⑰銀の花に、寄り添う月と
「この景色が好きだったわ。」
遮るものなく並ぶ田畑には、実った稲穂が夕陽に映え、さながら金色の草原に見えた。
「とても綺麗だね。――家と土地、本当に売り払ってしまっていいの?」
確認の声に、銀花は振り返る。
長身のパートナーからは、案じるような視線が注がれていた。
「かまわないわ。もう帰ってくる予定もないし。」
どこからか、秋祭りの太鼓の音が聞こえる。
銀花の生まれ故郷は、毎年秋に祭りを催す。
今頃は、ハメを外した若者たちが夜の酒盛りを待ちかねて、心弾ませていることだろう。
「ふふっ。お祭りは子どもの頃から強制参加で大変だったわ。田舎の家々を歩いて回るの。」
自身が所属する山車や獅子舞について町内を巡り、"御花"と呼ばれるご祝儀袋を集めて回る。
寄付金のようなもので、町内会の実入りとなる。
大抵は年会費に補填されるが、その一部はお祭りの酒代として、盛大に消費されるのが常だった。
「子どもには関係ないことなのにね。」
直接、"御花"の恩恵に預かった記憶はない。
長じてからも、祭りの日は束縛された。
秋祭りには、哀しい記憶のほうが多い。特に、お宮の当番では……。
「話したことあったっけ? 旧家の風習で、私、許嫁がいたの。良い方だったのだけど、あまり会話がなくてね。そのうちに、従姉にとられちゃった。」
お宮で参拝者を迎える用意をしていた時、ふたりの姿を境内に見た。
普段は無人のお宮なので、社の中に人がいると気付かなかったのだろう。
彼らは木陰で、ただの逢引きとは言い難い領域まで踏み込んでいた。
「従姉の金穂は、進んだ娘だったから。」
「そんなことが……。」
静かに、声が応じる。
婚約者に逃げられた残り者。
非難は当事者たちではなく、大人しい銀花に向けられた。金穂の立ち回りが、上手かったのだ。
婚約は解消。田舎ならではの情報網で、またたく間に話が広がり、その後は明らかに劣った縁談があがるようになった。
"曾祖母が寝込みがちだから、介護の手に嫁が欲しい。"
"酒が好きで裸で踊る癖のある男だが、まあ人付き合いは良いヤツだし、どうだ。"
馬鹿にしたような話をさんざん持ち込まれ、家長である祖父は「家の名折れだ」と憤った。
祖父からみれば、金穂も銀花も等しく孫。
それでも銀花の父が長男ではあったのだが、結婚も出産も、弟の方が早かった。とかく、田舎の長男は敬遠されやすい。
祖父は、先に生まれた金穂を目にかけていたため、婿養子予定だった許嫁は次に金穂の相手となって、「本家の跡取りは金穂」と宣言した。孫は他に、いなかった。子が生まれにくい家系らしい。
いたたまれなくなった銀花は就職先を県外に探し、家を出た。
そして、数十年。
いま、地元の家を継ぐ者はいなくなり、最終決定権が銀花に回ってきてしまった。
家を継いだはずの金穂には子がなく、そして責任感もなかった。
聞いた話では婿養子の夫と折り合いが悪くなり、夫を追い出した後、自分も別の男を作って出て行ったらしい。
代々続いた家は、打ち捨てられた。
家系を繋げたくも、親族の次世代たちは土地を離れて戻ってこない。
駅までのバス停も滅多になく、それらの足も日に数本しかないような土地は、絵に描いたような過疎状態だった。
「実家を更地に、か。見事な庭木には可哀そうだけど、仕方ないね。購入者の希望なら。」
「そうね。この金木犀の香りも、今年の秋で聞き納め。」
毎年たわわにセミの抜け殻を茂らせていた金木犀。
木の下の幼虫たちは怒るだろうか。
「季節を感じさせる花だよね。」
「ええ。世の中には銀木犀という花もあるらしいのだけど、見かけないわね。銀は、目立たない存在だから……。」
寂しそうに呟く銀花に向けて、優しい声が落とされた。
「銀花さん。金木犀は、銀木犀の変種なんだよ。」
「え?」
「銀木犀がオリジナル。金木犀は銀木犀から派生した花なんだ。」
「――知らなかったわ、私。だって銀木犀って、少しも見かけないもの。」
「金木犀とは違って、控えめで慎ましやかな香りらしいよ。だから、咲いてても気づかないのかもね。今度、一緒に探してみる?」
銀花を見守っていた眼差しが、愛し気に細められた。
「僕は、銀の花を探すのが得意だから。」
柔らかな笑みが、銀花の気持ちを軽やかに解き放つ。
青かった空は夜を迎えるべく、深い藍へと移行しつつある。
山際に溶け落ちた太陽は僅かな金光を残すのみ、天には銀色の星が、主役の如く輝いている。少し離れた位置で、そっと寄り添う細い月。
「ええ、探してみましょう。私も。」
銀花の目が、まっすぐに隣の月を見上げた。
「私もあなたに見つけて貰って、すごく嬉しかったから。」
「僕たちは、互いに見つけ合ったんだよ。」
秋の涼気に身を寄せ合うように、肩を並べたふたりは無人の家を後にする。
そろそろ祭りも、打ち上げの時間だろうか。
(今夜は宿で、お銚子をつけて貰おうかな)
月と星を肴に、杯を傾けてみたい。
祭りの宵にお酒を飲むのは、銀花には初めてかもしれなかった。
感想は甘口で。




