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地球が赤い可能性



 お昼ご飯はみんな済ませてある。わたしたち母娘は来る途中で、式野さんはここで。なのでさっそく移動することになった。


「運転はウチがした方がえぇかな?」

「あ、うん。お願いできる?」

「ん。まかしといて。これレンタル?」


 この人の運転か。まぁ地元民だし順当と言えるかな。

 でも十五年ぶりだっていうのならおかーさんも腕前は知らないはずだけど、ハンドルを譲るのにためらいはないんだね。

 ちなみにおかーさんの運転はたぶん上手な方だ。横に座ってて危うさを感じたことはほとんどない。


「じゃあわたしは後ろね」


 そう言ってわたしはさっさと乗り込んだ。

 後部座席って久しぶりだ。いつ以来だっけ。とっさに思い出せないけど、さすがに初めてってことはないと思う。


「えっと、じゃあ私は……」


 おかーさんが、わたしと式野さん、どちらに尋ねるともなくつぶやく。

 どうするのかな?


「あぁノリ子、良かったら隣来てくれへん? 誰かおった方が集中できるんよ」

「う……うん」


 式野さんのお誘いにためらいがちにうなずくおかーさん。だけどすぐには動かずちらりと視線を寄越してくる。わたしは、


「いいんじゃない?」


 別に普通の調子でうなずいた。

 おかーさんは安心したように息をつきながら、遠慮がちに助手席に収まった。


「シートベルト締めてな? ほな、行こか」


 車がゆっくりと動き出す。そこそこ混雑している駐車場を通り抜け、スムーズに一般道の流れに乗って走り始める。


「アリスちゃん、上手ね、運転」

「だから『ちゃん』は……まぁえぇか。こないな田舎やし、車がないとなんもできひんのよ。やから自然とね」

「そっかぁ」


 言うほど上手いかな。まぁ下手ではないけど。加速減速のタイミングとかがおかーさんのそれとは微妙に違ってて違和感がある……のは、仕方ないか。普通ってところだね。


「ほんで、とりあえず家でえぇよね? 診療所とかは後回しで」

「うん。……あの」


 おかーさんはうなずいて、


「んー?」

「……いつもは、誰か乗せてるの?」


 そっと覗き見るようにしながら問いかける。


「あぁ……まぁ、おばぁが生きとったころはな」


 式野さんはなんでもないように答えた。

 実際なんでもないのかもしれない。おばぁというのはお婆さんのことだろうけど、おかーさんと同窓生なら今は三十一か二歳。祖母と死別していたとしても特に不思議はない。

 けどおかーさんはそうは思わなかったようだ。


「おばぁ、さんって、あの?」

「あの。六年前くらいやったかな。胃ぃ悪ぅしてもぉてな」

「そうだったのね……ごめんなさい、私知らなくて」

「別に謝ることあらへんやん。ゆぅかあんた、別にあの人と仲良ぅもなかったやろ。どっちかゆぅたら――」


「関係ないよ」


「……」

「あとでお線香、上げさせて」

「あんたはホンマ……まぁえぇ、しゃあない。ちょうどえぇイヤガラセになるやろ」


 はい? 嫌がらせ?


 ってゆーか全体的によくわからない遣り取りだった。

 大人たちの会話の中で置き去りにされるなんてことは子どもあるあるだけど、面白くはない。会話が途切れたところを見計らって割り込む。


「あの、そういえばわたしが通うことになる学校なんですけど」

「うん? あぁ、宮延第二中学な」


 式野さんがルームミラー越しにこっちを見て、目が合った。

 しかしそう感じたのはわたしの方だけだ。彼女は『え?』と振り返ってきて、ぎょっとした顔になって、それから混乱した様子でルームミラーを二度見した。


「アリスちゃん、前、前っ」

「お――おぉ」


 そしておかーさんに言われて、慌てて運転姿勢に戻る。

 幸い赤信号も横断歩行者もなく、ハンドルがブレたりもしなかったため大事には至らなかった。にぎわっていた道の駅周辺を少し離れただけで道はもうガラガラだ。


「もうっ、ダメじゃないルナちゃん。運転中は危ないわ」

「別に、学校のこと言っただけだし」

「いやー、ははは」


 わたしが唇を尖らせると、式野さんは意味もなく笑った。動揺が透けて見えていて少しだけ溜飲が下がる。


「ほんまに映らへんのやねぇ。不思議な感じやわ」

「……聞いてはいたんですね。おかーさんからですか?」

「他におらんやん?」


 なんかこの人、さっきから微妙にはっきり言わないな。イエスかノーで済む質問にも変に回りくどく答えてくる。

 そういうところも気にくわない。


「そうですか。でも、信じてなかったんですね」

「へ?」

「だって驚いてたじゃないですか。ほんとだったんかー、みたいにも言ったし」

「あー……いや別に……」


 彼女は困ったような顔でごにょごにょと何かを言う。

 おかーさんが振り返って『ルナちゃん』とたしなめてきたけど、撤回するつもりはない。


「あー……ルナちゃん? ――あ、ウチもそう呼んでえぇ?」


 む。


「別に、いいですけど」

「じゃあルナちゃん、あんたは地球がほんまは赤いかもとか思ぅとるクチか?」

「はい?」


 え? なに? 地球?

 いきなり何のハナシ?


「その昔、ユーリとかいうおっさんが『地球は青かった』ゆぅて以来、それが事実ゆぅことになって、嘘かもしれんなんて聞いたこともないぐらいみんな信じとるんやと思うんやけど。それでも大概の人は実際に宇宙に行ったら言うと思うんよ、あぁほんまに青いんやなぁ、って」

「それは」


 確かに、あるかもだけど。


「……ガガーリンじゃなかったですか、それ?」

「あぁそれよ。ユーリィ・ガガーリン。ま、要するに信じるのと実感するのとは別の問題ゆぅことで一つ、堪忍してもらえんやろかね?」


 それはその通りかもしれないけど。

 というよりこの場合はわたしの言ったことの方がただの言い掛かりなんだろう、けど。


「どっちでもいいです、そんなの。知りません」

「あらら」


 式野さんは横眼でちらりとおかーさんを見た。ミラー越しに見えた。

 苦笑いの顔。


「嫌われてもぉたかな?」

「そんなこと――」


 おかーさんがフォローしようとしてくれたけど、わたしはそれを遮った。


「なくないよ。わたし、この人のこと、きらい」

「ルナちゃんっ」


 おかーさんの語気が強まる。

 だけど――なんてこと言うの、謝りなさい、とか、そういうことは言わない。なぜならわたしがああ言った理由をわかってくれているからだ。だからわたしも言いわけしたり追加で言葉を重ねたりとかはしない。

 わたしたちはわかりあっているのだ。完ぺきな母娘なのだ。

 何か言う必要に駆られるのは、お邪魔な部外者だけ。


「はっきり言ぅてくれるねぇ」


 式野さんは、笑った。

 苦笑いや愛想笑いじゃない。ニヤニヤと嬉しそうに笑って、ミラーの向こうからこちらを見つめてくる。あの得体の知れない圧を送り込んでくる。


 ――待って、そんなわけない。向こうから見えるはずが。


 当てずっぽうで見てるだけ?

 それ以外にないとは思うけど、確信を得る前に、ふ、と視線は外れてしまった。


「ちなみに、理由とか聞かせてもろてえぇかなぁ? ウチの何があかんのん?」


 ストレートに訊くか、そういうこと。本当にやりにくい人だ。

 けどそう訊かれたからにはこっちもまっすぐ答えるしかない。


「わたしとおかーさんの間に割り込もうとするからです」


「ふっは!」

「なんで笑うんですか!」


 しかもなんだその我慢できないみたいな吹き出し方は。わたしとおかーさんを馬鹿にするならただじゃ済まさないぞ。


「いやいや、すまん。堪忍な。まさかそないハッキリ言うてくるとは思わんでな」


 彼女はそんな謝罪めいたことを言いながらも、顔は緩んだままだ。


「それで、学校がどないしたん?」

「は?」


 え、なに? 学校?


「はァて。さっきなんか言いかけたやん。何か訊きたいことあったんとちがうの?」

「あ……」


 そうか、そういえばそんな口実で割り込んだんだっけ。


「……そうでした。えっと、家からどれぐらい離れてるのかなって」

「あぁ、通学時間。せやねぇ……」


 彼女は笑いを引っ込めて考え始めた。


 って、待って。

 つまりさっきの話はもう終わりってこと?


「ウチ自身が通ったことあるわけちゃうからわからへんけど、車やと十分以上はかかるかなぁ。5、6キロってところちゃう? 歩きはちょっとめんどくさいかもやね」

「……」

「ん? えっと、ルナちゃんは自転車は乗れるん?」

「……乗れます」


 釈然としない思いを抱えながら、訊かれたことには答える。


「公道は走れませんけど」

「そか。なら――……え? なに? 公道って、自転車の話やんね?」

「危ないからです」


 混乱した様子の彼女を半ば無視する形で、簡潔に答える。わかるまで丁寧に説明する必要はないし、その気もない。


「……どゆこと?」


 あ、こら。おかーさんを頼るな。ずるいぞ。






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