山吹無残血風録1
話の途中で申し訳ありませんが短編から入ります
「ひい、ふう、みい……。んー……」
ぱち、ぱち、ぱち。と銀貨を積み上げ塔を立てていく。丁度十枚の銀貨で築き上げられた塔の数は、片手で数えられる程しかない。
数々の冒険で得た宝物の換金によって、私達は向こう二か月は労せず暮らせる程の収入を得た筈だった。
……だと言うのに、財布をひっくり返して金勘定に興じてみれば一月どころか数日間も危うい有様。
「っかしぃなぁ。そんなに無駄遣いした覚えは無いんだけど……?」
私は悩んだ。いくら記憶を漁ってみても、派手に浪費した覚えはなかったからだ。むしろ率先して貯蓄に励んでいた筈である。
これはおかしい。いくらなんでも。
「ひいふう……やっぱり、少ない」
不思議に思い、数を数えなおした所で変化があるわけもなく。
「…………はぁ。どーなってんのさ、いったい。これはもしかするともしかするのかなぁ」
青色吐息の私は手を重機のショベルに見立ててコインタワーを崩し、口紐を開けた布袋の財布の中へドーザーしていった。幾ばくかの金子を受け入れた財布の膨らみはまるで小さい萎びた果実のようだ。あまりに情けないその姿を目に焼き付けつつ、財布をアイテムバッグの中に放り投げ本来の用事である身支度を整える事とする。
簡単に身支度を済ませた私は流浪者向けの賃貸集合住宅―――分かりやすく言えばマンスリーマンション―――の一室から出て、そのまま隣の部屋へと向かい扉を控えめにノックする。
時刻は朝の八時。そして今日は土曜日。やっこさんは休みだから起きていない可能性が高い。
「…………」
ノックし終えて約一分。これは完璧に熟睡してるのかしらん。と思い踵を返そうとした所で、寝ぼけ眼を擦りながら御剣が不機嫌そうに現れた。……パンツ一丁で。
あまりにも危機感の欠ける、世が世なら今すぐにでも襲われてしまうような大胆な恰好だった。
「……おはよう山吹」
「……おはよ、御剣」
私は挨拶を交わしながらそそくさと入室を果たす。胡乱げな目つきの御剣は私を黙って迎え入れた。扉が閉められ、今やここは私と御剣の二人きり。誰にも見られる心配はない。
なので私は絶好のこの機会に、彼女に告げたのである。
「……せめて何か着ろよ! もう!」
とても常識的な事を。
そっぽを向いて、朱色に染まった頬を隠しながら。
・円卓の少女達超短編"山吹無残血風録"・
つまるところ―――金であった。
「金、か」
「そうだよ、金だよ」
無頼なアウトローにも、農村出の夢見る若者にも門戸を開く仕事斡旋場―――要するに冒険者ギルドだ―――の一階。私達は奥まった所にある打ち合わせ用のテーブルを占領し、真剣な面持ちで作戦会議を行っていた。
他の冒険者は数える程しか居ない。何せ今日は土曜日なので、皆冒険者家業を休んでいるからだ。
意外に思われるかもしれないが、身体が資本の冒険者は基本的に休暇を大事にする。毎日のように依頼をこなし、冒険者としての評価を上げようと躍起になる者は大抵が冒険者に成り立てのニュービーがほとんどだ。何故なら自らの体調管理を怠った者は"現場"で必ず痛い目に遭うという事を、ベテランはよく理解している為である。
動きの悪い脚。上がらない肩。疲労により弱まる筋力。普段の日常であれば気にも留めないそれらが、ここぞ、という場面で容易く己の命を奪い去る原因となるのだ。
故にこそ、彼らは休める時はしっかり身体を休める。無論の事、それは私達にも当てはまる話だ。休暇をしっかりと取る事は冒険者なら誰もが守るべき鉄の掟であるのだが……そんな掟を破ってまで私達が冒険者ギルドに出張っているのには、訳があった。
「これだけ。これだけが、今の私達の全財産」
「……ふむ」
テーブルに広げられた銀貨は今朝がた私が数えたものだ。不思議な魔法が起きたりして枚数が増えたりするでもなく、相も変わらず鈍い輝きを放っていた。
それら貧相な財源を前にして、御剣が疑問符を浮かべつつ言う。
「で、それの何が問題なんだ?」
「大問題に決まってるでしょ!」
だん。とテーブルを叩く。その衝撃で銀貨が数枚踊った。
どうにも御剣は事の重大さをいまいち理解できていない様子である。
「ちょっと前に財布がパンパンになる程お金稼いだばっかりでしょ!? それがどーしてたった数日でこんなに減ってるのさ!」
あった筈の金が無い。使った覚えもない。なのに金だけがきれいさっぱり消えている。これが意味する所は即ち、私達が窃盗の被害に遭った可能性を示唆しているのだ。
―――万が一にも別の可能性としてだが、御剣が私に黙って財布の中身を抜いたか、或いは私の金銭管理能力がここ数日で壊滅的になったという話もあり得ると言えばあり得る。……とはいえ御剣はそんなこすい真似をする女でもないし、私もそんな愚か者ではないので、いずれにしてもその線はあり得ないのだが。
「知らん。使ったから無くなっただけじゃないのか?」
「そりゃ使えば無くなるっちゃ無くなるよ、お金だもの。でも、ここ数日でそんなに大きな出費はしなかったでしょ?」
「まあな。……それにお前がそうする時は必ず私に相談をしてくれるというのも知っている」
普段から節制を……とまではいかないものの、財布の紐をそれなりに固く縛って暮らしてきた私達だ。無駄遣いは極力避け、遊行費に割く金も一定のラインを割らないよう心掛けていた。
「むぅー……」
何故そのようにして貯蓄を? と思うかもしれない。
それにはきちんとした理由がある。
まず、第一に私達はこの世界の正式な住人ではない。何の因果か現実と化してしまったゲームの世界に、自らのプレイヤーキャラクターの姿と能力を有したまま転生してしまった稀有な運命を背負う元男なのだ。
そんな私達だが、転生した際に所持していたゲーム内アイテムも一部を除きそのままこの世界に持ち込んでしまっている。それらはこの世界での一般人が目にする事が殆ど無いような、超希少な素材であったり、伝説級の武具であったり、目も眩むような黄金だとかが、そうだ。
それらアイテムを換金してしまえば、金が無いこの状況は即座に改善されるだろう。―――必ずと言っていいほど起こりうる将来的なトラブルを無視するのであれば、だが。
試しに例え話をしてみよう。
ある日宝石店に―――或いは盗品すら扱う何でも屋でもいい―――国籍も市民証もない流れ者の少女が、煌びやかな宝石を持ち込んでくる。
店主はその輝きに魅入られ、喜んで宝石を買い取ってくれる。つつがなく大金を得た少女は店を後にする……。だが、店主は強かだ。バックグラウンドも何もない少女が何の理由も無く、ただ買い取って欲しいが為に宝石を持ち込んでくるわけがない。もしかしたら、先ほどのような宝石を他にも持っているかも? 或いはこの宝石は盗品かも……? そんな風に、何か裏があると怪しむ筈だ。
さて、ここで仮にあなたが店主だとしたら、どういう行動を起こすだろうか?
怪しげな小娘が居ると衛兵に通報するか?(無論。自らが宝石を買い取った事は伏せて)
後ろ暗いツテがあるのなら、人夫に金を握らせ少女の後をつけさせ、追い詰め、脅し、金品を巻き上げてもいい。その後どうするかはあなたの自由だ。たかが少女が一人消えた所で、王都はきっと無関心だ。
―――平和な日本において道徳的教育を受けて来たあなたならば、何故そんな非道な事を。と思ってくれるかもしれない。
しかし、ここは日本じゃない。
ここは現実と化した"悠久の大地"だ。識字率は100%に満たず、人権なんて言葉は当然存在しない。治安の悪い人気のない路地裏に入れば高確率で犯罪があなたを出迎え、場合によっては死ぬよりもひどい目に遭うだろうし、かといって旅をしようと人類圏を一歩出ればそこは凶暴なモンスターがひしめく魔の大地である。
そんな世界に、日本の常識が通用すると思ってはいけないのだ。
故に私達は無用なトラブルを避けるべく、ゲーム時代のアイテム換金は最後の手段として控えておき、普段から真っ当な金策をする事で金銭面におけるトラブルに対処できるよう対策をしていた。
筈、だったのだ。
だというのに金が無いのである。由々しき問題であった。
「―――御剣は何か心当たりはあったりする?」
恐らく無駄だろうが、ダメ元で御剣に問いかけてみる。
「当然無い。そもそも財布の管理は山吹に一任していただろう? 故に金が無い理由について私が知る由もない」
「だよねぇ……」
分かっていた答えだったが、やはり納得はいかなかった。
そも、御剣が述べた通り財布は私が管理していた。なので消えた金の行方なぞ私が把握していてしかるべきなのだ。
だというのにそれが分からない。それはつまり、認めたくはないが―――。
「では逆に問うが山吹よ。お前こそ何か身に覚えはあるか?」
「全く無いよ……あったらこんな話はしていないもの」
「そうか……。と、なると、可能性としては」
「盗まれた……とか?」
「ぐらいしかあるまい」
「……そうなるよねぇ……」
―――事もあろうにレベル197とレベル150である高レベルプレイヤー二人組が、財布の中身をスられた事に気が付きもしなかったお間抜け者だと認めねばならなかったのだ。
「―――もしや、私達以外のプレイヤーの仕業か?」
御剣の目が鋭く光る。が、しかし頭を振って御剣は自らの考えを否定した。
「いや、やはりないな。……王都の詳細な人口は知らないが、仮に10万人が住む都市だとして、その中からたまたま私達二人を相手に窃盗に及んだ者がいて、かつそれを行った者が私達ですらスられた事に気づかぬ隠蔽能力持ちである可能性は一体どれほどになると思う?」
「……10万分の1よりは低そうだね」
或いはそれよりも低いと言える。
私達が今身を寄せている冒険者ギルドには私達と同等もしくはそれに近しい力を持つ人物は存在しない。それは王都全体を俯瞰して見ても同じ事が言えるからだ。―――単に私達が知らないだけか、まだ出会っていないだけなのかもしれないが、いずれにしても可能性は限りなく低い。
「それはつまり"無い"のと一緒だ。"有る"のは65536分の1までだ、山吹」
「そうなんだ……? やたらと具体的な数字だけど、何か理由でもあるの?」
「二進数だ。……山吹はコンピューターについての知識は?」
「いや、あんまり詳しくはないけど」
「では簡単に説明しよう。おおざっぱに言えば、コンピューターは0と1の数字だけで全てを表現している。"0"と"1"だ。故にゲームでは何かと確率が絡むものを定める時、2の倍数が使われがちでな……その最も起こりえない確率の際たるものとして、2の16乗……65536分の1がよく使われているんだ」
「へぇー……」
「ちなみにだが、"悠久の大地"で年末恒例だった大抽選くじを覚えているか?」
「あー。覚えてる覚えてる。あの全然当たらない奴! 去年の1等が確か"昇魂の器"だったっけ?」
「うむ。あれの当選確率が65536分の1だぞ」
「そーなの!? ……どうりで当たらないわけだ。だからあんなに高いんだねアレ……」
御剣は相も変わらず妙な所で博識だ。一体全体どこからそんな知識を学んだのやら、付き合いも2か月近くになるというのに御剣という存在は謎が深まる一方である。
「うむ……私ですらアレはおいそれと買える代物ではなかったからな……。―――ともあれだ。多少話が脱線したが金が盗まれたのかにせよ、管理不十分だったのかにせよ、今現実にある問題としてまず金がないと、山吹はそう言いたいのだな?」
「うん、そう。とりあえず数日は食いつなげるけど、内容はだいぶ貧相になる。黒パンにクズ肉としなびた野菜。それとワイン一杯が関の山ってとこ。勿論だけど、公衆浴場とかに使えるお金は無い計算でそれだからね?」
「……む。そうか……。それは、困るな……」
うむぅ。と御剣がおとがいに手を当てて唸る。
食に関してはそれなりに拘りのある御剣だ。普通の食事が出来るならまだしも、栄養価に欠ける粗食しか出来ない状態にあると告げられてはさしもの御剣も困るらしかった。
なにより年頃の乙女が風呂にも入らず数日過ごすなんて事自体が私にとっても許容しがたい。
厳密に言うなら乙女の皮を被った男なのだが。
「それに今月の家賃の支払いが間近に迫ってる」
「ほう、幾らだ?」
「金貨2枚」
ちなみにワンルームで金貨一枚だ。私と御剣の分を合わせて2枚の計算である。
「期日は?」
「三日後」
「払えなければ?」
「追い出されます」
「……成程。それはつまりあれだな。大問題だな」
「御剣せんせえにもようやく事の重大さが分かってもらえたようで何よりです。だからわざわざ休日にも関わらず冒険者ギルドに出張っているわけでして」
「要するに―――金か」
「そうだよ、金だよ」
と、そこで二人して顔を冒険者ギルドの掲示板の方向へと向ける。
張り出された依頼の内容は少ない。だが、無いわけでもない。
「―――仮に盗まれたのならば、今後の対策を考えなければならないが……。ひとまずは、そうだな」
「―――そうだね、ひとまずは」
働かざる者食うべからず、だ。




