5 コンペの出場者、コンペのルール
コンペ出場者紹介)
1、田部弘道 部長
四股名 大資料
四七歳 171センチ 68キロ 前頭
理論派である。部下には完璧な資料の作成を要求する。「合理的な営業活動をするために資料を作成するのではない。より完全な資料を作成するために日々の営業活動があるのだ」かつてこのように語った。という説があるが、真偽のほどは不明。
仕事の上ではさらに「そのことについては僕は君にちゃんと言っていたよね。ね、ね。と部下が逃げられないようとことん追いつめるのが得意技である。
相撲は、やはり理論派である。理論の正しささえ証明できれば勝敗にはあまりこだわらない。「相撲をとることの意義。相撲に勝つための戦略と戦術」かつてコンペの前にこのようなテーマでレポートの提出を各人に求めた。という説があるが、真偽のほどはやはり不明。
2、谷井啓一 課長
四股名 一応谷
五一歳 163センチ 56キロ 前頭
抜群の営業成績を誇る。当然自信満々の人生を送っている.言葉面だけをみれば口うるさく聞こえるが、人はよく面倒見もいいので、部下には慕われている……らしい。
言葉どおりのただのうるさい親父という説もある。 相撲は、喋りながら取るのを特徴とする。相手の動揺を誘おうとしているようである。四股名の由来は、会議で発表するとき、「一応という単語を最大限、いくつ使って話せるか。ということをライフワークにしているところからとられた。
3、岡田元明 係長
四股名 世拗人
三四歳 174センチ 77キロ 前相撲
世間の大多数の人が持つ価値観と違う価値観を持って世を渡ることに意義を求めているらしい。しかし、そのことに徹しているわけでもない。四股名も最初は「世捨人」というのが候補にあがったのだが、四股名確定委員会で「そんな格好のいいもんじゃない。単に世を拗ねて生きているだけだ」との物言いかついて、現在のものに落ち着いた。本人はクールにしているつもりだが、実は目立ちたがりであることはばれている。
どんな相撲を取るのかは謎。昔は強かったようだが二五年のブランクがある。
4、萩本賢二 係長
四股名 数管理
三三歳 173センチ 79キロ 前頭
やんごとなきかたのご落胤では、と思われるほどの貴族的な容貌と、お腹の垂れ下がった下品な肉体の持ち主。仕事もプライベートもあらゆることを自分のパソコンに入力してデータ管理を行っている。
飲み会の席では「僕が事業部長になったら……」という未来の話が大好きである。
「社長」と言わないところが妙にリアルで、岡田は「今からコビを売っておかないといけないかなあ」などと考えている。
相撲は、当然過去のコンペの記録は全てパソコンに入力済み。しかしだからといって相撲が強いとは限らない。恵まれた頭脳、恵まれた容貌、恵まれた肉体を相撲に生かしきれていないようである。
5、桑住基治
四股名 求同意
三二歳 176センチ 69キロ 小結
一見明るい好青年.実際もそうなのだが、仕事にはいたって厳しいらしい。常に自分の置かれている部署の立場を憂いている真面目な人。
公私を問わず自分の意見を堂々と弁論して、しかるのちに「だってそう思いませんか」と相手に同意を求める。
四股名はそこからきているのだが本人はこの四股名がいやでたまらず再三変更を求めている。(そんな四股名は絶対にいやです。本人がいやがってるのに無理矢理つけるのはおかしいですよ.だってそう思いませんか)却下。
6、竹村裕一
四股名 桃乃色
三一歳 173センチ 76キロ 関脇
部内のファッションリーダー。部内で初めてピンクの廻しを締めた人。コンペのべストドレッサー賞は彼のためにある。
しかし、まわりに気を配り、常に部内の平和を心がける人でもある。
学生時代は柔道部に所属。有段者。当然相撲も強いはずなのだか、寝業得意のため、相撲では負けになってしまう。
7、猪江成彦
四股名 時厳守
三○歳 166センチ 54キロ 前頭
とにかく時間に厳しい。ギャンブラー。それだけ。
8、石尾逸実
四股名 面影橋
三〇歳 166センチ 74キロ 大関
学生時代は野球部。その時のマネージャーだった後輩と交際していたのだが、彼女は今や有名な女優さんである。彼女と一緒に橋の上から川面を見つめていたあの日。
美しい思い出である。美しい四股名である。しかし「先輩という立場を利用して無理矢理一回だけデートさせた」という説もある。
相撲は、無敵大高に勝つ可能性のある唯一の男と言われている。
9、大高紀彦
四股名 高扇子
三十歳 177センチ 69キロ 横綱
強い。コンペにおいても無敵である.その自信がにじみ出てしまうのか、全身から威圧感がただよっている。常に左手に扇子を持ちゆっくりと風を送りながら仕事をする。風格である。
四股名はそこからきているのだが、ハイセンスのもじりでもある。
夫人の天光子さんとは大恋愛の末に結ばれた.
交際期間が長く、ある人に「結婚するつもりなのか」と問われた時、「僕と天光子との間には厳粛な事実がある。結婚する」と答えたという話。
一方、天光子夫人も正式に婚約した際、友人たちの席に大高を連れてきて
「私の選んだ人を見て下さい」
と紹介した話は、それぞれ語り草となったのである。
しかし時々「イヤーン」という奇声を発する.真意は不明である。
10、関井光彦
四股名 不思議関
二九歳 177センチ 60キロ 前頭
美青年。しかし笑うと庶民的な顔になってしまう。黙っていれば良さそうだし、実際無口なのだが、人から話し掛けられるとついつい愛想よく笑ってしまうという悲しい性の持ち主。
梶村と並んで最もスマートな体型をしている。
学生時代は陸上の選手で百メートルを十一秒で走った記録を持っている。
現在恋愛中。相撲の成績はこれまでいまひとつであったが、今回彼女の応援を前にしては負けられないところである。
11、梶村修一郎
四股名 天命
二八歳 176センチ 62キロ 前頭
能天気なお兄さん。カメラが趣味なのだが、なぜか「天命、天命」と叫びながらポーズをつけて撮影する。
12、家田始
四股名 全方位
二四歳 170センチ 65キロ 前頭
部内の最若手。「僕は……さんに一生ついていきます」というセリフを誰に対しても連発する。
相撲は体勢を低くしてのもぐり専門であったが、実力の向上につれ本格的な四つ相撲に変身中。
(コンペのルール)
長幼の秩序を重んじる相撲の世界において、以前は通常以下のようなルールでコンペは行われていた。
先ず、出場者を年齢順(場合によっては肩書順)に一位から最下位まで順番をつける。
出場者は総当たりでそれぞれ二番ずつ取り組む。
最初の一番は必ず上位の者が勝つ。下位の者は明らかに実力が上回っていても決して勝ってはいけない。一生懸命に演技をして誠実に負ける。この取り組みのことを「法務」と称する。
長幼のルールを守ることを務める、というところから、そう呼ばれるようになったようだ。
二番目の取り組みは真剣勝負で行う。この取り組みは「実力が上の者が勝つ理屈に合った取り組み」ということで「合上」(あうえ)と称する。
したがってこの取り決めを「ほうむアンドあうえ」という。
このやり方では、例えばコンペの参加者が十人だったりすると、順位が一位の人は、最悪でも九勝九敗である。逆に最下位の者はどんなに強くても九勝九敗であり、決して優勝はできない。
が、相撲のもつ伝統と格式からいえばそれが当然であり、目下の者は簡単に優勝などするべきではない、とされてきた。
しかし、近年、民主化の波は相撲コンペの世界にも押し寄せてきた。
「ほうむアンドあうえ」方式ではあまりにも前近代的であるとの主張が若い世代からわき上がった。また出場者か多人数となれば、二番ずつ取るというのでは時間がかかりすぎるという事情もあった。
そこで最近では以下のやり方が普通に行われている。
各人は年齢を百倍して、体重で割ったものを持ち点とする。
勝ち星にこの持ち点を掛けたものが各人の得点となりこの得点により成績の順位が決められる。
このやり方は相撲にとって最も影響される年齢と体重という二つのハンデが考慮されているためその合理性から現在ではこれが一番よく採用されている。
縁阿之介〈へり あのすけ)という人が考案したためその名前から「へりあ方式」と呼ばれる。
岡田の所属する、中之島販売株式会社衣料事業部営業第二部のコンペもこの「へリア方式」で行われる。
参加者の持ち点は、田部69(小数点以下は四捨五入される)、谷井91、岡田44、萩本43、桑住46、竹村41、猪江56、石尾41、大高43、関井48、梶村45、家田37、である。