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さて。それからの事はといえば。
ゲンゴロウさんはあの後すぐに目を覚ましてくれた。命に別状も無く、後遺症もなさそうで一安心だった。
俺は死にかけた筈だ、とゲンゴロウさんは狼狽していたものの、私の薬の力によって生きながらえた事を知ると深く深く頭を下げ感謝の意を示してくれた。……それは大変にありがたいのだが、こちらに大きい非がある為にその感謝を向けられる資格は私にはない。いえいえ私達の方こそ申し訳なく、と頭の下げ合戦を数度か繰り返す日本人らしい光景を披露した後、話は本題の方へと移った。
つまるところ、ゲンゴロウさんの意志の確認である。この先も鍛冶師としての新しい力を得る為に精霊契約を続けるか否かという事だ。
だが、あれだけの大けがをしたのだ。精霊契約については考えを改めるかもしれない、そう考えていた私だったがゲンゴロウさんの力強い言葉によってそれは否定された。
「さっきは散々な結果に終わったが俺はあの瞬間確かに感じて、見たんだ、炎と一体になる瞬間を。今の俺では至らない、先の光景を。……だから、俺は諦めたくない。この先があるなら、俺はそれを掴み、手にしたい。それで親父と並び、いや、親父さえも超えられる鍛冶師になれるなら、何度だって挑戦するさ」
朗々と語るゲンゴロウさんに恐怖や不安は無かった。私と、タタコさんを見て、再び頭を下げ―――否、畳に付けた。土下座である。
「頼む! もう一度、やらせてはくれねぇか! 命を救って貰っておいて図々しい頼みだってのは重々承知だ! だが、俺は―――」
「―――ゲンゴロウさん」
私は途中で話を遮って止め、背後を振り返った。
「……」
「……」
私同様正座をして座る御剣とタタコさんだ。……目元に少し赤みのある御剣と、気まずそうなタタコさんだ。
無言で二人に向けて頷くと、二人も無言で頷き返した。最後の確認である。
さきの話し合いで簡易的に行われた小規模円卓会議の結果私達は本気でゲンゴロウさんをサポートすると決めた。その理由はゲンゴロウさんがこの国を治める大王と繋がりがある事による所が大きい。何故ならゲンゴロウさんが無事に"神殺しの刀"を制作出来れば、その納品に相乗りする形で大王の居城へと潜入しやすくなるからだ。故にゲンゴロウさんをサポートするメリットは非常に大きいのである。―――なお、これは御剣が元々内心で考えていた筋書きに沿うものとなる。毎度の事、説明が足りないから面倒な事になるのだといい加減学んで欲しい所だ。
ともあれ、一旦方針を定めた私達ではあるが、"私達"の事を何も知らないゲンゴロウさんの、鍛冶師として成長したいという真摯な思いに付けこむ形となるようで少し気分が悪い。……だが、それも致し方ない事だ。人間、時には非情にならなければならない場合もある、つまり優先順位の問題だ。私にとっての最優先はラミーで、次点は円卓の皆や周囲の人達なのだから。
無論の事。先ほどとは違いしっかりと事情を把握して本気でサポートすると決めた今では、ゲンゴロウさんを危険な目に遭わせるつもりは全く無い。
私達が本気でやる、という事はつまりそういう事なのである。
「頭を上げて下さい、ゲンゴロウさん。ここで私達が出会ったのも何かの縁による物かと思われます、その縁は、きっと大事にするべきです。それに……」
「……それに?」
頭を上げたゲンゴロウさんに、薬屋ヤマブキの店主として培った営業スマイルを向けた。
「困った時はお互い様。というじゃないですか」
ゲンゴロウさんは一瞬だけぽかんとした様子で。
「―――すまねぇ! ありがてぇっ! 本当に、本当にありがてぇっ! 恩に着るっ!
再び何度も何度も頭を下げて感謝の意を示すのだった。
・
「……ふぅ」
身体を洗い流し、手桶を洗い場に置く。かこん。という軽い音が露天風呂に響く。宿の露天風呂に私のほかには誰も居ない。
ゲンゴロウさんをサポートすると決めた私達ではあったが、ひとまず今日はゲンゴロウさんの体調を慮り大事を取って精霊契約は明日から行う事となった。
宿を取ろうと話し合う私達に「命の恩人をそのまま帰しちゃゲンゴロウの名折れだ」と是非に家に泊まっていくよう勧められたのだが、流石にそれは丁重にお断りしたのだ。
"私達"だけならばその勧めも素直に受け取っただろうが、こちらにはラミーもタチバナさんもいる。タチバナさんは大丈夫かもしれないが、ラミーについては誰かに襲われた際無事にいられるかどうか疑問が残る。―――いや、私が傍に居る以上そんな事は絶対に、100%、まかり間違ってももう二度と起こすつもりはさらさらないし、ゲンゴロウさんがそんな人だとは思ってもいないが、念の為という事もあるからだ。
……いや、違うな。もう正直に言おう。
ああだこうだともっともらしい理由を述べた所で、これは否定できない。―――つまり、独占欲だ。
私は誰かにラミーを取られたくないだけなのだ。だって、ラミーの事が大好きで、愛しているから。
「……重い女かな、私は」
嘆息して風呂に浸かる。
もう、すっかり心は恋する乙女のそれだ。
普段はそれなりに冷静に物事を判断出来ている自負があるが、ラミーの事となると嘘の様に心が騒ぐ。
ラミーが何を考えているか気になる。ラミーがどうしたいのかが気になる。ラミーにもっと触れて欲しいと思う、触れたいと思う、抱きしめたいと思う、抱き着かれたいと思う。
キスを、したいと思う。
一生一緒に居たいと思う。
ラミーの事を考えると、ずーっとそんな事ばかりが頭をぐるぐる。
出口の無い回廊に彷徨いこんだかのようで、世話がないったらありゃしない。
「重いよなぁ……」
本当にかつて自分は男だったのだろうか。そんな今更確認するまでも無い事実ですら、嘘のように思えてしまう。
「恋愛したり、結婚してる人は、皆こんな感情に苛まれてきたのかねぇ」
前の世界では、恋愛経験は一度も無かった。この世界に来てからが初めてなのだ。それも普通の恋愛じゃあない。同性同士の恋愛で―――正確には元男の女と女の子の恋愛で―――恋する二人はどちらとも普通の背景を背負ってはいなくて、片や超人、片や一国を代表する大貴族の妾の娘。
そんな恋模様が前の世界であっただろうか。フィクション以外じゃ、きっと見つかりっこない筈だ。
「うー」
風呂に沈み、泡を吐く。
私は果たして、うまくやれているのだろうか。
ラミーに対して、我を出し過ぎてはいないだろうか。独りよがりになってはいないだろうか。
ラミーに対して、きちんと愛を伝えられているだろうか。私の心を伝えきれているだろうか。
ラミーは、私の事が、ちゃんと好きでいてくれてるのだろうか。
あれだけ―――あれだけラミーが私の事を愛してくれているのだと確信していながら、それでも尚そう思ってしまう。
恋は盲目とは、よく言ったものだ。
「ぼぶびぼぶぼばび!」
ぶくぶくと大きく泡を吐き出す。そのタイミングでひたひたと誰かの足音が近づいてくるのが聞こえて来た。
即座に姿勢を正し、はしたない真似を止める。これでもれっきとした社会人であるからして。
ぺちぺち、と鳴る足音が近づく。風呂場に現れたのは。
「……山吹か」
「……御剣」
相も変わらずワガママボディを惜しげも無く披露する、御剣だった。
だった、のだが。
「……」
その姿には少しだけ覇気が無かった。その原因は私も知る所なので、あえて何も言わない。
御剣は無言で頭髪を含めた全身を石鹸で丸洗いし(ルドネスあたりが目撃したら発狂しそうだ)、湯船から桶で湯を掬い、ざっぱと全身に何度もかけて泡を洗い流していく。
「……隣、座るぞ」
「……ん」
身体を洗い終えた御剣は髪を纏めるなんて事もせず(これもルドネスが目撃したら発狂しそうだ)、しずしずと湯船に浸かっていく。
普段と違い少しだけ私との距離が広い。……これも、いつもの事だ。
「……」
「……」
暫く、無言の時間が続いた。
吹き抜けの天井から覗く満月が私達を照らす。さぁっ、と吹き抜けた風で湯気が舞って、御剣がぽつりと漏らすように喋り出した。
「さっきは、すまなかった」
「……うん」
御剣にしては非常に珍しい、蚊の鳴くような小さな声だったが、私はそれを聞き逃さなかった。
私は彼女の方へとにじり寄る。
「私の方こそごめん。ちょっと大人気なかった」
御剣と視線が合う。まだ赤みの残る御剣の目元が目に入った。御剣が、泣いた跡だ。
「……相変わらず、山吹は怒ると怖いな」
少し力の抜けた様子で御剣は笑う。
「怖くしてるつもりはないんだけどね」
私も、笑う。もう気にしていないという風にして。
「……はい。仲直りの握手」
右手を湯の中から引き上げて、御剣の前に出す。
「……うん」
彼女も同じくして、右手を出し、私の手を握った。そして、握手を交わす。
「ほら、これでもう仲直り」
「……そうだな。ありがとう、山吹」
握手を解く。
―――うむ。ではなく、うん。
彼女がそう返す時は、そう、滅多にない事だった。
これも、男から女に成った事による、精神面への影響によるものなのだろうか。大の大人が人に怒られて泣くなど、そうそうない事だ。同席していたタタコさんもぎょっとしていた。
御剣の名誉の為に今日の出来事は他言無用だとタタコさんには言い含めてある。いい大人であるタタコさんはきっとその約束を違えたりはしないだろう。
「次からは気を付ける。ちゃんと、私の中で完結しないで、話をするようにする」
「……そうだね。そうしてくれると、私も嬉しい」
再び露天風呂に一陣の風が舞った。火照った体に冷たい風が心地よい。
ぐっと身体を伸ばし、一息つく。
「私はそろそろ上がるけど……。御剣、この後一杯だけ、どう?」
「……そうだな。後で縁側でこっそりやるとするか」
普段通りに戻った私達は、普段通りに言葉を交わした。
悪い雰囲気は後に引きずらないのが、コミュニケーションの基礎だ。私は本気で御剣を叱って、御剣は真摯に反省してくれた。だからこの話はこれで終わりなのだ。
「よいしょっと」
ざぱりと風呂から上がった私は脱衣所に向かうその前に、振り返って声を掛けた。
「あんまり長湯しすぎてのぼせないようにね?」
「何を言うか。私の属性耐性力は山吹も知っている所だろう」
「確かに。御剣だったら風呂くらい、半日浸かっててものぼせやしないか」
「うむ」
快活に笑う御剣に暗い雰囲気はもう無かった。
「ふふっ」
微笑んだ私は、その場を後にする。
せいぜい美味いつまみでも出してやろうか、と思いながら。
・
「…………はぁ」
御剣は両ひざを抱えて、溜息をついた。
「おこられちゃった、な」
まるで。
「上手にやれてたと、思ってたのに」
子供のように。
仕事の関係上来月まで更新は厳しいです




