3-15
「とにかく。―――とにかく! 色々と言いたい事はありますがひとまずこれだけはきっぱりとお伝えしましょう。私はそのダイドウ氏とは全くの無関係です。名前を聞いた事も無ければ、今までお会いしたことも当然ありません」
"恐ろしい緑色"という大変に名誉な二つ名を頂戴した私は、ただ事実だけを伝える。
実際問題そうなのだからそう伝える他ない。しかし、得てしてこういう場合相手方はこちらの発言を殆ど信用してくれないのが世の常。
「ふん。ラミー様の前でよくもそんなぬけぬけと……」
その例に漏れず、眼前のタチバナさんは私の言葉を一ミリも信用していなかった。
むしろ私の嘘を見抜いてやるぞとばかりに射貫くような目つきで睨みつけられている。
まったくもって謂われなき(なくもないが)非難を前に、世の無常を感じる次第だ。それもこれも、この世を動かす運命とかいう奴が悪い。非難されるべきは彼奴である。
「信じる信じないはタチバナの自由だけどよ、事実だしなぁ?」
「うむ」
私の事を慮ったのか、タタコさんと御剣が援護射撃をしてくれる。
だが、タチバナさんはそんな私達を前に勝ち誇るように縄を打たれた両手で眼鏡の位置をくいっと修正しながら言った。
「証拠はあります。それも状況証拠でもない、物的な。―――ミツルギ、さんでしたか。あなたが持っているタイターン・ニック号の乗船チケットを見てみなさい」
「ふむ?」
タチバナさんの言に素直に従った御剣がウエストポーチからチケットを取り出す。
「それは偽物です」
「なにっ?」
「えっ?」
「マジか!」
「えええっ!?」
非常に珍しい事だが御剣が驚愕を露わにした。続く私達もびっくりだ。どういう事なのだろう。
チケットの両面を穴が開くまで見つめる御剣だが、その顔には疑問符がいくつも浮かんでいる。
「―――どういう事だ。説明しろタチバナ」
そしてとうとう観念したのか、ぐばっと顔を上げて言った。
「まず、そのチケットですが……。それそのものはドーガスタが観光業の一環として配布している物で、なんらおかしい所はありません。ですがその裏側をよくご覧なさい」
言われた通りに裏側を向ける御剣。そこにはドーガスタ国王の認証印と、私達四人分のサインがある。
どこにもおかしい所があるようには思えない。
「その認証印。それこそが偽物である証拠に他なりません」
「なんだと?」
「―――ふん。認証印ですって? なんてわざとらしい。そんなものを国王が招待チケット一枚の為にわざわざ押印するものですか。その認証印が押された箇所には本来何もないのですよ」
思わず唖然とする。だが私はそこで待ったをかけた。当然の疑問があったからだ。
「ちょ、ちょっと待って下さい。それでは偽装対策についてはどうするんです?」
なにせこの世界では商取引においては勘合貿易のように割符が常用されている。ICチップやロットナンバー、ホログラム処理にバーコードリーダーもない為、他の書類やチケット類への押印やサインは偽装対策に必要不可欠なのだ。
「それについては我が国の特別な製紙技術が真偽を保証してくれます。まず、チケットの端をちぎり水の中へ入れてみなさい」
「……タタコ。悪いが水差しを取ってくれ」
「おうよ。……ほいっと」
言われたとおりにチケットの端をちぎった御剣が切れ端を水差しの中へ投入する。
ガラスで創られた高そうな流線形の水差しの中へと沈んでいった切れ端だが、特に変化は無いまま容器の底へと沈んでいった。
「何も起きませんね」
「それはそのチケットが偽物だからこそです。もしも本物であるのなら、チケットは水に触れた途端糸が解けるように崩れ去ります」
「ふぅーむ……」
という事はつまり、タチバナさんの言を信じるならば御剣が持つチケットは偽物だという事に他ならない。
「……ふん」
水差しの底に沈むチケットの切れ端を睨みつける御剣はとても不機嫌そうな様子だ。
偽物をつかまされた点について、何かしら思うところがあるのかもしれない。
……まあ、何せあんなにはしゃいでいたものな。"ジャポに行くぞ!"とかなんとか凄い笑顔だったし。
そんないい旅夢気分の所に水を差されたのだから、御剣の気持ちも分からないでもなかった。
分からないでもなかったが。
―――だから商店街のくじ引きで当たったとか、胡散臭いと思ったんだよなぁ……。
「これで理解できましたか? 見分け方は簡単、しかし製造方法は我が国の秘匿する所であり偽装は困難。そんなチケットの真贋を見抜いてしかるべき国境警備員は何事も無くあなた方を通した。それはつまり、あなた方と彼らが裏で通じていたという事。遡って、ダイドウめと繋がっていた事に他なりません!」
そして、どうだ。とばかりにタチバナさんが言いきった。悪者の企みをまるっとお見通しに見抜いた、正義のメイドさんの姿がここにあった。
「…………」
思わず眉間を抑える。
これはあまりにも酷い。何が酷いってとことん筋が通っているのが酷い。
状況証拠も物的証拠も十分だ。
これではいかに私達が否定をしようにも、決してタチバナさんは信じてくれないだろう。
実に悪辣である。こんな舞台を仕立て上げた誰かさんを極刑に上げたい気分だった。
「……ほ、ほら。その国境警備員さんが新人で、見分け方を知らなかった可能性も無きにしもあらずというか」
「言い訳にしても幼稚すぎでしょう。そこは当然私達の隠密部隊が"ダイドウと繋がっていた"との証言を吐かせました。裏金を握らせるのなら、もう少し口の堅い相手にするべきでしたね」
一縷の可能性にかけてみたが、まぁそうだよねとの感想しか浮かばなかった。
私達でもそうやって裏を取るだろうし。
「本当に私達は無関係なんですけどね……」
「仕方あるまい山吹、これでは私達の無実は証明しようがない、悪魔の証明という奴だな」
白いカラスは居ない。ならばそれを証明するためには世界中のカラスを集めるしかない、というアレだ。
実際にはダイドウ氏本人に"彼女達は無関係である"と吐かせればいいだけなのでそこまで無理じゃないにしろ、ここで私達がダイドウ氏と無関係である証明が出来ないのには変わらない。
「し、師匠はそのダイドウという人とは何の関わりもありません! ただの偶然に決まっています!」
そんな中で健気にも反論してくれるラミーが愛おしい。
「いいえ、ラミー様。あなたは騙されているだけなのです。どうかジャポに行くのはお考え直し、私と共にキャバリエ家へ向かいましょう。私はその為にここに来たのです」
「……だ、誰がキャバリエなんかにっ!」
そんな中で健気にもラミーを説得するタチバナさんに悲しくなる。
両手に縄を打たれ私達に囲まれている最中にあっても(一応は)主人の娘を思うその姿勢は見習いたい。
私でも仮に同じ状況に陥ったとして、ラミーの事を最優先に考えるのは当然としても状況を打開する為に何らかの布石を打ち―――。
と、そこまで考えいたって、その可能性に気が付いた。
もしかすると、だが。タチバナさんにはこの状況をひっくり返す何らかの策があるのでは?
「御剣。もしかしてだけれど、誰か近づいてきてる?」
「……ああ、来ているな。それも複数人だ」
瞼を閉じた御剣が耳をぴくぴくとさせながら答える。
「今更気が付きましたか。ですがもう遅いですよ。私との連絡が途絶えた以上、この船に秘密裏に乗船した仲間たちがあなたたちを誅する為駈けつけて来たのですから―――」
勝ち誇るタチバナさん。青ざめるラミー。拳の骨を鳴らすタタコさん。動じない御剣。
そして、袖のポーションのパッチに手をかける私。
五者五様の私達を前に、つい先ほどと同様にドアがけたたましい音と共に開かれ―――。
「―――おっ、おっ、お客様っ!? ご無事ですか!? 今すぐお逃げください!! モ、モモッ、モンスターが!! 巨大なイカのモンスターが現れたのです!!」
そこに居たのは、顔を青ざめさせ息を荒げる、水兵服の船員さん達だった。
「―――は?」
タチバナさんは茫然としていた。
「あの最新式の稼働砲台や魔道砲台やらはどうしたんだ。あれで迎撃すればいいではないか」
御剣は当然の指摘をする。すると船員さんはとても言いにくそうにして。
「……た、大変申し上げにくいのですが、魔道砲台は、ふ、不具合により稼働せず、稼働砲台にも何故か、さ、細工が施されており……その……」
大変に愉快な事を仰ってくれた。
「…………だろーなぁ。なんとなーくだけど、分かってたっつーか、なんつーか。あれか、ふらぐ、って奴なんだな? 若ぇ奴から聞いたぜ」
達観したタタコさんは腕を組みうんうんと唸る。
「そうか。ならば仕方ない。丁度こいつも血を吸いたいと言っていた所だったんだ、向かうとするか、なぁ山吹?」
「…………そうだね、御剣」
私はと言えば、最早出る溜息も無く淡々と武装を始める始末。
「成程なぁ……ここでかぁ……いやまぁ、多分出るだろうな、とは思ってたけどさぁ……うん……」
ぶつくさと文句を垂れるも最早是非も無し。立ったフラグの回収が為された以上、私達は為すべきことを為さねばならないのだ。
「……え……いや……皆は……?」
今の状況に対する理解が追い付いていないタチバナさんに申し訳ないがポンコツ味を感じつつ、ラミーの手を引き寄せる。
「ラミー。多分ここでも大丈夫だとは思うけど、出来ればラミーの事は傍で守ってあげたいんだ。だから、悪いけれど一緒に来てもらえるかな?」
これはただの私の我儘だ。本当にラミーの事を最優先に考えるなら、こんな提案はするべきじゃない。
けれど。
「……はっ、はいっ! 師匠っ! どこにでも、どこまでも、一緒にいますっ!」
ラミーは嬉しそうに笑みを浮かべてくれた。
それがとても嬉しくて、今のわちゃわちゃとした状況でもなんとかしようというやる気が溢れてくるのを感じる。
―――ああ、やっぱり、好きな人が居るって、いいことだ。
「うっし! そんじゃあさっきの雪辱を晴らすといくか! 次こそは俺の"いちげきひっさつ"が火を噴くぜ!」
「うむうむ。だが、その武器の即死効果はここで発揮してくれるなよ? 何せ幾分か刀に血を吸わせなければ、機嫌が悪くなってしまうのでな」
「刀の機嫌がかぁ? そんなのあんのかよ?」
「ある。少なくとも、私のにはな」
「ねぇ、前々から思ってたんだけど。御剣さぁ、その刀意思が宿ってるよね? 機嫌だの、言っていた、だのさ。……こないだの一件、あれ有耶無耶にしたのまだ納得してないんだけど?」
「――――――は、ははは。いやなにほんのちょっとした冗談だともただのジョークだ気にするな」
「嘘こけ急に早口になるその姿勢が最早怪しさ満点だわ!」
「師匠っ! 師匠っ! ふふふっ!」
ぞろぞろと連れ立って部屋を出る。
これから行われる巨大イカの解体ショーはさぞや一大スペクタクルになるだろう。
きっとラミーには私が赤面するばかりでもない、クールに格好いい所を師匠の面目躍如とばかりに見せてあげられる筈だ。
……何せ夜はいつも私が泣かされているが故に、ここで挽回しなければ私のバランスという奴が―――。
いや、いや! 何でもない! 何でもないとも!
決してそんな事はないとも! なぁ私よ!? そうだろう!?
「―――ではタチバナさん。留守番をよろしくお願いします。多分三十分もしないうちに戻ってくると思いますので」
「お、お客様っ!? どちらへっ!?」
泡を食う船員さんに申し訳ないが、慌てふためく乗客達の悲鳴をBGMに私達は颯爽と甲板へ向かう。
きぃぃ。と閉じられた扉の先では、タチバナさんがぽつんと一人きり。
「……は……はぁっ!?」
捨て置かれたメイドさんの叫びは、誰にも届くことは無かった。




