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円卓の少女達  作者: 山梨明石
第三章
67/97

3-12

―――――――――


 それから暫くして、ひとしきり泣きはらしたラミーは躊躇いがちにぽつぽつと喋り出した。


「師匠」

「うん」

「私……には、お姉ちゃんが居ることは、知っていますよね」

「うん」


 ラミーの姉。

 かつてラミーが王都へ出かけたのは、王都に訪れていた姉と出会う為だった。

 ただ、私はその姉の名も知らなければ、ラミーの家族構成も知らない。

 ラミーが自分から話そうとしなかった、という事もあるし、何より私がラミーの家族について問おうとしたところいつも何かとはぐらかされていたから、聞くのを止めていたというのもある。

 ―――私だって"そう"なように、人には誰だって聞かれたく無い話は幾らでもあるのだ。


「お姉ちゃんは……」


 逡巡した様子で先を濁すラミーだったが、決心がついたのかその先を続けて言う。


「お姉ちゃん、の名前は。…………ベルカ=キャバリエ」


 キャバリエ。それはつい数日前に聞いた名ではなかったか。ドーガスタの英雄であるという、その人の名ではなかったか。

 それがラミーの姉の名であるというのなら。それはつまり、逆説的に言えば。


「ラミー……もしかして、ラミーは」

「……はい」


 知られたくなかった秘密を打ち明けるように、ラミーは沈痛な面持ちで言った。


「私は……私の本当の名前は、ラミー=キャバリエ。キャバリエ家の血を引く、妾の子です」







 ラミーはドーガスタにおいて多大な影響力を持つキャバリエ家の子としてこの世に生を受けた。

 ただ、それは真っ当な生まれではなかった。現当主たるアレイスタが妾との間に設けた子、それがラミーと、姉のベルカだった。

 一度目のお手付きは、アレイスタの独力でどうにか隠し通す事が出来た。しかし二度目となれば、最早それは無理だった。故にラミーとベルカ、そして妾のシノイはドーガスタの屋敷を追い出されたのである。

 ただ、妾の子が得てして良い人生を送る事の出来ない物語が多い中、ラミーとベルカは比較的恵まれた環境にあったと言えた。

 キャバリエの名を生涯語らぬ事を条件に妾と二人の娘に与えられた家、それに金品は三人が多少の労働をすれば暮らしていけるには充分なもので、野心も持たない野花のような慎ましさを持つ三人にとっては父親が居ない事を除けば、幸せに生涯を送るに足るものだった。


 キャバリエ家次期当主、オルラント逝去の報が届くまでは。


 ……それはラミーがまだ十歳で、ベルカが十三歳の時の話。


「―――事のあらましは以上となります。故に、私が代表してお迎えに上がりました」


 ラミーとベルカに対峙する、生真面目そうな印象のメイドは丸眼鏡の位置を修正しながらそう言った。まだラミーとそう歳の差が無さそうな顔立ちなのに、嫌に大人びた印象が不気味だった。

 場所は共同墓地の一角。ラミー達の背後には、シノイ、とだけ名が掘られた墓が一つだけぽつんと建っている。

 墓前に捧げられたカスミソウが一輪風に巻き取られ飛んでいく。


「そう……そうなの。お父さん―――アレイスタではなく、あなたが、たった一人で?」


 ベルカの声は怒りに震えていた。


「ええ。アレイスタ()ではなく、私がたった一人で」


 対するメイドは事務的に淡々と告げるのみ。

 それがベルカとラミーの怒りを爆発させた。


「―――ふざけないでッッ!」

「……そ、そうだよ!」


 怒り心頭の姉を前に、ラミーは怯えつつも声を上げる。優しい姉のこんな姿は生まれて初めて見るものだったからだ。


「ラミーが病気で寝込んだ時も! この街が魔物に襲われた時も! お母さんが倒れた時も! ―――お母さんが、死んじゃった時も! 一度も! 今までも、一度たりとも姿を見せなかった癖に! それが今更『息子が死んだから代わりに成れ』ですって!? 冗談も大概にしてっ!!」

「……そうだよ。誕生日にも来てくれなかった。冬のお祭りの時も。一度もお父さんは、私達に合いに来てくれなかった。お母さん、会いたい、会いたいって、ずっと言ってたのに……」


 シノイは半年前に病に倒れ亡くなった。患った病は不治の病とされるもので、優秀な薬剤師―――ドーガスタ家の息のかかったもの―――の懸命な処置にも関わらず、三十七という短い人生に終わりを告げていた。


「なのにっ……! こんな時にも、顔を見せないだなんて……っ!」

「……アレイスタ様は大変ご多忙な方ですので」

「……ッ!!」


 怒りのあまり言葉もないとはこの事か。ベルカは今すぐにでも、アレイスタをぶん殴りたい気持ちで一杯だった。


「それで、どうされますか?」


 わなわなと震えるベルカの激情を前にしてもメイドは揺るがない。ただただ職務を遂行せんとするその態度は、冷徹で忠実にすぎた。


「アレイスタ様からはこう伺っております。『二人を迎え入れる準備は出来ている。今日、今すぐにでも二人は正式にキャバリエ家の人間と認められ、屋敷で暮らす事が出来る』と」

「~~~っ誰がそんな体のいいオルラントとかいう奴の"スペア"になりに行くものですか! ほら、ラミー、行くよ!」

「う、うん!」


 ベルカはラミーの手を取り、その場を後にしようとする。こんな茶番に付き合う理由は皆無だったからだ。


「では、お二人はキャバリエ家には戻られないと?」

「そうに決まってるでしょ!? 誰があんな所に戻るものですか!」

「私も嫌! お父さんなんか、大嫌い!」


 これでキャバリエ家からの支援が打ち切られたとしても関係ない、ラミーは自分が養っていく。これからは二人で生きていく。

 そんな覚悟を決めたベルカの背筋に、突如怖気が走った。


「そうですか。ああ―――伝え忘れておりましたが、アレイスタ様はこうも仰られました。『だが、二人が拒否したのであれば、最悪ベルカだけでも良い」と」


 それは早業だった。


「―――ラミーっ!?」

「おねえちゃんっ!」


 しかと繋いだ筈のラミーの手は解かれ、今やラミーはメイドの手の内にあった。風のように二人の間を駆け抜けたメイドが、ラミーをベルカから奪い取ったのだ。

 ラミーの首筋にはナイフがあてがわれ、ほんの少し力を込めれば首筋を容易に切り裂く事が出来る状態にある。


「そして『そしてベルカも駄目ならば。―――二人は元々居なかった事にする』とも」


 ナイフの反射光が、ベルカの目を焼いた。


「おね、えちゃん。助けて……! 痛いよ……!」


 ラミーが苦痛に喘ぐ。


「ラ……ラミーから手を放して!」

「それは貴女の返答次第です、ベルカ様」


 悪辣であった。選択肢を提示しておいて、その実選べる答えは一つしか用意されていない。

 ベルカは反吐が出そうだった。母が、シノイが愛した男とは、こんな下種だったのかと、憤懣やるかたない思いだった。


「……そうまでして……そうまでしなきゃいけない事なの!? 次期当主の代わりに成る事が、それほど大事なの事なの!?」


 貴族社会に明るくないベルカにとっては理解しがたい事だ。

 息子が死んだ、それは残念な事だとは思う。悲しい事だとは思う。

 けれど、だからといってそこで替え玉を用意する意味が分からない。


「そうまでする事なのですベルカ様。キャバリエ家は父祖様より代々血脈を受け継いだ由緒ある一族。そんなキャバリエ家の醜聞が明るみになり、更に血筋が途絶えるという事は、ただキャバリエ家が没落するという事に止まらないのです」

「それがどうしたって言うのよ!? キャバリエ家がどうとか私達の知った事じゃない! 私達はただ、普通に暮らしていたいだけよ!」


 ベルカは本心のまま叫ぶ。ベルカはラミーとシノイと三人で、このまま仲良く暮らせていれば、他には何もいらなかったから。


「ええ、ええ、そうでしょう。ですが、それでは困る者が大勢いるのです。キャバリエ家が没落する。それはつまり、幾多の使用人が路頭に迷う事。キャバリエ家が代々守護してきたこの街、ダックスがキャバリエ家を目の敵にする他の貴族の手によってバラバラに引き裂かれるという事。そして何よりも―――」


 途中で言葉を止めたメイドは、そこで陶酔のようなものを瞳に浮かべて、続きを言った。


「―――何よりも、この国を守護する象徴、キャバリエが消えるという事なのですから」

「―――」


 橋守りの英雄キャバリエ。その伝説はベルカもラミーも知る所だ。

 現在はグラン・アトルガム王国の友好国としての立ち位置を保持している小国家ドーガスタだが、かの英雄の奮闘なくしてはその立ち位置も怪しかった。

 仮にキャバリエが居なかったとすれば、今頃ドーガスタは賠償金として多くの土地を切り取られた極小国家ドーガスタとして、負債の支払いに追われる寂れた敗戦国としてあった筈なのだから。

 それほどまでに影響力のあるキャバリエ家が没落する。

 少しだけ冷静に考えてみればそれは―――きっと、とても良くない事なのだろう。この国の未来に訪れるであろう混乱を、ベルカはほんの少しだけ垣間見た。


「ですので、最悪の可能性を消す為にも、ベルカ様が同行を拒否されるというのであれば申し訳ありませんがお二人にはここで死んで頂きます」


 メイドの瞳に偽りはない。

 今ここでベルカがノーを突きつければ、その手のナイフはラミーの喉を裂き、次いでベルカを襲うだろう。


「さあ、どうぞ。お選び下さい、ベルカ様」


 一陣の風が舞う。

 ベルカの視界の端に、墓前に捧げたカスミソウが一輪通り過ぎていった。

 シノイが生前好んでいた花だ。花言葉は、清らかな心、無邪気、そして、感謝。


 『―――ね、ラミー、ベルカ。私はね、あの人に感謝しているの。一緒に居られた時間はとても少なかったけれど、でも、とても幸せだった。私に、きらきらした夢を見させてくれた。だからね、会えないのはとても寂しいけれど……感謝、しているの。とても、とても、ね』


 まだ元気だった頃の母の言葉が、急に思い起こされた。

 幼いころの思い出だ。

 その言葉に、ベルカは―――。


「……ねぇ、仮に、だけれど。私だけ行く、って言ったら、それは許してくれるのよね?」


 決意を固めた。


「お、ねえちゃん?」

「勿論です」


 茫然とするラミーを半ば無視する形で話が進んでいく。


「その場合、ラミーはどうなるの?」

「どうも致しません。これまでと変わりなく不自由なく暮らせるよう支援させて頂きます」

「そう。……じゃあ、追加の条件が三つある。それを呑むなら、私は着いていく」

「そうですか。それで、その条件とは?」

「いち、ラミーと半年に一回は会える機会を設ける事。に、ラミーへの支援を三倍にしてあげて。さん、あなた達は金輪際ラミーの前に姿を現さないで、以上よ」

「一と二に関しては問題なく。ですが三に関しては確約致しかねます」

「……まぁ、二つ呑んでもらえただけでも儲けものか。妥協案にしては悪くないわ」

「ではベルカ様はご同行頂けるという事で宜しいでしょうか?」

「うん、いいよ」

「承知致しました、ベルカ様」


 メイドがラミーの束縛を解いた。


「ね、ねぇ……? おねえちゃん、なにいってるの……?」


 ラミーは話の内容が飲み込めない。

 そんな妹を前に、ベルカは安心させるように穏やかな笑みを浮かべて言った。


「……ラミー。私、ううん、お姉ちゃんね、一回お父さん(あのバカ)をぶん殴ってやらないと気が済まなくなっちゃったんだ」

「……え?」

「ラミーには私のそんな所見て欲しくなんてないし、何より、あんなのが居るキャバリエ家にラミーを連れて行きたくないの」

「え……? ……いや……いやだよ、お姉ちゃん、私、いやだよ、お姉ちゃんと一緒にいたいよ」


 流石にここまでくればラミーも理解する。

 姉が自分の身代わりになろうとしている事など。


「うん。お姉ちゃんもラミーと居たいと思う。とても悲しく思うよ。……けど、ラミーは私と違って強い子だから、大丈夫。後の事は皆お姉ちゃんに任せてさ、ラミーはこんなバカみたいな世界と関わりのない所で、幸せになって欲しいんだ」

「いや……いやぁ……いやだよぉ……!」


 ベルカは苦笑しつつラミーの頭に手を置き、わしわしと撫でまわした。

 ラミーの大きな瞳から大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。


「ごめん、ラミー。馬鹿なお姉ちゃんでごめんね。でも、分かって欲しい。これは必要な事だったんだって、きっとラミーにもわかる時がくるから」

「わかんない……! わかんないよぉ……! お姉ちゃん……やだ……! いかないで……!」

「……ごめんね」


 ベルカはそっとラミーを抱きしめた。

 それはほんの数秒の事だった。

 ベルカはラミーから離れると、メイドに厳しい視線を飛ばし、告げる。


「案内して」

「畏まりました。ベルカ様」


 そして、振り返る事もなく、ベルカはラミーの元を去って行ったのだ。


「おねえちゃあああああああんっ!」


 泣きじゃくるラミーをその場に残しながら。





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