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アヴソリュート・クロスボウから矢を放つ。
それと同時に、だん。と大きな音が鳴った。ガオウとヨリトモが床を踏み抜いたのだ。弾けた板張りの床の一部が宙に舞い、それは盾となって矢を防ぎ氷結する。
「……!」
そんな神業じみた防御方法に舌を巻く暇もなく、私は次の狙いを定めた。
既に彼らは地上に居ない。信じられない事に、ガオウは空高く跳躍し、ヨリトモは壁を走りながらこちらに接近していたのだ。
……どちらを狙うべきか。
悩んでいられる時間はない。集中力が高まり主観での時の流れが鈍化する中、私はかつて御剣から指導された訓練内容を思い出していた。
「《バラージ・ショット》」
ガオウに狙いを定めた私はスキルを発動させた。
クロスボウ、弓、銃といった遠距離系武器で発動できるこのスキルは、発動すると目にも止まらぬ速さで矢や弾を連続で放ち攻撃する事ができ、更にプレイヤーレベルによって攻撃できる回数が増える特性を持つ。
アーチャー系職業を一度でも経由したプレイヤーならば誰でも覚えられる取得条件の優しいスキルであり、スキル使用による消費SPも少なく、その使い勝手は非常に良い。
レベル152の私がこのスキルを発動した場合攻撃回数は6回の筈だが、それは《応報》のデバフによって4回まで減っていた。
「ちっ……」
矢が放たれていく様を見届けながら、舌打ちをする。
狙いをつけるまでの動きが遅い。まるで水の中でもがくように身体の動きが鈍い。こんな状態で放った攻撃が当たるとは思えないし、きっと防がれてしまうだろう。
「冷やっこいなぁ! 甘いぞ女ぁ!」
想像した内容はその通りになった。
ガオウを撃墜する事叶わず。放たれた4発の矢は、凄まじい速さの刀捌きを見せたガオウに全て弾かれてしまう。
その最中、壁を走るヨリトモは冷静にこちらの様子を伺いながら居合の構えを取っていた。
上と横。二人が立体的な動きで攻め立ててくる。
彼我の距離はもう、猶予が殆ど無い。攻撃を回避せねば、私は真っ二つに斬られ死んでしまうだろう。
「(……まだだ)」
しかし私は残された猶予の中でタイミングを図る。二人の速さは同じように見えて、ヨリトモの方が若干早い。
恐らくだが、まったく同時に攻撃してしまっては互いを巻き込む可能性があるからだろう。
「(……もう少し!)」
ヨリトモとガオウが迫る。迫る。迫る! ヨリトモの《居合》が発動し、白刃が殺意を乗せて煌めく!
―――今だ!
「……っ」
私はアヴソリュート・クロスボウを後方へ投げながら、背後に倒れ込むようにしてヨリトモの《居合》を間一髪で避けた。
鼻のてっぺんの先を、刀がスローモーションで通り過ぎていくのが見える。
仰向けになった視界では、刀を上段に構えたガオウの獰猛な笑顔が良く見えた。
「あああああっ!!」
私は叫んだ。
背中が廊下につくかつかないか。そのタイミングで私は両手を床にぴたりと這わせ、全力で床を押しながら両手を下に伸ばした。
そうすることで、私は身体をスライディングさせたのだ。
「なんと!」
驚くガオウの声。
ガオウの上段からの一撃は空を裂き、その勢いのまま廊下をぶち破った。
《応報》デバフによりステータスが低下したとはいえ、私の筋力ステータスは平均的な成人男性のそれより遥かに高い。
強い筋力でもって弾かれた身体の軽い私はまるで放たれた矢のようにして、その場を逃れる事に成功したのだ。
続けてそのままネックスプリングで起き上がろうとして―――。
「……ぐ、ぅ」
麻痺による痺れが身体を襲った。制御を失った身体では上手に起き上がれず、無様に転がってしまう。
しかしそれでも、私は転びながらもなんとかそれを掴んだ。
先ほど後ろに放り投げたアヴソリュート・クロスボウを構えながら、膝立ちになる。
「ふーっ……ふーっ……」
御剣相手に何度も繰り返した、軽業師じみた回避動作がついに日の目を見た。―――満点の動きではなかったにせよ。
息が荒く、アドレナリンが脳内を駆け巡っているのを感じる。
「ほう。大したものだな、あれを避けるとは」
「だから言っただろう、舐めてかかるとこちらが殺されかねんのだ」
「とはいえ、まずは一手。といった所らしいが」
男達は淡々と言葉を交わしながらも、その佇まいに油断はひとつもない。
一方で私は。
「くそ……しくった……」
左足の太腿からどくどくと流れる赤い血を見て、顔を歪めた。
先ほどのガオウの一撃は避けきれていなかったのだ。刀の切れ味があまりに鋭かった事、脳内のアドレナリンが痛みを感じさせなかった事から、私は切られた事に今になってようやく気がついたのである。
「(回復は……させてくれなさそう、か)」
今の回避で多少は距離を取れたとはいえ、この程度であれば彼らは一呼吸の間にこちらに詰めてくるだろう。下手にアイテム・バッグをまさぐろうものなら、その手はおろか首が切り飛ばされかねない。
出血の量は多く、このまま放置すれば私のHPは遠からず底をつく。それだけは避けなくては。
「……よし」
今自分がおかれている状況。相手の強さ。そういった諸々を計算して、これからの方針を決める。
数値上でなら、私のレベルは彼らよりも遥かに上だ。
だが、重すぎる《応報》のデバフを考慮すれば、今の私の実力は彼らよりも低い。
魔法も使えず、アイテムも使えない。圧倒的な不利。
酷い状況だ。全ては自分が悪いのだが、溜息の一つでもつきたくなる。
「(後悔先に立たずだ。これはもう、仕方ない)」
過去にさんざ使用した"卑怯者の薄絹"の《応報》消しをサボっていた事を悔やんでも仕方がない。
……蓄積した《応報》は敵対者に透明化を見破られる事で初めて消費される。
その敵対者というくくりは、同じギルドに所属する円卓勢には適応されない。故に、純粋な強者相手でなければ《応報》消しは出来なかった。
だから定期的に"絶対氷極領域・ノースプリズン"の野良モンスターあたりで《応報》消しをしていたのだが、面倒くさがりな私はそれを怠っていた。それが今回、裏目に出た形となる。
「(反省は、生き残ってから)」
御剣の叱責を思い出す。
会長と出会い、ギルドを設立し、「死んでもいい」訓練が出来るようになった御剣は、その言葉をよく使うようになった。
死んでもどうにかなる。そういう甘えた考えが、敗北を手繰り寄せるのだと。
ぼやくような彼女の横顔がとても悲しそうだった事を、よく覚えている。
「ふぅーっ……」
すり足で近寄ってくるガオウとヨリトモに狙いを定めつつ、息を整える。
私に発動しているデバフのうち、《気力漏洩・中傷》の影響でSPが常に減少している。手をこまねいていると、そのうちにスキルを発動できなくなるだろう。
そうなる前に、手を打つ。
「《スプレッド・アロー》!」
多くのSPを消費しスキルを発動する。
スキルの発動と共にアヴソリュート・クロスボウに装着されていた通常の矢が消えて、アイテム・バッグの中から特別な矢が自動的に装填される。
先端が異常に丸く膨らみずんぐりむっくりとした、果たしてきちんとまっすぐ飛ぶのか怪しい見た目の矢だ。
しかし。この矢は見た目の不細工さに似合わず、周囲に破壊をまき散らす性能を持っている。
「くらえっ!」
矢を放つ。
少し上向きに放ったそれは、ガオウとヨリトモ、二人の間の何もない所を狙っていた。
「む?」
「あん?」
その矢の軌道が自分たちに当たらない事ぐらい、彼らも分かっているのだろう。
訝しげな二人はしかし、それでも油断せず矢の行く末を注意深く見つめる。
矢が二人の目前まで迫ったその時。
「ガオウ! 避けろ!」
勘が良いのだろう。ヨリトモが危険を察知して叫んだ。何事かと聞き返す間もなく、ガオウが飛び退く。
次の瞬間、矢の先端の丸みが急激に膨れ上がり、爆発した。それと同時に、先端に仕込まれていた極小の矢が爆発の勢いに乗って放射状に放たれたのだ。
―――これが《スプレッド・アロー》の効果である。
性能として近いものを例に挙げるなら、破砕グレネードが一番近いだろうか。
「ぐっ!」
「何の子供騙しか! 痛くも痒くもないわ!!」
しかし、この一撃は二人にとって何の痛手にもならなかった。
私の《バラージ・アロー》を全て迎撃した点から予想はしていたが、彼らは何の苦もなく《スプレッド・アロー》の小さな矢を全て刀で弾き飛ばしてしまう。
「《スプレッド・アロー》!《スプレッド・アロー》!《スプレッド・アロー》!」
しかし、私はまるで構わずに攻撃を続けた。
彼らにダメージを与えられればそれは儲けものだが、実際の狙いは別にある。
ぼん。ぼん。と矢が破裂し、二人はそれを弾き続ける。
残る他の矢は周囲の壁や廊下に刺さり次々と突き立っていく。それに従って、周囲の気温がどんどん下がっていく。
「むっ……!? これは……!」
「ガオウ! まずいぞ!」
流石に彼らも状況の変化に気が付いたようだ。
だが、もう遅い。
「《スプレッド・アロー》!」
最後の一発を放つ。
矢が弾けて極小の矢が辺り一面に着弾した事で、ようやく臨界点を突破した。
「―――凍れっ!」
私のアヴソリュート・クロスボウはエピック等級の武器で、その性質として"氷属性"を持つ。
"悠久の大地"では、属性を宿した武器で攻撃すると、一部の特殊な攻撃を除いて必ず武器の属性が攻撃に反映されるシステムになっていた。
それは今も尚変わらないルールであり、私がこのクロスボウで放った矢が命中したものは、クロスボウが宿す高い氷属性値により氷結の状態異常判定を受けてしまう。
そしてそれは、《スプレッド・アロー》のような極小の矢であっても同様である。
「女―――!」
ガオウがこちらに駆け寄ろうとするが、手遅れだ。
私と彼らの間に、猛烈な勢いで氷の壁が形成されていく。
おびただしい量の、高い氷属性値を宿した小さな矢たちが空間一帯に氷結判定を与えたのだ。
「……」
私は氷が廊下を埋め尽くすまで、じっとクロスボウを構え続けた。
びぎびぎ、びぎり。
軋む様な音を立てながら、とうとう氷の壁が硬く頑丈な障壁となって私と彼らの間を遮る。
「…………」
ゆっくりと、クロスボウを下ろす。
もし、クロスボウを使いただ一か所を凍らせるだけならば、そこに矢を放てばすむ。
しかし、このように彼我の間に氷の壁を作ろうとするならば、工夫が居る。
何せ点ではなく面なのだ。一か所に氷結の判定を与えるだけでは決してこうならない。先ほどのように面を制圧する方法で、しかも場所が狭く無ければ上手くいかなかっただろう。
「ふぅー……」
急激に温度が下がった為、辺りは凍えるような寒さだ。吐いた息が白い。
「これで10分……いや、5分は稼げるかな」
私は念の為に氷の壁の向こうを警戒しながらアイテム・バッグを探り、エクス・ヒールポーションを取り出して中身を飲もうとしたが。
「がっ……この、くそ……麻痺め……」
タイミング悪く麻痺による痺れが発動して、ポーションを取り落としてしまった。
割れて溢れでたポーションの中身は寒さのあまりあっという間に凍ってしまい、使い物にならなくなってしまう。
「ちっ」
舌打ちをしても仕方がない。
この麻痺は《応報》によるもので、時間経過以外の解除方法が無いのだ。
今度は落ち着いてゆっくりとポーションを取り出し、しっかりと中身を飲む。
すると、刀で切られた太腿がしゅうしゅうと音を立てて治癒していった。失われた血液もすぐに充填されるだろう。
空き瓶を放り捨てる。
「……とにかく、先へ進もう」
ぼやくように呟きながら、氷壁を背に廊下を先に進む事とする。
こういう時は普通、体勢を立て直すために一旦引くべきだと思うだろうが、今回はそうも言っていられない。
何せ私のヘマのせいで、侵入がバレてしまったのだから。
何もなければ御剣は定刻通り一時間後にこの城の動力を止める手筈になっているが、何かあった時は彼女は決して迷わない。
時を待たずして、動力を止めにかかる筈だ。
ならばそうなる前に、あの二人に追いつかれる前に、"からくり昇降機"とやらに急がねばならない。
もし仮に彼らに階段なんぞで見つかろうものなら―――。
「次はたぶん、逃がしてくれないだろうし」
そんな予感があったからだ。




