②騎士団長に転生したら敵国の女将軍が元妻だった
クロガネ王国の騎士団長クリストフ・ラインバッハは、戦を前に白昼夢を見ていた。
それは一人の女性と人生最後の桜を見ている夢だった。
白昼夢と言うには妙に生々しい映像に、クリストフは混乱する。
しかし敵の指揮官が降伏勧告のためにやってきたため、クリストフも騎士の作法にのっとり従者を一人連れて前に出る。
相対する二つの軍の指揮官。
二人が顔を合わせた瞬間、お互いにお互いのことを認識し合うのだった。
「あなた、見て。綺麗な桜よ」
「……ああ、本当だね」
私の人生は一言で言うなら幸せな一生だった。
子ども達も自立して、孫もできた。
可愛い孫たちに囲まれて過ごした数年間は何物にも代えがたい貴重な時間だった。
しかしそれももう終わる。
余命宣告を受けた私は、人生最後の桜を病室のベッドの上で妻と見ている。
この命もそう長くはないだろう。
妻は最高の女性だ。
おしとやかで穏やかで、誰にでも優しくて、時には天然なところもあって、まさに私の理想の女性だった。
初めて見た時、雷で打たれたかのような衝撃を受けた私は、人目も憚らず告白した。
その時の彼女の恥じらう顔を今でもはっきり覚えている。
最初は断られたものの、何度も何度もアタックを続け、ようやくOKがもらえた時は地面に転がって喜んだ。
その後、順調に交際を続け、結婚し、子どもも授かった。
まさに順風満帆。
幸せな一生だった。
心残りがあるとすれば、妻のことだ。
子どもたちが自立した今、彼女は今の家に一人きりになってしまう。
数十年前は賑やかだった我が家。
今では私と妻だけの家屋だったが、今後は彼女だけのものになる。
あれだけ広くて静かな家だ。
きっと寂しい思いをするに違いない。
それだけが、私の唯一の心残りだった。
しかし妻はそんな私の考えを見越してか、にっこりと笑いながら言った。
「大丈夫ですよ、あなた。あなたとの思い出がたくさん詰まった家ですから。寂しいことなんてありませんわ」
「……ふふ、君はなんでもお見通しなんだね」
「長年連れ添った妻ですもの。あなたの考えてることはすべて筒抜けです」
嬉しいけれども辛かった。
それは私にも言えることだったからだ。
彼女は嘘をついている。
私を安心させようと、心にもないことを言っている。
それがどうしようもなく切なくて、悲しかった。
けれども、私にはそれを指摘することはできなかった。
彼女の精一杯の嘘。
それに乗っかることでしか、私の精神は保てない。
「……そうだね。私たちの思い出がたくさん詰まったあの家なら……寂しいことなんて、ひとつもない……ね……」
「ええ。だから安心してください」
「ああ、君がそう言うの……な……ら」
瞬間、意識が朦朧とした。
どうやらお迎えが来たようだ。
バタバタと病室が騒がしくなった気がする。
いろいろと身体をいじられているが、感覚はない。
意識がなくなる寸前、私が思ったのは「もしも輪廻転生というものがあるのなら、もう一度妻と一緒になりたい」というものだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「クリストフ様、いかがなされました?」
側近の兵に声をかけられて、私は我に返った。
今、私はミレーネ平原の丘の上で敵の軍勢と相対している。
我がクロガネ王国を侵略せんと企むドミニク帝国の軍勢だ。
なんだったのだろう、今のは。
まさにこれから戦が始まろうとしている矢先に、白昼夢を見ていたのだろうか。
だが白昼夢というにはやけに生々しい映像だった。心なしか息切れもしている。
私は息を整えて言った。
「ああ、すまない。なんでもない」
自軍の騎士団長が戦の前に白昼夢を見ていたなどと知れたら兵に動揺が走ってしまう。
私はコホンと咳払いして補足した。
「この戦の作戦を立てていたのだ」
「ああ、そうでしたか。申し訳ありません、お考えを中断させてしまって」
「いや、いい」
改めて敵の軍勢を見る。
敵は中央に方形の陣形を取っており、その左右に槍形の陣を展開している。
どうやら我が軍を左右から取り囲み、一気に殲滅する作戦のようだ。
その数、軽く見積もって約5万。
我が軍の10倍だ。
明らかに兵力に差が有りすぎる。
しかし、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
我らが引き下がれば、あの5万の軍勢はその勢いのまま領土内に侵攻してしまうだろう。
その先にあるのはクロガネ民に対する蹂躙である。
村は焼かれ、町は支配され、罪なき人々が苦しめられてしまう。
それだけはなんとか回避せねばならない。
その時、相手の軍勢から二人の騎士らしき人物が馬に乗ってこちらに向かってやってきた。
どうやら相手方の指揮官のようだ。
私も騎士の作法にのっとり、先ほど声をかけてきた側近を一人つけて前に進んだ。
にらみ合う軍勢。
その中間で、私は敵方の指揮官と対面した。
金髪で白銀の甲冑を身につけた女だった。
美しい、と不埒にも思ってしまった。
女は言う。
「我が名はカトラ・ペトラ! この軍を任されている者だ! ドミニク帝国の代表として貴公らに提言する! 即刻、武装を解除して我らに降れ! さもなくば血の海を見ることになる」
凛とした張りのある声。
燃えるような赤い瞳を見て、思わず私はつぶやいてしまった。
「……橙子? 橙子……なのか?」
声に出した後、ハッと我に返った。
自分は何を言っているのだ。
敵の指揮官の前で、しかもこれから戦を始めようという矢先に、自分はいったい何を言っているのか。
案の定、相手方の側近がぽかんとした表情でこちらを見ている。
騎士の作法も何もあったものではない。
下手をすればこの場で斬りかかられてもおかしくないほどの無礼を働いてしまった。
しかし、対する相手の女騎士は隣にいる騎士とは違う反応を示していた。
「……あなた? あなたなの?」
これにはさすがの私も驚いた。
きっと私の側近も相手の側近と同じ顔をしているだろう。
なんなのだ、これは。
悪い冗談なのか。
お互いに変なことを口走ったと気づいた私たちは、互いに咳をした。
「……わ、我が名はクリストフ・ラインバッハ。クロガネの騎士団長だ。橙……カトラどのに提案がある。しばし、休戦を申し入れたい」
何を言っているのだこいつは、という目でカトラ将軍の側近が見てくる。
当然だ。
負け戦が確定しているこちらの休戦要求を飲む利はあちらにはない。
けれども、カトラ将軍は言った。
「い、いいでしょう。こちらも貴重な戦力を失いたくありません。少し時間を差し上げます」
これには相手の側近も目を丸くする。
何か言いたそうな顔をしていたが、カトラ将軍が怖いのか口をパクパクさせるだけだった。
そうこうするうちにカトラ将軍は馬を翻らせて自軍のほうに引き上げて行った。
そして数刻後、今度は軍そのものがまるで波のように引いていったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「いったいこれはどういうことでしょう?」
陣営に戻ると、大きな丸テーブルを挟んで隊長クラスの騎士たちが次々と疑問を口にしていた。
「あそこまで本格的な陣形を作っておきながら、そのまま退却するなんて」
「もしや何かの罠なのでは?」
「こちらにいるのが囮で、本命は別の場所にいるとか?」
彼らの声を耳にしながら、私は敵の女将軍のことで頭がいっぱいだった。
あれはなんだったのだろう。
顔を見た瞬間、思わず「トウコ」という名前が口をついて出た。
トウコとは誰の事だ?
聞いたことのない名だ。
そもそも、あの女将軍はカトラ・ペトラと名乗っていた。
トウコという名前が出て来ること自体おかしい。
しかし、そんな彼女もまた私を見て驚いていた。
あれはどう見ても演技ではない。
私に対して微かに反応を示していた。
初対面なのに初対面ではない感覚。
もしや私の知らぬところで彼女と何かつながりがあるのではないか。
だとすれば、負け戦が確定しているこの状況も打破できるかもしれない。
そう思った私は、居ても立っても居られなくなり席を立った。
「みな、聞いて欲しい」
私の言葉に、騒がしかった陣営内が静まり返る。
そしていっせいにこちらに顔を向ける彼らに向かって私は言った。
「ここでいろいろ憶測を立ててもしょうがない。私はもう一度、カトラ将軍と会ってみようと思う」
「あ、あの女将軍とですか?」
「使者を送るということですか?」
「しかし使者を送っても会ってくれるかどうか……」
次々に発せられる疑問に、私は首を振って答えた。
「使者は送らない。私自ら敵陣に赴き、カトラ将軍との面会を申し出て見る」
陣営内がざわつく。
当然だ。
こういう場合、まずは使者を先に立てるのが通例だ。
騎士団長が自ら出向くなど、わざわざ殺されに行くようなものだ。
だが私はどうしてもカトラ将軍と直接会わねばならないと思っていた。
「では、私がお供します」
そう言って名乗りを上げてくれたのは、戦場でカトラ将軍と相対した時に付き従ってくれた側近だった。
彼と一緒ならば心強い。
「よろしく頼む」
私はそう言うと、身支度もそこそこにカトラ将軍が陣を構えるミレーネ平原の奥へと進んでいったのだった。