山3吹無▆-血2風▆54
「…………づぁ…………頭……いったぁ……」
ぼやける視界。けだるい肉体。寝た子を優しく起こしてくれる、目覚まし代わりの気の利いた酷い頭痛。
苦しみながら周囲の気配を探ってみるが、当然のように御剣は居なかった。
「うう……」
陰気な雰囲気を漂わせるのはそのままに―――いや、なお酷い。この醜悪で、陰湿で、奥底の知れない雰囲気を私は良く知っている。
「離れ離れ、か……。最悪だ……」
悪態をつきつつ身体を起こして周囲を見渡してみれば、景色はがらりと変貌していた。
私と共に"跳んで"きたのであろう横倒しのカンテラの灯りが照らすのは、埃が積もって層を形成している朽ち果てた家財らしきものたちだ。家財らしき、と表現したのはここがどこかの家屋の一室のように、かつて人の営みがあったであろう事を感じさせるレイアウトをしていたからだが、その劣化ぶり、つまるところ重ねた年月はまるで想像もつかない程に古い。
試しに近くに落ちていた何かの破片……陶器か何かだろうか、それをつまみ上げてみる。
「……っ」
つまめ、なかった。
何かの破片は触れた箇所からさらさらと砂が零れ落ちるようにして崩れてしまったからだ。
しかるに。ここは数百―――否、少なくとも千年以上の時を経た隠されし領域であろう事が推測できた。
「…………くそっ」
二度目の悪態をつく。
最早いちいち確認をするまでもない。ここはグラン・アトルガム王国の地下墓ではない、別のどこかだ。そしてその場所の名前を、私は知ってしまっている。
それは何故か?
……ありがたくも、先ほど罠にかかり意識を失う瞬間に脳内に直接記録が叩き込まれたからだ。そしてそれは初めての経験ではない。
かつて御剣と共に探索したダンジョン、"未踏濁流迷路・ハイドロラビリンス"に足を踏み入れた際にも、似たような事があった。
あの時はダンジョンに侵入した瞬間、その場所の名前と推奨レベルの情報がかつての"悠久の大地"よろしく、ログメッセージじみて脳内に表示された。ただ、どうやら今回は更に多少の情報も追加されているようだった。
追加された情報のうち、かかってしまった罠の種類はかつての経験があるから理解している為重要性は低い。だが、問題なのはその後。
脱出のヒント。だなんて分かりやすく明示しているあたり、実に性質が悪い。状況は最悪だ。
ヒント。なんて甘っちょろいものではない。これは脱出のための"達成条件"と言い換えてもいい。かつての"悠久の大地"ではプレイヤーは死亡した場合、他者からの蘇生を待つか幾ばくかの経験値を失う代わりに最後に訪れた街で復活するかの二択を選択する事が出来た。では、今はどうか? ……どちらも不可能だ。
例えば私が持つ虎の子の"エリクシール"は死者蘇生をも可能にするが、それは死んだ私に誰かが"エリクシール"を使用してくれなければ効果を発揮しない。私が行使できる召喚魔法で呼び出したゴーレムに、私が死んだ後で私に使用させるという案も無くはないが、"悠久の大地"では召喚魔法で呼び出された者や物は術者が死ねば皆消え去ってしまう為、期待は出来ないだろう。
そしてもう一つ、先の二択の後者が不可能な理由は既に私が体験済みだ。
―――だって、そうだろう。
死ねば終わりなのだ。死の先には、本来、何も無いのだ。
完全な無が待っている。死後の安寧など、性質の悪い冗談でしかない。
私はあの時、御剣が居なければ、本当に終わっていた。
「―――まったく、あんな何の変哲もない通常エリアで、しかもダンジョンでもないのに、テレポーターの罠? テレポ罠が出てくるのは少なくともレベル80以上からでしょ……? しかも即時発動ってわけでもないし……時間経過による起動? それとも起動には条件が? ああもう、なんだって、こんな……!」
思わず頭をがりがりと掻く。しかし、最早どうしようもない。事は既に起きた後。後悔は後で好きなだけすればいい。今考えるべきは第一に身の安全、次いで周囲の状況を把握する事だ。
「冷静に、落ち着け、落ち着け……深呼吸しろ……」
御剣の言葉を思い出す。慌てふためいても、泣き喚いても良い事なんて一つも無い。
理不尽な出来事が身に降りかかったとしても。
なぜ、なに。が濁流の如く押し寄せる不可思議な瞬間を前にしても。
本気で"やる"しか、助かる道は無いのだ。
そしてその時は、今だ。
「……《サモン・アイアンメタルゴーレム》」
無詠唱化した召喚魔法でゴーレムを呼び出す。老朽化の進む部屋の底をばりばりと食い破るように現れたゴーレムは、そののっぺらぼうの顔を私に向けた。
「私を全力で守って」
単純かつ分かりやすい命令を下す。すると、ゴーレムは頷くでも首を振るでもなく、淡々と膝立ちになり静止した。
これでひとまずの壁は出来た。後は考える時間だ。
「状態異常の備えは……多分毒系だよね……推奨レベル140ってことは猛毒? いや、致命毒の線もある……。精神系だとここら辺から発狂があるって聞いた事あるし……。食料は……無い……多分補給も出来ない……となると、籠城は悪手……? 御剣も同じとこに飛ばされたかどうかわからない以上、動いた方が良さそう……?」
自問自答を何度も繰り返す。言葉にする事で、これからどうすべきかを決めていく。
「レベル差10……こちらが有利だけど、それは1対1の状況だけだよね……。対峙する相手が3体になった時点で逃走しないと間違いなく死ぬ……。いや、幸い回復ポーションは多めに持ってるから、ゴーレムを生贄にすればなんとか……」
この窮地を脱する為、知恵熱が出そうな程考えに考えを重ねる。
文字通り、命がかかっているのだ。
やれる事は全てやらねばならない。
出来なければ、死ぬだけだ。
あの時のように。
「……絶対に、生きて帰ってやる。死んでやるものか……!」
もう二度と、あんな経験はごめんだ。
「……だから」
努めて無視していたものの、もう隠せない。
かたかたと、恐怖で小刻みに震える身体をごまかすように、両手を合わせ固く握る。
「神様なんて信じていないけれど……。もしも居るなら、どうか、私に幸運を……」
生きて帰れるなら、神にでも仏にでも妖怪にでもなんだって祈ってやるさ。
―――例えば、私をこの世界に連れて来てくれたであろう‡ゆうすけ‡さんにだって祈れる。
溺れる者は藁をもつかむというだろう。今の私は、まさにそうだった。
「…………よし、行くぞ私」
震える身体に喝を入れ立ち上がる。
とにもかくにも、まずは周りの情報を得る所から始めなければならない。今いる屋内はどうやら目ぼしい物は一つも無さそうなので、外に出るとしよう。
私はゴーレムに部屋の壁を砕くよう命令し、その場を離れた。ゴーレムの鋼鉄の拳が脆かった壁を粉々に打ち砕く。
すると、崩れ落ちた壁の先から明かりが差し込んできた。外界の灯りだろうか。
恐る恐る外に出てみると―――。
「……広すぎでしょ、これは……」
天を仰ぎ見ればそこには密集した発光石が幻想的な光を振り注がせ。
視線を下ろせば、薄暗くも、しかし儚げな印象を抱かせる奇怪な建築様式が連なるあまりにも広大な地下都市が眼下に広がっていた。
―――これなるは屍鬼徘徊地下都市・リビングデッドアンダーシティ。
かつて神たる▆▆▆▆▆▆が▆▆▆▆▆▆▆▆▆▆との戦に 「あー、あー。ちょっとまって?」 敗れ▆▆▆▆▆▆▆▆▆▆を▆▆▆▆▆▆▆▆▆▆「混線してる? ちょっと早いんじゃない? これ」 にせんと―――
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「いやいや。何してんの」
「この話はまだ早いでしょ」
「もう"起きた"事だけど、今する話じゃないよね」
「……ちゃんと順番は守ってよ」
「台本ってものがあるでしょ」
「……ほんとにもう。調子悪いんだから」
「それじゃ―――えい☆ 再生っと☆」
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3-24
「へへっ、あー面白かった。大人気ねぇって事はわかってっけど、子供をからかうのは止めらんねぇなぁ」
両手を頭の後ろで組み、タタコは満足げに笑った。
かつて老成していた己の事を思えばなんて年甲斐の無い行為なのだろうかと思う。年寄りの冷や水もいい所だ。―――けれど、そんな考えもふと脳裏をかすめただけで消えてしまった。
「……ま、今は俺も子供だしな。ガキはガキらしく、難しい事なんか考えなくていーんだよ」
大人の威厳だの。年相応の考えだの。自分を取り繕う事がいかにばかばかしい事か、タタコは身に染みていよく知っていたのだ。
そんなくだらない意地を張り続けたせいで―――おかげで―――タタコは今この世界に存在している。
だからこそ。タタコには、若い世代には自分と同じ轍を踏んで欲しくない思いがあった。
「しっかし、それにしてもタチバナときたら。まだまだ若ぇってのに、最近の娘っこは頭が硬くていけねぇなっと。……俺が言えた義理じゃねぇけどな」
タタコは若かりし頃の己を思い出し、ばつが悪そうに頬をぽりぽりと掻く。
丁度あの頃のひたむきに走っていた自分と、タチバナの姿が重なるのだ。
「どーにかしてやれんものかねぇ……」
人生の先輩として―――ではなく、一人の人間としてタチバナの行く末が気にかかる。
タタコに言わせれば、タチバナはひたむきにすぎるのだ。刀剣の類に例えるのならば、ただただ強くあれと打たれただけの刀が印象としては近い。
武器であるならば、それでいいのかもしれない。だが、固いだけでは刀は早々に折れてしまう。粘りも必要なのだ。タチバナにはその粘りが欠けているように思えた。
そしてそれは、若い頃のタタコとそっくりだった。
「……なんか甘ぇやつでも買って、相談に乗ってやるとするか?」
何時だって女子は甘いものが大好きだ。妻も、孫娘も、駅前のケーキ屋でショートケーキでも土産に買って来ようものならそれはもう喜んだものだった。
仕事の関係で多少家族の事を疎かにしてもそれで大抵は許して貰えたし、妻の機嫌を取りたい時もそれで割となんとかなっていた。流石に浮気がバレた時はどうにもならなかったが―――今回の場合は、そこまで重い事態でもないだろう。
「うし。とくれば、と」
タタコはひくひくと鼻をひくつかせ、甘い匂いがする方を頼りに歩を進める。
「……小豆、あんころ、みたらし、か? "ジャポ"ってぇけったいな名前だけどよ、まんま日本だなこりゃ」
タタコはどちらかと言えば洋物より和物の甘味が好みだ。故にこの手の匂いは嗅ぎなれている。
郷愁すら呼び起せそうな懐かしい匂いだったが、不思議とそのような気持ちにはならなかった。
"ああ、そういえばそんなお菓子もあったな"程度の感覚だった。
「……んー?」
その感覚に微かな疑問を覚えた、その時だった。
「おい、おめぇ、同業者か」
タタコが、腰に巻いたベルトに数々の鍛冶道具を差し込んでいる大柄な男に声を掛けられたのは。




