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円卓の少女達  作者: 山梨明石
第二章・No.03
41/97

2-14

―――――――――


 自分が普通ではないと気がついたのは、霧が■歳の頃。

 まだ幼き時分。淡い初恋に触れ、それが無残にも砕け散り、――――――した時だった。


「―――くん! お城! お城作ろうよ!」


 ごく普通の中流家庭に産まれ、ごく普通の良心的な両親に育まれた霧は、ごく普通の男の子として健やかに成長していた。

 普通に友達を作り、普通に勉強をし、普通に泣いたり笑ったり怒られたりして。

 ごく普通に、同じクラスメイトの幼なじみの女の子が気になりはじめた、ちょっとだけおませな男の子だった。


「う、うん」


 少しどもりながら、霧は頷いた。

 その女の子の前だけは、霧は不思議と口数が減ってしまって、わけもなく気が落ち着かなかったから。


「でも、いいの? 海に入らなくても」


 夏の暑い日。絶好のロケーション。彼女は大きなむぎわら帽子を被って、白いワンピースを着ていた。

 ご近所同士団欒中の両親たちが見守る中、二人は波打ち際から少し離れた場所でバケツやスコップを駆使しながら、砂の城を築いていた。


「ほんとは入りたいよ。でも、私肌が弱いから海に入るとすぐ痒くなっちゃうんだ」


 少し不満そうに語る彼女の事情は、霧も幾らか知る所だ。

 彼女が砂浜に出る前、母親に丁寧にクリームを肌に塗られている所を霧は目撃している。

 それはなんだか見てはいけない光景のようだったが、霧は目が離せなかった。

 その時の事を思い出して、顔が赤くなる。


「……そうなんだ。大変だね」

「うん。でも、そうでもないかも」

「そう?」

「だって、―――くんが一緒に砂遊びしてくれるから、寂しく無いし」

「……そっか」


 霧は無性に笑いたいような、むず痒いような、そんな不思議な感覚を覚えながら相槌をうつ。

 バケツに砂をすりきり一杯まで入れてひっくり返し、城の土台を作る。

 その下にトンネルを掘り進めたり、小さな塔を建てたりしながら、二人は取り留めの無い会話を続けた。

 学校の事。夏休みの事。友達の事。両親の事。夏祭りの事。

 大人から見れば可愛らしいような内容であったにせよ、当時の二人からすればそれは世界の全てだった。


「ねね。ウォータースライダー作ろうよ! 一番上から水を流すようなの!」


 突然、彼女が城には似つかわしくない増設を提案する。


「ええっ、お城じゃなかったの……?」

「お城だけど、いいの! 色々あったほうが、楽しいでしょ? ―――ママー! じょうろってあるー?」


 新しい遊び道具を取りに行く為立ち上がった彼女を見上げると、夏の強い日差しが白いワンピースに映えて、霧の目をまぶしく焼いた。

 汗ばんだうなじや、透けて見える花柄のシャツ。きらきらと光る長い髪。

 花の様に微笑む彼女の姿。始めて霧の心の全てを奪った、女の子の姿。

 それは、霧の網膜を通して脳裏に焼きついた、幼き頃の原風景だった。


「――――――」


 なんて、美しく、綺麗で、尊い生き物(・・・)なんだろう。と、霧はその時思った。

 美しきもの。

 一面の向日葵畑や、夜空に瞬く星、富士の山頂から頂くご来光。

 霧が今まで見てきた物の中で、心奪われた物は全て風景だけだった。

 だが、それらはこの瞬間、霧の中で陳腐な物に成り下がっていた。

 真に美しい物とは、生ある物なのだと、その時霧は直感的に悟ったのである。


「―――くん! コーラ貰ってきたよ! 一緒に飲も!」

「……うん!」


 しゅわしゅわと弾ける炭酸飲料をちびちびと飲みながら、霧は胸の高鳴りを抑えつつ彼女の隣に座る。


 ―――出来る限り、彼女を目にしていたい。


 年頃の男の子がごく普通に、格好いいものに憧れるように。

 霧もまたごく普通に、美しい()の側に居たいと思ったのだ。


 ―――その捉え方が歪であるにせよ。少なくともその時はまだ、霧は普通の男の子だった。

 その歪みが、常人と狂人との袂を別つ決定的な亀裂と化すのは、それから半年後の、寒い雪の日の事だった。



「ん」


 昨夜の猛りが収まっていないのか、どうやら白昼夢を見ていたらしい。

 徹夜して一睡もしていないせいだろうか。

 霧は軽く目を瞬かせると、闇に溶ける様に潜んでいた路地裏の陰から、朝方の賑やかなヤマアラシ通りの人ごみの中へ滑るように紛れ込んだ。

 元より路地裏から女の子が一人出てきた所で気にする人も居やしないだろうが、日頃から体に染み付いた動作が霧をそうさせている。


「おなか、すいた」


 くる。と腹が小さく鳴いて空腹を訴える。心の飢えは昨夜にすっかり癒されたが、身体の飢えは収まりがつかないようだ。

 山吹の為に朝食をこしらえたとはいえ、あれは自分の為ではない。だから今の今まで何も腹に入れていない以上、空腹であるのは当然の話だった。


「ん……」


 きょろきょろと視線を彷徨わせると、ヤマアラシ通りに軒を連ねる早朝名物である屋台の中から一つ、お目当てのものを見つける。

 湯気を立ち昇らせるその屋台は粗野な造りで、あまり繁盛しているとは言い難い。というより、客は一人も居ない。

 霧は一直線にそこに向かうと、ぼろぼろの丸イスに腰掛けてカウンターに料金を置いた。


「いつもの。梅干もつけて」

「はいよ」


 無愛想な屋台の親父が料金―――通常よりも多すぎるそれ―――を受け取り、屋台に備え付けの鍋から茶色と白色の混じった、どろどろとした何かを碗によそい、霧の前に置いた。

 続けてしわくちゃの梅干が三個、小皿に盛られて出てくる。

 屋台の名は『カユ』。あまりにも直球過ぎるネーミングであった。


「いただき、ます」


 両手を合わせて祈りを捧げた霧は、木製のスプーンで麦と米の混じった粥をひとさじ掬って、ふーふーと何度も息を吹きかけて冷ましてから口に運ぶ。

 時々梅干の果肉をスプーンで削って粥に足すのも忘れない。

 梅干のすっぱさに口内の唾液が溢れるのを自覚しつつ、霧はほぅ、と息を吐く。


「……はぁ。粥、うま」


 ―――遥か東方。大陸を離れ海を渡った先に位置する極東の島国、『ジャポ』。

 その国の伝統的な朝食文化である「カユ」が、どうしてこのグラン・アトルガム王国にまで伝わったのかの仔細は一切謎に包まれている。

 それは歴史学者が、極東の田舎文化なぞ真面目に研究するつもりが無いという理由による所が大きい。

 何故なら、大陸全土に名を馳せる偉大なるグラン・アトルガム王国をして、『ジャポ』なぞせいぜい不思議な「カタナ」や「カッチュウ」とかいう奇妙な武具が流れてくるだけの小国、という認識に過ぎないからだ。

 王国の一般人からしても、大抵そのような認識である。それ故に、屋台『カユ』の評判は対して良くもなく悪くもない。

 せいぜい普段の朝食で出るパン食に飽きた人が、異国の食文化の物珍しさに立ち寄る程度の屋台でしかなかった。

 ―――そしてそういう屋台だからこそ、秘密の話をするのにはもってこいだったりする。


「探し人が、いる」


 粥を半分ほど食べた所で、霧がぽつりと言った。


半犬人(ハーフドッグ)、女、十五歳、垂れ耳、栗色の髪、姉妹で妹のほう、名前はラミー、三週間前に、王都に来た」


 続く早口の言葉を、屋台の親父は一言一句聞き逃さなかった。

 彼は屋台下から紙束を取り出すと、それをぱらぱらと捲りだす。

 そして目当ての頁を探り当てたのか、紙束から一枚を引き抜いて霧に差し出す。


「二十秒だ」

「ん」


 紙を受け取った霧は相槌を打ちつつも、その紙面に目を落とし凄まじい速さで内容を読み解いていく。

 そして十秒もしない間に屋台の親父に紙を返却した。


「相変わらず早いな」

「べつに」


 屋台の親父は受け取った紙を紙束に差し戻し、再び屋台下に仕舞いこむ。

 ―――これで必要な情報は得た。後はその裏を取り精査するだけだ。


「ずずずっ、はふ、はふ」


 何事も無かったかのように食事を再開した霧は、ゆっくりと時間をかけて粥を平らげた。


「ふぅ……ごちそう、さま」

「毎度どうも」


 そして席を立ちその場を後にする。


「またのご来店をお待ちしております―――(かしら)


 立ち去った霧に向けて軽く会釈した屋台の親父のその声は、街を行く誰にも聞こえる事のない小さなものだった。


「さ、て」


 朝食を済ませた霧は、その足を繁華街に向けて歩みだす。

 これから向かう先は繁華街の中でも特に夜の色が濃い場所、娼館通りだ。

 屋台の親父―――もとい『首狩り(ヴォーパル)』御用達の情報屋で得られた情報によれば、巧妙に隠蔽されているものの、先週あたり娼館通りの近くで大規模な騒ぎがあったらしい。

 ……らしい。というのも、その騒ぎに関して周辺の住民は皆一様に口を噤んでいる為に詳細が得られなかったから、曖昧な表現を使わざるを得なかったとの言。

 恐らく何らかの圧力があったのだろう。

 しかし優秀な情報屋はその圧力を掻い潜り、「騒ぎが起きる前に娼館通りへ半犬人の少女を乱暴に引き連れていく男数人の姿を目撃した」、との情報を独自に得ていた。

 そして、連れられて行く半犬人の特徴は山吹の家に住み込みで働いてるラミーのものとほぼ一致していたのだ。


「……山吹には、ひみつ、だね」


 その情報を彼女が知ったら、きっと怒り狂って娼館通りにゴーレムを引き連れながら突撃しかねない。

 それは霧としては困るし、何より大量に血と肉を失って疲労している彼女に追い討ちをかけるような真似はしたくなかった。せめて伝えるなら、彼女が肉体的にも精神的に回復してからだろう。

 ……よく勘違いされがちだが、霧とて人の情が全く無いわけじゃない。

 霧自身、自らは異常者、狂人だと充分理解しているが、人並みの優しさぐらいは持ち合わせているのだ。

 だからこそ、山吹の為を思って協力を申し出たのだし。


「変装。したほうが、いいかな」


 道すがら、霧は頭を悩ませながら進んでいく。

 これから向かう先は、とてもじゃないが平日の朝方から少女が顔を出していいような場所じゃない。

 王都の安全を守る為に警邏している衛兵にでも見つかれば、首根っこ掴まれて追い出されるのは目に見えている。

 尤も衛兵に見つかった所で易々と捕まる霧ではないが、下手に騒ぎを起こしたく無いし、顔も売りたくない。

 となると、やはり変装をするべきか。


「うん。そうしよう」


 あっさりと決定した霧は娼館通りに行く前に少し遠回りをする。

 ヤマアラシ通りを抜けて、王都を円環状にぶち抜く一番通りに合流。

 そこの往来はヤマアラシ通りの比ではない。人の数はさほど大差ないが、人間が通れる歩道(・・)が狭い為に非常に人口密度が高いのである。


「ピッ、ピッ、ピーッ!」


 甲高い笛の音を鳴らす制服の男が、往来の交差点のド真ん中で両手に旗を持ち、一見してロボットダンスに見えるような機械的動作で赤い旗を上下左右に振り回していた。

 彼の機敏な動作は、道路(・・)に待機している長蛇の列を生む馬車達の動きと連動し、忙しないものの円滑に馬車が衝突しないよう誘導している。

 そんな交差点の角にたどり着いた霧は、他にも立つ一般市民と同じようにその場に立って時が来るのを待つ。

 暫くした後、制服の男が両手の旗を上に掲げて、長く甲高い笛の音を鳴らした。

 その瞬間待ってましたとばかりに交差点の四つの角から、そこで待っていた人達が早歩きで思い思いに目的地に向けて交差点を横切っていく。

 どう見ても日本の道路。それもスクランブル交差点を思わせる光景だった。

 「悠久の大地」にはこんなファンタジー感を消してしまうような、空気の読めないオブジェクトは無かった筈なのだが、どうしてかこの世界―――もとい、王都には手旗信号を用いた交通整理がごく一般的な、ありふれたものとして受け入れられている。


「(―――恐らくはゲームだった世界が現実と化した影響によって、この世界が現実的(・・・)に文化を成熟させたから、こういった交通整理の概念が生まれたのでは?)」


 何時だかの円卓にて。そういう仮設を山吹が立てていたのを、交差点を歩きながら霧は思い出していた。

 霧としては、そういう難しい話は興味がない。

 ただ、山吹の事は円卓の中で言えば一番好きだから、話を聞いていただけだ。

 しかし、好き、と一言で言っても。

 あの日のあの子と比べれば――――――その差は比べるべくもない。

 凍えるような寒さの中に居た、あの子と比べれば。


「―――ピーッ!!」

「………………」


 ……高い笛の音が霧の意識を雪の中から引き上げた。

 霧は気がつけばいつの間にか道路を渡りきっており、棒立ちのまま突っ立っている自分を訝しげに見やる人達の姿が周りにある。


「……いこ」


 久々に楽しんだせいか、今日はよく昔の事を思い出す。

 小さく息を吐いた霧は、それからは無心のまま歩く事を決めた。


「……」


 黙々と歩み続ける事暫くして、霧は目的の店にたどり着く。

 そこは何の変哲も無い服屋で、ショーウィンドウには女性用春の新作が展示されていた。

 その店の裏手に回り、裏口の扉に向けて七回ノックする。

 すると扉についていた覗き窓が、しゃこん、と音を立てて空いた。


「あの、なんですか? うちの店の玄関はこっちじゃないですよ?」


 困惑した女性の声だ。


「あっ。ごめんなさい……私、勘違いしちゃってたみたいで……。ここって、『ブギーマンズ・キッチン』で合ってますか?」


 霧という人物について知る者がここに居れば、流暢かつ感情に満ちた歳相応の少女らしい声が聞こえた事に我が耳を疑うか、或いは腰を抜かしていただろう。


「いえ、違います。ウチは服屋ですが?」

「あれ、おかしいな……。『トムおじさん』はそう言ってたのに……」

「はぁ。まあ何でもいいですけど、道を聞くなら衛兵にでも聞いて下さいね。それじゃ」


 再び、しゃこん、と音を立てて覗き窓が閉まる。

 それから数秒後に扉の鍵が開く音が聞こえ、霧はさも当然そうに扉を開けて中に入った。


「ようこそいらっしゃいました。本日はどのようなご用件で?」


 中で待ち受けていたのは、満面の笑みを浮かべた先ほど霧と話したばかりの女性だ。


「変装。できるだけ、みすぼらしく。浮浪者一歩手前、くらいでいい」

「かしこまりました」


 霧は彼女に金を握らせると、共に店の奥に消えて行った。

 そして三十分ほどして。


「出てけこのクソガキ! 可哀想だからと恵んでやりゃつけあがりやがって! 二度と来るな!」

「ああうっ」


 店の裏口からけたたましい騒音と共に、みすぼらしい格好をした浮浪者が突き飛ばされてきた。


「すみません、すみません、すみません……」


 その浮浪者は見ている方が哀れな気持ちになるくらいの平身低頭で謝罪しつづけ、逃げるようにその場から去っていった。



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