2-18
*独り言
お久しぶりです。
風邪を引いて体調を崩していました。
皆さんも風邪には気をつけましょう。
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―――先週の土曜日。
「―――やぁだぁぁぁぁ! おっぱいもーーーーむーーーーーのーーーーー!」
普段の五倍増しで面白くも哀れな山吹の叫びを最後にその場はお開きとなった。
「ふぁ……。やれやれ、山吹さんも可哀想に」
時は深夜。「魔女の鍋」の隠された地下、緻密な紋様の魔法陣から光と共にルドネスは現れた。
今日も今日とてつつがなく定例会は終了し、後は自室に戻り一日を終えるのみ―――と、普通はそうなるのだが、そうは行かないのがルドネスの辛い所だ。
ルドネスが経営する娼館「魔女の鍋」の繁盛時は夜。それも週末の土曜日ともくれば客は大いににぎわう。
時刻的にはピークを越えて落ち着き始めた頃だが、それでもまだ油断は出来ない。館主へ直々の指名もあるかもしれないのだ。
ルドネスは徐々に押し寄せてくる眠気を口の中で噛み殺しつつ、地下の階段を上り自室へ音も無く帰還する。
次いで自室に備え付けのテーブルの上に置いてある水晶玉―――《コール・ラピス》に触れると、すぐさま雇い上げの用心棒であるバルトロの太い声が聞こえて来た。
『館主様、お目覚めでしたか。お水をお持ち致しましょうか?』
「ええ、あと蒸したタオルもついでに持って来て頂戴。それと、私が寝ている間に何か問題は?」
淡々と不在時の確認をする。
定例会があるこの時間帯は、ルドネスは仮眠を取っているという事になっているのだ。
『……一名程少々お遊びが過ぎたお客様がおりまして、その方にはお帰り頂きました』
「そう。失礼の無いように伊達にしてあげた?」
『はい。それはもう、丁重に』
「ならいいわ。担当した娘にケアは必要そうかしら?」
『担当はサモアでしたが、不要だと突っぱねられました』
「あはは! 彼女ならそう言うわね! ……わかった。それじゃあよろしく頼むわね、バルトロ」
『かしこまりました』
必要な連絡事項を伝え合い、会話を打ち切る。
久しぶりに自らの立場を弁えられない無粋な客が混じったようだったが、これぐらいは許容の範囲内だ。
店の性質上、どう対策を講じた所でその手の客は少なからず混じる。
人間の三大欲求に根ざした一つを売り物にする以上、客の理性を本能が上回る事は往々にしてあるのだ。
そして、その事をルドネスは過去の経験から痛いほど良く知っていた。
「失礼します」
暫く待つと、ノックと共にお盆を片手で持ったバルトロが部屋に入ってくる。
お盆の上には水がなみなみと注がれたグラスに水差し、湯気を立てる巻かれたタオルがあった。
「ありがとう、バルトロ」
ルドネスは礼をしつつグラスをひょいと取り上げて、中身を一息に呷る。
空いたグラスをバルトロが粛々と回収する最中、ルドネスは蒸しタオルで顔を優しく丁寧に拭く。
その後、文机の引き出しから化粧箱を取り出す。
夜用の濃い目の化粧をしようとしたその時。
「……ッ!? この揺れは!?」
「あら……? 震度二くらいかしら?」
大きな衝撃音と共に地震が発生した。
地震大国日本からこの世界に生まれ変わって久しく地震を経験していないルドネスは、その揺れに奇妙な懐かしさを覚えつつも身を強張らせる。
しかし大した揺れではなく、揺れは直ぐに収まりほっと息を吐く。
ルドネスが余裕の態度を見せる一方で、バルトロはその巨躯を縮こませ怯えていた。
「ひっ……ひぃぃぃっ!」
肥大した筋肉を丸め込んでボールのような球体と化したバルトロを見て、ルドネスは疑問を抱く。
「(……え? 何で? そんなに地震が怖いの? 大の大人が情けない……。
そりゃあ私でも震度六とかなら怖いって思うけど……地震恐怖症とか何かかしら?)」
心中でバルトロをこき下ろすルドネスだが、そもそもルドネスとこの世界の住人とでは地震経験の有無がまるっきり天と地ほどの差がある事に気がついていない。
今のがルドネスからすれば他愛の無い軽い揺れであったとしても、彼、あるいは彼女らにとっては、これは生まれて初めて感じる地震だった。
「ちょっとバルトロ、そんなに怯える事もないでしょう? しゃんとしなさい、しゃんと」
「や、館主様ぁっ!? こ、怖く無いのでっ!?」
「……いや、どこを怖がれっていうのかしら」
そんな事情を露ほども知らないルドネスは何の気も無しにバルトロを起こす。
立ち上がったバルトロが「……さ、流石は館主様」と小さく呟いたが、やはりルドネスからすれば意味不明だった。
そんな中、「魔女の鍋」中にうっすらと聞こえていた嬌声が止んでいる事に気がつく。
どうしたのかしら。とルドネスが疑問に思う中、突如「魔女の鍋」は蜂の巣をつついたような騒ぎ声で一杯になった。
泣き声、叫び声、激しい足音、花瓶の割れる音、そういった諸々が不協和音のように連なってルドネスの耳をつんざく。見るまでもないパニックの証だ。
顔をしかめたルドネスはさっと指示を飛ばす。
「バルトロ、お客様方の避難誘導を。『おさない、はしらない、しゃべらない』事を徹底させて、迅速に店の外へ御連れなさい」
「かっ、かしこまりましたっ!」
顔を青ざめさせていたバルトロが弾け飛ぶように動き出す。
傭兵上がりだけあって、こういう時のバルトロの動きは素早い。
「……ちょっと、何でよ。たかがこれぐらいの揺れでどうしてパニくるわけ……!?」
ルドネスは思わず眉間を押さえつつも、経営者としての責務を果たすべく自らも部屋を出る。
「館主さまぁっ!」
「姉さまっ!」
すると身体のラインが扇情的に浮き出た、向こう側が透けて見えるような薄絹を纏った女性たちがすがるようにルドネスにとりついた。
皆、「魔女の鍋」に勤めている娼婦たちである。彼女達は例外なく涙目であり、腰が引けていた。
「(……あれ。これってもしかして、バルトロだけが根性なしってわけじゃないのかしら?)」
そのおかしな様子に流石のルドネスも認識を改める。
多分、この世界の普通の人達にとっては、地震は恐ろしい物なのだろうという風に。
「地面が揺れるだなんて!」
「お姉さま、私怖いっ!」
「かみさまぁっ! エミルさまぁっ!」
「大丈夫大丈夫、怖かったね? よしよし」
包み込むような微笑を浮かべたルドネスは彼女達の頭を撫で、優しく抱きしめてやる。
その手つきが微妙にいやらしい事は誰も気がついていない。―――気づこうともしていない。
ひとしきり堪能し終わったルドネスは、その表情を引き締めていった。
「皆落ち着いて、大丈夫だから。騒がず、慌てず、落ち着いて館の外に出ましょう、置き去りの子が居ないように点呼を取って頂戴」
「はい、館主さま!」
館はそこまで広いわけではないが、防犯と雰囲気演出の為にやや入り組んだ構造をしている。
場所によってはあえて人目につかないような領域もある。
それはあてがわれた部屋まで待てない客の為の場所だが、そういう場所に逃げ遅れた子が居た場合救出は非常に困難となる為、ルドネスは非常時には必ず点呼をするよう取り決めていた。
「―――ミザリィ以下二十一人、全員います!」
「ありがとうミザリィ。さぁ、館の外に出るわよ!」
はぁい。と黄色い合唱が上がる。
先陣を切ったルドネスの後ろを女の子たちがぞろぞろと続くが、彼女達の表情にはもう恐怖や怯えはなかった。
ルドネスの元に居れば何も不安は無いのだと確信しているからだ。
「ひぃ、ひぃぃぃ!」
廊下を進んでいると、客室の方から半裸の豚のような男が喚きながらどたどたと足音を立てて逃げてきた。
相当慌てているのかシャツのボタンを掛け間違えているし、ベルトはゆるゆるだ。
後ろからげっそりとした様子のバルトロが続く。
あっと言う間に皆を追い抜いていく男を尻目に、ルドネスはバルトロに問いかけた。
「ちょっとバルトロ。走らせないで、って言ったじゃないの」
「す、すみません。誰も彼もが半狂乱で、こちらのいう事を全く聞かずに逃げてしまいまして……」
心底疲れたようにバルトロは語る。
見ればバルトロのスーツは微妙にヨレていたりして、彼の苦労を物語っているようだった。
「……っていうか何が悲しくて男のナニを見続けなきゃならねえんだよ。女共は皆館主様の所に逃げちまってるし」
ちらりと横目で女の子達を見るバルトロの、続く小声の呟きはしっかりとルドネスの耳に届く。
場所が場所だけに、着替え途中の客と何度もかち合ったりしたのだろう。
ご愁傷様だが、それも仕事の内である。
「……まぁいいわ。それで、逃げ遅れたお客様はいらっしゃらないのね?」
「いねぇ……ゴホン! 居ませんでした。先ほどのお客様で全員です、館主様」
「だったらいいわ」
会話を打ち切ったルドネスは皆を引き連れて玄関ホールまで進む。
そして皆を先に館から出した後で、最後に何も無いかと確認をしてからルドネス自身も外に出た。
館の外に出てみると、そこはある意味壮観となっていた。
「魔女の鍋」だけでなく他所の娼館からも娼婦達が避難しており、その結果女子の比率が大幅増した娼館通りはちょっとした女の花園と化していたのである。
何処もかしこも薄着の女だらけで、道行く男達は何処に目をやったら良いのか困っている様子だ。
「あらあら…………」
これにはルドネスも面喰う。
普段ならこんな異常事態が起きれば、即刻衛兵が飛んできてトラブルの解決に当たるはずなのだがその姿が無い。
そのせいか酔客が半裸の娼婦に絡んでひと悶着が起き始めたりと、状況は早速悪化し始めている。
これは一肌脱がねばならないかとルドネスが考えた瞬間、彼女は残り香のようなそれを捕らえた。
「(魔力反応? でも、これって……)」
ルドネスは鼻を鳴らしてその香りを嗅ぐ。
本来魔力反応は第六感のような感覚でしか捕らえられないが、高レベルの《デストロイ・ウィッチ》であるルドネスはそれを香りとして感知する事が出来る。
当然だが、勿論「悠久の大地」がゲームだった頃にそんな仕様はない。
実際は世界が現実と化した際、センス系パッシブスキルの一つである《マナ・センス》が変化した為に出来た能力であった。
「(…………間違いない、これは)」
鼻孔に香るその匂い。
それは大地の属性を持つ魔法を発動した地に香る類の物。それでいて、嗅ぎなれている物だった。
土臭く、大地に息づく生命力を感じさせる力強い自然の香り。
そしてその中にほんの僅かに自己主張する、褒めたら舞い上がりそうなチョロ臭さ。
紛れも無く、山吹緋色が放つ魔力の香りだった。
「(でも、何故?)」
そこでルドネスは当然の疑問を抱く。
山吹とはほんのついさっき別れたばかりであり、今ここに山吹が居る事は場所的にも時間的にもありえないからだ。
仮に山吹がこっそりルドネスに何がしかの魔法をかけていたのだとしても、それならルドネス自身から魔力の香りが立ち昇っていなければおかしい。
「……バルトロ、少しの間席を外すわ。大事なさそうなら皆を館に戻しておいて頂戴」
「か、かしこまりました。ですが、どこに行かれるので?」
「香る方、よ」
「は、はぁ……?」
きな臭さを覚えたルドネスは騒がしい娼館通りを颯爽と歩み始めた。
道を進む度に娼婦達から「ルドネス様よ!」等の黄色い賞賛を浴びつつ、山吹の魔力香を辿る。
目的地は思ったよりも近い所にあった。
娼館と娼館の合い間。他所の通りへ抜けられる、しかし人目につきにくい暗い路地だ。人影も通りの騒ぎに釣られて人っ子一人ない。
普段なら酔っ払った男が壁に向かって小便でもしていそうなそこには、しかし。
「……」
凄まじい破壊の後があった。
整備された路地には、まるで巨人が殴りつけたような拳の跡と、それを中心に広がる大きなひび割れ。
路地に設置された唯一の街灯は途中で寸断され倒れており、その切り口は融解している。
相当急いでいたのか、ほんの僅かに拭き残しのある血の跡。
何かしらの戦闘行為があった事は明白であった。
そして、山吹の魔力香の発生源はここである。
ルドネスの中で、「まさか」、という思いが駆け巡った。
『―――我が飛翔の願いを叶えよ、其は偽りの蝋翼を求むる者なり。《イカロス・ブーツ》』
凄まじい詠唱速度で呪文が唱えられる。
短い呪文が更に短く。何事か呟いたかもわからないような速さは、一呼吸のうち。
神速の速さで発動した魔法によって、ルドネスのハイヒールに純白の翼が生え揃う。
そして、たんっ、と飛び跳ねたルドネスは重力を感じさせないような身軽さで宙に舞った。
《イカロス・ブーツ》とは、ごく短時間の間のみ魔法発動者を身軽にする魔法である。
微量の移動速度上昇と身体を軽くする効果があり、俊敏さに劣る後衛系プレイヤーのうち主に魔法をメインに扱うプレイヤーが戦線離脱のためによく使用する。
弱点として、効果中に炎属性を帯びた攻撃に対し通常の三倍のダメージを受けるデメリットが存在する。
蝋燭の翼であるが故に、決して空は飛べないが便利な魔法の一つだ。
「よいしょ、っと」
路地から娼館の屋上まで飛び上がったルドネスは屋根に軽やかに着地する。
眼下に目を凝らせば、娼館通りでは未だ娼婦達が通りに溢れざわめいている様子が一望できる。
そして、路地の先。通りを一つ挟んだ向かい側で、暗い影にその身を潜めていく、円陣を組んだ怪しげな集団の姿があった。
その中には気を失っているのか、背負われている女の子らしき影も。
「―――元プレイヤーだったら、どうしようかしらね」
ここまでくれば、何が起きたのかは言うまでも無く理解できる。
あの背負われている女の子は、恐らく山吹が大事にしているラミーちゃんで。
先ほど起きた地震の原因は、ラミーちゃんの危機を察知して出現したアイアン・メタルゴーレムが引き起こした物で。
そしてあの怪しげな集団は、山吹が本気で封入したアイアン・メタルゴーレムを制する力を持っている可能性が高いという事だ。
「一つ貸し、ですわよ。山吹さん」
屋上から屋上へと駆ける。
もしかしたら、大規模な戦闘になるかもしれない。
ルドネスはウェポンスタッカー―――胸の谷間から愛用の杖を取り出しつつ、緊張した面持ちで通りと通りの間を飛び越えた。




