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サラリーマンなら相撲を取れ  作者: 恵美乃海
2/6

2 職場の飲み会

 部内の相撲コンペが行われる日が間近に迫ったある日の就業時間後、岡田は部の同僚たちと飲みに行った。みんなで狭い場所に体をくっつけあってワイワイやる。その日の話題は、相撲一色である。

 「今度のコンペの会場は、中央区の区立体育館ですよねえ」

岡田よりも少し後輩にあたる桑住が、嬉しそうに喋っている。

「よく、あんな名門の会場がとれましたねえ.谷井さん」

岡田の記憶によれば、この話題は初めてではない.部の酒席で、これまでに何度も口にされてきた。岡田にはよく分からないことだが、中央区の区立体育館で相撲を取るというのは大変なことらしい。

 「まあ、僕はええところのボンボンやからねえ。親戚に中央区立体育館の土俵会員権を持っているのがおるからね。そっちのコネを使ったわけや。でも本当だったら君達みたいな庶民がおいそれと入れるような場所やないからね。失礼のないように身だしなみには気をつけてや」

 今度のコンペの幹事であり、五十年輩とはとても見えないツヤツヤの顔色をした谷井が得意そうに鼻をうごめかす。


 褌を一本緊めるだけなのに、身だしなみもないだろう。岡田にはそう思えるのだが、相撲の廻しにも、フォーマル、インフォーマルと色々あるらしい。こういうことに特にうるさい谷井などは、廻しを八本も持っていると聞いた覚えがある。


 岡田は廻しは一本も持っていない.今回どうしてもコンペに参加せざるをえなくなり、先日、父親に貸してくれるよう頼みに行った。


 父親は

「そうか、お前もとうとう相撲を始めるのか」と嬉しそうだった。

「儂ももう随分やっていないからなあ。どこにしまったかな。探しておくよ」

 そして、昨日、父親から、「廻しが見つかった」との連絡があった。

 岡田の両親は、岡田の家のすぐ近くに住んでいる。時間関係で言えば、岡田が、両親の家のすぐ近くに住むことにした、ということなのだが。


 今日は帰りに廻しを借りに実家に寄ることになっていた。

しかし、と岡田は思う.

「親父の廻しは、中央区立体育館の土俵に立つのにふさわしいものなのだろうか」

おそらくそうではあるまい。会場が中央体育館であることは父親には話していない。でも、そこまでつき合っていられるか。コンペに参加するということ自体、俺には最大限の譲歩だ。それ以上グチャグチャ言われるなら

「コンペよさらば」と言って、席を蹴って退場するまでだ。


 「いやあ、嬉しいなあ。中央区立体育館で相撲を取るのは、小さいころからの夢だったんですよね」

 桑住の声が押こえる。まだその話か。桑住は切れ長の目をしたなかなかの好男子だが、相撲の話をしている時の彼は、まるで無邪気な小学生だ。相撲は、あらゆる人を軽薄にする。


 「でも、今度のコンペでは、とうとう岡田さんがデビューですよね」

 桑住よりもさらに少し後輩にあたる石尾がニコニコと話しかけてくる。その態度には、相撲に関しては部内で実力ナンバー2であるとの自信にあふれていた。

「そう言えは、岡田君」

岡田のことが話題になったのを耳聡く聞き及んだ谷井が会話に割り込んできた。

「田部部長に聞いたんやけど、あんたゴルフをやってるんやて」

「はあ」

「あんたは、いっつもむっつり黙ってて、何を考えてるかわからん奴やと思うてたけど、あんな恐ろしいもん、やってはったんかいな」


「岡田さん、もう少しサラリーマンらしくしなきゃだめですよ」

今度は岡田より一年後輩の萩本だ。額の秀でたノーブルな顔をしかめ、眼鏡のずれを指でスッと直してから忠告する。

「ちょっと考えたら、我々がやっていいことかどうかわかるでしょ」

「うるせえ、このパソコンおたく」

岡田は思う。

「パソコンにかぶれるのも、ゴルフにかぶれるのも、たいして差はないだろう」

勿論、口に出しては言えない。そんなことを言っても

「全然違う」の一言で終わりだ。

それに器械オンチである岡田は、パソコンの使い方が分からなくなるとすぐに萩本に尋ねなければならないので、萩本には決して逆らえない。

「でもまあ、ゴルフばっかりやっていた人が、どんだけ相撲ができるもんか、じっくり見せてもらいましょ」

谷井の言葉を最後に岡田に関する話題は打ち止めになった。


 岡田以外のメンバーは、また楽しそうに相撲についての話を続ける。

「僕は思うんだけど相撲というのは、本当に奥が深いよね」

部長の田部がしみじみと話し始めた。

「土俵というのは、とても狭い空間だけど、でも時にはとても広い。なんていうかあの狭い空間に全ての世界が凝縮されているんだねえ」

「何を訳の分からないことを言ってやがる」

岡田は思う。

勿論、口に出しては何も言わない。

「それに、あの姿」

田部が話し続ける.

「廻し一本で、あれ以上、身につけるものを少なくするわけにはいかないギリギリの格好でしょ。かたちだって基本は決まっている。今、世の中に沢山出ている廻しはその制限されたなかで、色々と工夫しているよねえ。廻しの幅を少し変えてみたり、少しだけラインを曲線にしてみたり。そういうのがたまらないよねえ。やっぱり芸術というのは、拘束があってこそその内容が豊富になると思う。ね、そう思わない」

「そのとおりやと思いますよ、部長」

谷井が田部の言葉を引き取った。

「だけど、廻しの色については、最近は随分、増えましたよねえ。儂が若い頃は、黒か紺がほとんどで、それ以外の色の廻しを締めていると変わり者扱いされたもんやけど。今はなんでもありやもんなあ」

「今年の流行色は黄色ですよ」

去年、岡田の所属する部に転勤してきた、まだ20代の梶村が

「待ってました」

とばかりに話しに割り込んできた。スマートな容姿の持ち主で、服装もいつもきまっている。

 でもその実、とても能天気なお兄さんでもある。

相撲に限らず、部内ではいささか浮いた存在でもある岡田に対しても、彼は転勤早々からちょこちょこと話しかけてくるし、話し終わるとだいたいは岡田の尻をそっとなでてから去っていく。

「薔薇の人なのか」

岡田は最初は当然そのように思ったが、どうもそういう訳ではないらしく、彼の親愛の情の表現らしい。

それが分かってからは、岡田も彼についてはそれなりに対処するようになった。すれ違うときには腰をかがめてお尻を相手に差し出し合うようになったし、仕事中も、視線が合って見つめ合うことがしばしばある.何故そんなことをするのかと言えは、当然、周り(女子社員)に受けたいからである。


 さて、さっきの続き……、

「サルマーニが発表した黄色の地に花柄をちりばめるデザインが、えらく売れ出しているみたいですよ。僕はもう買いましたけどね.かっこええですよ。ね、谷井さん」

「あんたはすぐにゆうてしまうんやなあ。嬉しゅうてしゃあないねんなあ。ベストドレッサー賞かてあるねんから、そういうことは秘密にしとかんとあかんでえ」

「へへへ」


 岡田は思う。

「親父の廻しは、ベストドレッサー賞の対象になるようなものであろうか」

そんなことはあるまい。少年時代、岡田の育った家庭はけっして裕福ではなかった。つつましくやりくりするなかで、きっと廻しはずっと同じものを使っていただろう。小学校の低学年の頃までは岡田も父の出場する相撲大会によく応援に行ったものだった.岡田の記憶の中で父親はいつも同じ廻しを締めていた。おそらくはその廻しをずっと使っていたのではないだろうか。

岡田にとってけっして楽しくはなかった飲み会は終わった.


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