3-19
まだ恥ずかしくて顔がほんのりと汗ばんでいるが、それはこの際無視する。
とりあえずの落ち着きを取り戻し(きれてはいないが)た私は、部屋の内装をぐるりと見渡し、訊ねた。
「……そ、そういえばラミー、ここは何処? 私達の泊ってた部屋とは違うみたいだけれど……」
まず、内装のグレードが一、二段階程低そうに見える。少なくとも私達の居たスイートルームではない。
「はい。ここは……その、タチバナさんのお部屋です」
「タチバナさんの?」
意外な名前に驚く。何故タチバナさんの部屋なのだろうか。
「一体どうしてタチバナさんの部屋に?」
「それは―――」
「―――私から、説明致しましょう」
まるで頃合いを見計らっていたかのような丁度いいタイミングで部屋のドアを開けて現れたのはタチバナさんだった。
少し疲れているのだろうか。その表情には少々の影が差している。
「無事に快復したようで何よりです。――――――それで一応の確認となりますが、貴女は先の邪悪なモンスターとの戦闘後にゴーレムの多重召喚により魔力が枯渇し、急性魔力欠乏症により昏倒しました。そこまでは理解していますね?」
「ええ、まあ」
タチバナさんの言に素直に頷く。今までに何が起きたのか、私が知るのはそこまでだからだ。
「……はぁ。"ええ、まあ"ですか……。あれだけの事をしでかしておいて、"ええ、まあ"ですか……。……意思のあるゴーレムを召喚? しかも八体も多重召喚? そんな伝説級の魔法を発動しておいて、代償がただの急性魔力欠乏症だけ……? 何ですかそれは……頭おかしいんじゃないですか……!?」
タチバナさんが何やら小声で、物凄く怨の篭っていそうな何かを呟いた。
それは本当に小さい声で私でも何を言っているのか聞こえない程だった。
「あの、何か?」
気になったので問いかけてみる、が。
「いえ、何でもありません」
圧の強い仏頂面で睨み返されてしまっては二の句も告げない。……何か気に障るような事をしたのだろうか?
タチバナさんはスイッチを切り替えるように咳払いを一つして話を続ける。
「こほん。……あの後、貴女が召喚したゴーレム達は沈没しかけていたタイターン・ニック号を急ピッチで修理しました。所々継ぎ接ぎの、正直今でもこの船が航海出来ている事に関心するレベルの突貫工事でしたが……ともあれ、貴女はこの船を修理し、見事に乗客全員の命を救ったのです」
「なるほど」
どうやら私の召喚したゴーレム達はその責務をきちんと果たしてくれたようだ。継ぎ接ぎだろうとなんだろうとかまわない。肝要なのは船がジャポに無事に辿り着けるかどうかだ。その後のタイターン・ニック号の行く末など、私にとっては知ったこっちゃないので。
「そして、それは。……一言で言えば、やりすぎでした」
「……はい?」
知ったこっちゃないのだが……。やりすぎた、とは?
「邪悪なモンスターを討伐し、意思持つゴーレムを多数呼び出すという強大な魔法を行使した者が存在するという事を、この船の乗客達―――つまるところ、世の大富豪や貴族達が知る所となったのです」
そこまで聞いて、おおよその状況が掴めた。
「……ああ、なるほど」
「……どうやら察しがいいようですね。お察しの通り―――昏倒した貴女は私達が介抱しましたが、貴女の事を何処からか聞きつけた何某の貴族やら、何某の富豪やらが貴女に面会を求め殺到したのです。"タイターンを救った英傑に是非とも感謝の言葉を述べたい"だとかを口々に述べて」
私は内心溜息をついた。
ゴーレムを召喚する前、心のどこかで恐らくそうなるであろう事に予想は付いていたが、事実その通りになってみると思いのほか気分がブルーになったからだ。
―――街を出れば日常的にモンスターと遭遇するこの世界では、誇張でなしに力こそ正義だ。故に人間社会での力には優れるが、一個の生命として弱い彼ら上流階級は私のように力ある人物とのコネクションを持ちたがる。強力な人物とのコネクションの有る無しは、身を守る武具の有る無しのそれに殆ど等しい。あるいは、脅しの材料でもあるが。
例を挙げるとすれば、セラフ=キャット会長のような死者蘇生能力を求めて群がる諸国の王らを見ればとても分かりやすい。御剣も剣聖の称号を得た直後は似たような境遇だったそうだ。
なので、恐らくは私も今後彼女達のようにどこそこのだれそれからアプローチを受ける立場になるのだろう。
ただ、ラミーの為なら静かに暮らせなくなっても構わないと覚悟を決めた私からすれば、貴族だのなんだのが今更なんだ、という話なのだが―――だからといって、面倒ごとが面倒臭く無くなるわけではないので気分が落ち込むのは避けられなかった。
「初めの内はミツルギ…………さんが対応していましたが……」
タチバナさんが言葉を濁す。……というか、さん付け? 御剣に?
何か、少しだがタチバナさんの心境の変化を感じる。
「十分もしないうちに笑顔で抜刀し出したので私達は慌ててその場を離れ、紆余曲折を経て私の部屋へと逃げ込んだのです」
「あー……はい、なるほど大体想像が付きました。それは大変お世話様でした……」
のだが。タチバナさんに訪れた差異を確かめる間もなく、御剣がポン刀片手に無遠慮な貴族らを蜘蛛の子を散らすように追い払う姿が鮮明にフラバってきた。
以前御剣も会長のようにアプローチを受けたと先に述べたが、それ以来御剣はその手の類が現れると非常に機嫌を悪くするようになったのだ。
訪れた相手を実際に切り殺すとまではいかないが、それに準ずる殺気を平然と放つ彼女の事だ。傍で見ていたタチバナさんはさぞ肝が冷えただろう。
……なるほど。タチバナさんの表情に浮かぶ疲れはこれが原因か。
私を介抱しつつ爆発寸前の御剣を連れ戦略的撤退を選択した彼女には深く感謝するべきだろう。
「ありがとうございました、タチバナさん」
深く。頭を下げる。
彼女が居なければせっかく修理したこの船も御剣が再び沈めかねなかったし。
何より―――隣に座る愛しいラミーの膝枕も味わえなかったかもしれなかったのだ。
「……いえ、感謝される謂われはありません。頭を上げて下さい」
頭を上げると、そこには相変わらずの無表情なタチバナさんの姿があり。
「無かったとしても私は本当に感謝していますよ、タチバナさん」
「……そうですか」
私の心からの言葉を受け止めたタチバナさんは、ぷいとそっぽを向いてしまった。
だが、そこには、完全な拒絶の意思は無かったようだった。
「…………ふふ」
何が彼女の琴線に触れたのかは分からない。
だが、先ほどまでのように一も二も無く敵と見做されていた状況を思えば大きな前進だろう。
キャバリエ家のメイドたるタチバナさんと私では立場は違えど、ラミーを守りたい、という点では志を共にする同志だ。そんな彼女とは憎みあうよりかは仲良くした方が何倍もいい。味方は多ければ多い程良い。
何が人間関係を良い方向に導いていくのかは、その時々によって違う。ただ、私はこれを機にタチバナさんと良い関係を築いていければ良いなと思った。
そう出来たのなら、きっと遠からずラミーとキャバリエ家のわだかまりを解消する糸口になれるのでは、と予感したから―――。
・
「……あの、ところで、師匠?」
「うん? どしたのラミー?」
「御剣さんから書置きを預かっているのですが……」
「書置き?」
「はい。ヤマブキが起きたらヤマブキにだけ見せろと言っていました」
「うぅん……? どれどれ?」
がさごそばさり。
『私とタタコは飲み直してくる。タチバナも要件を伝え終わったら私達の元へ来るように伝えてあるから心配は不要だ。昼頃、ラミーがとても"物欲しそう"にしていたからな。遠慮なく励むと良い。
―――追伸。盗み見も盗み聞きもしないから安心しろ。刀に誓っても良い。 御剣」
読み終えた瞬間どうなったか知りたいか?
顔面赤熱化したわ! ばかちん!
―――っていうかラミーが昼頃私をさわさわしてたの知ってたんかい、あの御剣!
「かーーーーっ《ヒートウェーブ》!!」
ぐしゃぐしゃっと御剣の書置きを丸めて無詠唱の魔法で燃やして消し炭にする!
「きゃあっ!? 師匠っ!? 一体何をっ!?」
「と、突然何をしだすのですか!? 危ないではないですか! ……というより、今のはまさか、無詠唱で……?」
私の突然の凶行に泡を食う二人だがこれは致し方ない事である!
「それについてはすみませんとしか! はい! ですけれどもね! あの書置きはこの世に残しておくと、いらぬトラブルを招きかねないのでして、はい! すみませんね!」
真っ赤な顔で喚き散らす私のなんと無様な事であろうか!
「……そ、そうですか」
ほらもータチバナさんドン引きだしさぁ! どうしてかは知らないけれどせっかく上がったタチバナさんの好感度がみるみる下がってく気がしますよもー! もー! もーーーーーっ!
「だ、大丈夫ですか師匠!? 顔真っ赤ですけれど……もしかして、まだ体調が悪いんじゃ……?」
そんな中ラミーったら私のおでこにおでこぴったりくっつけて熱測ろうとしてくるし今どきラブコメでもそんな事しないよぉ……!
「ぅぅぁぁ……大丈夫……私の体調は万全だから……本当に大丈夫だから……」
時すでに遅し感が凄いけれど、慌ててラミーから距離を取り両手で顔を隠す。
もう、穴があったら入りたい。
もー本当に今回は色々と酷いぞ御剣! 御晒せ! この借りはいつか千倍にして返すからな!
「……とりあえず、伝えるべき事もお伝えしましたので私はミツルギさん達の元へ戻ります。戸締りだけはしっかりとお願いしますね」
戸惑う様子のタチバナさんがそれだけ伝え終わると部屋を辞す。
残されたのは勝手にテンパる私とラミーだけ。
「本当に大丈夫なんですか……?」
心配そうなラミーが、顔を隠す私の両手をそっと引きはがす。
私はそれに抗えない。
「…………うん」
辛うじて出来た返答は、とても掠れている。
赤らむ顔と、急上昇した温度はまるで下がる気配がない。
「なら、よかったです。…………あの、それで、ですね、師匠」
「…………はい」
もじもじとした様子のラミーが、ぽつりとつぶやく。
「……二人っきりに、なっちゃいましたね」
そうです。なっちゃってるんです。ふたりっきりに。
ふたりっきりに!
「……そう、だね」
「……もっと傍に寄っても、いいですか?」
返答を告げるよりも早く、待ての出来ない子犬のように、ラミーが寄り添ってくる。
「…………うん」
イエスと告げると。
子犬は大型犬と化して、私を押し倒してきたのだった。
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