山吹無残血風録4
その後はスムーズに事が進んだ。無視できない恐怖感は確かにあるものの、それに縛られる程ではなくなったからだ。
先の遭遇から一、二戦エンカウントを重ね、それをつつがなく討伐した所でようやく私は普段通りの落ち着きを取り戻す事に成功する。
それからはほぼ流れ作業となった。探し、そして、狩る。ただそれだけが続く。
小休止を挟みつつ地下墓を練り歩いていた私達だったが―――。
―――ぐおるるるる。
「……御剣?」
まるで獣のような唸り声が御剣の方から聞こえて来た。何度か聞いた事のある音だった。
御剣が慈しむようにして腹を何度かさすり、答える。
「私の腹の虫が鳴いた音だ。……良い頃合いだから飯にするか、山吹」
懐中時計を取り出して見てみれば、時刻は丁度昼の十二時を指していた。相も変わらず御剣の体内時計は恐るべき正確さを誇っている。
「そだね……。じゃ、おあつらえ向きにあそこに丁度いい所があるから、そこでお昼にしよう」
「うむ、そうするか」
―――くるる。
御剣に釣られたのか、私の腹の虫も愛らしく鳴いたようだ。少し恥ずかしくなってしまう。
赤らんだ頬を見られたくなかった私は少し早歩きで目前のどん詰まりへと進む。四角形に区切られた小部屋の様なそこには、焚火の跡があった。かつてここで休憩したパーティーの名残だろう。
その場へ到着した私は足元になにがしかの骨やら虫やらが無い事を確認して、簡単に足で辺りを払う。ざっと綺麗にしたところでカンテラを置き、地に腰を下ろした。
「えーと……たしかこの辺にあったはず」
そしてアイテムバッグの中に手を突っ込み、朝方ギルドを出るついでに購入した昼食を探る。
こんな不衛生な場所で食事。ましてや地下墓の中でなんて。と思うだろうか。
残念だが、冒険者稼業を舐めてはいけない。この状況での食事は比較的マシな部類に入る。むしろ上等まであると言ってもいいだろう。
きつい、きたない、きけんな仕事の冒険者稼業では死体のすぐそばで食事を取らなければならない事態も十分ありうるのだ。
それを思えば比較的マシという表現にも納得が行くだろう。―――まぁ、今の我々には"ズル"が効くので、少なくとも汚れた手で食事をしなくても良いように十分な対策はしているのだが。
「っと、みっけたみっけた。はい、御剣」
「うむ、ありがとう」
追いついてきた御剣に探り当てた物を渡す。小型の水筒、小さな布、薄紙で包んであるパニーニ、だ。
それらを器用に受け取った御剣はその場にどっかと腰を下ろし、手早く小さな布に水筒の水をしみこませ、それで手を拭いた。
私も御剣に渡した物と同じものを取り出し、手を拭き清める。
―――これがアイテムバッグの力故に為せる"ズル"だ。普通の冒険ならかさばる為に持ち運べないような物も、私達なら幾らでも持ち込める。おしぼりの真似事もどんとこい、だ。
「いただきます」
「いただきます」
食事の挨拶もそこそこに、薄紙を破り中のパニーニを頂く。ちなみにパニーニとは簡単に説明するとイタリア式のホットサンドである。やや弾力のあるパンは噛み応えがあり、出来立てはとても美味だ。具は様々だが、今回はチーズとハムのみ。
「むぐ、むぐ」
そこそこに値は張るが冷えても十分美味い為、日帰りで済む様な冒険の際は良くパニーニを購入している。
実際の所この昼食を買い揃える為に今朝方私達が所持していた総資産は残り半分まで減ってしまったが、必要経費だろう。
パニーニに見合う以上の成果はきちんと御剣のアイテムバッグの中に眠っている。
「山吹、おかわりをくれ」
「ん」
あっという間にパニーニを平らげた御剣。そんな彼女の為にアイテムバッグの中から新たなパニーニを探り当て手渡す。
「うむ」
「もぐ、むぐ、まぐ」
暫く無言のまま食事が続く。
結局御剣はパニーニを4つ平らげ、私は1つだけ食べ終えて昼食は終わった。
随分と見慣れた、普段の光景であった。
「……むぅ」
鉄製のマグに水筒の水を注ぎ、《ヒートウェーブ》で水を温め食後の茶ならぬ白湯にしながら、思う。
……何時もの事だが、御剣は食いすぎだろうに。
ブレイドマスターともなれば、それだけ燃費が悪いのだろうか? そうでないなら、あれだけ普段から大喰らいな癖してそれでいてあのスタイルを維持出来るのは酷い反則ではなかろうか? それとも過剰に摂取された栄養は全てそのばるんばるんな胸に蓄えられるのだろうか?
もし、仮にそうであるとすれば、ある種納得できそうなものである。
あれは御剣が持つ暴力性を別ベクトルで溜め込んでいる恐ろしい武器だ。
幾度か触れた経験があるからこそ、私には理解る。
共に公衆浴場に行った時の事だったか。何かしらの気の迷いで触らせて貰った事がある。
―――まぁ、人並みにはそういうのに興味のある人間ですし? なんなら初めの頃に自分のを触ってみたりし―――いや、それはいい。ともかく、元男ならあんなでっかいの見せつけられたら触らずにはいられないし? 自分とはかなり違うそれに触れてみたいっていう興味本位ではあるけれども? 御剣もそれくらい別に構わんぞって快諾してくれちゃったから? 触らせて頂いたのですけれど?
ほんっと。すごかったのだ。
手が沈み込むのだ。ふにゅん。なのだ。
ハリがすごいのだ。艶めいているのだ。
うーわっ。って、声が出てしまうぐらい、すごかったのだ。
いい加減に止めんかたわけ! と頭を叩かれるまで、手が止められなかったほどに。
―――あれと比べると私のそれのなんとつつましやかなことか。
……実に悔しい。羨ましい。私だってあんな風に将来大きくなる可能性はあるかもだけれど、年齢的にそろそろ成長期の終わりも近い。現状のペースを思えば、御剣のような膨らみにまで育つイメージはまったく浮かばなかった。
「……ん?」
首をかしげる。
はて。今何か、普段は考えもしないような突飛な発想が転げ出たような気が……?
「おい、大丈夫か山吹。沸騰しているぞ」
「え? ……わちゃっ、わちゃちゃっ!」
いかん。危ない危ない。気が付けばマグの中の水は沸騰しぐらぐらと沸き立っていた。
慌てて掌を別方向へ向けると、すぐにマグは大人しくなる。
―――食後だからだろう。少しぼうっとしていたようだ。
「ごめんごめん。ちょっと気が抜けてたみたい」
「そのようだな。……まぁ、こんな低レベルな狩場で油断するなと言う方が無理だ。致し方あるまい」
「そうだね……」
だが、実際の所今のは少し危険な兆候だった。これが推奨レベル100以上のダンジョンとかで同じ事をしたら御剣は本気で怒る。怒られた事があるから、わかる。
―――胡坐をかいていた御剣が身体を伸ばしてマグに手をかけた。
「まだ熱いよ?」
「熱い方が好みでな」
「ん、そっか」
私はアイテムバッグからもう一つマグを取り出し、先ほどと同じようにして白湯を作る。作る間、御剣が白湯をすする音だけが地下墓に響いた。
少しして白湯を作り終えた私は、白湯に何度も息を吹きかけて冷まし、そしてちびちびと飲んだ。
私の番を待つ間、手持無沙汰に御剣があちこちへと視線を巡らせる。
「…………ずず」
その仕草はまるで猫のようだ。
猫を飼った経験があったり、野良でも家でも猫を観察した事のある人ならば分かると思うが、猫は時折何もない筈の空間をやたらと目で追う事がある。
今の御剣はそれに近い物を思わせた。
「何か、気になる?」
そんな御剣が気にかかって、疑問を投げかけてみる。
「いやなに。……山吹よ、ここの壁面だがやけに整っていると思わないか?」
「うーーーん……?」
言われたとおりに壁面を観察してみる。
すると、成程よくよく見れば確かにこの区画だけ他の場所と違い、あまり苔むしていないように見える。壁面のレンガもしっかりとしていて、目地も綺麗だ。長い年月を重ねて経年劣化している割には、他と比べて丈夫そうだ。
「"ホーラの伝説"というゲームを覚えているか?」
「ん? ああ、あの伴天道96で出てたゲーム?」
「うむ。3Dアクションゲームの金字塔だな。やった覚えは?」
「あるよ。全クリもした」
「なら話が早い。―――あの頃のゲームは当時最先端と言えど、やはりポリゴンが荒かったな」
「あー……まぁそりゃそうだけど、それが?」
「"ホーラの伝説"に出てくる隠し壁といえば、実際は隠しと言いつつも隠し壁だけポリゴンが回りよりも荒く、わざわざ剣で叩いたりせずとも先に気づけてしまうような有様だったな?」
「そうだけど……。えっ? もしかして?」
「うむ。―――匂うぞ、ここは」
鼻をひくつかせた御剣が笑みを浮かべる。
「探る価値は十分と見た。―――山吹、本探索の準備はあるか?」
「一応バッグの中には食料以外なら一週間分は入ってる」
「よし。では仮にこの先が見つかったとしても、入り口付近だけ探索しよう。その後、出入り口を封鎖して出直しだな」
「おっけ、了解。……にしても、こんな所に隠しエリアなんて珍しいね」
「まだそうだと決まったわけではないがな」
隠しエリア。という単語に思わず心が躍る。
つい先ほどまで怖いだのなんだの悩んでいた女の考えとは思えないだろうが、隠しエリアとはつまり冒険心をくすぐる抗いがたい魅惑の誘い文句なのだ。
ハイリスク・ハイリターン。未知を既知とする喜び。誰も知らない何かに、誰よりも先に触れられる優越感。それら魅力的な要素が、隠しエリアには詰まっている。
無論。死を携えてこちらを手招きする、恐ろしい罠とモンスターも共に、だが。
「―――ともあれ、元があまりに低レベルだから隠しエリアといってもそこまで期待は出来んかもしれん」
御剣がやにわに立ち上がり。
その姿が突然ブレた。
「えっ?」
「せいぜい換金できそうな宝が―――山吹?」
御剣の声が遠くなっていく。
世界の位相がズレていく。
この現象は、まさか。
「ヤバっ……! 御剣っ!!」
「動くな! 動くと同期がズレて、いしのなかに―――」
廻る。跳ねる。滲む。ぐねぐねと捻じれていく世界の中で、私の意識が遠のいていく。
「必ず―――見つ―――無事に―――」
必死に叫ぶ御剣の声だけが、脳内にリフレインしていた。
・
《―――――――――TRAP!―――――――――》
《――――――テレポーターの罠にかかりました!――――――》
《――――――あなたは別の場所へ転送されます!――――――》
《――――――屍鬼徘徊地下都市・リビングデッドアンダーシティに移動中です!――――――》
《――――――推奨レベルは140です――――――》
《――――――脱出のヒント・テレポーターを見つけるか、ボスを討伐して下さい――――――》
・




