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板張りの廊下を抜き足差し足で慎重に、しかし急ぎ足で進んでいく。
先を急ぐのには理由があった。
"卑怯者の薄絹"による透明化はこの世界の人間相手ならば殆ど見抜かれる事がない強力なものだが、効果時間はあまり長くないからだ。
透明化が必要な肝心な時に時間切れ。なんてポカはあまりにも間抜けすぎるので、移動に割く時間は出来る限り少ない方が良い。
「……む」
足音を立てないように進んでいると、長い廊下の先の曲がり角から話し声が聞こえて来た。
隠れられそうな場所は無い。すぐさま壁に張り付き息を殺して様子を伺う。
ややあって曲がり角から現れたのは、着流し姿の男が二人。両者ともに帯刀している。ガソン城の警邏だろうか?
「なあ、聞いたか」
「あん?」
二人は駄弁りながら近づいて来る。こちらに気づいた様子はない。
「さっき流れの鍛冶師から、大王ご所望の"神殺しの刀"が献上されたそうだぞ」
「またか。これで一体何本目になる? また偽物じゃないのか」
男達の話題に出た鍛冶師とは、言うまでも無くタタコさんの事である。
「(ヨーコさんの情報は確かみたいだ。話が広まるのが早い)」
城内で下女として働くヨーコさんによればガソン大王は以前から"神殺しの刀"を病的なまでに欲しており、ジャポ国内はもとより外国にまで兵を派遣して刀の捜索を続けていたらしい。
それは時に国政よりも優先される程で、刀を求めるガソン大王の姿を見た者は「大王は魔に魅入られてしまった」と閉口してしまうほどだと言う。
どういった理由からガソン大王がそんなけったいな刀を欲しがるようになったのかは不明だが、正直そこの理由はどうでもよかった。
城へどうやって潜入しようか悩んでいた私達はこれ幸いと、その事情を利用させてもらう事にしたからだ。
「偽物だと思うか? でもな、今回はどうも違うようだ」
「ほう」
「鑑定士が検分してみた所、腰を抜かしたそうだ。まさしくこれは"神殺しの刀"に相違なく、触れる事すら畏れ多いとな」
「へぇ! そりゃまた随分と! ひとかどの侍としては、是非とも一目拝んでみたいものだ……」
「おかげで上はてんやわんやだ。刀が本物かどうか調べる為に、俺達のような食客にまで声がかかる程にな」
「なるほど。合点がいった」
男達は苦笑を浮かべる。
どうやらタタコさんが打った"神殺しの刀"は、私達の狙い通りガソン城の注目を集める事に成功したようだ。
その刀はベースとしては基本的なレアー等級の"打刀"にすぎないが、追加効果として"神性を持つものに追加ダメージを与え、攻撃命中時0.01%で即死判定を与える"効果が付与されている。
鍛聖のタタコさんが打った以上、その追加効果は仕様通り必ず発動する。そしてそれは、以前語った通りこの世界では普通の事ではない。
なので、"神殺しの刀"の必要条件を十分に満たした"打刀"は、狙い通り鑑定士のお眼鏡に叶ったのだろう。
「(……?)」
なのだが。
私は何故か、その一連の流れに強い違和感を覚えていた。
特に、タタコさんが刀を打った、という点について。
「(……タタコさんが、打った? ■■■■■さんじゃなくて?)」
何か。
忘れてはならない誰かが。
関わってはいなかっただろうか。
「―――まあ、そういう事だ、ガオウ」
「ああ、そういう事らしいな、ヨリトモ」
男達が、不自然に歩みを止めた。
「―――っ!」
私は殆ど無意識にその場を飛びのいた。
「《居合》」
間一髪。空中に逃れた私は、男たちが放った斬撃が先ほどまで私が居た壁を縦横に切り刻むのを見た。
「(くそったれ!)」
回転しながら内心で毒づく。この後に訪れる展開を想像して。
「……」
廊下に着地する。透明化はとうに解除され、男達の視線は間違いなく私を認識していた。
……脳内に、ログメッセージが溢れる。
―――卑怯者はその姿を暴かれました。
―――その卑怯さに応じて《応報》が下されます。
―――《応報レベル5》が発動します。
――― 一時的にレベルが20%ダウンします。最大HPが40%減少します。最大MPが40%減少します。最大SPが40%減少します。《魔法の使用》が禁止されます。STRが30%減少します。DEXが30%減少します。AGIが30%減少します。VITが30%減少します。MAGが30%減少します。INTが30%減少します。LUCが30%減少します。攻撃速度が20%減少します。移動速度が20%減少します。与えるダメージが20%減少します。受けるダメージが20%増加します。回復力が20%減少します。自動回復が停止します。状態異常耐性が20%低下します。あなたは《麻痺・軽傷》しました。あなたは《脱力・軽傷》しました。あなたは《鈍足・軽傷》しました。あなたは《魔力漏洩・中傷》しました。あなたは《気力漏洩・中傷》しました。
―――30分経過するまで《応報》は解除されません。
―――良き時間を、お過ごしください。
皮肉たっぷりのそれに苦笑する余裕は、私にはなかった。
「これは驚いた。がいじんさんのようだぞ、おまけに美しいときた」
「ふむ……あとるがむとやらの間者か? はたまたどうがすたの輩か。いずれにせよ、女だてらにたいした度胸だ、ガソン城に忍び込もうなどとはな」
男達はまるで自然体だった。だらりと脱力した様子で抜き身の刀を持ち、こちらの様子を伺っている。
「……すいませんね。色々と事情がありまして、コソ泥の真似事なんかをさせてもらってます」
軽口を叩きながら思う。
誓って、私は油断などしていなかった。
先ほど私は、"卑怯者の薄絹による透明化はこの世界の人間相手ならば殆ど見抜かれる事がない"と語ったが、それは嘘偽りない事実だ。
故に、言い訳をするつもりなぞ一かけらも無いが。
どうやら彼ら、ガオウとヨリトモという名の男たちはその"殆ど"の例外だったらしい。
この事実が示唆しているのは、実にシンプルな話だ。
彼らのレベルは少なくとも80以上あったという事。この数値は、ともすれば伝説の英雄にすら例えられる程高い値である。
そして、それほどの強者の存在は、私達にとってはまるで未知の、想定外の存在だった。
「ほほう! おぬし、面白い女だな! その美しさであれば他に生業などいくらでもあったろうに、勿体ない。―――せっかくだ、死ぬ前に一発まぐわっておくか?」
下品な発言をした男を、隣の男が小突いた。
「戯言はよさんかガオウ。よしんばお前がそうしたとして、この女を逃したら俺はお前を斬らねばならんのだぞ」
「ははは! 冗談に決まっとるわヨリトモ!」
小突かれた男、ガオウが大笑いしてヨリトモを見た。
「無論、殺すとも」
何でもない事のようにそう言い放つ。
次いで、ぶわり、と殺気が膨れ上がった。
《応報》のデバフにより著しい弱体化をした私の脳内で、《ホスティリティ・センス》が最大級の警戒を発する。
「お得意の活人剣で生かさぬのか。足をつめ、腕をつめ、だるまにせんのか」
「いやぁ、この女相手ではそうしておる暇もなかろうよ。下手をすればこちらが殺されかねん」
「……まぁ、それもそうだな」
男達が二人、刀をゆっくりと上段に構えた。
「女、名は?」
ガオウが問いかけて来た。
脂汗が流れてくるのを実感しながら、答える。
「山吹緋色です」
動きが鈍く、時折不規則にマヒする身体を無理やりに動かして、薬師の服の袖のパッチ―――ウェポンスタッカーからアヴソリュート・クロスボウを引き抜く。
「ヤマブキヒイロ……。がいじんにしては、やけにジャポらしい名だな」
「はあふ、という奴かもしれんぞ?」
「なるほど、そういう事もあるか。言われてみれば顔立ちにジャポらしい所がある、島流しになった奴の末裔かもしれんな」
「ふむ、であれば忍び込んだ理由にも納得がいく。ガソン大王への復讐というやつだな、不憫なことだ」
二人は勝手に私の背景を想像しだす。
「……」
その内容はてんで的外れだ。だから別段どうでもいい筈なのに、なぜか私は不思議と苛ついていた。
……なぜか? そんなワケない。
こいつらは事もあろうに、島流しだなんて不名誉な妄想で私のお■あさんの事を馬鹿にしたんだ。
そんなの、許せるはずがない!
「……自己紹介は私だけですか? 是非とも、お二人の名を改めてお伺いしたいところなのですが」
煮えくりかえりそうになる腸を無理やりに沈めて、丁寧に問いかける。
―――己が今、何を想ったのかすら、忘れたまま。
「おお、言われてみれば確かにそうだ。これは失礼をしたな」
本当にそう思っていそうな男、ガオウが軽く頭を下げ謝罪の意を示す。
続けてヨリトモが口を開いた。
「俺の名はヨリトモ。人呼んで"青鬼"」
笑みを浮かべたガオウが続く。
「俺の名はガオウだ! 人呼んで"赤鬼"!」
そして、二人して首をぐるりと回し大見得を切り、揃ってこう言った。
「向かう所敵無し! ジャポの"鬼兄弟"とは、俺達の事よ!」
……私は静かに、クロスボウの狙いを定める。
「いざ」
「死合おうか」
この場を、生き延びる為に。




