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【恋愛 異世界】

向かう先は

作者: 小雨川蛙

その日、私は随分と早く主に起こされた。

『馬を引け』

そう言われてまだ仄暗い外へ出て、歩き出してからどれくらい立っただろう。

私は何度か主に声をかけたが主はまともな反応を示さず無言のままだった。

沈黙に耐え切れなくなり、私は振り返って尋ねた。

「どこへ行くのでしょうか?」

もう何度目かも分からない問いを私は主にしていた。

「黙って歩けないのか」

主は馬に乗ったまま同じだけ言葉を返した。

そう言われては仕方がない。

私は馬の手綱を持ったまま再び前を向いて歩き出す。

胸の中に言い知れない緊張を抱いたままに。


私とグレイスが初めて出会ったのはもう十年も前になる。

当時の私は首輪かけられて裸のまま市場に座らされていた。

奴隷。

それがあの日、グレイスに会うまでの私の身分。

どこで生まれたのかも分からず、また何故自分がこのような立場に居るのかも分からない。

母も父も知らない。

知っていることと言えば、主である奴隷商人の苛立ちが直に限界になるだろうということ。

おそらくは今日中に売れなければ私の骨は全て折られて捨ててしまわれるだろう。

だが、それも仕方ない。

空から雨が降るのと同じく、それが自然なことなのだから。

「父上」

そんな時、グレイスが現れた。

「あれが欲しい」


主がぽつりと言った。

「お前と会ってどれほどになる?」

振り返り私は答える。

「十年になります。昨日のことのように思い出せます」

「そうか」

主はため息をつくと空を見上げた。

「お前は俺に会えて良かったと思うか?」

声色があまりにも普段と同じ様子だったので私は二人きりの時のように笑った。

「当たり前じゃない」

予想外にも馬鞭で軽く叩かれる。

「主に向かってそんな口の聞き方をするのか?」

痛みはほとんどない。

それなのに私の胸は強く傷んだ。

「はい。申し訳ありません」

主は今日、ずっとこの調子だ。

誰かが傍に居るわけでもないのに。

私達二人しかこの場に居ないのに。

「行くぞ」

どこか後ろめたさの感じる声で主は言った。


グレイスの十一歳の誕生日に奴隷が買われたと知った時、館の中は騒然となった。

何故、そんな汚らわしいものをとほとんどの者が言い、下世話な使用人は「女が欲しいならいくらでも用意する」と笑い話にさえしていた。

しかし、グレイスは彼らに向かってぴしゃりと言った。

「俺は友達が欲しいんだ」

同い年の友達が欲しい。

それはグレイスにとって心からの願い。

しかし、それを聞いた途端、グレイスの父は彼を強く殴りつけて怒鳴った

「くだらぬことを言うな!」

呆然とするグレイスに父親はなおも言った。

「小間使いとさせるために与えたのだ。それ以外に用いたりするな」

何か反論しようとしたグレイスの前に私は出て行き体を伏せて言った。

「主様に感謝いたします」

その時から私とグレイスの関係は始まったのだ。


「初めて二人きりで外に出た日を覚えているか?」

主の言葉に私はやや迷った後に敬語で答えた。

「勿論です。主様」

止めたにも関わらず半ば無理矢理連れ出された外の世界。

今と違い馬もなく、私と主は走って館を抜け出した。

そして、あっさりと館の者に捕まったのだ。

「お前には悪い事をした」

跡目である主も酷い折檻を受けたが、私はもっと酷い目にあった。

それこそ、別の奴隷に変えようという話さえあがったほどだ。

「けれど、主様は私を庇ってくださいました」

「あぁ、悪いのは俺だったからな」

主の言葉にやや沈黙した後に私は答えた。

「全くです」

脳裏にあの日の光景が浮かぶ。


「グレイス、どこまで行くの?」

私の問いにグレイスが答えた。

「町の方! あとは牧場! それから、川だってお前に見せたい!」

手を引いて走るグレイスは少年だった。

私と同い年の少年。

彼は貴人で私は奴隷。

しかし、今こうして二人で居る時だけは友達なのだ。

私達は一緒に走り続ける。

だんだんと息が上がり、苦しくなってきながらもずっと、ずっと。

そして。

「ここで一旦休憩」

グレイスはそう言って止まった。

二人とも息も絶え絶えだ。

胸の鼓動が少しずつ落ち着いていくのを感じながら顔を上げると、そこには十字路が広がっていた。

「このまま進めば町で、東は牧場。そして西には川」

グレイスが息を切らしながら説明をしている最中も、私は十字路を見つめていた。

広がっていく世界を見つめていた。


そして、今、私はあの日と同じ場所に立っていた。

「何故ここに?」

十字路を前に私は尋ねる。

すると主は馬を降りて告げた。

「すべきことを成すためだ」

言うと同時に主は剣を抜く。

一瞬。

胸の奥がびくりとする。

この人が私に剣を向けることなど今まで一度もなかった。

だからこそ。

怖い。

微かに震える私の前で主は平時と変わらない笑顔を見せて私の名を呼んだ。

「安心しろ」

向き合う彼の顔も少し強張っていた。

「怖いのは俺も同じだ」

そこにあった表情。

それは二人の時であればいつも浮かべている。

最良にして、最愛の友人の微笑みだった。

剣がゆっくりと私の頭上へ向けられる。

微かに肩を震わせた私に彼は告げた。

「一瞬で済む」

剣が振り下ろされた。

彼の言う通り一瞬で終わった。

「もう自由だ」

彼が斬ったものは私と彼の間に結ばれていたもの。

即ち主と奴隷という関係。

「振り返ってごらん」

微笑む彼の言葉に頷いて振り返る。

あの日見た時と同じく広がる世界に日差しが差し始めた。

彼が行ったものは古くから伝わる儀式。

即ち、奴隷の解放。

「どこへ行こうと君の自由だ」

グレイスの声が僅かに震えていた。

主と奴隷。

それが断ち切られた。

私と彼はもう無関係なのだ。

踵を返してグレイスを見る。

彼は力無く剣を地面に向けて恐る恐ると言った表情で私を見つめていた。

私は微笑み彼の近くまで歩いて行って告げた。

「どこに行っても良いんだよね?」

「あぁ」

「なら、どこに行くかなんて決まっているでしょう?」

そう言って私は友人の胸に飛び込んだ。

グレイスは予想外だったと言わんばかりに私を受け止め切れずに一緒に転ぶ。

体を打った彼は痛みで微かに呻きながらも、安堵した表情は崩れたりしなかった。

「あんた、こんなくだらないことで一日悩んでいたの?」

もう隠さないで良いのだと分かった私の口は止まらない。

「二人で居るのにむすっとした顔をして! おまけに鞭で私を叩いて!」

私の言葉にグレイスは何度も謝罪をする。

そんな彼に尚も私は告げた。

「友達なんだから、あんたの隣に居るに決まっているでしょ!」

そう言い切った私の言葉にグレイスはようやく安堵の息を漏らした。

なんとも情けなく、そして馴染みのある姿だ。

私はけらけら笑いながら何度も彼の体を叩き続けた。

友人もそれを笑いながら受け止める。

陽光は気づけば随分と暖かくなり、私達の体を優しく照らしていた。

昔、読んだ資料で十字路は奴隷の解放の儀式に使われるというものがあり、それを読んだ時からこの二人がずっと浮かんでいました。

今回、走り書きとは言え彼らを描けて良かったです。


余談ですが、大抵の奴隷は行く場所もないので『再雇用』という形になったそうです。

世知辛い。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  切る十字の儀式、宗教観は分かりませんが“解放”感はありました。
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