令和二年三月下旬
3月21日に首宣言されて今日まで慌ただしかった。
実際に物事が忙しかった訳ではなく。心が騒がしかったのだ。前の店長は契約更新を約束してくれていたが、代わりに入った新店長はおじさんの首を切った。
最初は怒りの感情が沸き上がったが、喉元過ぎればなんとやら。今はこれで良かったと思える。
何故なら、入院した原因が仕事を辞めたいと母に言い、却下かれたからである。
裸足で10キロマラソンは、大変だった。知らない道を使い左右の大きな道の光をたよりに田舎道を進んだ。足を痛めて走れなかったのもよかった。一歩一歩歩けたおかげで用水路などに落ちることがなかった。
警察署で待っていて、母が来ると警察官に囲まれた理由が忘れてしまった。あれは何故だったんだろう。
まあ、入院したいとこに行けないと聞くと遁走したのが笑える。痛い足を引き摺って家にたどり着こうと言うところでパトカーが来たのが笑える。二人ともおじさんと目が合っちゃってたから。
地べたでねっころがって護送車待ったね。最初、ヤクザみたいな人いたから、ヤクザと警察って繋がってんの?ととんちんかんなことを考えていた。この先どうなんの?もう疲れて頭真っ白やったから、ヤクザ風警官さんにヤクザですか?と真面目に質問してしまった。どんな反応だったかは覚えてないが少なくとも起こってはなかった。
移動するとき後ろのシートベルトが特殊な作りなのが印象的だった。中型車で検閲に使うような車両なので、後の座席に人を座らせたことがなかったのだろう。最初、全然はまんなくてなんで?って感じだった。更に後のシートベルトがはまるのが一番なんで?だった。
入院して9月に退院し、七日間で再入院した。今年の1月(令和2)にやっと退院できたときのこの仕打ち。
ひどい!酷すぎる!!と思った時期もありました。はい、1日も持たなかったけど。本心は、ホッとしました。一年近くも休んでどんな顔で働けばいいんですか?今まで病気になったら首でしたから。なれたもんですよ。特に母の対応が。
書類貰って来るのとか、作成とか。昨日と今日でほぼ終えてますからね。
母親万能。おじさんヤクチュウ。実際、震えが治るのは、一年かかるとの御達しがありました。
特に首が震えてますね。
まあ、入院中の話はしたくなったらします。期待しないで待ってて下さい。