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「おろろろろろろろろろろろ」
「よしよし、げーしなさい、げー。こういう時は中身全部出した方が楽になりますから」
王都を出立してより約一時間後。
胃の中身を盛大にリバースするえちごやさんの為に、私達は小休止中なのでした。
空が蒼い。さわやかに吹く風が、すっぱい匂いをどこかにやってくれるのが実にありがたいです。
「……だから私は控えめにしろと言ったのだ。それを聞き流し、高級コース料理を平らげた挙句食後のパフェーまで頼んだ以上こうなってしまうのは当然の結果だろう。怨むならどうせ奢りだからとたらふく食べた自らを怨みたまえ」
周囲を警戒しながらも、呆れた様子のミハエル。彼は微妙に私達から距離を取っていた。
私だって出来る事ならそうしたい。しかしながら、苦しむ仲間は放っておけないのである。
その苦しみの原因が、暴飲暴食の後の自滅であると知っていても。
「まったく、えちごやよ。鍛え方が足りんのだ。鍛えてさえいれば、ほれ私のように健康元気、活力に満ち溢れ、胃の消化能力も自ずと強くなり乗り物酔いにも強くなるのだ。だから体を鍛えろ、鍛える事これすなわち全てを解決する事と知るがいい」
値段はかなり控えめであるものの、えちごやさんの倍近い量を食べていたはずの御剣は実に健康そのものといった様子だ。
あんなに上下左右に馬車で揺られたくせに、吐き気は微塵もなさそうである。
私でさえちょっと気持ち悪くなったぐらいなのに、ははは、もしやこやつ人間ではないな?
「流石はミツルギ殿……人間、何事も体が資本という事ですな」
ミハエルも何を関心した風に頷いているんだ。
「おええええっ……。みつるぎさんといっしょにしないでくださいよぉ……、あぁぁぁ、おいしかったのにぃ……もったいな―――おろろろろろ」
「えちごやさん、ゆっくりでいいからね。落ち着いたら薬を飲みましょう、それで大分良くなるはずだから」
「ありがとうやまぶ―――おぇぇぇ!」
すっぱい臭いが鼻をつく。
あぁ、なんかこれ懐かしいなぁ。会社の飲み会で無理をした新人の子を世話している時の感覚に似ている。
えちごやさんは円卓メンバーとしては新参者なので、状況としては似たようなものか。
ただ、酒が入っていない分かなりマシだ。深酔いした相手の対応はそりゃあ面倒なものなのである。
「どうです? 全部出ましたか? そしたらゆっくりでいいのでお水を飲んで下さい、はい、どうぞえちごやさん」
「うえええ……。んぐっ、んぐっ……、まだ気持ち悪いです……」
「じゃあ落ち着くまで待ちましょう。今薬を飲んでも、効果が発揮される前に戻してしまう可能性がありますし」
「ええぇ……、ヒールポーションみたく即効性じゃないんですか……」
「まあ、状態異常じゃありませんから、そこは仕方ないでしょう」
「うぅぅー」
苦しむえちごやさんの傍ら、私は思いを巡らせる。
この世界―――現実と化した『悠久の大地』において適用される世界のルールは、大体がゲームの頃と変わっていない。
例えばポーションがそうだ。ポーションには様々な種類が存在するが、その中でゲームプレイヤーが主に消費していたのは回復系ポーション。
ヒール、マジック、スタミナの三つである。
ヒールポーションは、消耗したHPを回復する、最もメジャーなポーション。
続く二つのマジック、スタミナはMP、SPを回復する。
これらは使えば即座に効果が発揮される実にインスタントなアイテムであり、使用方法はその手段を問わない。
味方にポーションを投げつけてもいいし、飲んでもいいし、体にふりかけてもいい。
『悠久の大地』にはアクション要素もあったのでそのような仕様だっただのろう。
そんなポーションだが、先に挙げた三種類以外にも様々な効果を持つポーションが多数存在する。
毒を癒すアンチドートに代表される、状態異常治療系。
使用すると一定時間プレイヤーの筋力を高めるストレングスポーションに代表される、能力強化系。
衝撃を加えると爆発してダメージを与えるニトロポットに代表される、投擲系。
その他にも多数存在するが、これらのポーションは皆共通して前述の通り使用方法の手段を問わず、全て即差に効果が発揮される。
この即座に、というのがポイントだ。
状態異常として、例えば身も悶えるような猛毒を受けたとしても、対応できる高位のアンチドートでも投げつけてやれば即座に治療が可能となる。
そのプロセスには、病院にいって診察を受けて血清や点滴を打って安静にして……等の煩わしい問題は必要ない。
まるで電源のオンオフのように、一瞬で治療が出来る。
故に、この世界では病気にかかったらまず薬屋に行く。薬屋が病院の性質も兼ねるからだ。
風邪を引いたのなら、ちょっと薬屋でポーションを一瓶買って飲めばそれで終わりなのである。
実にインスタント! 医者は商売あがったりだ。というかこの世界に医者はいない。
居るのは私のような薬屋だけだ。
―――さて、ここで問題。
では何故えちごやさんは何時までたっても吐き気に悩まされ続けているのか?
その理由は至極簡単。『吐き気』を癒すポーションがないから。
『吐き気』は状態異常ではないからだ。
『悠久の大地』のプレイヤーにマイナス効果を及ぼす状態異常の一覧に、吐き気なんて項目はなかった。
それはつまり、吐き気を癒すポーションは存在しないという事になる。
例え超激レアアイテムの、死者を蘇らせありとあらゆる傷を癒し全快する『エリクシール』であっても、吐き気は治せない。何せ吐き気には対応していないからだ。
試したことがあるからわかる。
一体どんな理屈だと思うが、やはりそれがこの世界のルールなのだろう。
ままならないというか、中途半端に便利である。
「…………今なら大丈夫かも、です」
「じゃあ、はい。どうぞ、粉薬ですから気をつけて」
ようやく落ち着いてきたらしいえちごやさんに、懐から取り出した印籠の中身を差し出す。
薬包紙で丁寧に包まれて封のされたそれの中身は、私が独自に開発した吐き気止めの薬だ。
大陸中から出来る限りで取り寄せた薬草を鑑定スキルでしらみつぶしに調べ上げ、吐き気に効用のありそうなものを片っ端からぶち込んだだけだが、これが案外効果があるようなので素人技術もバカに出来ない。
ヤブ医者の所業だが、それを咎める人も法も無いので問題はナッシン。
要は効果があればいいのである。
「ううううう、苦い!」
うえー、とえちごやさんが舌を出す。
「自分で言ったらあれですけど、良薬口に苦し、ですよ」
「背に腹は変えられませんか……くぅ……」
これでえちごやさんの体調も直に良くなるだろう。
顔色が大分良くなったえちごやさんから離れ、ミハエルの元へ向かう。
彼は地図を覗いていた。ついでに今後の予定を聞いておこう。
「よっと……。ミハエルさん、ここから法国まではどれぐらいの距離があるんですか?」
「そうだな……私達が今居る場所がここ、クレバンスの盆地だ。ここからだから、後360kmと言った所だろう」
古めかしい地図の一点を指差し、法国までのルートを指でなぞりながら言う。
グラン・アトルガム王国の領土と法国の境界線に近い地点がクレバンスの盆地だ。
大陸を斜めに横断するように連なるグレート・クレバンス山脈の中で、唐突にぽっかりと空いた穴のように出現するクレバンスの盆地は、両国を行き来するルートにおいて一番安全でかつ通りやすい。
山頂から吹き降ろす冷たい風のせいで年中冷える地域だが、低地故に植物が育ちやすく草原が広がっており、それを目当てに野生動物が集まってくる為いざという時は食料に困らないのである。
時折モンスターが来る事もあるが、レベル的には20にも満たない弱いモンスターばかり出現する。
遊牧民らしき集団が生活しているとの情報もあるが、残念ながら遭遇はしていなかった。
「結構ありますね。この分だと、到着は夜頃に?」
「特に問題等なければ、だがな」
「うううう」
ミハエルが手ごろな岩に身を預けているえちごやさんを半目で睨んだ。
どうやら昼食で結構な金額を奢らされた事について根に持っているらしい。
国費負担とは言え、たかが食事の為に万単位で金を消費してしまったのは許せなかったようだ。
「わかりました、了解です」
到着が夜頃になるとは言え、辺境から法国まで一日で駆けられるとは今更ながらスレイプニールは末恐ろしい乗り物である。
異世界版新幹線と言った所か。順当に技術力が発展していけば、ゆくゆくは大陸横断鉄道のような代物も出来上がるのかもしれない。
現状の交通手段は馬車や飛竜程度しかないが、今後が楽しみだ。
「…………おい」
妄想を働かせていると、急に御剣が剣呑な雰囲気を漂わせ始めた。
御剣の感は恐ろしく鋭い。恐らく何かがあったのか、何かが来るのだ。
「来るぞ。距離150、七時の方向。戦闘準備。抜剣、構え!」
そしてそれは後者だった。
御剣の鋭い声に咄嗟に反応したのはミハエルだ。
流石に聖堂騎士団団長という肩書きがあるだけあってか、何事かと問う前に腰のロングソードを抜き放っている。
「ミツルギ殿、モンスターか!?」
「そうだ。私は散らしてくる。あぶれた輩をミハエルが始末しろ」
それだけ言うと、御剣は武器を持たぬまま風のように駆けて行ってしまう。
「了解した! ……したが、ミツルギ殿は武器を持っていなかったぞ、大丈夫なのか!?」
「大丈夫だと思いますよ。よっぽどの事が起きたらちゃんと逃げてくると思いますし」
御剣の強さを知っている私からすると、彼女に掛けるような心配は皆無に等しい。
それよりも、大層な肩書きを持つミハエルの実力の方が気にかかった。
我等が会長の身辺を警護しているという彼は、これから迫りくるモンスター相手にどう戦えるのか。
「……そうか、その言葉を信じよう。二人とも下がっていなさい。―――《ホーリー・シールド》」
ミハエルが空手の左手を掲げると、その手に重厚な盾が出現した。
長身のミハエルをすっぽりと覆い隠せてしまえるほどの大きな盾だ。
それは薄らと白く発光し、聖なる気配を漂わせている。
「おお……ちょっと格好いいですね……」
「ホリシって事は、パラディンかな?」
「じゃないですかね……うちはよその職業のスキルは……よくわかんないんで……」
岩に寄りかかるえちごやさんと私は既に観戦モードだ。
ミハエルが今行った奇術の正体は、『悠久の大地』におけるプレイヤーの技能、スキルの発現である。
戦闘や調理に製作を有利に進める事が出来るスキルは、プレイヤーが修めている職種によって覚えられるスキルの傾向が異なってくる。
戦闘系―――御剣のブレイドマスターなら戦闘よりに。
製作系―――私のアルケミストなら製作よりになる。
今回の場合、ミハエルが発動したスキル《ホーリー・シールド》は、戦闘系の職業であるパラディンが習得できるスキルの一つとなる。
発動すると任意の空手に巨大な実像の盾を出現させ、敵からの注目を集めると共に使用者の防御力を高める効果がある。
盾は一定時間で消えてしまうが、盾に設定された耐久力を下回らない限り通常の盾と同じように使う事も出来る。
護る事に特化したパラディンらしいスキルだ。
「ぬうっ! 《タウンティング・ハウル》! おおおおおおおおおっ!」
次にミハエルは腹の底に響くような叫び声を上げる。
《タウンティング・ハウル》。この叫びを聞いた敵対者は、その叫び声の主に対して異様な程の敵対心を抱いてしまい、他の何もかもが目に入らなくなってしまう。
精神能力値が高ければ抵抗に成功するが、この地域のモンスター程度では抵抗など土台無理な話しだろう。
「GIEEEEEEE!」
草原をかき分けてながら突撃してきたのは、目を血で真っ赤に染め上げたモンスター。
スコーチャーと呼ばれる、蜥蜴と猿の合いの子のような異形が現われた。
四足を駆使した猛スピードと、身体を覆う毛のような鱗が誇る防御力が特徴的で、クレバンスの盆地のような隠れられる場所が多い地域では、特にアンブッシュを警戒せねばならないモンスターの一つである。
しかし悲しいかな、今の彼はミハエルに対する怒りに我を忘れていた。
「遅い!」
飛び掛ってきたスコーチャーにシールドバッシュを喰らわせる。
もんどりうって倒れたスコーチャーは即座に身を起こそうとするが、その隙を逃すミハエルではなかった。
振り下ろしたロングソードの刃がスコーチャーの頭部を叩き割る。
疑いようも無い致命傷だ。スコーチャーはびくんと震えると、すぐに動かなくなった。
「ほほう」
今のスコーチャーのサイズからして、レベルは22程度あると見ていたが、それを一撃という事はなかなかの使い手だ。
「まだ来るか。何体来ようとも、貴様ら如き我が敵では無い!」
続けて一体、二体とスコーチャーが現われるがミハエルは危なげなくそれらを処理していく。
パラディン特有の盾を主軸にした戦闘方法がスコーチャーによくかみ合っている。
単純に引っ掻いたり噛み付いたりするばかりのスコーチャーだ。一度それを盾で受けてしまえば、後は盾の重量を活かして圧してやるなりすれば、容易に隙を現す。
機動力を活かした戦い方という選択肢もスコーチャーにはあった。
だが、《タウンティング・ハウル》で敵対心を煽られたスコーチャーにそれを考える余裕はない。
今のミハエルは、さぞ親の仇のように見えている事だろう。
そんな相手を叩き潰す事は、ミハエルにとって造作ではない。
「おおーぱちぱち。流石パラディン、格好いいですねえ!」
顔色の良くなってきたえちごやさんが囃し立てる。
「おや、大分良くなりました?」
「それなりに、ですが。流石山吹さんの薬ですねー、よかったらウチで仕入れてもいいです?」
血なまぐさい光景が繰り広げられているというのに、吐き気が治まってきたえちごやさんは飄々としたものだ。
普通年頃の女の子なら、車酔いよりこっちのほうがよほど吐き気を催す光景だと思うのだけどなぁ。
スコーチャーの脳みそとか腸とか、その辺に飛び散ってるし。
「これは流石にえちごやさんでも駄目。っていうか素材が高いし、コストに見合わないでしょ」
「……そんなに高いんです? 王都の貴族様方相手なら、いいお値段で売れると思いますけど」
「ピトルの葉、ヤナオームの根の部分、スピリーの新芽、アモーの若葉。これらを恒久的に仕入れられるのなら作ってもいいですよ」
「……げっ。ちょっ、なんですかその高級素材のオンパレード! 製造費だけでひいふうみい……無理、無理です無理無理。リスク高すぎです!」
「でしょう?」
「っていうかそんな高級素材を惜しげもなく使った薬をウチに……か、感動で泣きそう……」
「ふっ……本当はこんな薬なんか作りたくなかったんですけどね……」
「え?」
聞くも涙。語るも涙のふかーい訳があるのですよえちごやさん。
しかしてそれを語るのはまた今度にしとうございまする。
「むんっ! ……これで最後か? 全部で5匹も居たとはな、ミツルギ殿は無事だろうか」
と、そうこうしているうちに戦闘は終了したようである。
ロングソードについた血糊をスコーチャーの体で拭ったミハエルがこちらに近づいてきた。
「御剣は大丈夫ですよ。きっとそろそろ……あ、ほら」
「おお、ミツルギど……の……」
「ああ、今戻ったぞ」
帰還した御剣の姿を見たミハエルが言葉を失う。
彼女は両手を血と肉片で真っ赤に染め上げており、それは服の至る所にもあった。
もう見慣れた私達からすれば普段の光景だが、流石に初見のミハエルは固まってしまったようだ。
「運悪く移動中のスコーチャーの群れに出くわしてしまったらしい、中々に数が多かった。23匹くらいか居たかな?」
「な…………す、素手で……スコーチャーを23匹も……?」
開いた口が塞がらないとはこの事だろう。ミハエルの衝撃っぷりは顎が地に落ちん程だった。
「剣がなければ剣士を名乗れぬ程落ちぶれたつもりはないからな。それに、野良犬相手に表道具は用いん」
それだけ言うと、御剣は馬車の荷台から水筒とタオルを取り出して身を清め始めた。
流石に馬車に乗るのにも血まみれだと悪いと思ったのだろう。御剣も大分気遣いが出来るようになってきたようだ。
「―――これが、生ける伝説、剣聖の御剣…………。流石、としか言えぬな……」
かすれたようなミハエルの呟き。
それにどんな気持ちが込められていたのか。
俯いたミハエルの横顔からは、察する事はできなかった。