第六話
加藤が授業のために出て行くと、入れ違いに永田が入って来た。
「お早う御座いまーす。」
さっきの加藤と全く同じ口調である。
彼等は気付いていない様だが、この二人は万事がこの調子なのでサークル内では『カトナガ』コンビと呼ばれている。
実は始めのうちは、いわゆる『コミュ障』(古い言い方をすれば対人恐怖症か)に属する永田は、故意に加藤の振る舞いを模倣していた。
ごく自然体のままで誰とでも友好的に接する事ができる加藤の姿勢は、永田にとっては中学高校時代にどれ程羨んでも決して得る事の出来なかった輝かしい青春の姿だったのだ。
それは『リア充』(ネットという仮想世界ではないリアルな世界での生活が充実している人間)と呼ばれ、コミュ障を自覚する永田の様な人間にとっては怨嗟と羨望がない交ぜとなった複雑な感情の対象であった。
高校時代に彼の周りにいたリア充達が自分を(時には彼の目の前ですら)嘲笑している事を知っている永田から見て、彼等は決して彼の所へ『降りて』来る事はなく、遥かな高みから彼を一方的に見下ろす存在だった。
そして彼の目の前には、此彼を隔てる広くて深い谷が横たわっていた。
だから永田は、彼等をその横に立つ事など思いも依らぬ眩しい物と認識して見えないふりをするしかなかった。
大学に入っても自分を変える気の全くなかった永田だったが、彼の横にオリエンテーションの時にたまたま座った加藤は、永田の外見からだけでもすぐに窺えるであろうこの深い谷を、全く存在しないかの様に軽々と飛び越えてごく気軽な調子で話し掛けて来た。
彼にとって、『オタク』に嫌悪感を示さないリア充は初めて見る存在だったので、その意図を疑いつつも懸命に対応し、気が付けばオリエンテーション後に一緒にサークル巡りをする事になっていた。
そうして三つ目のサークルを訪れた時、木田がPCと格闘している場面に出くわしたのである。
木田の(彼から見た)手際の悪さに見ていられなくなって手を出したのではあるが、本当の目的は加藤に自分のスキルを見せる事であった。
実はこの時、直前に訪問したサークルで、永田の『ネクラ』ぶりがあからさまないじり(揶揄・からかい)の対象となった事に不快感を示した加藤が席を立ち、それに促されて出てきた所であった。
加藤はその事について永田に負い目を感じている様子だったので、彼は加藤に自信のある所を見せて、気にする必要がない事を示そうと思ったのである。
木田をはじめとする先輩達の称賛も快かったのではあるが、彼にとって最も大きな意味を持っていたのは、加藤の本気の感嘆だった。
そうして彼は、コイツと一緒に居たいと思う様になった。
それから、加藤の様になりたい一心で、彼の一挙手一投足を真似る様になっていった。
そうする事で彼の日常生活は恐ろしくスムーズに流れる様になり、周囲とコミュニケーションを取る度にぎくしゃくと引っ掛かり微妙な空気が流れて、自然と自我の殻に閉じ籠る様になっていった高校時代とは全く次元の違う快適さとなった。
そうしてこの明白な報奨によって強化されたその模倣行動は、ほんの数ヵ月で無意識の内に行われるレベルとなり、今や彼は後から思い返しても気付かない程に意図する事無くそれをやるまでになった。
勿論外から見れば、それが付け焼き刃でしかない事はすぐに見てとれたが。
つまり傍目に見ると、加藤が学生ノリの達人である『リア充』なら、そのノリの中で浮かない様に懸命にそれを模倣する永田は『キョロ充』(必死にリア充の真似をするために常に自信無くキョロキョロと辺りを見回す一段低い存在)と呼ばれるタイプの学生であった。
意地の悪い空気が支配するサークルなら永田の様な行動は軽蔑される所だが、このサークルには創設者達の合言葉『良い事も悪い事もあって友達』という不文律があり、永田の様な行動を嘲う人間はかえって居心地が悪くなり、自然に離れて行く。
そして、永田がテニスコートに立つと周りから自然に声援とアドバイスが飛ぶ。
その中でも、加藤のアドバイスは特に適切であり、永田はいつの間にか加藤の指示の声に反射的に反応する様になっていた。
これも、加藤に対するコンプレックス(又は憧れ)の賜物であると言えた。
いずれにせよ、今までまともな友達付き合いの経験の無い永田にしてみれば、このサークルに出会ったのは奇跡の様な物だった。
「おお、永田。今日のボーリングは出られるか?」
「勿論ですよ。」
そう言って永田は、不器用にウインクして見せた。
もしこの時、電脳世界を可視化する事のできる人間がこの部屋にいたら、電源が落ちている筈の古いPCが、内蔵カメラをズームアップして永田を喰い入る様に見つめている事に気付いただろう。