3-32
そして、何事もなく夜が明けた。
・
時刻は朝。部屋に運ばれた朝食は流石ジャポというべきか、和風だった。
「……で、これからの事なのですが」
食事の最中話を切り出すタイミングを見計らった私は、食器が立てるかちゃかちゃとした小気味いい音に割り込むようにして口を開いた。
「うむ」
凄まじいスピードで朝食を平らげた御剣が頷く。彼女は食後の緑茶を一啜りした後、隣でぐぁつぐぁつと白メシをかきこむタタコさんに視線を向けた。
「ん」
タタコさんが空いた手で「待て」と伝え、続けざまにもぐもぐずるるるごっくんと、ご飯を味噌汁で流し込むようにして飲み込んで朝食を終える。
……なんとまあ乙女もへったくれもクソもない豪快な食べっぷりである。まるでギブリアニメのワンシーンのようだ。
「わぁ……」
「……」
見慣れている私達からすれば何ともない光景なのだが、ラミーやタチバナさんからすればかなり珍妙な絵面として映っただろう。事実、外見年齢にそぐわぬ豪快な食事っぷりを前にラミーは「はわぁ」と驚いたままで(ああもうその顔凄く可愛い反則)、タチバナさんはマナーも品もないタタコさんへ軽蔑の視線をまるで隠そうともしていなかった。
なお、補足するが円卓のメンツは全員スプーンやフォークで朝食を頂いている。これはタチバナさん対策の一環だ。……だって、こんな見え見えの和食を上手に箸を使って頂こう物なら、既に底辺まで落ちかけている私達の信用度はゼロを通り越してマイナス域に到達してしまうので。はい。
「ひとまず、食事が終わったらゲンゴロウさんの家に向かい合流。その後精霊契約に関する諸々の準備を整え終わったら、ゲンゴロウさんの体調次第でそのまま精霊契約の締結を行おうと思ってます」
皆が神妙な面持ちで頷いた。特に昨日の惨状を目にしたラミーとタチバナさんは緊張の度合いが強い。
「今回はきちんと万全の体制を整えて契約に臨むつもりですが……タタコさん?」
「おん?」
「昨日は結局タタコさんのお下がりでは駄目との事でしたが、今回はどうするつもりですか?」
「あーそれなんだがな。昨日ゲンゴロウに聞いたんだけどよ、ジャポには今も生きている火山が一つだけあるらしくてな、そこにはきっと野良の火蜥蜴がいる筈だからそれを狙うつもりだぜ?」
火山、とは実におあつらえ向きだ。
タタコさんが精霊契約を交わしている火蜥蜴は非常に強い炎の属性を有しているため、気温が高く熱い所を好む性質がある。火山のような高温環境下であれば、ほぼ間違いなく遭遇出来るだろう。
「"手土産"に関してだが、ゲンゴロウの手持ちで最高の出来の物を持っていけばそれで良い。何せ狙いは"白磁"だ、そこまで偏屈なグルメではないだろうしな」
御剣が後に続き、湯飲みを置いた。私はそこで手を上げて待ったをかけた。
「御剣女史。手土産とはなんですか、説明求ム」
知ってて当然の体で話を進めてはならぬ。昨日の今日ですよ御剣せんせえ。
―――なんて事は思っても口にしない。
彼女が気を付けると決めて、改善しようとしてくれるのならそれを優しくフォローしてあげるのが、友人の務めだと思うからだ。
「ん……ごほん。そうだな、知らない者の方が多いと思うから説明しておこうか。タタコ?」
「あん?」
「これはお前の領分だ。私の口から説明してしまって、問題ないか?」
「いやまぁ、御剣が代わりに説明してくれるってんなら俺ぁ別にかまわねえけど……」
食後の茶を楽しみながら、タタコさんはぼんやりと返す。
どうやら御剣の含みを持たせた言葉はあまり上手に伝わっていなかったようだ。
「……」
御剣が私を見た。私も御剣を見た。
「(おい)」
「(わかってる。後でタタコさんには私から言っとく)」
「(任せたぞ)」
大体そのような内容の会話をアイコンタクトで済ませる。
そして是非も無しとばかりに、御剣は語り始めた。
「……精霊契約。それは鍛冶師が己の限界を超える為に必ず執り行わなければならない契約の事を言う」
私達が知る精霊契約の手順について。
グラン・アトルガム王国鍛冶組合がひた隠しにする、門外不出の秘儀について。
場合によっては人死にさえ出かねない、本来なら余人に知られてはならない知識の話を語り始めた。
「契約の為にはまず火蜥蜴に出会わなければならない。火蜥蜴は気難しく偏屈で、それはまるで鍛冶師のようだと言われている」
御剣は机の上で両手の人差し指と中指を動かして、何者かに威嚇する獣のようなジェスチャーをしてみせた。
「まぁ、そんな所が相性が良いとされるのだろうな。―――長く炎に触れ、たゆまぬ研鑽を積んだ鍛冶師は火蜥蜴と意思の疎通が可能になるんだ」
そして、今度は影絵で使う"キツネ"のジェスチャーをして、口をぱくぱくと動かした。
……なんか前にも一度だけ、今のように御剣がやけに可愛くなる光景を見た覚えがあるな。
「限界まで己を鍛え上げた鍛冶師と火蜥蜴が出会う時、精霊契約が始まる。たいていの場合、火蜥蜴は鍛冶師の力量を測った後、ある提案を出してくる。『"才能の限界"に達したお前の傑作を食わせてみろ、美味ければ俺がお前の限界を超えさせてやる』という具合にな」
「……なるほど。それで"手土産"ですか」
タチバナさんの合いの手に、御剣が頷く。
「そういうことだ。後は火蜥蜴が手土産の味を気に入るかどうかだが、まぁゲンゴロウの作であれば問題はないだろう。専門でない私が見ても、あいつの刀の出来は悪くない」
「その点に関しちゃ俺も太鼓判を押しておくぜ。そもそも、ゲンゴロウの実力は本当に限界ギリギリまで鍛え上げられてる。あいつを超える鍛冶師は大陸中探してもそういねぇよ」
タタコさんは当然のようにそう言いきった。
という事は、少なくともゲンゴロウさんの鍛冶師としてのレベルは30ないし40近いという事になる。
私の記憶に間違いが無ければたしかそれぐらいで、鍛冶師として一度目のレベルキャップを迎える筈だから。
「ふむ。タタコ……さんはゲンゴロウさんが実際に刀を打ったところを見たわけでもないのに、そう言い切れるのですか?」
「あたぼうよぉ。わざわざ打ってる所を見なくても、出来た品を一目みりゃそいつの腕がどの程度かなんて簡単にわからぁ」
「成る程。……それはそれとしてタタコさん」
「あん?」
タチバナさんがすぅっと目を細めて、心の底まで冷え切ってしまうような声で言った。
「あなたも女なのですから、大っぴらに歯の掃除をするのは控えてもらえませんか?」
楊枝を使って盛大に歯の掃除をしていたタタコさんがぽかんとした様子で動きを止め、やがて控えめに楊枝を置いた。
「……あー、その、悪ぃな。ついクセでよ」
頭をぽりぽりと掻いたタタコさんの声は、消え入りそうな程小さかった。
・
やはりタタコさん実年齢50オーバー説は濃厚とみてよさそうである。
そんな事を思いながら、私は部屋で出立の準備を整えていた。とはいっても、大した準備は必要ないのだが。
せいぜい忘れ物が無いか確認するくらいだが、そんな折に丁度良く部屋の前にタタコさんが通りがかったのを見つけ声を掛けた。
確認しなければならない事があったからだ。
「タタコさん」
「おう、どした山吹」
「ちょっとこちらに」
手招きして部屋に迎え入れる。私達二人の他には誰も居ない、皆各々の準備の為に方々に散っていた。
「さっきの話なんですが、あの……タタコさん的には良かったんですか?」
「良かったってのは?」
「秘匿情報を開示した件についてです」
秘匿情報。それはつまり先の精霊契約に関する話の一部始終だ。
先の件は私達が(主には霧とヴォーパルの面々が)調査した結果、グラン・アトルガム王国鍛冶組合で最も優れる鍛冶師に連綿と受け継がれる秘儀であるとの情報を得ている。
それは会社や企業で言う所の社外秘にあたるもので、世に流出する事は決して許されない情報だ。
そんなヤバい情報を知っている私達は企業スパイもかくやの大犯罪者ではあるのだが……ひとまずそれは置いておこう。
ともあれ―――王国鍛冶組合の内情を知った私達はある仮説を立てた。
恐らく王国鍛冶組合は精霊契約についての情報を独占することで、他国の組合に自分たち以上の鍛冶師が誕生する事を防いでいるのでは? と。
事実、その裏付けをするかのように、他国の鍛冶組合と王国の鍛冶組合の間では明らかな鍛冶師の実力の差がある。
だから、王国の鍛冶組合が精霊契約の情報をひた隠しにするのは、既得権益を守るためなのだろう。そこには鍛冶組合だけでなく国の思惑も含まれているかもしれない。
もしそうであれば、私達は王国の機密情報を漏洩した形になる。
それは、非常に、危ない事だ。
……前置きが長くなったが、その点について"良かったのか"と聞く必要があったのだ。
「……あぁ、なんだ、そんなことか。そんなの今更じゃねえか」
だが、タタコさんは実にあっけらかんとしたものだった。
「まぁそれはそうなのですが」
そもそも既に全て話してしまっている以上、良いも悪いも無いと言えば、無い。
それでも私はタタコさんに確認せねばならなかったのだ。この後に起こり得る可能性について。
「……もしかしたらこの件を機に、御剣や会長みたく有名になってしまうかもしれませんよ?」
「ん。……そうだな」
「タタコさんがジャポに来ている事は、組合の皆さんはご存知の筈ですよね」
「そりゃあ、親方にはひと声かけてっからなぁ」
「ゲンゴロウさんが精霊契約に成功し、限界を超え、常人には打てない刀剣を打ち始めたら、その噂は必ず王国まで届くと思います」
「そうだろうな」
「そうなったら、鍛冶組合か、王国の調査員が必ず調査に来るでしょう。そして、ゲンゴロウさんとタタコさんの繋がりに至る筈です、きっと。そうなればタタコさんは……」
「最悪で死刑。最高で親方の跡を継いで次代の親方襲名ってとこだな」
ふん。とタタコさんが鼻を鳴らした。
そして右手の親指で己を指し、高らかに宣言した。
「―――だからなんだってんでぇ。こちとら天下のタタコ様だぜ? もう俺ぁゲンゴロウの面倒を見るって決めてんだ。その後の事なんざ、知るか! どうにでもしてやらぁ!」
ふふん、と。
腕組みをして得意げに笑みを浮かべるタタコさんは、まるで年相応の活発な少女そのままだった。
「それに、お前達はこの件で巻き込まれたとしても、どうにだって出来るだろ?」
「それはもちろんです」
「じゃ、それでいいじゃねえか」
腕組みを解いたタタコさんが、私の肩をぱんぱんと叩いた。
「……わかりました。会長の件もあったので少し心配していたのですが、タタコさんがそのつもりでしたらもう何も言いません。私達は、タタコさんの味方です」
「ん。ありがとよ。山吹」
「話はそれだけです。時間を取らせてしまってすみませんでした」
「おう、気にすんな。俺達の仲だろ」
そうして、タタコさんは最後に拳を握り突き出してきた。私もそれに応え、握った拳をぶつける。
「じゃ、準備が終わったら外でな」
「ええ、また後で」
力強いフィストバンプを終えたタタコさんは軽快な足取りで外に出ていった。
「……相変わらず、気持ちの良い人だな。タタコさんは」
これが年長者特有の余裕という奴なのだろうか。
タタコさんが去った後も、心にさわやかな風が吹いているような気分だった。




