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聖縁剣  作者: フジスケ
第2章 勇者召喚
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第13話 見つけた憧れ

お次は3人目、中宮朱音の物語です。彼女の時折吐く毒は、ここから始まりました。

事前に言っておくと、胸糞展開とも取れる描写がありますので、不快に思われる方もいると思われます。

それをご了承の上、お読みください。

 私、中宮朱音は自分がキライだった。学校生活を始めてからは男女問わずいじめの標的だった。学力は普通で身体能力も平均より下。


 両親や担任の先生は相談しても信じてくれず、他に頼りになる大人もいなかったから、私は格好の獲物だったのだろう。


 両親が信じてくれなかったのは、いじめっ子の親子共々そろって分厚い猫の皮を被っており、私の両親とも太いパイプがあったからだ。


 だがその背後で、私への罵詈雑言は序の口。時には人通りの少ない体育館裏などで、殴る蹴るなどの暴行もされた。ノートや教科書をビリビリに破られたこともあった。


 そんな生活をしている内に、どうして自分は生きているんだろうと思うようになった。手首にカッターナイフを当てたこともあったが、手はそこからピクリとも動かなかった。


 私には死ぬ度胸もなかった。逃げる勇気すらなかった。それが悔しくて人知れず泣いた。こんな生活がいつまで続くんだろうと、絶望感に苛まれた。


 これは、異世界に召喚される半年前に起こった、彼との出会いの話――




   ◇




「よっす、ジミーちゃん。今日も地味だね! アハハハ!!」

「……」


 いつもと変わらぬ朝、クラスメイトの女子、平田がからかってくる。こんな日はいつからだろう。それすらも覚えていない。数えきれない程にこんなことをされている。


「平田ほっときなよそんなヤツ。ジミーちゃんにはひとりぼっちがお似合いでしょ?」

「あぁそうだった! ごめんごめん、忘れてたよ」


 嘘だ。コイツらは覚えていてわざとやっている。わざとじゃないならば、あんな風にニヤニヤと笑ったりはしない。


 コイツ等だけじゃない。私の周りにいる人が、私をギラギラと黒い感情が渦巻いた目で私を見て来る。


 この場所は、誰も私を1人の人間として見てくれていない。それを心の髄まで思い知らされる。


 ――こんな日、本当にいつまで続くんだろう。


 私は罵声を聞き流しながら、こんな日が早く終わって欲しいと願うしかなかった。




   ◇




 そんな私の淡い願いもむなしく、今日も放課後に体育館の裏に連れられる。そして手加減抜きで殴られ、蹴られる。


「ホラ、どうした。やり返してみろよッ!!」

「あぐぅッ!!」


 同じ学年の男子、高原の蹴りを腹部に食らい、思わず私は腹部を抱えて蹲る。込み上げる圧迫感から、呼吸をすることもままならなくなる。


「ギャハハハハ! だっせぇ!! おい写真に撮ったか!?」

「もうバッチリ! 惨めだねぇアハハハハ!!」


 端から見ていた小黒と永倉の男子生徒2人組が大声で笑っているけど、そんなことは気にならない。痛い……苦しい……誰か、助けて欲しい。


 もちろん心の中で願っただけでは、助っ人などくるはずもない。その後も蹲った私はよってたかって何度も踏まれ、蹴られる。教科書やノートはいつも通り破られ、財布のお金を取られ、解放される頃には日はとっぷり暮れていた。


「う、うぅ……っ」


 全身に走る痛みを無視し、私は出来るだけ服の砂ぼこりを払うと、足を引きずりながら必死に駅まで歩いて行く。


 ある程度払ったとは言え全ての砂ぼこりは隠せず、道中では通行人が私を見ながらヒソヒソ話している。だけど、今の私の心はボロボロで、それどころじゃなかった。


 やっとの思いで帰宅ラッシュの最中の駅にたどり着き、何とか奴らに見つからないように隠した定期券で改札を通る。後ろから押し出されながら電光掲示板を見ると、私の乗る電車は後10分ぐらい後だ。


 そしてそのままラッシュに押され、ホームまで無理やり降ろされる。駅のホームも予想通りと言うべきか、アスファルトが見えないくらいに人で埋め尽くされていた。


 そう気付いた瞬間、事件は起きた。目立たないように階段の端で降りていたのも災いし、私はその疲れきった身体を線路へと押し出されてしまったのだ。

 

「ッ!?」


 気付いた時にはもう遅い。そしてこれまた不運なことに、その線路はちょうどこの駅を通過する列車が猛スピードでやって来ていた。


 人々の悲鳴と共に、急ブレーキをかけるけたたましい音が鳴っている。間違いなく間に合わないだろう。


 ――ああ、死ぬのか。他人事のように頭の中でそう呟く。死ぬ恐怖はわずかながらあったが、それ以上に、この苦痛から解放されると安堵していた。これでやっと、楽になれる――








 と思った。私の身体は列車に吹き飛ばされることはなかった。誰かが私の腕を掴み、紙一重でホームへ引っ張り戻したからだ。尻餅をついたその誰かの膝の間に、勢い余ってうつぶせで倒れる。


「――ふぅー危なかった。君、大丈夫か?」


 私を引っ張り上げたのは、ボサボサの茶髪に全てを優しく包み込むような黒い瞳。私より少し年上で、見たことないブレザー姿であることから、高校生か別の中学の高学年。そういった印象を持つ男の人だった。


「疲れてたみたいだけど……ってあれ、どうした?」


 彼の気遣う声とは裏腹に、私の目からは安心感から雫が滴り落ちる。


 周囲はザワザワしていたがそんなことは気にならなかった。解放されるとは思っていても、死にたくないと言う考えが心のどこかにあったのかもしれない。気力で抑え込んでいた感情の波が、ついつい溢れ出してしまったのだ。


「――ッッ!!」

「えっ!?」


 私は駅のホームで人が大勢いるのにも関わらず、助けてくれた人の胸に顔を埋めて号泣する。


 彼は少しの間呆気に取られていたけど、しばらくすると背中を優しく撫でてくれた。その手はどこまでも優しくて、少しだけ……本当に少しだけ、救われた気がした。




   ◇




 それから十数分後。一息ついた方が良いと言う彼の配慮で、私達は一度駅を出て近くのカフェに行くことになった。


 あの騒動で電車は止まってしまったし、何より人前で号泣してしまった以上、何食わぬ顔で電車に乗るのはさすがにないと思ったからだ。


「えっと……大丈夫なんですか? 家のこととか……」

「あーそのこと? 大丈夫さ。友達とカフェに行くから遅れるってメールで送っておいたから」


 私のせいで家に帰る時間が遅くなったと言うのに、彼は怒った様子を一欠片も見せないどころか、柔らかな笑みを浮かべている。


「あの、そうではなくて……カフェに行くのは迷惑をかけた私だけで良かったはずですのに……」

「俺が行きたくなったから。この理由じゃ不満か?」

「い、いえ……」


 彼は柔らかな笑みを崩さず、カフェへ向かう足も止めない。明らかにカフェに行く気満々だ。事実、彼は「コーヒーと軽食代は……よし、余裕アリ」と財布の確認をしている。


「俺の分と()()()()()。ちゃんとあるな」

「えっ、ちょっと待って下さい!?」

「何だ?」

「何だ、じゃないです! さりげなく私に奢ろうとしてませんか!?」

「そうだけど?」

「言い切りましたね!? とうとう言い切りましたね!?」


 何なのこの人。いや年下の私にたかるよりは圧倒的にマシだけども。マシだけども釈然としない。


「あ、もしかして奢られるのが恥ずかしいとか?」

「そ、そうですよ! いきなり見ず知らずの人に、普通は奢ろうとは考えもしませんよ!?」

「その点に関しては心配無用だ。自慢じゃないが俺は友達から『普通じゃない』と言われてるから」

「確かに自慢じゃないですね……」


 胸を張って言う言葉ではないのは私でも分かる。治す気が皆無な辺り、もう手遅れと言うべきだろうか。


「じゃあ早速行こうか。何回か行ったことあるから場所は分かってるし」

「……うぅ、分かりましたよ」


 こうなってはどうしようと彼は同行するだろう。観念すると彼はニコッと笑いながら私の手を取り、迷わず一方向へと歩いて行く。


 そもそも駅前にあったこともあり、数分も経たぬ内に私達は喫茶店に到着した。


 運良く空いていたのですぐに席に座ることが出来、「好きな物を頼んでくれ」と彼に言われたが、さすがに人のお金で贅沢をする気にはとてもなれず、私は安めのミックスサンドとアイスカフェオレを頼んだ。


「もっと頼んでも良いのに」

「無茶言わないで下さい……ただでさえいきなり見ず知らずの男性に奢られてるんですから……」


 私はげんなりするが、彼の次の一言で完全に吹き飛んだ。


「普段いじめられているんだ。今くらいはリラックスすれば良い」

「ッ!?」


 彼の何気ない一言で私の表情が凍った。いや、冷静に考えて見れば分かることなのだろう。駅までの道中では周りにヒソヒソ言われていたのだから、彼が気付かない訳がない。


「君、鏡で見ても分からないみたいだから言うけど、自分に絶望しきっている顔をしているからな?」

「え……?」


 思わず顔をペタペタと触って真偽を確かめようとするが、当然そんな物では事実など分からない。


「教えてくれないか? 君のこと」


 気が付けば勝手に口が開き、私が受けて来たいじめの全てを話していた。


 物を奪われた挙げ句に壊され、殴られ蹴られる。机も落書きだらけで常に汚い。


 そんな疲れた日々を、注文した物が届いた後も傷口から膿を出すようにつらつらと話した。


 それを彼は、両親や先生のように疑って口を挟むことなく、真摯に聞き続けてくれた。




   ◇




 話し終えると、ようやく私の心は憑き物が取れたかのようにスッキリした。深呼吸をしている私に対し彼は、しばらくの間開かなかった口を開く。


「――話は分かった。それで、君はどうしたい?」

「……どうしたい、と言いますと?」

「この状況が改善出来れば良いのか、はたまたいじめっ子達を同じ目に遇わせたいのか。それをちょっと聞きたいのさ」


 先程の飄々とした態度とは打って変わり、真剣な表情で話しかけて来る。今日会ったばかりではあったが、明らかに冗談を言っているようには見えない。


 正直、アイツらには私と同じ苦しみを味わわせたいと思った。でも、私の中に潜む1つの感情が歯止めとなり、私はその選択を捨てることを選ぶ。


「……私は、この状況が改善出来ればそれで構いません」

「良いのか? 君はそれで」

「だってそうしないと、私はアイツらと同レベルに成り下がってしまいますし」


 これが私の紛れもない本音だった。憎んでいるヤツ等と同レベルになるなど、唾棄すべき行為なのだ。しかし、だからと言って現在の状況は許容出来ない。


「分かった。じゃあそれに俺も協力させてくれないか?」

「……えっ?」


 今、この人は何と言った? 私に協力? まさか。私は見ず知らずの女子中学生だ。そんな都合の良いことあるはずない。


「えっと、聞き間違いでしょうか。私に協力したいとか言う声が聞こえた気が……」

「聞き間違いでも空耳でもないぞ。俺は君に協力したいんだ」


 どうやら私の都合の良いように解釈した訳でもないらしい。となるとこれは夢だ。間違いない。


「……出来れば覚めないで欲しいです」

「おーい、ちょっとー? 戻って来ーいこれは現実だぞー?」


 ボーッと天井を見上げていると、身を乗り出した彼に肩を揺さぶられる。


 頭がグワングワン揺れているのが分かる。と言うか、これだけ揺さぶられたら目が覚めそうなものだが、一向に視界に映る光景が変わる気配はない。


「あれ……夢じゃ、ない?」

「だーから現実だってば」


 現実に引き戻され、ようやくこれは夢なんかではないと理解する。理解した瞬間、枯れたと思っていた涙がホロリホロリと頬を伝う。


 いきなり泣き出したからか、目の前の彼は目を剥いて仰天している。


「!?」

「あっ……す、すみません。今まで信じてくれる人もいなかったもので……」


 柄にもなく、俗に言う嬉し泣きをしてしまった。10年以上誰からも理解されなかった私を理解してくれる人が現れるなんて、思ってもみなかった。でも、今度はちゃんと現実だと受け入れることが出来た。


 この現状を私だけで打破するのは、お世辞にも出来るとは言いがたい。この申し出は願ってもないことだった。


「お願いします……助けて下さい……っ」


 何度も突っぱねられた頼み。それを口から吐き出す。滲む視界の中、彼の手が私の頭へと伸ばされ、そのまま優しく触れる。


「もちろん。君の頼みを受けるよ。……おっとそうだ、自己紹介がまだだったな。俺は龍聖。三日月龍聖だ」

「な、中宮……朱音です」


 泣きながらと言う酷く不恰好な形ではあったが、私は久しぶりに心の底から笑い、初めての友達が出来た。


 今まで泣くのはカッコ悪いことだと思っていたけど、こんな風に泣くことも、たまには悪くないのかもしれない。私は涙を袖で拭いながら、そう思った。




   ◇




「じゃあ早速だが対策を練ろうか」


 私が落ち着き、料理人さんには申し訳ないことだが少し冷めてしまった料理を食べ終えた後、三日月さんはそう持ちかけて来る。


「あの……ここでですか?」


 そう言わずにはいられなかった。何せここは公共施設だ。どこに人目があるのか分からないのだから。


「逆にここだからこそだな。意外とレジの店員さんとかが覚えてることが多い。いざと言う時に証言してくれることがある。防犯カメラにも俺と中宮さんの姿が写るから、証拠も確保出来る。口の動き方とかでね」

「しょ、証言?」


 出来れば大事にしたくないのに、証言証拠と来た。有効な手段ではあるけど……どちらかと言うとあまり乗り気がしない。


「こう言うのは味方を多く作ることが大事なんだ。あちらは恐喝、暴行、窃盗、器物損壊の常習犯。一方こちらは何もしていない被害者。半数以上はこちらに付くはずさ。そして今までそれをほったらかしにしていた人達のためでもある。いじめはもう、今はれっきとした犯罪だからね」


 言っていることは分からなくもないけど、今回はその手が通用しないと私は思っている。


「……私をいじめる人達の親は、それが露見するのを許さないと思います」

「まぁそうだろうね。聞いた感じ大企業の人達ばかりだし、そんなことが明るみに出たら不都合なのは間違いない。最悪揉み消そうとする可能性もある」


 やはりそうだ。彼には悪いけどこの手段は避けた方が良い。そう思った時だった。


「なら話は簡単さ。揉み消せない証拠を出せば、その人達も大人しくなる」

「……え?」

「例えば……そうだな、君の身体に刻まれた傷や青アザを写真に撮るとか。特に背中が望ましいね。そこだけは自作自演で傷が付けられない場所だ」

「写真……ですか?」

「そう。そしてそれをマスコミに送り付ければ、もうこちらのもの。さすがにマスコミはグルではないだろう。むしろそんな特ダネ見逃さないと思うね」


 目まぐるしいスピードで流れ込んでくる情報に、もうめまいがしそうだ。


「校長や担任も知らぬ存ぜぬを通していて、両親も信じてくれないんだろ? 多分ここまでしなくても的なことを言って来るだろうけど、ここまでさせたのは自分達だと理解させれば黙るはずさ」

「は、はぁ……」


 もう何が何やら分からない。普段は考えもしなかったことをつらつらと話され、脳がオーバーヒートを起こしている。


「でもこう言う物事をするには、俺達2人だけじゃあちょっと人手不足だなぁ」

「や、やっぱりですか」

「だから、頼もしい助っ人に協力を仰ごう」

「助っ人?」


 思わせ振りな発言に首を傾げる。


「今日、俺の家に来られるか?」

「え、えぇっ!? この時間からですか!?」


 何の脈絡もない発言に目を見張る。当然だ。こんなことを言い出す人は一握りもいない。


「どのみち今日の電車はどれもぎゅうぎゅうだろう。それに俺の家は走れば20分で着く」

「……あの」

「何だ?」

「貴方が電車のホームにいたのは、何故ですか? 歩いて帰れる距離なら電車なんて使わなくたって……」


 彼の言葉が本当なら、電車を使う方が時間をかけるし無駄なお金を使う必要もないのだから。


「あぁそれ? 20分は電車より速く走ればの話だからさ」

「……は?」

「信じられないだろうけど、俺は電車より速く走れるんだ。ちょっと会計して来るから待っててくれ」


 脳が理解することを拒否した。今度こそは空耳だ。電車以上の速さを誇るなんて私は聞こえなかった。聞こえなかったのだ。

 ……でも、彼を信じてみても良いかもしれない。


「お待たせ。じゃあ行こうか」

「あ、はい」


 心の安寧を保つためにこの疑問を打ちきり、席を立つ。そうだ、きっと気のせいだ。きっと疲れているんだ。そう思うことにしてカバンを背負い、喫茶店を出る。


「……それで、返事を聞いても良いか? 俺の家に来る件だ」

「え、えーっと……」


 普通なら怪しいと感じて逃げてしまうだろうが、何故かそんな気にはなれなかった。むしろ、快諾したいとさえ思う。根拠はないが、この人だけは信用出来そうな気がした。


「お、お言葉に甘えても良いですか?」


 緊張しながらも、勇気を出してやけに喉に引っかかる言葉を無理やり絞り出す。実はもう既に三日月さんが会計をしている時に、両親宛にメールを打ったので行方不明だ何だと騒がれる心配はない。


 最後の言葉を口から出しきった瞬間、私は気が付くとお姫様抱っこをされていた。


「えっ!? えっ!?」

「よし、善は急げだ。なぁに、すぐに目を覚ますさ!」

「ちょっ、待っ」


 この会話を最後に、意識はすっぱりと途切れた。




  ◇




「なぐ――な――こじれ――から」

「わかっ――ほう――ばきにかけ――」


 しばらく職務放棄をしていた耳が、かすかに声らしきものを私に届ける。どちらも男性の声だが、片方は私が意識を失う直前まで聞いていた声だ。


 水中から思い切り引き上げられるように、覚醒へと向かって行く意識。一度は切られた電源が再び入れられ、そっと瞼が開く。


「おっ、気が付いたみたいだぞ太陽」

「あぁそうかい。もうデジャヴを感じるマッチポンプはこれで最後にしてくれ。頼むから」


 目を覚ましたことに気付いた三日月さんは、こちらを安心させてくれる微笑みを浮かべ、対して太陽と呼ばれた彼と同年代くらいで、赤みがかった髪の人は呆れ気味に、額に手を当ててやれやれと首を振っている。


「あの、ここは?」


 寝かされていた布団から起き上がり、辺りを見回す。勉強机に本棚、押し入れと言った感じの、まさに無駄なものが置かれていないシンプルな部屋。フローリングには、緑と白のチェック柄をしたカーペットが敷かれている。


「ここはコイツの家だ。大変だったろ、いきなり気絶させられて」

「ごめんね。悪いと思ったけど、ファミレスの発言から察するに、タクシーやバスだと恐縮しちゃうと思ったから」


 三日月さんは半目で睨まれ、親指で指差されているが、それを気にせず私に頭を下げてくる。


 気絶することになったのはちょっと驚いたが、正直に言って助かったと言う気持ちの方が強かった。財布には雀の涙くらいの小銭しか残っていなかったので、今ではバス代だけでもかなりの出費だ。奢ってもらっているので、それくらいは払うと言っていたと断言出来る。


「おっと自己紹介が遅れたな。オレは咲野太陽だ。君の境遇はコイツから聞いた。安心しろ、オレは協力するから」


 目を見張った。私に味方してくれる人が、たった1日で2人も現れるとは思わなかった。


「しかも、もう1人君に協力してくれる奴がいる。顔を見れば、きっと驚くぞ。この時ばかりは龍聖のコネクションに感謝すべきかもな」

「え……?」


 一体誰だろうか。そう思った時だった。背後のドアノブがガチャリと音を立て、分厚い板の隔てが開かれる。


 振り向くと、目玉が飛び出る程に仰天した。視界の先にあったのは、オレンジ色の髪をツインテールにした、今時の女子なら誰でも知っているアイドルグループのリーダーだったから。


「やぁ、初めまして。ボクは――」

「ミキさんっ!?」

「わっびっくりした!?」


 思わずガバッ! と立ち上がり、くまなく手入れされた白い手を握る。


 うわぁ、本物だ! 本物のミキさんだ! と思った矢先、幸いにも不快感は抱かれていないが、びっくりされたことで沸騰していた頭が冷える。


「あっ、す、すみません! いつもテレビで素敵だと思っていたので!」

「ううん、これくらい大丈夫だよ。中宮さん、で良かったよね?」

「は、はい」


 手を離して必死に何度も頭を下げる私に、苦笑いしながら許してくれるミキさん。ずいぶん手慣れている。彼女のことだから、ファン達に追いかけられたこととかあるのかもしれない。


「じゃあ美姫。早速だけど頼めたか?」

「もちろん。マネージャーの吉田さんにも連絡は入れたよ。すぐ来てくれるって」


 三日月さんはファミレスでの柔らかな笑みとは打って変わって、少し闇が混じった笑いを浮かべている。ちょっと怖い。


 ミキさんもテレビで見るその姿には似つかわしくない、小悪魔みたいな笑顔で続ける。咲野さんも真剣な顔つきだ。


「筋書きはこうだよね? まず最初にあらかじめ、この子の傷や壊された所持品の写真を撮って教育委員会に送付し、『こんなことをされた』と言う、いじめの内容と実行犯を名指しした手紙を中宮さんに持たせて教卓に置く」

「あぁ。でも写真だけじゃ犯人を決定付ける証拠としては弱いから、滝山のスタッフさんの誰かに頼んで小型のレコーダーを貸してもらって、ポケットとかに忍ばせる。更にオレと龍聖も、マネージャーさんが呼んでくれたマスコミの取材に答える。龍聖が聞かせてもらったエピソードを交えながらな」


 咲野さんは右膝を立て、その上に頬杖を付きながらミキさんの発言を受け継ぐ。時折私を思いやるようにチラチラとこちらを見ながら。


「だが間違いだったと訂正しろなどと宣って来ることに備えて、その主犯達の様子をカメラで生放送する。そして美姫が出演するニュース番組で流してもらい、俺達も警察に直行。いかに大企業の子供と言えど、少女の心と身体に傷を付けるのを許して良い訳がない」


 最後の三日月さんの言葉から察するに、私の知らぬ間にとんでもないことになっている気がする。いや、実際になっているのか。


「あ、あの……三日月さん?」

「ん? どうした中宮さん」

「いやどうしたもこうしたも何も、だんだん大事になって来てません?」

「……確かに、初めてのことだらけで緊張するのは分かる。だけど権利を侵害されたら、正当な方法で対抗しないと舐められるよ。そうなればまたいじめられ生活に逆戻りだ」


 眉を八の字にされながらそう言われ、私は口をつぐむ。彼に頼り、現状の改善をして欲しいと言ったのは他でもない私だ。


 しかも冷静に思い返してみれば、彼らのやろうとしていることは法的にも、道徳的にも全く問題がない。むしろ私を救おうとしてくれているのだ。


「そう、ですよね。すみません、今までこんな風に相談してくれているのを、家では見たことがなくて……」


 自嘲気味に笑っていると、ミキさんが近付いてきて、おもむろに私を抱き寄せる。


「えっ……」

「大丈夫。辛かったよね……ずっと独りで耐えて来たんだよね……っ」


 横目で見てみると、わずかに肩が震えていて、少し涙声だった。私の中ではこの生活が当たり前だったので、辛かったのは辛かったが、泣く程ではなかった。


 あぁ、今なら分かる。私は壊れているのだと。


「それで、君はどうする? これらの作戦は、君の同意なしでは始められないからな。ただ、これだけは言っておく。君は、この苦痛から逃げても良いんだ。カッコ悪いことなんて1つもないんだから」


 三日月さんの言葉を聞いて、心はとうに決まっていたのだろう。葛藤が微塵も湧いてこない。いつの間にか私の中には、今までなかった勇気が溢れ、オーバーフローを起こしている。


「同意します。私は、このまま傷付けられるのは嫌です!」


 私は耐え難い苦痛から逃げるため、選んだ。自分でも気付かぬうちに、逃げることがカッコ悪いと思っていたらしい。


「その言葉が聞きたかった。2人共、聞こえたな?」

「当然」

「ボクも同じだよ」


 こうして、私が苦痛から逃げるための作戦が、人知れず決行されることが決まったのだった。




  ◇




 翌朝。三日月さんの家で夜通し作戦確認をし、咲野さんとミキさんが帰った後、申し訳程度の休息を取った。朝になると三日月さんはスマホを取り出していたが、何をしようとしているかは、盛大に寝過ごして準備で急いでいたため分からなかった。


「準備は出来たか? じゃあ行こうか」


 さぁ出発と思った矢先、驚きの光景を目の当たりにする。平日だと言うのにも関わらず、三日月さんの格好が私服姿だったのだ。


「あ、あの三日月さん? 今日も学校ですよね?」

「あぁそれ? 今日は友達を助けに行くから休むって連絡入れた」

「えぇっ!?」


 てっきり本格的に行動を始めるのは休日からだと思っていたので、まさに度肝を抜かれた。


「それとコレを。吉田さんから借りたICレコーダーだ。小型で高性能のやつだから、録音ミスはないと思うよ」

「えっ、小型過ぎません? 私の小指くらいの長さですけど」


 しかし見つかりにくいと言う点で考えれば、有難いと言う他ない。ボロボロに表面が擦り切れたカバンの隅に、ICレコーダーを詰め込む。


 怖いけど、決めたのだ。もう良いようにやられるのはご免だと。そう簡単には行かないかもしれないけれど、悪い決断ではないと信じたい。


 そんな私の心情を見抜いたのか、こちらへ近付き、柔らかい笑顔になる三日月さん。ちょっとカッコ良いと思ったのは内緒だ。


「大丈夫。俺達がフォローする。きっと上手く行くよ。証拠を残すため、いじめられるよう仕向けるのはちょっと申し訳ないと思うけどね」

「い、いえ。その代わりに極めて信憑性が高い証拠が得られるかもしれないですから」


 照れ隠しも合わさった勢いで、私は玄関から飛び出した。また傷付けられるのは辛いけど、この作戦が上手く行くかどうか。そんな一縷の不安と共に、学校へ赴いた。




   ◇




「おい、これお前の仕業か?」


 教卓に置かれた名指しの紙を見たのだろう。怒り心頭の言葉がぴったり当てはまるいじめっ子達に詰問される。

 良くも悪くも予想と筋書き通りだ。


「はい、そうですが?」


 毅然とした態度で答える。これでいじめっ子達の神経を逆撫でしてやる。


「生意気抜かすな弱虫!」

「舐めてんじゃねぇぞコラァ!!」


 恒例の罵詈雑言と殴る蹴るだ。その音声は、あらかじめ電源を入れておいたレコーダーにバッチリ録音された。バカな奴らである。殴る蹴るではなく、あんなたちの悪いいたずらを止めろ等の警告にとどめてよけば良かった物を。


 周りも見て見ぬふりをしながらクスクスと笑っている中、カメラや現場リポーターを含む取材陣が殺到する。


「あぁ、現在いじめの真っ最中のようです! 蹲っている子は埃や踏み跡だらけ! 何と言う惨状でしょうか!」


 それに半狂乱になった高原達が取材班に殴り掛かろうとしたのを、颯爽と現れた三日月さんが悉く受け止め、態勢を崩させ転ばせる。


「痛ってぇな何すんだ!」

「――言葉を返す。自分の友人に何をしている?」


 その隙に床に倒れている私の手を優しく取って助け起こすと、感情のない()()()で周囲を一瞥する。


「――お前らが犯した罪は以下の通り。刑法235条窃盗罪、第249条恐喝罪、第261条器物損壊罪、そして204条傷害罪の現行犯。刑事処分が怖くないとの評価が妥当」

「は? い、良いのかよ? パパ達が黙って……」

「――たった今脅迫罪とは断定不可であるが、それと認識される可能性がある行動を確認。カメラの存在を忘却していたと判断」


 ハッとなって録画を止めさせようと走り出した平田は、敢えなく三日月さんによって惚れ惚れする身のこなしで取り押さえられた。カメラやレコーダーがなければ拍手を送っていたかもしれない。


「――補足。これは生放送。今さら取り繕おうと無駄であることを報告。観念を推奨」


 その言葉を聞いて、私に暴力を振るっていた奴らは全員崩れ落ちた。自分達がもう終わりだと痛感させられたのだろう。


 それから5分は経ってからやって来たのは、糞の役にも立たなかった校長だ。こう言ったことを未然に防止するのも仕事の一環であるはずなのに、あろうことか三日月さんを非難した。


 ぼそぼそと録音機器に入らない小さな声で、カメラに背を向けているあたり、さすがは汚い大人だ。かろうじて近くにいる私には聞こえていたが。


「……他所のことに手を出すのは止めてくれないかね。はっきり言って迷惑なのだよ、大事にしたくないのでね」

「――大事にしたくなければ、他所者の自分がしゃしゃり出る前に止めるべきだった。自分が出なければ何もせず、中宮朱音に心身共に深い傷を負わせるつもりだったお前も同罪である。教師? 笑わせる。愚者の間違いであるとの評価が妥当」


 心底不快だと言う校長が、小揺るぎもしない彼から辛辣な言葉を浴びせられると、顔を真っ赤にして三日月さんの胸ぐらを掴む。微かだが漏れ聞こえた声が、私の心にガソリンを流し込み、ふつふつと怒りを沸き立たせる。


 しかし本当に微かなので、レコーダーにも取材陣のカメラのマイクにも入らないのが歯痒い。


「……おいガキ、調子に乗るのも大概にしろよ。私くらいの者になればな、お前程度はどうとでも出来るんだ。親にも迷惑を掛けるだろうなぁ? それを分かっての発言なんだろぉ? 生憎いじめの件は知らぬ存ぜぬをさせてもらうがなぁ、クククク……」

「――お前こそ自分の胸ポケットにもレコーダーを仕込んでいると知っての発言か? 実に愚かであることを報告」


 嫌みたっぷりだった顔が青ざめる。


「――これはデータを逐次別の機器に送信するタイプである。これを壊そうと、もうお前に未来はない」


 用意周到。相手の逃げ道を徹底的に塞ぎ、本人はやらかすまでそれに気付かない。


 さっきまで浮かべていた笑顔はどこへやら。再び青ざめ、脂ぎった額からはいくつもの冷や汗が流れている。


「――マスコミだけでなく教育委員会にも、中宮朱音の負った傷や、壊された私物の写真を届けるよう、自分の友人に頼んである。いじめの見て見ぬ振りの物的証拠も、間抜けなことにお前が作ってくれたおかげで、こちらの勝利は揺るがなくなった。ご協力感謝する」


 その言葉がとどめとなり、校長は泡を吹いて倒れた。終わった。長かった苦痛がこれで終わったのだと理解した途端、瞳の奥が熱くなるのを感じた。


 気が付いたら、いつの間にか優しく握られている手を強く握り返していた。

 私は、この時に余すことなく救われたのだ。




   ◇




 そこからは目まぐるしく色んなことが起き過ぎてあまり良く覚えていない。とりあえず、お父さんとお母さんに泣かれながら謝まられ、高原や平田含めたいじめっ子達と校長は、三日月さんが呼んだ警察に連行されて行った。


 今度はクスクスと笑っているだけで止めなかった奴らが知らぬ存ぜぬを通そうとしたが、何人かがカメラの隅に声を圧し殺して笑っている光景が映っていたために、全員とは行かなかったが何人かは連れて行かれた。


 さすがに現行犯で生放送となれば、握り潰すことは出来なかったらしく、いじめっ子達の親も、知らぬ間にどこかへ引っ越して行った。謝罪はなかった。最後のプライドが許さなかったのだろう。


 それからは家に連日報道陣がやって来ることもあったが、はっきり言って苦ではなかった。だって隣に三日月さんがいてくれたおかげで、幾分か緊張が和らいだから。


 だけど、彼が女性アナウンサーに詰め寄られる度、胸の奥がチクリと痛んだ。最初は分からなかったけど、今ならはっきり言える。


 ――これは、恋なのだと。


 しばらく一緒に話して見て、ライバルは多そうだとは感付いた。だけど――私は、この気持ちを諦めるつもりはなかった。


 これが、紅葉が進む季節に花開いた、中宮朱音の転機の物語である。

もうここまでで3人の乙女達を落としてしまった龍聖。はてさて、ここからどうなりますことやら(悪役がする笑顔)。

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