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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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【短編】【連載はじめました】闇堕ちする前に死ななくちゃ~僕は今日も自殺を図る

 まだ少女と言える年齢のメイドがカーテンを開けると、窓から朝日が部屋に差し込んで来る。

「ん──」

 ベッドが朝日に照らされ、眠っていた少年が身じろぎする。

「朝ですよ、ヴィルマー様」

 メイドに声を掛けられ、少年はゆっくりと身を起こす。

「おはようございます。ヴィルマー様」

「おはよう、ミナ」

 メイドが朝の挨拶をすると、うっすらと目を開けながら少年が返す。

「用意は?」

「はい、既に出来ております」

 ミナの答えにヴィルマーは頷くとベッドから下りて、ボウルの水で顔を洗い、ミナが差し出したタオルで拭く。それから寝間着を脱いで、ミナが用意した服に着替える。

「良し──と」

 ヴィルマーは鏡を見て、服装や髪型に乱れが無い事を確認する。

「ミナ、用意は出来てるかい?」

 ヴィルマーは再び尋ねる。

「はい、出来ております」

 ミナは笑顔で答えると、天井から下がったロープを示す。ロープの先端は輪になっており、下には椅子が置かれていた。

「ヴィルマー様の身長等を計算して、頸動脈が絶妙に圧迫されるように輪の高さを調節しております。首に輪を掛けて椅子を蹴れば、理論上だと頸動脈洞反射けいどうみゃくどうはんしゃで急激に血圧が低下して、約七秒で意識が無くなるはずですから、そのまま痛みも苦しみも無く窒息死できますよ」

 目を輝かせながら、明るい口調でミナが説明する。

「ありがとうミナ。今日こそ僕は死んでみせるよ!」

 そう意気込んで、ヴィルマーは椅子に脚を掛ける。

「みせるなぁぁぁっ!!」

 突如部屋に響く絶叫に、二人が振り向くと、褐色の肌に尖った耳、黒いローブに身を包んだ銀髪の女の姿が浮かび上がるように現れる。

「うわっナリシア、また邪魔しに来たの!?」

「それって透明化の魔法ですか? 断りも無く部屋の中でずっと潜んでるなんて、本当にダークエルフは非常識ですね!」

「朝早くから朝食でも取るような気軽さで自殺を図る子供と、それを嬉々として手伝うメイドに、常識を語る資格があるか!」

 ヴィルマーとミナの非難に、ダークエルフ──ナリシアはこめかみに青筋を立てて反論する。

「人を異常者扱いするな! 僕は自分が置かれた状況をちゃんと受け止めて、冷静に考えた上で、死ななくちゃいけないと結論を出したんだ!」

「私だって、まっとうな人間です! ただちょっと死体が好きなだけで!」

「それのどこがまともだと言うんだぁぁっ!!」

 ナリシアの絶叫が響く。

「朝早くからそんなに大声を出して、周りの迷惑も考えて下さい」

「そういう所だけ、常識人ぶるな!」

 言い合っている間に、いつの間にかミナがナリシアに接近していて、直感的にナリシアが回避行動を取ろうとする刹那、ミナが鉄製の手枷を素早く取り出してナリシアの両手に填める。

「貴様、どこでそんな物──」

 両手を拘束されて動揺するナリシアに、ミナが組み付いて押し倒す。

「どうですかその手枷は? お屋敷の地下牢で長い間使われずに放置されていたからさびを落とすのに一苦労でしたよ。でもこの時のためにヴィルマー様に練習台になって頂いて特訓した甲斐がありました」

「どんな時だそれは!?」

 手枷と自身が馬乗りになって、ミナはナリシアを押さえつける。

「さあヴィルマー様、今の内にご本懐ほんかいを遂げて下さい!」

「ありがとうミナ、この恩は死んでも忘れないから!」

 ヴィルマーは椅子の上に乗り、ロープの先端の輪に首を掛ける。

「だから死ぬなと言ってるだろうが!」

 ナリシアの手首から鈍い音がして、ミナが目を向けると、手枷の右手部分ががら空きになっており、慌てて顔を上げると、ナリシアは自由になった右手にナイフを持っている。ミナは左手を伸ばしてナリシアを止めようとするが、間に合わずナイフはナリシアの手を離れる。そしてヴィルマーが椅子を蹴り倒したのと同時にナイフはロープを切断したので、ヴィルマーの首に掛かった輪は彼の頸動脈を圧迫する事無く、体はそのまま床にドスンと落ちる。

「もう、一度だけじゃ飽き足らなくて、毎回毎回邪魔をして! いい加減にしてよ!」

「そっちこそ、いい加減自殺なんてやめないか!」

 痛みをこらえながら抗議するヴィルマーに、ナリシアが言い返す。

「あんな女の言う事なんて気にする事ありませんよ、ヴィルマー様。あんな手首の関節を外して手枷から抜け出すやり方を身に付けてるなんて、きっとまっとうな人生を送ってませんから」

 ヴィルマーの擁護ようごに回るミナ。

「死体を生で見たいからと自殺に手を貸す貴様こそ、まっとうな人生を送っているのか!」

「私は生まれてから今この時まで、世間に恥じるような行いは一切していないのが誇りです!」

「その口で言うか!?」


 ──とまあ、朝も早くから騒々しく繰り広げられる遣り取りは、当然部屋の外へも届くのだが、それを聞いた屋敷の使用人達の反応はと言うと──

「ああ、今朝もヴィルマー様が自殺を図ったか」

「ミナも良く付き合うわね。準備まで手伝って」

「ナリシアも毎回毎回止めて、ご苦労様だよな」

「ところで今朝はどんな自殺だったんだ?」

「首吊りだそうですよ」

「よっしゃ、俺の勝ちだ。今晩一杯(おご)れよ」

「クソッ、そろそろリストカットだと思ったのに!」

 こんな感じで誰も深刻に捉えておらず、賭けのネタにする者までいる有様だった。

「さてと、今朝も自殺に失敗された所でお部屋に参りましょうか」

 そして今日も屋敷の日常が変わらずに動くのであった。


「ヴィルマー様、朝食の用意が出来ておりますので食堂へおいで下さいませ」

 言い争いが一段落した所を見計らうように、ミナの先輩メイドと初老の執事が部屋に入ってくる。

「え~っ、また朝食の用意なんてしたの? 僕なんかのために、食材が勿体無もったいないってあれほど言ってるのに……」

「まあそうおっしゃらないで下さい。折角用意したのですから」

 悲嘆の溜め息を吐くヴィルマーだったが、先輩メイドに促され、重い足取りで部屋を出て行く。

「さて」

 ミナはヴィルマーが部屋を去ると、さっきまで彼の自殺の手助けをしていたのが嘘だったかのような切り替えの早さで首吊りの紐を片付けに掛かる。

「ほら、もう良いでしょう。お部屋の掃除がありますから早く出て下さい」

 そうミナに追い立てられてナリシアが部屋を出た所で、彼女は廊下に立っていた執事と鉢合わせする。

「あら? ヴィルマー様と一緒に食堂へ行ったのではないのですか?」

「いいえ。私はナリシア殿に用件がありまして、参りました」

 剃刀かみそりのような視線でナリシアを見据え、執事は答える。

「公爵閣下がナリシア殿をお呼びでございます」




「公爵閣下、ナリシア殿をお連れしました」

 執事に案内されて入った部屋は、重厚な造りのテーブルと、革張りのソファが置かれた応接室と思しき部屋で、ソファの一つに髪も髭も真っ白だが、背筋がしっかり伸びた老人が座っていた。

其方そなたがナリシアか?」

「はい、黒の森のダークエルフ、ミロシュの娘ナリシアと申します。公爵閣下に置かれましては、お目通りを頂き祝着至極しゅうちゃくしごくに存じます」

 男性がナリシアの方を向いて尋ねると、ナリシアも答えて一礼する。

「ほう、ダークエルフが貴人に対する礼儀作法を心得ているか」

 意外というように口にする公爵。ダークエルフに対する侮辱ぶじょくとも取れる言葉だったが、全く表情を変えないナリシアに、公爵は「うむ」と唸る。

「そこに立っていられても首が疲れる。座るが良い」

 対面のソファを勧められ、ナリシアが「失礼致します」と腰を下ろすと、公爵はカッと目を見開いてナリシアを睨み付ける。先程の執事の視線が剃刀ならば、公爵のそれは抜き身の剣と呼べる程の威圧感だったが、ナリシアは膝の上に置いた手をグッと握り締めるだけで、真正面から受け止める。

「ほう」

 公爵は眉を動かす。

「テストは合格という事で、よろしいでしょうか?」

「うむ」

 微笑みながら尋ねるナリシアに、公爵は威圧を解いて口角を上げる。

「お前の見立て通りだったな、ランドルフ」

 公爵の言葉に、「恐縮です」と執事が一礼する。

「さて、其方を試させて貰ったのは、言うまでも無いだろうが其方に頼みたい事があるからだ」

 真剣な表情に戻った公爵に、ナリシアは口中に溜まっていた唾を飲み込んで身構える。

「単刀直入に言おう。其方に儂の孫──ヴィルマーの教育係を引き受けて貰いたい」

 公爵の言葉に、威圧されても怯まなかったナリシアが目を丸くする。

「教育係、ですか? 殺処分でなくて?」

「何故と訊きたいようだな、良いだろう。長い話になるから、その前に茶を飲ませてくれ」

 すぐに茶道具一式を載せたカートがやって来ると、執事が入れた紅茶のカップが公爵とナリシアの前に置かれる。公爵は紅茶を一口すすって喉を湿らせると、口を開く。

「ヴィルマーがまだ二歳の時だ。風邪を引いた儂の代理で息子──ヴィルマーの父親と母親が宮廷舞踏会のために登城したのだが、その帰りに息子夫婦を乗せた馬車が襲われたのだ。自慢するわけではないが、公爵家の後継者とするべく鍛え抜いた息子だ。万全な状態であれば賊相手に後れを取る事など無かったが、不意打ちで馬車を転倒させられて怪我を負った上に、賊共め、数を揃えた上に毒矢まで用意して来おった! 知らせを受けて救援が到着した時には既に遅く、息子は自分の妻をかばう体勢で何本もの矢を受けた状態で息絶えていたそうだ」

 公爵はギリッと歯を軋ませる。

「当時儂はあと数年のうちに爵位を息子に譲るつもりでいたのに、その予定が崩れてしまった儂の落胆が分かるか? それ以上に息子夫婦がヴィルマーの成長を見ることができず、どれだけ無念だっただろうか? だが悲しみに暮れてばかりもいられなかった。儂は心と体を奮い立たせ、ヴィルマーを公爵家の跡取りとして立派に育てると、息子夫婦の墓前に誓った。なのに──」

「あの儀式、ですか」

 ナリシアの問いに、公爵はガックリとうなだれる。

 この世界に生まれた人間の子供は、一〇歳になると光の神を奉じる教会でジョブ適性を鑑定する儀式を受ける。ヴィルマーもまた、他の貴族の子供達に混ざって大聖堂で儀式を受けたのだった。

「ほとんどの場合、親の適性を子供も受け継ぐ。だから儂や父親の『剣術』か、母親の『風魔術』と出るだろうと、儂を含めて周囲は皆思っていた。だから、ヴィルマーに『闇魔術』と結果が出た時、儂は目の前が真っ暗になるようだった──」

 この世界に於いて、太古の時代に繰り広げられた、光と闇の神の戦いが光の神の勝利で終わった後、光の神を崇める教会は諸国の政治にしばしば介入するほどの影響力を持っており、その教義によって闇の神への信仰は邪教とされ、闇の神の力を使う闇魔術も邪悪なスキルとされていた。

「それ以来、ヴィルマーは王立学園の初等部の同級生達からいじめを受け続け、教師達もそれを黙認して、儂がいくら抗議しても知らぬ存ぜぬの一点張り。遂には毎年学園で行われる遠征実習で、危うく事故に見せかけて殺される所だった」

「その件は、私も人づてで聞いています。無礼を承知でお尋ねしますが、あれは本当に公爵閣下が仕組まれた事ではないのですか?」

「断じて無い!」

 公爵はテーブルを拳で叩く。

「あれは公爵位を狙う親族の者達と、学園の教師が手を組んで仕組んだものだ。親族の奴ら、ヴィルマーが死んだ後自分が公爵家の跡取りになれるよう後押しして欲しいと、国内の貴族の各派閥に根回しをしていて、ご丁寧に教会の大司教にも取り入って学園に圧力を掛けさせたのだ!」

「だから、公爵閣下の力を持ってしても、いじめを止められなかったという訳ですか」

「そのようだ。幸い命は助かったが、ヴィルマーは体以上に、心に深い傷を負ったのだろうな。ベッドから出られるようになるや、あの子は、大聖堂の鐘楼に登って、そこから投身自殺を図ったのだ。知らせを受けて儂が大聖堂に駆けつけた時、ヴィルマーはまさに鐘楼から飛び降りる所で、儂にはもう、天上の息子夫婦に向けて許してくれと祈る事しかできなかった。

 だがその時、強烈な風が一面を吹き荒れ、風が治まって見上げると空中に浮かぶヴィルマーと、側に風の上位精霊が現れていたのだ」

 その時の事を思い出すように、公爵は天上を見上げ、遠い目をする。

「精霊はヴィルマーを優しく地上に降ろして、ヴィルマーの額に口づけをした。するとヴィルマーの額に紋様が現れて、吸い込まれるように消えていったのだ」

「それは、まさしく精霊の加護ではありませんか!」

「うむ。儂もこの目で精霊を見るのは初めてだったし、人間が精霊の加護を受けるというのは百年に一人いるかいないかと言うではないか。儂は人目もはばからず涙を流し、天上の息子夫婦と光の神に感謝した。精霊の加護と言えば、闇魔術のスキル適性という烙印らくいんを上書きするには十分すぎる栄誉だぞ!」

 公爵はテーブルにバンと両手を突く。

「なのにヴィルマーと来たら、精霊の加護を得たという噂があっという間に広まって、あちこちから来る祝いが一週間もして落ち着いた頃、また自殺を図ったのだ。裏庭にある、もう誰からも忘れられた古井戸を見つけると、それに飛び込んで溺れ死のうとしたらしい。幸いその古井戸には水の上位精霊が封じられていて、解放してくれた礼として加護を受け、水中呼吸のスキルまで付いたおかげで助かったがな。

 その次は厨房から持ち出した油を頭から被って焼身自殺を図ったら、火の上位精霊が現れて加護を受けて火に耐性が付いて、次は箱に入ってそれを庭に埋めさせて餓死しようとして──その辺りは其方が良く知っているだろう?」

「あれですか……」

 ナリシアはその時の事を思い出し、渋面になった。




 当時黒の森と王都の裏組織との連絡役として王都に潜伏していたナリシアは、公爵家の息子が闇魔術のスキル適性が出たために殺されかけたという情報を聞き付け、仲間に誘うため接触の機会を伺っていた。その後ヴィルマーが投身自殺を図って風の上位精霊の加護を受けたにも関わらず、なおも自殺を図ったと噂を聞いたナリシアは、こう推測した。

『公爵家は、精霊の加護を受けてもなお、闇魔術のスキル適性が出た事を家名の恥として、ヴィルマーを自殺に偽装して殺処分するつもりだ』

 ナリシアは公爵家の屋敷の庭に侵入すると、地面から突き出た筒と、それを見守るメイドの姿を見つけた。

 メイドが筒に向かって「ヴィルマー様」と呼びかけると、筒からベルの音が聞こえて、それを聞いたメイドが何か期待しているような笑みを浮かべているのを見て、瞬時にナリシアは事態を察した。

 即座に飛び出したナリシアは、メイドを突き飛ばすと、魔法で土を操作して大穴を開け、現れた箱を壊すと、中からまだ年端もいかない少年が痩せ衰えた状態で入っていて、その特徴は事前に集めた公爵家の息子の情報と合致していた。だが、助け出したはずの少年が放った第一声は──


「何するんだよ! 今度こそ死ねると思ったのに、邪魔しないでよ!!」


「は?」

 予想だにしなかった非難にナリシアが呆然としていると、メイドが立ち上がってやって来る。

「そうですよ! せっかくヴィルマー様の即身仏そくしんぶつが拝めると思って、お屋敷の人達に見つからないよう慎重に進めてきたのに台無しじゃないですか!」

「は?」

 ソクシンブツという聞いたことの無い単語を出して怒るメイドに、またもナリシアは間抜けな声を漏らす。そうしているうちに他の使用人達も駆けつけて来ただけでなく、地の上位精霊まで現れて、ヴィルマーに風、水、火の精霊の加護を見つけると、なら自分もと加護を授けたのだった。




「地、水、火、風の四精霊の加護を受けるなど、ダークエルフでも聞いた事がありませんよ!」

「うむ。伝説では南の帝国を建国した勇者が四精霊の加護を受けていたそうだが……つまりは伝説の勇者と並ぶ加護を受けておいて、何故ああも死にたがるのか!」

「それほどに、加護を受ける以前に受けた心の傷が深かったという事なのでしょうか……」

「そう、そこだ」

 公爵は、グッと身を乗り出してくる。

「要は、闇魔術のスキル適性やいじめ等で刻まれた自己否定を超える自己肯定──自分は生きて良い、公爵家の息子として生きている価値があると思うようになれば、ヴィルマーは自殺をしなくなるという事だ。そして、そのためには、ヴィルマーが公爵家を継ぐにふさわしいと皆に認められるようになるのが一番だと思うのだ」

「そして、そのためには教育が必要、という事ですね」

 ナリシアの言葉に、公爵は頷く。

「ですが、それを何故私に? ダークエルフの私よりも、公爵家の力があれば能力が一流である事はもちろん、素性も綺麗な教師陣を揃える事ができるでしょう?」

「一流の教師であるほど複数の名家や教会関係者の教師を務めていた経歴があって、そういう連中の紐付きである可能性が高い。通常であれば信用の保証になるし社交の役に立つが、今回は危険だ」

「王立学園の高等部魔術科の教授は? 精霊の加護を受けたのなら、喜んで個人指導を買って出るでしょう」

「闇魔術のスキル適性が出た時は、才能の無い者に教える時間は無いと言っておきながら、精霊の加護を受けたと聞くや、手の平を返してり寄ってくるような奴らが、信用できると思うか?」

 公爵は不快げに鼻を鳴らす。

「その点、其方なら他の家や教会との繋がりを心配する必要が無いし、魔法や戦闘の実力は折り紙付き。必要な条件は満たしている」

「お言葉ですが、ダークエルフをそこまで信用されるのですか?」

「信用などしていない」

 きっぱりと公爵は答える。

「其方はヴィルマーを自分達の仲間に誘うために来た。それはつまり、其方ならばヴィルマーを自分達の有効な戦力に育てられると思ったからだろう? それを代わりに公爵家の立派な後継者に育ててくれれば良いのだ。

 無論、ただでとは言わん。ヴィルマーが公爵家を継承したあかつきには、黒の森の其方達ダークエルフを始めとする住人達による自治を認める事を、公爵家の名において約束しよう。どうだ?」

 感情や使命ではなく、互いの利害で繋がった取引。それは酷くドライであったが、裏を返せば互いの感情で破綻する事が無いと言う事で、ナリシアのような者には逆に信用できるものだった。ヴィルマーが公爵家の後継者に育つまでには、恐らく一〇年以上、もしくは二〇年、三〇年と掛かるかも知れないが、ダークエルフの長い寿命から見れば些細ささいな年数だ。

(「まさか、そこまで考えて言ってきているのか──!?」)

 教会による『聖戦』という名目の虐殺で肉親や友を殺され、自身も命を失う寸前まで追い込まれた事もある。裏組織と関わる中、陰謀や裏切りで命の危機に陥った事も一度や二度ではない。だが、その時とは別の、そして過去に感じた以上の恐怖を、ナリシアは今目の前に座っている、例えば威力が落ちるが即座に放てる詠唱破棄した魔法で、または毒を塗った短剣の一振りで殺せるだろう人間を相手に感じていた。

 いつの間にか乾いていた口を開き、ナリシアが返答を出そうとしたその時──

「やっぱりここにいたのかナリシア!」

 乱暴に扉を開いて、ヴィルマーが部屋に踏み込んで来る。

「何だヴィルマー、ノックもしないで入ってくるとは!」

 険しい口調で公爵は言うが、ヴィルマーは構わずナリシアを睨み付ける。

「ナリシア! 僕が思い通りに動かないから、今度は御爺様おじいさまたぶらかすつもりだな!」

「いや、私は公爵閣下に呼ばれてここに……」

「黙れ! お前の言う事なんか一言だって信用できるか!」

 一切取り付く島も無いヴィルマー。

 ナリシアも、公爵も、この場にいた全員が、ヴィルマーが心に負った傷の深さを把握していなかった。だがそれは仕方の無い事だった。誰が、ヴィルマーが事故に遭うよりも、闇魔術のスキル適性が出るよりも前に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()事など想像が出来ただろうか。




 生まれた時から日常生活どころか、生命活動すら維持する事が出来ない難病を抱え、白い壁と天井、リノリウムの床で構成された病室が世界の全て。

 日々繰り返される検査と投薬。病気の症状と薬の副作用による苦痛は体のみならず、心をもむしばんでいった。

 両親や医者の先生、ナースのお姉さん達がそんな彼を元気づけようと勧めた本やゲームは、正義のヒーローが悪者を倒す、努力した者が報われる、そんな話ばかりだったが、彼には現実味の無い空虚な物語でしかなかった。

 正しい者が強いなら、悪い事をしていない自分がどうしてこんなに病気で苦しまなくてはならないのか?

 努力した者が報われるなら、どうして病気が治らないのか?

 そんな彼が物語の主人公よりも、敵側、特に貧困、無力などの理由で悪の側に入った、いわゆる闇墜ちしたキャラクターを現実的なものとして感情移入していったのは、自然な成り行きと言えた。

 そうして年を重ねると共に病も進行し、彼に向けられる大人達の笑顔の裏に隠れた陰を彼は見逃さなかった。

 医者やナース達の焦燥と諦念。

 両親の疲れと嘆き。

(「ああ、僕が生きているだけで、こんなにも人に迷惑を掛けているんだ──」)

 それらを見る度に、彼は罪悪感と申し訳ない気持ちで一杯になった。

 だから、小さな命の火が消える時、彼はもう周りに迷惑を掛けないで済むと、心の底から安堵した。

(「もし生まれ変わりがあるなら、次は人に迷惑を掛けないように生きよう──」)

 そう心に誓って、彼の短い人生は終わった。


 なのに──


 学園の遠征実習の事故から目覚めて()()()()()時、ヴィルマーの心は再び絶望で一杯になった。

 闇魔術のスキル適性が出たというだけなら、あくまで適性だけで確定ではなく、多少のハンデはあっても別のスキルを習得できない訳ではないから、剣術か魔法を必死で努力すれば良い。そのためなら祖父も助力を惜しまないだろう。だが、前世で読んだファンタジー小説の世界に、それも物語で主人公である勇者の敵役となる魔王ヴィルマーに転生したとなれば、事情は大きく異なる。

 周囲から蔑まれ、殺されかけた事で教会と人間への憎しみを抱いて闇墜ちし、太古の神々の戦いで闇の神側に付いた事で魔族と迫害されていたダークエルフ、オーク、ゴブリン等の種族を配下に加え、光の神を崇める国々を相手に戦争を起こす魔王──そんなものになったら、大勢の犠牲者が出て、前世とは比べ物にならないくらいの迷惑、いや、迷惑という言葉では済まなくなるじゃないか。

 いくら魔王になるまいと気を付けて行動しても、いつどこで闇墜ちするきっかけがあるか分からない。そして一度闇墜ちしたら、恐らく戦争、殺戮さつりくという流れへ強制的に持って行かれるだろう。それを避ける最も確実な方法は一つ。


 闇墜ちする前に死ぬ事。


 傍目はためから見れば無茶苦茶な理屈かも知れないが、前世で抱いた罪悪感と、一度死を経験している事が、自殺へのハードルを下げていた事が、色々な意味で不幸と言えた。

 そしてベッドから出られるようになると、すぐさま自殺を決行するつもりだったが、その際最も身近な障害が自分付きのメイドのミナだった。小説では彼の味方だった彼女を殺された事が、ヴィルマーが闇墜ちする最終的な引き金だったからだ。

 そこで彼は、これ以上公爵家の恥をさらす事に耐えられないから自殺すると、もっともらしい理由をでっち上げて見逃して貰おうとしたが、彼女は目を輝かせて答えた。

「まあ、自殺されるのですか! どんな死に方に致しますか? 苦しまない死に方ですか? それとも歴史に残るような凄惨せいさんな方がよろしいですか?」

 小説にあったミナとはあまりにキャラクターが違いすぎるので問い詰めた所、彼女もまたヴィルマーと同じく現実世界の日本からの転生者で、前世は監察医をやっていたと分かった。

「ああ、向こうの世界のパソコンに置いてきてしまった死体写真のコレクションを思い出して、幾度枕を涙で濡らした事か。でも今日からは、この世界の死体を記憶に焼き付けて新しいコレクションを作ります。その記念すべき一体目になって頂けるなんて、ミナは感激です!」

 ……ともあれ、死に方の知識が豊富な協力者を得たヴィルマーだったが、ミナの手引きで大聖堂の鐘楼に登って飛び降り自殺を図るが失敗。その後の自殺もことごとく失敗を喫し、もしや自分がいくら抵抗しても、小説の筋書き通り魔王にしようと世界の強制力が働いているのではないかと推測したのが焼身自殺に失敗した直後の事。そして次に庭に埋まって餓死しようとしてナリシア──小説で魔王の側近として仕えるダークエルフが現れ、阻止されたことで、推測は真実味を帯びてきたのだった。




「御爺様、このダークエルフは僕を魔族のリーダーに祭り上げて教会や王国との戦いを引き起こし、それで出た死者を供物に捧げて地上に闇の神を降臨させようと企んでいるのです! 何を言われたかは存じませんが、ナリシアの誘いには一切乗ってはいけません!」

「いや、むしろ私の方が公爵閣下に誘われていたのだが……」

「お前には聞いてない! どうせ良いように僕を利用して、十分な死者が出たら、最後に僕まで殺して闇の神降臨の儀式のトリガーにするつもりのくせに!」

「本当だヴィルマー。このナリシアにお前の教育係になって貰おうと、儂がここへ呼んだのだ」

「何ですって……」

 グラッとよろめくヴィルマー。

「僕がナリシアの誘いに乗らなくて、それどころか近付くのも拒否していたら、今度は御爺様がナリシアを僕の側に付けようとしているなんて、やっぱり世界が僕を魔王にしようと強制力が働いているのかな? だとしたら僕が生きている限り、いつかは魔王になってしまうのか……」

 公爵が「何をブツブツ言っとるんだ」と声を掛けても、ヴィルマーは考え事に夢中で独り言を続ける。

「やっぱり、早く死ななくちゃ」

 そう結論を出したヴィルマーは「ミナ! ミナ!」と声を上げる。

「はい、こちらに!」

 すぐさまミナが部屋に入って来る。

「ミナ、さっき失敗してすぐで悪いけど、また自殺の用意をしてくれる?」

「はい、そう言うと思いまして、厨房から包丁を借りて参りました! 切腹は介錯が無いと死ぬまでに時間が掛かりますので、頸動脈を切るのがお勧めです」

「流石はミナだな。それでは早速」

「止めろヴィルマー!」

 ミナが差し出してくる包丁に手を伸ばすヴィルマーを、公爵が制止する。

「なるほど、僕なんかの血で部屋を汚すなと言いたいのですね。それじゃミナ、庭に出よう」

「はい、ヴィルマー様!」

「そういう話じゃない! ミナも付いて行くな!」

「いました料理長! こちらです!」

「こらミナ! 勝手に包丁を持ち出すな。さっさと返せ!」

 騒ぎを聞きつけた他のメイドの知らせで、料理長も眉を吊り上げてやって来る。

「心配要らないよ。使い終わったらちゃんと返すから」

「使うって自殺でしょう!? 料理の道具をそんな事に使わないで下さいヴィルマー様!」

「そうか……僕みたいなけがらわしい人間には、公爵家の厨房の包丁で自殺する価値も無いという事か……仕方無い、町へ行って買おう。ミナ、付いてきて」

「はい、ヴィルマー様!」

「そういう話でもない! と言うか、あの二人を町に行かせるな、捕まえろ!」

「「はっ!」」

「ミナ、掴まって!」

「はい!」

「見ろ! ヴィルマー様とミナが宙に浮かんだ!」

「これが、風の精霊の加護──」

「見とれている場合か!」

「ヴィルマー様、あの窓から出ましょう!」

「分かった!」

「させるか!」

「ナリシア、足に鞭を巻き付けないで! 重くて上がらないよ!」

「随分鞭の扱いに慣れてますね。まさか荒縄と蝋燭ろうそくと一緒に使ってるんじゃないでしょうね!?」

「鞭と荒縄と蝋燭? 一体何をするの?」

「ヴィルマー様は知る必要はありません!」

「何だか知らないが、物凄く失礼な想像をしていないか!?」

「いえいえ、流石はダークエルフだなと感心している所でして」

「感心していないだろう? 内心蔑んでいるだろう? 目がそう言ってるぞ!」

「早くあの三人を追え! 塀の外に出すな!」

「「はっ!!」」

「おい、俺が先だ!」

「そっちこそさっさと抜けろ!」

「皆一遍に窓から出ようとするな! 詰まる!」

「他の出口を使え!」

「お待ち下さぁぁい!」

「あの鞭を掴め! 皆で引っ張るんだ!」

「「おう!」」

「良し、掴んだ!」

「てめえ、何勝手にそこを取ってやがる!?」

「あ? 場所は関係無いだろ?」

「大有りだ! ナリシアのすぐ側なんて取りやがって。どさくさに紛れて胸とか触る気だろ!?」

「こういう時に何助平な事を考えてやがる! てめえこそそのつもりだったんじゃねえのか? 女房がいる癖に!」

「何馬鹿な取り合いなんてしてるのよ! これだから男は!」

「押すなコラ! どこ触ってやがる! てめえまさかそっちの気があるのか!?」

「誤解だ! 俺はずっと≪ドライアドの歌声亭≫のエルザ一筋だ!」

「何だと? エルザは俺がずっと狙ってるんだぞ!」

「ちょっと! あなた先週『俺の心には君しかいない』って言ったわよね。アレは嘘だったの!?」

「あ、いや、今のは勢いと言うか何と言うか……」

「ほう、では真剣に付き合っているという事ですかな? 同じ家の使用人同士の恋愛関係というのは、執事として看過できませんな」

「げっ、ランドルフ様! いやその、彼女とは同じ職場で働く上で人間関係を円滑にする必要上の……」

「何それ、つまり仕事で私と付き合ってたって言うの!? 酷いわ、あれだけの事をしておいて!」

「痛たたたっ! 引っ掻くな!」

「手を離すな! もうすぐヴィルマー様の足に手が届くんだぞ!」

「早くしろ! 鞭がほどけそうだ!」

「言ってる側から……うわぁぁぁぁっ!!」

「ヴィルマー様、また鞭を使われる前に!」

「分かった!」

「早く立てナリシア! 逃げられる前にもう一回!」

「思い切り振りかぶって!」

「そうそう!」

「俺を叩いて! ついでに踏んで!」

「「違うだろうがぁぁぁぁっ!!」」


 ──という感じで、幸いにもこの後ナリシアが魔法で塀よりも高い土壁を作ってヴィルマー達の行く手を阻んで取り押さえたが、以後も公爵家ではこういった騒ぎが日常的に繰り広げられるのだった。




 後の時代の歴史書に曰く──


 ヴィルマー・フォン・ノルドベルク。

 一〇歳の時に受けたスキル適性鑑定の儀式で闇魔術と出たために周囲から蔑まれ、殺されかけた事もあったが、その後精霊の加護を受けて不名誉を跳ね返す。

 長じて公爵位を継承すると、出自や種族を問わず幅広く人材を登用して、内政では王国内の諸産業を大きく高度化し、長く魔族と迫害されていたダークエルフ、オーク、ゴブリン等との種族的和解を実現、国民として組み入れる。外交面でも王国を含めて多くの小国に分かれていた大陸北部を統一し、王国を南部の帝国と肩を並べる大国にのし上げ、自身は宰相まで栄達する。また、それまで宗教的な権威を背景に、大陸の国々に政治的な影響力を行使してきた教会の力を大幅に削ぎ、後に多くの国で政教分離へと繋がる端緒を開いたとされる。

 しかし、闇魔術のスキル適性による負い目は生涯消えなかったらしく、日常的に自殺を図ったために、周囲の者達は気苦労が絶えなかったという──

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