えきれなかったあの月夜に、奇跡は起きたのだ。
私の愛の言葉を受けた女神が、私にそのお声をくださったのだ。
「お祈りでしょうか?」
と。
その凜とした佇まいに反する愛らしいお声に、私の心は完全に打ち抜かれていた。
しかし、それ以来、いくら言葉を尽くしても、いくら通い詰めても、女神は私に声を掛けてくださらない。
~〇~〇~『報告➀ ダルトンについて』~〇~〇~
カーマイン四十二歳・職業国王。王妃マゼンダとの間に子どもは五名。王子二名と王女三名と恵まれている。長男が政務を手伝うようになり、次男が騎士の道へ進むことを選んだのは、最近のことのようで、昔のような思いに駆られてしまう。長女は来年輿入れし、次女も婚約が決まった。学業の成績が良かった三女くらいは手元に置いておきたいな、と親馬鹿に思ってしまうこともあるくらいに順風満帆な日々を過ごしている。
だが、現在のカーマインは大きな悩みを抱えていた。末の弟・ダルトン二十八歳だ。執務事務官兼建築基準審査官である。
無能な奴ではない。仕事は真面目にするし、建物の設計では彼の右に出るものはいないくらいに突出している。厄介な貴族連中もダルトンの指摘にはなぜか素直に肯くし、城を防衛するための増築、陣屋の建築には、本当になくてはならない存在だと思ったものだ。
こいつの設計した陣屋は至って雨風に強い。
ただ、……
そこで兄を、いや国王を放ったままにして、執務をし続ける弟ダルトンに咳払いを向けると、流石に声を掛けてきた。
「何かご用ですか?」
「いや」
いや、ではなかった。言いたいことは山ほどだ。しかし、ダルトンの不機嫌の理由は二つある。
一つは、本来なら不介入だった貴族邸宅の改装手続きの細かい書類まで作ったことに由来する。先代の終わりにやっと国内外が落ち着き始めたということもあり、隠し部屋などを監視するために作ったものでもある。
もちろん、こちらは、貴族連中からも非難が続いているので、いずれは止めようかと思っているのだが、改装にあたり、なんらかの反乱意図がないかを調査するため、と名目は立てているものでもある。
しかし、第一目的としては、ダルトンが趣味に走り過ぎないための予防策なのだ。
「兄上、サインは『トン』で良いでしょうか? 王印の部分があるのですから、別に書きやすく、私だと分かれば良いと思うのですが」
「正式な書類だぞ、略式の名など許されんな」
というか、お前の愛称はいつから『トン』になったのだ。
「はぁ、トンだと0.5秒とかからないので、素晴らしき名なのですが……」
本気の溜息を付く弟を見て、こちらが溜息を付きたくなった。ダルトンでもそれほど変わらないだろうに。
ふたつめの理由である。
十日ほど前の出来事だ。
朝日が昇るよりも早い時間に、このダルトンが寝室の扉をいきなり開き「兄上!」と私を叫び起こした。
普段、物静かな男がこんな時間に叫び起こすとは、いったい何事かと飛び起きたのは、確かだ。
だから、驚いて「どうしたのか」と尋ねれば、真実の愛を見つけたと言う。
はじめは耳を疑いながらも、喜ばしいことだと本気で喜んだのだ。何しろ弟は女に興味がなかったのだ。いや、全人類に興味がなかった。もはや、生物にとも言えるのではなかろうか、と思っていたくらいだ。人間として人との付き合いはしているが、弟の心を動かすことが出来るものは、非生物……というか、造形物だけだったのだ。
「ほぅ」
だから、私は寝起きの不機嫌も構わずに、ダルトンに答えた。こいつもやっと人間になったのだなという安心感すら覚えたくらい。
「その方は、何家のご令嬢かな」
するとダルトンが冷笑した。
「兄上、ご冗談を」
そうか……ダルトンの年齢を忘れていた。ご婦人と言うべきだったのだろうか。未亡人という可能性もある。まだ僅かに寝ぼけている頭で考えながら、納得した。
「まぁ、良い。お前が見初めた相手だ。会ってみたい。いずれお連れしろ」
すると、なぜか二度目の冷笑を浴びる。さすがに腹が立つ。
「兄上、あのお方はお連れできないのでございます」
「平民なのか?」
しかし、平民でも別に構わないと思った。ダルトンは社交会には絶対に出向かないし、ここで事務をしているだけであり、表にも立たない……いや、立ちたがらないし、貴族連中と器用に話をやり過ごせることもない。馬鹿正直なところもあるから、立たせられないという面もあり、そして、盛大な結婚式を挙げるなど、断固拒否だろう。
それに、上に立てる性格ではない。
間違いなく王族ではあるが、ダルトンは城勤めの優秀な『平民』と変わらない。もちろん、平民で城勤めをしている者は極少数で、とても貴重である。そして、その平民官僚の立ち位置は、本当にダルトンと変わらないのだ。だから、変に利用されるくらいなら、仕事だけ与え、平民として過ごさせても構わないし、その方が、弟のためのような気もする。
そんなことを考えながら弟を眺めていると、その口が開かれた。
「いえ、動ける方ではございません故。ご紹介したいのですが、兄上にご足労願わねばなりません」
うん? 足でも悪くしている者なのだろうか? それとも、もう寝たきりの老女……。そこまで考えても、やはり否定することはしなかった。
八人兄弟のうち、無事に成人したたった二人の兄弟なのだ。しかも、次期国王候補として目を掛けられた私や病の度に世話を焼かれた他の兄弟と違い、病がうつるとといけないからと隔離され、ずっと一人で本の虫だったのだ。
世話を掛けず、健康で良い子だと褒められ続けた弟は、そこで変なものの虜になった。
建築物だ。しかも『屋根を支える柱』を称える弟は、宗教を盲信する信者のようだった。
その弟が、『真実の愛』を見つけたというのだ。
もう、人間であり、弟と共に人間らしく過ごしてくれるのであれば、誰でも良かった。例えば、戦火の中で護り抜いたものが、非生物でなければそれで良いとさえ思っていたのだから。人間であれば、なお。
そんな夢を見たせいで、相手を聞いて、即座に否定してしまった。
それが眠たい私の指した誤りの一手だった。




