2-25
「ラミー氏の香りの発生源はここだ」
土煙を盛大に巻き起こしながらブレーキを効かせたシュフトから飛び降りる。
目前には他の家屋同様に、高級住宅街らしいハイソな造りをした何の変哲も無い一軒家があった。
何故ラミーには縁も所縁もなさそうなこの場所に彼女が居るのだろうか。
幾つかの暗い想像が脳裏を過ぎる。私はそれを振り払うように駆けた。
「ラミー!」
庭の芝生を踏み越えて、玄関扉に張り付く。ドアノブをがちゃがちゃと回し、カギが掛かっている事にようやく気がついて、ステータスの力に任せるまま無理やりドアノブを破壊する。
派手な音を立てながらドアノブがドアの木片と共に吹き飛び、それを無造作に放り捨て土足で家の中に上がりこむ。
家人の気配は無い。《ホスティリティ・センス》による敵意の感知もまた、無い。
「ラミー! ラミー! 何処に居るの!?」
大声で彼女の名を呼びかけながら進む。玄関を抜け大広間に客間、キッチン、バス、トイレ、寝室等も無遠慮に踏み込んでいく。
だが、見つからない。何処にも居ない。家中探しても見つからない。
今となっては私にも感じられる、彼女の残り香のような、ほんの少し甘い匂いはずっとここにあるというのに。
「ぬぅ……やはり人の子の家は我が身には狭すぎる……」
焦燥感が募る中、その巨体を窮屈そうにして家の中に潜り込んできたシュフトと目が合う。
「シュフト……。ラミーが……居ないんだけ、ど……?」
私の口から発せられたのは、私自身信じられないほどか細く震えた声だった。
「……ヤマブキよ。焦る気持ちは理解するが少しは落ち着くのだ」
「……は、い」
「この家からラミー氏の香りがする。されど姿は無し。となれば、この手合いは隠し部屋の類が最も可能性が高いだろう。……倉庫の床などに、怪しい箇所は無かったか?」
「…………!」
シュフトのアドバイスに、ハッとした。
私自身、自宅の倉庫に隠し部屋を設けているではないか。霧といい会長といい、隠し部屋には縁深い私である筈なのに、何故そこに思い至らなかったのだろう。
急いでこの家の倉庫に向かい、中にあるものを片っ端からひっくり返していく。
貯蔵用の樽や物置棚など、怪しげな物を動かしては次の場所を探る。
やがて壁掛けされたスコップに手が届いた時、ようやく私は当たりを引いた事を確信した。
不自然に硬さを感じるスコップを下に引っ張る。すると、ガコン、という音と共に何かが起動したのか、倉庫の床の一部分が静かに地面の中へと沈んでいった。
中に覗くのは暗がりに続く階段と、その奥底に見える、小さな光があった。
希望の光だ。
「やはり、見つかったのだな」
シュフトの気配を背に感じつつ、振り返らず言う。
「シュフト。あなたの身体ではこの先は無理でしょう。外で待機していてくれませんか」
「了解した。とは言え、あまり時間の猶予は無いぞ? 我が認識阻害の結界も万能ではない故にな。衛兵とやらに見つかってしまえば、騒ぎは免れまい。そうなってはヤマブキとて、今後の立ち行きが危うくなろう」
「分かっています。ですが……ラミーとハグする時間ぐらいはあるでしょう?」
「……うむ。まぁ、抱擁する程度の時間はあろうが。むぅ」
シュフトの歯切れが急に悪くなる。
「何故そこでちょっと不満げになるんです」
「……いや、ヤマブキは我らの妻ではないか。重婚を認めているとはいえ、将来増えるかもしれぬ新たな妻……あるいは夫に我らが妻を、一時とはいえ取られるのは、少し癪であるが故に」
そうぶつくさ言いながら、シュフトは前足で地面をつつついと小突くような真似をした。そして何かを求めるように私を上目遣いで見上げる。
……こ、この童貞こじらせユニコーンめ。拗ねた所で可愛いのは女の子だけなんだぞ!
「その図体でもじもじしないで下さい気色悪い! それに誰もあなた方の所有物になった覚えなんてありませんから!」
「痛っ。ま、また殴ったな!? 痛いではないか!」
「痛くしたんだから当たり前でしょう! ……ええい、とにかく外へ行ってください。ゲット・アウェイ!」
「うぬぅ……我は犬ではないのだぞ……」
鼻っ面を叩かれたシュフトは狭苦しそうにしながら、子犬のようにとぼとぼと家の外へ歩いていく。
その後姿は寂しげでとても可哀想に見えた。僅かながら罪悪感を抱く。
いくら相手が変態処女厨ユニコーンとは言え、暴力に次ぐ暴言の連鎖はいい加減止めるべきだったろうか。
相手もただのモンスターではないし、こちらに協力を申し出てくれた仲間であるのだからそこは相手を尊重して―――。
「いや、いやいやいや、いやいやいやいや、何血迷ってるんだ山吹緋色。この手の類は一度気を許すとこれ幸いにと奥の奥まで浸透するんだぞカビのように!」
ちょろいのは円卓勢の皆の前だけで十分だ。
「……ともあれ、行こう」
私は頭を振りかぶり、気を取り直して地下へ足を踏み入れていく。
一段一段降りていく度に、ラミーがどうしてこんな場所に居るのかという疑問が沸いて出てきた。
これは完全に監禁だ。犯人が居るのなら、即刻制裁を加えたい。
しかし、犯人が居たとしても、果たしてラミーを監禁する目的がどこにあるのだろうか。
私の助手、つまり薬屋ヤマブキの看板娘としてのラミーを知っていた上で彼女を監禁したならば、その犯人は状況からして『教団』でなければおかしい。
なにせ『教団』の屑共は私のラミーを攫おうとしていたのだから。
だが『教団』はルドネスの協力もあって奴らの魔の手を一旦は逃れている。
その後から今までラミーの行方はまったく不明だった。となると、彼女がここに監禁されている事に対して違う意味が生まれてくる。
ラミーは監禁されているのではなく、あるいは軟禁状態で、他者から守るためにここで囲われていた。
そういう可能性も考えられるのだ。
まぁその場合でも、彼女を囲ってくれた何者かの利益が不明である為、目的が一切読めないのが不気味ではあるのだが……。
こればかりは、考えても答えが出ないだろう。
「……ラミー、居るの?」
階段を全て降りると、そこには無骨な鉄製の扉があり、その下から薄く明かりが漏れていた。
扉の向こう側には人の気配がある。
二度、三度ノックをしてみるが、反応は無い。
「……開けるよ?」
ドアノブを回してみる。鍵は掛かっていなかった。はやる気持ちを抑えつつ、扉をゆっくりと開ける。
暗闇の中に暖かい光が舞い込んできて、思わず目を細める。
部屋の中に一歩踏み出してみれば、そこは人一人が不自由しない程度に整えられた居住空間があり。
「…………すぅ…………すぅ…………」
部屋の隅のベッドの上に。……あぁ。ラミー。ラミーが居た。生きてる。怪我もしてない。幸せそうに寝息を立ててる、私のラミーが居た。居たんだ!
「……ラミーっ!」
駆け寄る。彼女に触れる。温かい。ラミーの体温だ。大丈夫、彼女は生きてる。
嬉しさと安堵感に涙が溢れる。もう目の前が碌に見えない。
軽く握られた彼女の手を取り、両手でぎゅっと握る。
ベッドの傍で跪いて、私は祈りを捧げた。
―――ああ。信じていなかったけれど、神に感謝を。†ゆうすけ†さんにも、感謝を。
私は、間に合ったのだ。
「……うぅん……?」
起こしてしまったのだろうか、ラミーの寝ぼけた声が聞こえる。
もうずっと遠い昔に聞いたような、久しぶりのラミーの声だ。
それが嬉しくて仕方なくて、涙が溢れてしまう。
「し、しょう?」
起き上がったラミーが、寝ぼけ眼で私を見つめる。
「うんっ……。私だよ、ラミーっ……あなたの、師匠っ……!」
「わぁ。師匠だぁ……えへへ……」
ふふ。こらこら、寝ぼすけさんめ。まだ夢の中に居るのかな? 抱きついてくれたりなんかしちゃって。
私も、いっぱいいっぱいぎゅうううってするんだから。
「やっと……やっと会えた……ぐすっ……」
「師匠、なんで泣いてるんですかぁ……? それに、ちょっと苦しいですよぉ……」
「ふ、ふふ。なんでだろううね? ごめん、ごめんね? 私、ちょっと今、いっぱいいっぱいで、ごめんね?」
「泣き虫さんの師匠なんて、初めてです……」
「うん、うん、そうだねっ……ひぐっ……」
「いやもう、本当に……。――――――えっ!? し、師匠!? ええええっ!? ななな、なんでここにっていうか泣いっ、ええっ!?」
ついに頭が覚醒したのだろうか、私の腕の中でラミーが悶える。
「ラミーっ……!」
それがまた愛おしくて仕方なくて、私は更に強く彼女を抱きしめた。
ラミーが私の肩をポンポンと叩く。
「くる、苦し、ぎぶ、ぎぶです師匠、ぎぶぎぶ」
「ご、ごめん」
彼女の痛切なタップサインを受けて私はようやく彼女を解放する。
しがみつくように抱きしめてしまったせいで、彼女の肩の辺りに私の涙の染みが出来ていた。
「……し、師匠、ですよね? 夢じゃない、本当の?」
ラミーは目を点にしながら、私の身体をぺたぺたと触る。まるで存在を確かめるかのように。
私はそれを微笑みと共に受け入れながら「うん」と頷いた。
「―――よかったぁ」
顔をくしゃりと歪ませたラミーが、今度は私の胸の中に飛び込んでくる。
あまり大きくも無い胸で申し訳ないな、と思いつつも、今度は優しく彼女を抱きしめた。
「ねぇ、ラミーこそ、夢じゃないよね?」
彼女の後頭部を優しく撫でる。ふんわりとした甘い香りが漂ってくる。
「……はい、夢じゃないです、きっと」
ぱたぱたと閉じたり開いたりする彼女の犬耳と、千切れ飛びそうなほど振り回される尻尾。
「じゃあ、確かめても、いいかな。これが現実なんだって」
「……はい」
愛おしくてたまらない彼女の身を離して、真正面から顔を見つめる。
ラミーの瞳は何かを求めるように潤んでいた。
「…………ふーっ……」
軽く息を吐いて意を決する。もう止まらない、止まれない。
もし違ったら、シュフト、お前の事を永遠に恨むからな。
「……ラミー」
「はい」
「――――――キス。していい?」
―――その答えは、口答よりも行動で示された。
「――――――」
あぁ。こういうのは、自分からするものだと思ってたのに。
でも、なんだ。
奪われるというのも。存外悪くないらしい。
早鐘を打つ私の鼓動と、ラミーの呼吸音。
それ以外何も聞こえなくなった部屋の中で。
唇とはこんなにも柔らかいのだな、と。
二十ウン年生きてきた生涯の中で、私は初めて知る事が出来たのだった。
・
暫しの後。
「…………」
「…………」
すごく。きまずい。
何が気まずいってもうあーあーあー! 顔がまっかっかのあっちんちんですよもー!
何。何が『奪われるのも、存外悪くない』だよ私の格好付けおばか!
汗すごい事になってるじゃないか大丈夫か水分補給するか!?
穴があったら入りたい!
「…………しちゃい、ましたね。キス」
「う、うん。しちゃったね」
ラミーがおずおずと私の手を握ってくる。
少しだけ震えているその手と、真っ赤な彼女の顔が、彼女の内心を如実に現しているようだ。
彼女も私と同じような心境なのだろうか。
「あの、よかったら、もう一回……しませんか?」
だとしたらまさしく顔から火が出そうとはこの事であって―――何ですって。
「もっ、もう一回!?」
思わず語尾が上ずった私を誰が責められよう。
「は、はい。……その、駄目。ですか?」
上目遣いで見つめられる。上目遣いで! シュフトのとは違う、ラミーの上目遣いで!
―――こんなの断れない。ずるい。ラミーはずるい。こんなの、どうしたって要望に答えてあげるしかなくなる。
「だ、駄目じゃないよ。うん。っていうか、し、しよっか。もう一回。私も、したいかなー、なんて、思ってた、かも。まだラミーが、現実のものか、確証が持ててないし、だから確認。うん、確認のためにもう一回しよう?」
バレバレの詭弁だ。ラミーが嘘なわけあるか!
「そ、それじゃあしょうがないですね! 確認は大事ですしね! はい! 私もまだ師匠が夢じゃないかどうか、確認できていませんから!」
「そ、そうそう、しょうがないしょうがない」
「しょうがない事ですもんね!」
アハハーしょうがないネー。などとお互い子供のような理由付けをして、どちらとも無く寄り添う。
顔と顔が触れ合うくらい近くまで寄り添って、何を言ったからでもなく、そっと抱きしめあう。
「……じゃあ、するよ?」
「……はい」
それから、少し躊躇う間があった後に、唇がついと触れ合った。
一度始まれば後は抑えが効かない。啄ばむように、何度も何度も触れ合う。
生命活動の為の呼吸さえ煩わしい。もっと、彼女が欲しい。
腹の内がかあっと熱くなる。
「……し、しょう」
理性を溶かすようなラミーの声が耳朶を打つ。
背に回された彼女の腕に力が入り、身体が引き寄せられる。
あっ、と思った時には共にベッドに倒れこみ、私がラミーを押し倒すような姿勢になっていた。
「……はーっ……はーっ……」
息が、荒い。
「……っ」
ラミーが恥ずかしげに横を向いたまま、胸のボタンを一つはずした。
「…………いいの?」
言ってしまった後で、それは無粋だと思い至る。
「……師匠、なら、私は」
言わされてしまった彼女は、もう一つボタンを外そうとする。
「待って、私にやらせて」
元男のプライドにかけてそれはさせじと、彼女の胸に手をかけて。
「――――――いっ痛ぁっ!?」
「きゃああっ!?」
突然頭上を何かにがつんと殴られた。
せっかくの良い所に一体何だ!? と周囲を確認してみると。
「瓦礫っ!?」
それは頭上から降り注いだ天井の破片だった。こぶし大のそれは私の脳天に丁度クリーンヒットし、私の防御能力に負け真っ二つに割れている。
「大丈夫ですか師匠!?」
「だ、大丈夫、うん、平気」
ダメージ自体は大した事ないが、この状況に対するダメージは非常に大きい。
最早それどころではなく、ラミーは涙目で私の身を案じている。
こっ……この無機物めが……! よくもまあこの一世一代の場の雰囲気を白けさせてくれたなきさん(貴様)は!
恨みだけで対物破壊が出来ればと瓦礫を睨みつけるが、そんな私をあざ笑うかのように頭上からぱらぱらと小さい瓦礫の欠片が降り注いでくる。
「きゃあっ! な、何ですかこの揺れは!? 師匠、怖いですっ!」
突然この幸せ空間を襲った揺れ。これについて私は嫌になるほど覚えがあった。
……簡単に想像が付く。この揺れの正体は私の"アイアン・メタルゴーレム"が、命令に従っている事に由来している。
『街を壊せ』と私はゴーレムに命令した。
そこに『犠牲者は出さない』にしても、『地下でいちゃついてる私達の邪魔をしてはいけない』という命令は含まれていない。
含まれていないのだ。
―――もう一度言う、含まれてはいないのだっ……!
「――――――っ~~~~~~~~」
やんぬるかな!
私は血涙が出そうな己を叱責し、何とかして根性を出してラミーを出来る限り優しく諭す。
「―――ラミー。ここは危ないんだ。もしかしたらこの地下室が崩落するかもしれない、だから外に出よう」
「えぇっ!? は、はいっ、わかりましたっ!」
急いでベッドから離れたラミーに一抹の寂しさを覚えつつ、自宅へ帰ったらこの続きを必ずやるぞ胸に決意を刻む。
ラミーは慌てながらも手早く手荷物を携えて私の元へ戻ってくる。
「忘れ物はないね?」
「はい!」
「よし、じゃあ行こう!」
彼女の手を握り、地下室を後にする。
「――――――いいえ。忘れ物はここにあります」
それは本当に唐突の事で、出現した、というしかないぐらい突然に、目の前に女性が現れていた。
「……えっ?」
腹の辺りが、熱い。
「しっ、師匠っ!? 師匠っ!? 師匠っ!!」
力が抜けていく。
ラミーの声が遠い。
どうして私は、倒れている?
「いやいや、まったく。ようやく《致命の一撃》を決める事が出来ました。今の今まで必死に機を窺ったかいがあったというものです」
その声には嘲笑が多分に含まれているらしかった。
おかしくておかしくて仕方が無い。そんな声の持ち主が、私を見下ろしている。
「嘘。……師匠! 師匠っ!! 嘘だよねっ!? 死なないでっ!! 師匠ってばぁっ!!」
ラミーが私の身体を揺さぶっている。
揺れる視界の中、腹部に目を落とす。
腹には、短剣が突き立っていた。
柄の部分に掘り込まれた装飾の、禍々しい一つ目が脈動している。
私はそれに、自らの血が吸い取られているのだという事を直感的に感じた。
「どうして!? 何でこんな酷い事をするんですか!? 人殺し!!」
ラミー。止めろ。それが誰かは知らないが。立ち向かおうとするな。
私に、不意打ちを決められるという事は、そいつは。只者じゃないんだ。
「……? どうしても何も、この人が私の敵だからですよ、ラミーさん。
私はあなたのおかげで、この人の趣味嗜好、行動パターンを簡単に把握できました。
おかげで私はこうして今、この憎たらしい"ぷれいやー"をここまで誘い込む事に成功したんです。まぁ……多少のトラブルはあったようですが」
「……ぷれい、やー?」
「そう。私の……否。我が崇高なる使命を妨害する愚か者共。それが"ぷれいやー"。あの忌々しいエミルめの、最後の悪あがきだ」
何者かの口調が変わっていく。
消し飛びそうな意識の中、私は視線を上げて、そいつを見た。
「"ぷれいやー"よ。山吹よ。今この場で、好いた女と共に滅するお前に冥途の土産として教えてやろう。
私の名は、"みーちゃん"とも、"三番"とも、違う。―――我が名はイルドロン。お前達"ぷれいやー"を滅ぼし、エミルめの残した国を粉砕し、そしてこの世に破滅を齎す者だ」
山盛りでウェイトレスとして働き。
私を『ヴォーパル』まで導き。
『ヴォーパル』の仲間達からは三番と呼ばれていた。
そんな、制服姿の似合う、背の低めの女の子が。
私が今最も嫌悪する人物の名を名乗っていた。




