令和二年五月十七日㈰
徹夜で書いてます。
久しぶりです、おじさんです。最近むっちゃんに会いに行けてません。
何故なら、おじさん風邪だからです。今令和二年の五月です。むっちゃんは社会の教科で習うでしょう。
おじさんのときは、歴史を学ぶのは、社会だったのですがむっちゃんが学ぶ頃には学習カリキュラムの名前が変わっていますね。テレビでチラ見したときは、覚えてないですが二つ以上の授業が合体して新しい科目になっていました。詳しくは知りません。これは、むっちゃんが大きくなったら教えてね、むっちゃん。
おじさん、ゆとり教育を受けたゆとり世代て言うんだよ。教育を司る文部科学省の人たちが決めたのかは知らないけど。その前の人たち、つまり詰め込み教育を受けたおじさんからするとおじいちゃんやおとうさんぐらいの歳。その人たちが、自分たちの教育は辛かった、子供たちには同じ思いはさせたくないと言うことで始まった授業時間の激減。土曜日の授業は無くなり、週五日間になった。
おじさんが高校に上がる頃には、土曜日はテスト前に入るとガンガンあった気がする。広〇先生の数学の授業だけがパラダイスだった。
大学二年五月、壱九歳のとき。初めて精神病院に受診。双極性障害と判明。直ちに富山に帰り、入院。参ヶ月で退院。玖月まで自宅療養をして園部に帰投す。
そこからのダメダメ人生、前期の授業受けて退学。自信喪失。入院による留年で、張り詰めていた緊張の糸がぱっつん。テスト勉強出来なかった。
そもそも、予習復習できなくなるくらい授業受けなければ良かった。三年制の生徒の卒業による教育課程の変更が悪かった。受けてないサブジェクトが追試になった。ほとんどワケワカメ。外国語二つ受け、取れる学科は全て行き。放課後には、放射線主任者試験の勉強をして。ほとんど時間なかったなあ。
戻ってからはおじさんの母上に、警察官か消防官になりなさい、と言われました。体力に自信がなかったので、警察官を選びました。
面接で落ちました。圧迫面接です。怖かったです。記事を読み、それに答えるものだったのですがボロボロです。山の災害、土砂崩れの救難で警察官が命を落とした記事でした。細かいとこを突かれ、矢継ぎ早に質問されて意気消沈でした。
その次は、三枚の紙を母上から渡されました。
そこで手に職つけようと黒板屋を選びました。二年で辞めました。
それから、専門校の受験で落ち。母上の勧められたとこも全部ダメだった。そこでスーパーの正社員で受かったが二週間でそう状態。弐参の伍月でした。
院内で誕生日を迎え。拾月に退院。
その後、スーパーマーケットのパートタイマーになり今に至る。
NEETではない。三流玉葱戦士である。
閑話休題
なぜ風邪ごときで会えないのかは、令和の危機とか世界戦線とかでグーグルで検索してね、むっちゃん。グーグルで調べることをググると略します。
俺それ感染してる可能性あるから会えないんだよ。
何故かは、クラスターと幼稚園の弐つです。
そして、おじさんの兄上のご同僚が高熱出勤一週間。
兄上、その方とマスク無しの密閉空間の中で雑談をしたそうな。肩組んだりもした。
俺だけ風邪なのは、日頃の不摂生がダメだったね。
医者には、風邪と診断されたがいつ陽性になるかわかりません。
なので、おじさんは引きこもっています。
また今度逢えたら、前に見せてくれたタップダンスとバランスボール立ちを見せて下さい。
バランスボールは見てないので楽しみです。
むっちゃんのお祖母上が天才と言っており申した。
また会える日を心待ちにしておりやす。
ワクチンはよ。
ゲーム一通りし終わった後の日記更新。こんな時間にもなるわ。