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 八ツ橋ネリ。画家。

 名前は知らなくとも代表作である『花と硝子(ガラス)』シリーズを見たことがある人は多いと思う。


 大学生のときに権威ある絵画の賞、白銀豹賞を授かり、デビュー。

 しかしそれだけで食べていけるわけもなく、卒業後は一般企業に就職。小説本の表紙や雑誌記事の挿絵などの仕事をこなしつつ、ときおり合同展覧会に作品を出すといった活動を細々と続けていた。


 転機が訪れたのは今から十年ほど前。社会現象とも呼ぶべき規模の絵画芸術の一大ムーブメントが巻き起こったのだ。

 ネリが何かしたわけではない。

 中心となったのは彼女とは縁もゆかりもない一人の青年画家と、一体の妖怪だった。


 政府が認定する特に有益な十九体の妖怪、廿(にじゅう)益神(えきしん)の一柱、芸能と芸術をつかさどる『極北豹翁(キョクホクヒョウオウ)』に、この青年が認められたのだ。現役の芸術家としては実に二百年ぶりの快挙だという。


 GAMAという筆名を名乗っていたその彼は、一躍時の人となった。

 テレビや雑誌に連日取り上げられ、各地で個展や講演会が開かれ、もちろん絵も売れに売れた。また画集やポスターを始めとして、Tシャツやマグカップなど印刷できるものはなんでもグッズ化され、軒並み品切れを起こし、転売屋やらなんやらも現れて大変な騒ぎになった。

 そして当然の成り行きとしてGAMA以外の絵描きも注目され始めた。


 次に来る十人の若手画家、みたいな企画があちこちで組まれ、それまで音楽系にしかほぼ使われていなかった『アーティスト』という表現が本来の意味を取り戻したことから、これらの動きは二十一世紀のルネッサンスとも呼ばれている。わたしの持ってるジグソーパズルもこのころに作られたものなのだろう。


 しかし所詮は一過性のブーム。

 数年もたつころにはみんな絵画になど見向きもしなくなり、もてはやされていた画家たちもその多くが忘れられた。

 芸術というものを本当に理解している大衆などほとんどおらず、廿益神ブランドに酔っていた者ばかりだったので当然の成り行きと言える。わたしだってわかってるわけじゃないから人のことは言えない。


 ただ、そんな中でも生き残り、今でも絵一本でやっていけてる芸術家も何人かはいる。

 八つ橋ネリもその一人、というわけだ。




         ◇◆◇




「むむむ……! むむむむむ……!」

「なに(うな)ってはるんよ、さっきから」


 式野さんが呆れたように言う。


 わたしは今、彼女のアトリエを見学させてもらっている。

 所狭しと並ぶ未完成のキャンバス。使い込まれた筆やパレット。アクリル絵の具のくすぐったい匂い。

 全ての絵画ファンの夢ともいえる空間ではあるのだけど、指摘された通り、わたしはさっきから唸りっぱなしだったりするわけで。


 あれから――出会った日からすでに四日がたっている。

 のだが、わたしは未だに心の整理がつけられずにいる。つまり彼女とどう向き合えばいいのかということについてだ。

 とりあえず呼び方だけは苗字にさんを付ける形で落ち着いた。ネリさんとでも呼べればもう少しは気も楽だったかもしれないんだけど、本人が『それは堪忍』と言ったので。


 というか昨日までめっちゃ忙しかったし。

 掃除に荷解きに日用品の買い出しにと、新生活の始まりにはやることがとにかく多い。しかもどれもすぐに終わらせられるものではない。

 さらに再来週には新しい学校への転校も控えていて、その準備も進めなければならない。

 そんな中で、息抜きにでもなればと、夕食の席で式野さんの方から誘ってくれたという次第だ。


「むむむむむぅ……!」


 で、そんな夢の空間にいながらなぜしかめっ面をしているのかというと。

 だってそうしないと顔が緩んでしまいそうになるからだ。そんなところをこの人に見られたくはない。


「難儀な子やねぇ。そんなんやと楽しゅぅないやろに」

「むっ……」


 確かにその通りだけれども。

 この点を譲ることはできない。できそうにない。


「……っていうか、手描きなんですね」

「ん? そらそうよ」

「今ならコンピューターとか使ったりしてるものなのかと」

「あぁ。そういうのは、イラストの方やね」


 合点が入ったようにうなずく式野さん。


「違うんですか?」

「そやねぇ。画壇……あぁ、画家の互助会みたいなもんのことやけど、そこの連中は認めてくれへんねぇ」

「ふぅん……」


 自分から振った話なのにそっけなく切って流して、私は再び沈黙する。式野さんはため息をついた。


「しょぉがあらへん。ちょっと待っとき」


 そう言うと、わたしを置いてアトリエを出ていく。なんだ急に。

 まぁいいや。言われたとおりに大人しく待つ……というか、この隙にじっくりと堪能するとしよう。


「……わぁ」


 唸るのをやめて、立てかけられた絵を一つ一つ覗き込むように鑑賞していく。


 打ち捨てられた空き瓶の脇でひっそりと咲くタンポポ。

 横倒しにされたガラスの花瓶に生けられていたスイセン。

 窓越しの桜並木。

 透明なキューブに閉じ込められたユリの花。

 小さなシャーレにひと花ずつ小分けにされているのは、たぶんアジサイ。


 当然だけどどれも見たことのないものばかり。だというのにはっきりと『八ツ橋ネリ』の絵だとわかる。

 いやこの場所にあるからってだけじゃなくて、なんていうかオーラみたいなものが違う。……気がする。


 でも同時に、あの式野アリスの絵でもあるんだよね……


 作者の人格と作品とは分けて考えるべきだとは思う、というかできればそうしたいんだけど、でも……ううぅ。

 別に彼女は悪人というわけではない。むしろ良い人だ。おかーさんのことを助けてくれたし、こんな態度のわたしにもよくしてくれるし。

 まぁ下心があってのことなんだろうけど。それにしたって、




 ――二人まとめてもろてしまおうと思ぅとるから――




 アレは、やっぱりそういうことなんだろうか。そのままの意味というか。


「ルナちゃん?」

「んっ……」


 考えていると、おかーさんがやってきた。切りのいいところまで片付けをやってしまうと言っていたけど。


「終わったの?」

「ええ、あとは明日」


 ちなみにおかーさんの方はくだんの診療所ですでに看護師として働き始めている。お医者の先生は五十代ぐらいのふっくらとした女性で、優しそうな人だった。


「それでえっと、お茶を淹れたから呼びに来たんだけど……アリスちゃんは?」

「なんか、どっか行ったよ。ちょっと待ってろって」

「ふぅん?」


 不思議そうに吐息をこぼしながら、おかーさんもアトリエに入ってくる。


「へぇ……こんな感じなんだ」

「初めてなの? 見るの」

「ええ? そりゃあ、そうよ」


 まぁ、そうか。おかーさんはこの家に来たことはあるっぽいけど、割と最近リフォームしたとか言ってたし、再会が十五年ぶりだというなら当時は式野さんもまだ高校生。そのころからこんなアトリエがあったとは考えにくい。


「でも、なんだかちょっと懐かしい感じかも」

「え? なんで?」


 訊くと、おかーさんは昔を懐かしむように目を細めた。


「高校のとき、よくアリスちゃんに頼まれて絵のモデルをやってたの。そのときの美術準備室の感じと、ここがよく似てるから」

「へぇ……」


 モデル、か。

 八ッ橋ネリの作品に人物画はほとんどなかったはずだけど……いや、描いたことがない

わけはないか。まして学生の時分、修行中の身ともなればなおさらだ。

 それより気になるのは。


「それって、二人だけで?」

「えっ?」


 再び聞くと、今度は声を上ずらせた。思わず半眼になってしまう。


 おかーさんは式野さんのことが好きなのだ。

 友愛ではなく、恋慕の方だ。


「えっと……あ、美術部の顧問の先生とかいたわよ? それに別に……」

「そう」

「いや、あの……」


 あの宣言が言葉通りのものであるなら、彼女はおかーさんのことを狙っていることになる。そしておかーさんもまんざらではなさげ。


 だけど、あれから三回の夜を越えているけれど、まだ手は出されてはいない。母娘で同じ部屋で寝てるから間違いない。

 この歳で親と一緒に寝るというのはわたしの基準でも割とアウトだけど、この場合は例外だ。だって居候いそうろうの身で部屋をいくつも占拠するわけにはいかないよね?


「ルナちゃん、あの……私とアリスちゃんは、別に――」

「ウチがなんて?」


 なにやら言おうとするおかーさんを遮るように、式野さんが戻ってくる。なんて微妙なタイミング。






芸術と芸能をつかさどる獣神、極北豹翁。

莫大な量の黄金を有しており、気に入った芸術家を支援してくれる、福の神の一種。

国内のみならず海外にもその名は知られており、英語圏では『グラン・ノース・パンサー』と呼ばれている。


ぐらんのスパンサー。

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