3-26
ゲンゴロウさんの案内に従い暫くして。
「ここだ」
港町から離れた人気のない雑木林の中に、まるで隠されているようにしてゲンゴロウさんの鍛冶工房はあった。
とても大きな、古式ゆかしい日本家屋然とした建屋だ。グラン・アトルガム王国の鍛冶組合が経営する工房と違い、その雰囲気はどこか厳かなものがある。わびさび、とでもいえばいいのだろうか。
「わぁ……!」
ラミーにとってはまさしくオリエンタルそのものの光景だ。珍しい物を前に知的好奇心がうずうずと刺激されている様子で実に微笑ましい。
「ほう。いかにもといった風情だな」
背中に気絶したタタコさんを背負った御剣が後に続く。日本家屋なんて見慣れている私達にとっては驚きの感情も無い為淡々としたものだ。
「…………言っておきますが、私はあくまで貴女方を監視する為に居るだけですからね」
「わかってますよ。タチバナさん」
その後に憮然とした表情のタチバナさんが続く。タイターン・ニック号を出る前は会話すらして貰えなかったものだが、いつの間にか声をかけて貰える程度には関係性がマシになったようだ。
「ふん」
まともな返事は貰えなかったが、まぁそれでもいい。一歩前進だ。
最後尾の私は皆が庭を超え玄関に進む様を見やりつつ、背後を振り返る。
「……」
追いすがる何者かの気配は、ない。
「でも、警戒しすぎという事はない、か」
私は誰に言うでもなく呟きながら、地面にしゃがみ込んだ。
アイテムバッグからチョークを取り出し、地面に六芒星を書き込んで呪文を唱える。
「"我が血の導よ、雌伏しその時を待て"」
次いで指先をクロスボウの矢で切り、血を一滴だけ魔法陣に垂らす。血を受け入れた魔法陣は一瞬だけ赤く発光し地中へ沈み込むようにして消えていく。
それを見届けた私は、何事も無かったかのように皆の後を追った。
・
「お邪魔します」
戸が開けっ放しのままの玄関に入ると、そこもやはり日本家屋らしい靴置き場のある玄関だった。既に上がった皆の履物が綺麗に揃えられて並んでいる。
私もそれに倣い、靴を脱いで一番端の方に揃えて置く。
すると。おぉ。という感嘆の声が二つ上がった。
どうやら声の主は先に上がっていたゲンゴロウさんとラミーのものらしかった。
「さ、流石師匠ですっ」
「珍しいな。そこの御剣といいお前さんといい、余所から来た人間にしちゃあなかなかわかってるじゃねえか」
「…………」
「……う、むぅ」
関心するラミーとゲンゴロウさんに、何故か冷ややかにこちらを見つめるタチバナさんと気まずそうな表情の御剣。
これは一体どうした事だろう。
「あの、皆さん何をそんなに驚かれているので?」
「えっ? だって師匠―――ジャポでは玄関で履物を脱ぐのが礼儀作法だー、なんて誰も知らなかったのに、さも当然みたいな風に靴を脱いだじゃないですか!」
「うぐっ。……あ、ああ、なるほど」
思わず声が詰まった。……なんて事だ、大ポカをやらかした。まっこと、身体に染み付いた習慣とは実に恐ろしい。
―――突然だが"悠久の大地"の建築物は殆どが西洋風だ。それは内装も同じである。
故に、玄関で履物を脱ぐ、という文化が無いのである。履物を脱ぐのはせいぜい風呂に入る時か、寝る時ぐらいだ。人によってはベッドの中でもそのまま、という事も。
私と御剣のような元日本人からすれば違和感の塊のようなその習慣だが、存外に人は慣れるものだ。私も御剣も、すぐにその生活様式に順応した。
……が。ここに来てこんな純日本風な家屋をお出しされたせいで、私達の中に眠る日本人だましいは黙っちゃいられなかったのだ。
条件反射的に靴を脱ぎ、いそいそと位置を正し、そして指摘され始めて気が付く程に馴染んだ自然なプロセス。気まずそうな御剣から察するに、きっと彼女も同じことをしてしまった筈。
一体これの何が問題なのか? 強く疑問に思う事だろう。
実際の所、大問題であった。
だってそうだろうとも。
ダイドウ将軍と無関係を謳う私達がジャポの礼儀作法に通じている事が明らかになったのだから。
……そりゃあタチバナさんの視線も、極寒の雪山の如く底冷えしたものになろうものよ。
どうしようもない!
「……? どうした? 調子でも悪いのか?」
「い、いえ。なんでもありません」
「うむ……そうだ、別になんともないぞ、ゲンゴロウよ」
えほんおほんとわざとらしく咳をして誤魔化す。続く御剣も珍しい失敗を前に声に覇気がない。
「そうか。……客間はそこだ、適当に座って待ってろ。茶ぐらいなら出してやる」
そんな私達の様子に少しだけ怪訝な表情をしたゲンゴロウさんだったが、すぐに踵を返し家の奥へと引っ込んでしまう。
残された私達はゲンゴロウさんが指し示した客間へ向かう。客間への仕切は当然のように襖だ。取っ手の付いたドアではない。
「……」
ここでまた自然に襖を引いて開けようものなら、いよいよタチバナさんの不信感は最高潮に達するだろう。
あれれ~? 取ってがないよこの扉~? どうやって開けるの~? 押すのかなぁ~? ……と、心底襖の開け方が分からないフリをするべきだろうか?
……いや、ないな。脳内で演技をシミュレートしてみるものの、あまりに下手糞で軽く後悔するレベルだった。
「山吹。突っ立ってないで入るぞ」
と、そんな風に葛藤していると御剣が有無を言わさず襖を開けてしまった。
思わず声を上げようとするものの、御剣の視線に制される。
(もう遅い。今更だぞ)
御剣の表情は悔しげで、随分と久しぶりに見る顔つきだった。
「(でも、なぁ……こればっかりはしょうがないんじゃないかなぁ……)」
御剣の気持ちはまぁ分からないでもないが、日本人として積み重ねた人生の中で培った動作や常識はたった半年近くの異世界生活で完全に上書きできる物じゃないと思う。
とは言え反省はせねばなるまいて。先の私の迂闊な行動が、重大な局面で出ない事を祈るばかりだ。
気持ちを切り替えて客間へ足を踏み入れる。
「……おぉ、たた……いや、タタコさんを寝かせてあげたらどうかな? 御剣?」
「うむ、そうだな」
思わず畳だと言いそうになり、慌てて言いなおす。いかん。危ない、危ないぞ!
客間はそれなりに広く、中心に大き目のちゃぶ台が一つ。部屋の隅に来客用と思しき座布団が塔のように重ね置かれている。床は畳敷きでイ草の香りが心地よい。壁面に掛けられた掛け軸には太く力強い字体で"天照"の二文字。
いかにも"THE・和"的な雰囲気を醸し出すそこで、背負っていたタタコさんを御剣が優しくおろして横たえた。
気絶し、すやすやと眠るタタコさん。
その横顔を慈母のように優しく見つめた御剣は―――。
しぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱ。
と、目にも止まらぬ速さでタタコさんの頬を往復ビンタしたのだった。
「ひっ」
その残酷非道な所業を前にラミーが悲鳴を上げて私の腕に抱き着いた。
「…………ははっ」
乾いた笑い声が私の口からまろびでた。
……どうして?
どうして御剣はいつもそうなの? 今少なくともそういう雰囲気じゃなかったよね? なのにどうして急に暴力を振り回すの? あれなの? 定期的に暴力を振るわないと日常生活が送れないタイプだったりするの?
……いや、愚問か。そうだった。御剣はそういう女だった。
「いだばばばばばばばばばばばびゃんだびゃんだびゃびばおびべる!?」
突然の痛みに驚き目覚めたタタコさんだが、泡を食って叫ぶ最中にも往復ビンタは止まらない。おかげでタタコさんの可愛い顔が台無しになってしまっている。あまりにもあんまりだ。
永遠に続くかと思われた往復ビンタだったが、それはほんの僅かな時間の事だったようだ。
しぱしぱぺちぺち鳴り響いていた音が突然止まる。機械の電源が切れたかのように停止した御剣は、タタコさんに向けてぽつりとつぶやいた。
「起きたかタタコよ」
淡々としたそれに。
「―――起きるに決まってらぁ馬鹿野郎め!」
対するタタコさんは当然怒っていた。
「うむ、だろうな」
「"うむ、だろうな"じゃねぇ! 喧嘩売ってんのか御剣!?」
「売ってはいないさ」
「じゃあなんだってんだよ! 寝起きにいきなり頬張りに来るだけの理由がとーぜんお前にはあるんだろうな!? そうじゃなきゃ例えお前だろうと容赦しねぇ―――」
「"明星の星5個"、"無垢なる蒼銀10個"、"鉄・銀・鋼の鉄鉱石を望むだけ"、そして"臨界電磁結石1個"の用意が私にはある。可及的速やかに私の言う事に従ってくれないか?」
「―――おう。任せろ。何でも言ってくれ」
のだが。何やら恐ろしい勢いで謎の取引が為されたらしかった。
「うむ。助かるぞ、タタコよ」
「ああ、気にすんな。俺とお前の仲だろ」
がっしりと握手を組みかわすお二人。そこには熱い友情パワーがあふれていた。
「ふっ」
「ふふっ」
ニヒルに微笑みを交わしてすらいる。
「……~~~っ!」
私は思わず眉間を揉み解す。
……どうして?
どうして御剣っていつもそうなの? なんでもうちょっとアマチュアの私でも理解出来るような、人間らしい行動を取ってくれないの?
というかタタコさんは今ので何が納得出来たの? 話の流れから推察するに多分鍛冶系素材云々の話だろうけど、タタコさんはそれでいいの? まともな説明無かったけど安請け合いしちゃっていいの!? 私ならそんな事絶対しないよ!? 私はそうしたせいで霧にお腹かっさば―――いや、それは今する話じゃない。
「…………とりあえず、座って待ってようか」
色々とツッコミどころがありすぎて何から喋ればいいものか分からなくなった私は、辛うじてそれだけ絞り出す。
「は、はい……? あの、ええっと……?」
「…………ふん」
私と同じく良く分かって無さそうなラミーに、相変わらず冷ややかな態度なものの少し引いている様子のタチバナさんが腰を下ろした。
「ちゃんと後で説明してよね……」
ぽつりとつぶやくと、急に今までの疲れが押し寄せてくるようだった。
「ごめんラミー。そこの座布―――四角いクッションいくつか取ってくれる?」
「ああ、これですね? はい、師匠」
「うん、ありがと」
みんなの為に人数分の座布団を確保する。
―――ああ、せめてゲンゴロウさんが淹れてくれるお茶が美味であれば、この暗澹たる気持ちも少しは晴れてくれるだろうに、と思いながら。




