アリス・イン・田舎
それからすぐにおかーさんの退職アンド引っ越しが決まって、わたしは二年生の終わりを待たずに転校することになった。
クラスのみんなとは涙のお別れになったりなんかは特にせず、仲の良かった数人とサヨナラカラオケパーティーを開いただけで終わった。
てゆーかあの子たちってわたしのことマザコンだって軽く馬鹿にしてたしね。今後連絡を取り合うこともないと思う。
まぁ、ほぼおかーさんの話しかしなかったわたしの方にも問題はあったんだろうけど。
特に小学校時代の授業参観のときに起こした『あのおっぱいがわたしを育てたんだぞドヤァ事件』はマズかった。二度と言わない。
話が逸れた。
今日は三月半ばの良く晴れた週末。引っ越しの当日だ。
家財道具は業者に任せて先に送って、わたしとおかーさんは最低限の荷物とともにレンタカーでその町を目指している。
昨日まで住んでいたのは都会とも田舎とも言い切れない中途半端なところだったけど、今度の場所ははっきりと田舎であるようだ。曲がりくねった道はガラガラで信号もなく、両脇には山か林か川しか見えない。そんな道をもう延々と一時間以上走り続けている。
名前は宮延町っていうらしいけど、本当に? 村じゃなくて?
「大丈夫よ。この山を越えたらちゃんと町に出るから」
「……来たことあるの?」
「ええ」
自信満々なおかーさんに尋ねると、笑顔を崩すことなく請け負ってくれる。
けど、一拍置いてちょっとだけ首をかしげた。
「あ、でもあのときは電車だったから、この道を通るのは初めてね……」
あらら。
「じゃあ、なんで?」
「だってそう言ってたもの」
「……」
例のオトモダチが、か。
しばらくして長い坂道を上りきると、不意に視界が大きく開けた。
なるほど、町だ。
眼下にはここまでと同じようなぐねぐね道がずっと先まで延びていて、その向こうには確かにそこそこの町並みが広がっている。
大きな池……いや湖かな? それを中心に広がっている、湖畔の町って感じ。
ショッピングモールっぽい施設とか、タワーマンションらしき高層建築とか、わたしの田舎像を否定する要素もいくらか見られる。
けど、そんなものより田畑の方が圧倒的に多いし、家と家の間隔も離れてそう。なによりあんまり広くない。集落のすぐ向こうはまた山になってるから、やっぱり谷間の村ってやつじゃない、これ?
「あ、見てルナちゃん。着いたよ」
おかーさんが指さす先には、道の脇に立つ大きな看板。
ようこそ 水鏡の里 宮延へ
「水鏡……」
「うん。すごいんだよ、水面が本当に鏡みたいにきれいで」
「ふぅん」
峠から見えた分にはそんな感じは別になかったけど。
どっちにしても、歓迎されてるという気は全くしない。超個人的な見解として。
そして看板を通り過ぎてさらに走ること数分、
現れた道路標示を見ておかーさんが言う。
「えーっと……あ、あれかな? 道の駅『みやのべ』。あと一キロだって」
「……そこで待ち合わせだっけ」
なんとなく鈍い反応を返してしまうわたし。
「うんっ」
一方のおかーさんは本当に嬉しそうにしている。あの、優しくも熱っぽい眼差しで前方を見据えて、楽しみで仕方がないって感じ。
そのひとに、会うことが。
「……」
わたしは何度目かの沈黙で答えた。
「えっと……ルナちゃん?」
おかーさんがなにやらおそるおそる訊いてくる。
「なぁに、おかーさん?」
まぁ、何を訊きたいかはわかる。だって声が気まずそうだし。
「……もしかして怒って、ますか?」
ほらね、やっぱり。
そしてそう訊かれたなら、わたしとしてはこう返すしかない。
「怒ってはいないよ」
「……だったら?」
「おかーさんがわたしじゃない人のことで嬉しそうにしてるから、やきもち焼いてる」
「わーお……」
おののきと呆れが半分ずつ、みたいな反応。
「あの、でも、ルナちゃんが素直ないい子なのはお母さんとっても嬉しいんだけど……そんなこと言われても、だってすごく仲良かったんだよ? それで会うのは十五年ぶりだし……」
十五年って。
それってつまり、わたしが産まれたときから……ううん。わたしを授かったあたりに別れたきりってことじゃん。そんなの。
「……そんなの、時間じゃどうしたって敵わないってことじゃん。ずるい」
「え、え? ごめんルナちゃん、なんて?」
ちょうど道の駅に到着したタイミングだったので、運転に気を取られたおかーさんは生返事になってしまった。
「なんでもない」
わかってて言ったからそこは別にいい。
駐車場に止められた車から降りて、ドアをバタンと閉めながらわたしは言った。
「とにかく、おかーさんが誰と仲良くしても別にいいけど、我慢するけど。でもおかーさんの一番はわたしじゃないとイヤなのっ」
「それは……わかってるわ」
おかーさんはうなずいて、微笑んだ。
その笑顔は優しかったけど、熱っぽくはなかった。
「私の一番はルナちゃんよ。あなたが生まれたときからずっと」
「……なら、いいけど」
週末ということもあって、道の駅みやのべのフードコートは人でごった返していた。
この中から探すのか……とうんざりしかけたわたしだったけど、待ち合わせの相手、おかーさんのオトモダチとは割とあっさり会えてしまった。
単純な話、向こうが見つけてくれたのだ。
こちらからはスペースの全部が捜索対象だけど、あちらは入り口だけ見てればいい。本当に単純な話。
「則子! こっち!」
凛としたよく通る声。
振り向いてまず思ったのは、綺麗な人だ、ということだった。
先入観を抜きにして語れば好きな部類の顔と言えた。
「アリスちゃん!」
エントランスからほど近い席に陣取っていたその人の呼びかけにおかーさんは満面の笑みで応えて、だけど駆け寄ったりはしなかった。わたしの方を振り返って『行こ』と手を取ってくれる。うむ。
ってゆーか、ありすちゃん?
「『ちゃん』は堪忍してぇな。ウチらもう三十過ぎとるのに」
その人が応えて言う。
関西弁、なのにどこか上品に響くその口調。に、そぐわないキリリとした知的な顔立ち。かと思えばスキニージーンズがばっちり似合うモデル体型でもあって。なのにそんな可愛い名前。
なんていうか、特徴の一つ一つが妙にばらばらな人だ。
「あ、ごめんなさい。でもアリスちゃんはアリスちゃんだから」
「変わらへんなぁ、あんたは」
かといってちぐはぐな感じがするというわけでもなく、全ての要素が奇跡的に調和して『格好いいお姉さん』という一つの人物像を創り上げている。
全身が『ゆるふわ』で統一されているおかーさんとは全く正反対のタイプだった。
「ん? どしたん?」
う、こっち見た。
「ゆぅか、あんたがそうか。ノリ子の」
「……はい」
なんか……なんだろう。
物腰は穏やかなんだけど変な圧を感じる。特に目力が強い。
でもおかーさんは全然気にしてないみたいだ。わたしと彼女の間に立って、楽しそうにぽんと手を合わせる。
「紹介するわね。この子が私のルナちゃん。中学二年生の十四歳で、とっても素直な良い子なの」
「……どうも。初めまして、瑠奈です」
とりあえず頭は下げる。おかーさんの顔を立てて。
「ほぉ? つまり、ナルキルナ、ゆぅわけやね」
「……ソレが、ナニか」
思わず声のトーンが下がる。ケンカを売るっていうんなら話は変わるぞこのやろう。
「いやいや、なんもあらへんよ。ただまぁ、ウチのお仲間ゆぅことになるんかな、思て。広い意味でね」
お仲間?
内心で首をかしげていると、彼女は椅子を立って一礼しながら言った。その仕草がまた様になっていた。
「式野亜梨栖、いいます。あんたのお母さんとは、まぁ、お友だちやね」
ありす。
しきの。
……ふしぎの。
あとついでに鏡の里の、でもあるわけか。なるほど。お仲間って、そういう?
「名前のことイジるんは、やめとこね? お互いに」
「……はい」
ともかく、こうして――そんなふうにして、わたしたちは出会ったのだった。