3-29
*
槌を振るうたびに思う事がある。
今までの人生について。
己が生きて、歩んできた道のり。
がちん。がちん。と、ただの金属の塊でしかない物を打つ度に、水面に気泡が弾けるようなイメージで過去の記憶が浮かんでは消えていく。
―――俺の妻との出会い。輝かしい青春。仕事に汗を垂らした日々。沢山の子供たち。そして、戦争。
幸運にも生きて帰れた俺は、妻と再び出会い、そして、我が子には出会えなかった。空爆で生き残れたのは、妻だけだった。妻は怪我の後遺症で子供が産めなくなっていた。
辛かった。
辛い事が沢山あった。
長い時をかけて二人でそれを乗り越え、やがて養子を迎えた。少しいたずらっ気のある、やんちゃな子だった。
息子は成人し、結婚して、孫が出来た。
やがて、妻が逝った。それを境に、俺は仕事を引退した。
仕事は鍛冶師だった。無心に、武骨に振るえていた槌は、妻の支えなくばもう振るう事が出来なくなっていた。
妻に先立たれ、元気を無くして枯れ木のように萎びていく俺を見て哀れんだ息子が、気分転換にどうか、とゲームを勧めてきた。
今更ガキがやるピコピコがなんだってんだ。と思ったが、元気も無く枯れ果てていた俺は反骨する気概も無く、息子の勧めに素直に従う事にした。
初めはパソコンの使い方を学ぶ所からだった。
苦心してダブルクリックの仕方を覚えた。
いんすとーるだのあっぷでーとだの、カタカナ言葉は覚えづらかった。
パソコンの事を覚えてようやくゲームを始める頃には二週間が経っていた。
そして、俺はとうとうゲームの世界に足を踏み入れた。
"悠久の大地"という世界に。
俺は凝り性だ。満足の行く物を作る為にはとことん時間をかける。人間国宝だのおめでたい呼び名で呼ばれるようになってからは、特にだ。
だから、キャラクターメイキングには、呆れる程の時間を費やした。
初めは偉丈夫を作ろうとした。―――けれど、何かが違った。
なら女か。と思い、女好きな俺はないすばでーな美人のねえちゃんを作ろうと思った。―――キャラクターの造詣がアニメ風に寄りすぎてて、恰好が付かなかった。
ただ、少し琴線に触れるものがあった。
次は少女にしてみた。すると、まるで天啓を受けたかのように、脳裏に造形が煌めいた。
これだ。と思った。これ以外にはない、とさえ思った。
そこからは、手が往年の冴えを取り戻すかのように滑らかに動いた。
一瞬だけ煌めいたイメージ。それを取りこぼさず、眼前の画面の中に落とし込んでいく。狂ったようにパソコンにかじりつき、気が付けば朝になっていた。
かすむ視界に、腰は鉄骨でもねじ込まれたかのようにがちがちに固まって、肩は金床を幾つも乗っけたみたいに重い、痛くて苦しくて今にもおっ死んでしまいそうな中で、俺はパソコンの画面を見つめた。
俺譲りの勝気な瞳で。妻譲りの快活さがあり。娘譲りの可愛らしさがあって。息子譲りのいたずらっ気が見え隠れする。
そんな少女が、俺を見つめ返していた。
「―――」
"これからよろしくね。おとうさん"
急激に暗黒に包まれる視界の中、俺は確かに亡き妻と子供達の声を聴いた。
―――後に俺はその場で気絶していた事を病院のベッドで息子から聞かされる事となる。
息子にゃわんわんと泣き喚かれたし、医者の先生にはいい歳なんだからゲームに熱中して死ぬなんて笑い話にもならないと怒られた。
体調が回復し、ゲームがプレイ出来るまでには相当な時間が掛かったうえ、知り合いの死にぞこない共には年寄りの冷や水と笑われもした。
だが、それでよかった。
少なくとも、もう。
俺は枯れ木じゃなくなっていたのだから。
*
「―――ふぅっ」
最後の仕上げ。とばかりにタタコは表面に薄く油を塗って、それを良く見えるように掲げた。
「一丁あがりってな」
そこには炉の熱と光を反射して輝く、完全に修復された"橋守りの戦斧"の威容があった。こまやかな細工もそのままに、いかなる外敵をも突き穿つキャバリエ家の家宝はタタコの手によって今再びこの世に蘇ったのである。
「ちょ、ちょっとまて、見せてくれ!」
「わ、私にも見せて下さい!」
「おう? ほいよ」
ゲンゴロウとタチバナが食い入るようにして"橋守りの戦斧"を検分する。そして、すぐにその顔を驚愕させタタコに向けた。
「―――な、な、な」
「な、なな、なぁっ」
「おう?」
なななーなーと戦慄くゲンゴロウとタチバナを前に、タタコが首を傾げた。
「なんでだよっ!?」「なんでですかっ!?」
次の瞬間、工房に響き渡る大音量で二人は大声を出して叫んだ。
「お、ぉーぅ?」
あまりにも声が大きかった為、驚いたタタコは目をぱちくりとさせた。一体何をそんなに驚いているのか、と言う風に。
「なんでものの数分でバラバラだった戦斧が元通りになんだよありえねえだろうが!?」
目の前の光景が未だに信じられない。といった様子のゲンゴロウを見てタタコもようやく察しがつく。
ああ、これは少しばかりやりすぎたのかもしれない、と。
「……あー……そっか……普通はそう思うのか……?」
タタコはバツが悪そうに頭をぽりぽりと掻いた。そこにタチバナの鋭いツッコミが入る。
「思うに決まっているでしょう! しかもこの状態は……私が"橋守りの戦斧"を賜った時以上の強さを感じさせているのですよっ!? ―――このっ……あなたといい、ミツルギさんといい、スケアー・グリーンといい……! 貴女達は常識というものをどこかに落としてきてしまったのですか……!?」
続いてゲンゴロウが器用にも驚きながら怒りつつ後に続く。
「大体タタコよぉ…! 普通あれだけバラバラになっちまった武器は全部鋳溶かして新たに成型するもんだろうが。それをお前は破片を熱したかと思えば絵合わせみてえにひょいひょいくっ付けて、かんかんかんと叩いてほい完成って……ふざけてんのかっ!! ちゃんと説明しろっ!!」
「いや、俺はこれっぽっちもふざけちゃいねえんだがな……説明、した方がいいか?」
なんでそんなに怒られなくちゃいけねえんだよ。とタタコは眉根を寄せる。
実際の所、時を少し巻き戻せばタタコのした行為はゲンゴロウの語った内容とほぼ同じである。
つい先ほど、タタコは炉でバラバラになった"橋守りの戦斧"を熱し、それらを繋ぎ合わせ修復してみせたのだ。普通はゲンゴロウが語ったように、一度全てを鋳溶かして型に流し込み、それを鍛え武具と成すのが通常の鍛冶だ。タタコの行いは明らかに異常な行為である。
ただ、それはタタコにとっては異常ではない。タタコにとっては、"橋守りの戦斧"レベルの武具であれば、わざわざそんな手順を踏まずとも修復が可能なだけだったという話に過ぎなかった。
「当たり前だ、納得の行く説明を求めるぞ」
納得が行かない様子のゲンゴロウは、きちんとした説明があるまで梃子でも動かないつもりだ。
彼からすれば"神殺しの刀"を打てるかもしれないという希望を胸にしていたのに、まるで手品で化かされたような光景を見せられてはたまったものではなかったからだ。
もしや今の光景は本当に手品で、俺の事を煙に巻こうとしているんじゃないだろうか。
そんな怒りさえ感じられる目で、タタコを睨む。
「……あー、そうだな、初めから説明するか」
―――御剣の説明が足りない癖が俺にも移ったか。
再び頭をぽりぽりと掻いたタタコは少し申し訳なさそうに説明を始める。
「ん-……まず炉で"橋守りの戦斧"を加熱したな? あれは俺が契約している"黒鍛冶の炎蜥蜴"の力だ。―――ほら、出て来い喜助」
タタコが自らの右腕に向かって呼び掛けた。すると、そこから子犬程の大きさをした炎を纏う蜥蜴が飛び出してきたのだ。
「うおおっ!?」
「なっ……! モンスター!?」
突然の現象に驚くゲンゴロウと、咄嗟にナイフを構え戦闘態勢を取るタチバナ。タタコは慌てて蜥蜴を庇う。
「おいおい待て待て驚かせたのは悪いがこいつはモンスターじゃねぇよ!」
「モンスターじゃない……?」
全身を燃え上がらせ、白熱して輝く瞳をした蜥蜴はその場でぐるりと一周した後、タタコの足元に頬を寄せて嬉しそうに頬ずりをした。
「……おーよしよし、いい子だぞ喜助」
タタコは蜥蜴の頭を優しく撫でる。蜥蜴の纏う炎がタタコの身体を容赦なく舐めるが、タタコはまるで意に介さず平然としている。服や髪が燃えたりもしない、熱さも微塵も感じていない様子だった。
蜥蜴は撫でられて嬉しいのか、タタコの身体を登り身体にしがみ付いてタタコの頬をちろちろと舐める。その舌も蜥蜴の外面同様、炎に包まれていた。
「はははっ、くすぐってぇよ!」
タタコは可愛らしいペットにしてやるかのように、しがみ付いてきた蜥蜴を優しく抱き抱え背中を撫ぜた。
まるでペットとその飼い主の愛情あふれるワンシーンのようだが、ゲンゴロウとタチバナは気が気じゃない。眼前の少女は燃え盛る蜥蜴の影響でまさしく文字通り火だるまとなっていたからだ。
「お、おい、タタコ。大丈夫なのか? それ……」
「ん? おう、全然平気だ」
「いえ、ですが、全身が炎に巻かれて……それに、すごい熱気なのですが?」
「ああ、まぁ他の奴からすりゃそうだろうな、けど俺はこいつと契約しているから、俺にとっちゃ炎は殆ど自分の身体と同じようなもんでな。ほれ、こんな事も出来る」
そう言うとタタコは空いた手を炉に向けた。炉で燻っていた炎がごうと音を立てて巻き上がる。巻き上がった炎はうねうねと蛇のようにして空中を進み、炎の軌跡を描きながらタタコの周囲を舞った。
「嘘……」
「それ、ほい、よっこらしょっと」
タタコがまるで指揮者のようにして手を振るうと、それに従って炎が円形や四角形、星形を象っていく。
「……すげぇ、なんだこりゃあ……!」
「そーっれい」
最後に素早く手を動かすと、炎は地上に降り立ちざりざりと土間に焼け跡を残していく。
そして最後にはタタコの顔面に飛び込んでいき。
「あぐっ」
「なっ!?」
「そんなっ!?」
タタコは炎を飲み込んでしまった。ごくり。と喉が鳴る。美味そうに口元を手で拭い、タタコは笑みを浮かべた。
「……いい炭だな。炎が喜んでんのを感じるぜ」
朗らかな様子のタタコに比べ、ゲンゴロウとタチバナは眼前の光景が信じられないといった様子で立ちすくむ。
「……おいおい、俺は今夢か幻でも見てるんじゃねえよな?」
「……私も信じられません。魔法やアイテムにより炎に抵抗を得る方法があるとは知っていますが、それでも今の貴女のように全身が火だるまと化して尚平気でいられる程強力な効果を持つ魔法やアイテムの存在を私は知りません。ましてや炎を操り、食べてしまうなんて事も。―――タタコさん、貴女は一体何者なのですか?」
「いやだから鍛冶師だって何べんも言ってんだろ」
「………………それが信じられないんだと何度申し上げれば理解できるんでしょうかねこの少女は……!」
思わず眉間を抑えてタチバナは唸った。その様子を見て、タタコは閃く。
「(おっ。なんかコイツちょっと山吹に似てんなぁ。眉間抑えるとことか)」
特に今の眉間の皺のよせっぷりだとか、指で眉間を抑える仕草などがそっくりだった。
「(ああいや、今はそんな事考えてる場合じゃなかったか。説明しねぇとな、おうおう)」
あーごほんごほん。とわざとらしく咳払いをして話を戻す。
「……まぁなんだ。お前たちのその様子だと、どうやら精霊契約の事も知らねえっぽいな」
「精霊契約?」
オウム返しのように聞き返すゲンゴロウに、タタコは首肯を返す。
「―――鍛冶師として研鑽を重ね、数多の技術を身に着けた先には必ず限界が訪れる。それは例えば"才能の限界"であったり、"加工の限界"であったり、"道具の限界"に"肉体の限界"であるとかがそうだ。……ゲンゴロウ、お前はその内の"才能の限界"にぶち当たってんじゃねえのか?」
ハッとした様子のゲンゴロウは何度もうなずいた。
「そ、そうだ。……俺はまだ若いから、将来はもしかしたらって思いもある。けどよ、そうじゃねえんだ。なんだか上手く言えねえんだが、多分これ以上は無理だって直感が俺にはある。後どれだけ鉄を打とうが、この先は無いと予感させるような、そんな直感だが」
ゲンゴロウが語った内容は、かつてタタコも経験した事と同じであった。それは現実の話ではなく"悠久の大地"の仕様上の話ではあるが。
簡単に説明すれば、"悠久の大地"には職業の派生と言うものがある。基本職業である"鍛冶師"からは様々な職業への発展先があるが、その取捨選択はプレイヤーに委ねられる。"鍛冶師"をマスターしたら、攻撃系能力を高める為にタタコのように"モンク"を習得してもいいし、基本職業である"鍛冶師"の発展形である"ブラックスミス"に移行してもいい。
ただ、そうする為には取得した職業をマスターした上で"転職"を行わねばならない。
その"転職"を行う事で、初めてプレイヤーのレベルキャップは開放され新たなスキルや追加ステータスを得る事が可能となるのだ。
ただ、その"転職"の方法は現実と化した"悠久の大地"では達成する事が非常に難しい。何故なら、現実となった世界らしく、転職クエストが発行されたり進捗ジャーナルが優しくディスプレイに表示されたりしないからだ。その上、転職の仕方は以前の世界同様である事が転職難易度の上昇に拍車をかける。
以前の世界同様―――それはつまり免許皆伝だの、一子相伝の秘儀だの、魔法組合にのみ口伝で伝わる儀式だの、果てしない修行の末に自ら悟るものだのと―――ゲーム時代ならゲームを彩るフレーバーテキストとして描かれたそれらが本当の物として存在している為、物によってはコネや人との巡りあわせ、そして運が良く無ければその方法を知らない人間ではどんなに才能を持っていようとも一生転職出来ないのである。
そして、ゲンゴロウはそんな状態にあったのだった。
「……おう。その直感はたぶん合ってる。ゲンゴロウ、お前が感じたその"先が無い"のを"有る"ようにするのが精霊契約だ。炎と鍛冶を司る火蜥蜴と契約する事で、お前も俺のように炎に好かれ、炎を愛し、炎そのものにも成れるようになる」
「そ、それは本当なのか!?」
「おうよ。だから俺はタチバナの武器をあんな風にして直す事も出来たんだ。―――炎そのものに成れるのなら、壊れた武器ぐらいわざわざ溶かす程の事でもねえ。俺がそう成れと念じれば、物の形を溶かさずに超高温にまで熱せられる。接合面だけ溶かす事も出来る。……な? 後はくっ付けて、慣らして、金槌で喝を入れてやれば完成ってなもんよ」
何でもない事の様に、そうタタコは語り終えた。
「…………はぁ」
もう今日だけで何度驚いたのか分からない。タチバナには最早言葉も無かった。
「タ、タタコ」
一方でゲンゴロウは震えながら問いかける。眼前に立つ少女が、自らの理解の及ばぬ頂きに立つ存在だと確信して。
「俺にもその、精霊契約ってのは、出来るのか」
「出来るぜ」
「それは、どうやってだ」
タタコは抱きかかえている喜助の頭に口づけをし、ひとしきり喜助を撫でた。喜助が目を細め、タタコが満足そうに笑みを浮かべる。
ややあって、十分にタメを作ったタタコは少しだけ意地の悪そうな笑みを浮かべて、言った。
「ゲンゴロウ、お前は―――二人目の師匠は、許せるタイプか?」




