2-2
「で、ではお隣失礼しますね」
「……う、うん」
身体を洗い終えたラミーがおずおずと湯船に入ってくる。
新たに増えた一人分の質量によって湯が大量に流れ落ちた。
「はー……気持ちいいですね……」
「……そうだね」
彼女が足を跨いだ瞬間に色々な部分が無防備になってしまい色々と見えてしまったが、私は何も言わなかったし言えなかった。
こういう時の真っ当な女性同士の会話なんて、経験した事も無かった故に。
これが例えば御剣と一緒の風呂だったとしたなら、気兼ねなく『お前乳でけーな』の一言で済んだのだが。
「……」
「……」
二人して何か会話を交わすわけでもなく、地蔵のように無言のまま湯船に浸かり続ける。
……気まずい。そしてあまりにも華が無い。
突然の急展開に驚きはしたものの、黙っているというのもなんだか情け無い気がする。
こちらから何か話題でも振るべきなのだろうか。私は悩んだ末に口を開く。
「ねぇ、ラミー」
「は、はいっ!?」
風呂場に響く過剰な反応に少しだけ耳が痛くなるがあえてスルー。
「私が留守の間、どうだった? 何か問題とかあったりした?」
「あっ……はい、特に問題は、なかったです」
「そっか」
「そうです」
「……」
「……」
……会話が終わってしまった。どうするんだコレ。
「……」
「っ……」
身じろぎする事すら憚られる。何せ静かにしすぎているせいで、軽く動いただけでも水音が風呂場に嫌に響くからだ。
「…………ん」
ちら、と盗み見たラミーは湯で濡れそぼり、普段とは違って艶やかだった。
栗色の髪の毛が頬に張り付いて、そこから雫がつうと垂れる。
水をよく弾く若い健康的な肌だ。荒れている様子もない。
ちゃぷちゃぷと音を立てながら、ラミーは湯を手の平で掬い肩に何度かかけた。
それに連動して、彼女の相応なサイズの胸が湯船に浮き沈みした。
普段の元気いっぱいのラミーとは違う、しおらしいラミーの姿がそこにあった。
「…………ふぅ」
……普通ならこの状況は諸手を挙げて喜ぶべき場面なのだろう。
男冥利に尽きるという奴だ。しかしながら私は今は女であるからして、女の裸は自分で見慣れているので感動の度合いは比較的薄い。
いや、決してラミーの裸が魅力的じゃないと言っているわけではない。
彼女は十分に美少女として通用する容姿を持っている。文句なしに百点満点+αをつけたっていい。
その証拠に平静を装っている私の鼓動は少しずつ高まり続けている。これが円卓勢の見た目だけはワガママボディなあんちくしょうたちの前ではこうはいかない。
「師匠」
「うん?」
ラミーが虚空を見つめながら呟いた。
ほんの少し何かを躊躇うようなそぶりを見せた後、静かに言う。
「師匠は、……私の事をどう思っていますか?」
「……え?」
―――どきん。と心臓が跳ねた。
それは、どういった意図を込めた質問なんだろう。
言葉通りなのか、それとも何か別の―――。
「…………とても、いい子だよ。私の所で働いてくれてるのが勿体無いぐらいに」
私は一息挟んでから、そう答えた。無難な答えを返した。
そしてそれは私がラミーに抱いている思いの全てだ。
彼女はとても気が利くし、料理上手で、はじけるような笑顔が素敵な半犬人の女の子で、そして私の大事な弟子だ。
ラミーはそれ以上でもそれ以下でもない。今のところの私にとっては。
「……それだけ、ですか?」
ラミーが私に面と向かう。一ヶ月近く一緒に居たラミーだが、今の彼女の表情が何を物語っているのか、今の私では読み取る事は出来なかった。
「……それ、だけ、だよ」
他に答えを持たない以上そう答えるしかなかったと言うのに。
彼女を見ているとどうしてか、この一言を口にするのに歯切れが悪くなってしまった。
「……わかりました。―――ね、師匠? よかったら背中を流させてくれませんか?」
先ほどまでのシンとした気配が嘘のように、ラミーが朗らかな笑みを浮かべる。
「え? で、でも私先に洗っちゃったし……」
「えぇっ~? いいじゃないですか師匠~! せっかく一緒にお風呂入ってるんですから、サービスさせてくださいよ~!」
「サービスって……まぁ、でもそう言うならお願いしようかな?」
「お任せください! 隅々まで綺麗にしてあげますからね!」
二人して湯船からあがり、風呂椅子に腰掛ける。
はて……一体今のは何だったのだろう。ラミーはすっかり普段通りの調子に戻っている。
その態度の急変ぶりに疑問を覚え、やはり先ほどの質問の真意を問おうかと思ったのだが。
「どうしました?」
スポンジと石鹸を両手に構えて、とても楽しそうにしているラミーを前にするとそれを問いかけるのは躊躇われた。
「……ううん、なんでも。それより、優しくしてね? 痛いのは嫌だよ?」
「大丈夫ですっ! こう見えても慣れてますから!」
「ふふふ、そうなんだ」
まあ、彼女なりに重要な質問だったのかもしれないが、今の私が出せる答えはこれしかない。
同じ質問を一ヵ月後、二ヵ月後にされたら私が答える内容も違ってくるだろう。
またその時にでも、どういう意味なのか聞けばいいさ。
私はそう気楽に考えて、慣れているというラミーの手腕に期待しながら瞳を閉じた。
・
それから私達は普段通りに過ごした。
一緒にご飯を食べて、一緒に他愛ない話をして、一緒に翌日の準備を整え、別々に寝た。
そして翌日、ポストに届いていた手紙を読んだラミーが『姉が王都に来ているので挨拶に行きたい』と言ったのでそれを快諾し。
『二週間後には帰ってきます』と言っていたラミーは、二週間後の日曜日になっても、帰って来なかった。
三週間目の土曜になっても、帰って来なかった。
・
「フラれたな」
開口一番の情け容赦ない御剣の一言に私はキレた。
「ちがわい! フラれたんじゃないもん! ちょっと帰りの馬車が遅れてるだけだもん! いーだ!」
なんかやけに暑くて視界がぼやけてるけど何時もの円卓の領域にて。
「……おーおー。『酒は持ち込めない』けど『酔っ払って来てはいけない』というルールはなかったもんな、すげぇわ山吹。相当飲んでんな」
「のんでねーし! よってもねーし! うるせーし!」
「……泥酔した人間の、典型的な反応。……おお やまぶきよ ふられてしまうとはなさけない」
皆色々言ってるけど、別に振られたとかじゃないもん。
まだ私とラミーはそういう関係でもないし、振ったとか振らないとか、わかんないし!
「だからふられてないのー!」
「はいはい分かりましたから、山吹さんはちょーっと大人しくしてましょうね? ……はい、御剣さん」
「ああ」
「うみゅう」
セラフに首根っこ掴まれてしまった。そんで気がついたら御剣の膝の上に乗ってた。しかも抱っこされて身動きが取れなくなってた。
ほわい。
あ、御剣のおっぱいでかい。柔らかい。
「御剣おっぱいでかいよね、さわって良い?」
「うむ」
「うむ、じゃねーよ何普通に乳繰り合ってんだ」
「……いや、それでいいと思う。静かになった」
「あら、本当ですわね」
ほあー。前からでかいでかいとは思ってたけど、こんなに柔らかいんだ、はー。
「……じゃあ今回の議題は『山吹さん家のラミーさんの行方』についてですが、各自意見等ありますか?」
「はい。前にルドネスが話してた人攫いの可能性は?」
む、聞き捨てならないひとこと。
「どうですか、ルドネスさん?」
「…………多分それは無いと思うわ。犯人の一人がこの間捕まってから、行方不明になった人の噂は聞かなくなっていますもの」
新聞とかないから知らなかったけど、この間言ってた人攫い捕まったんだ、知らなかった。
「そーなんだ? まあそうだとしても、ラミーには万が一の時の御守りもたせてあげてるから大丈夫だもん」
「そ、そうでしたか。ところでそれはどんな御守りでしょうか?」
ルドネスが聞いてきたから答えてあげる。
「んーと、危なくなったら召喚するタイプので、中には私のメタゴーがはいってるよ」
「……なるほど、そうでしたか。でしたら、余計に人攫いの可能性は消えましたわね」
「でしょ!? だから帰りの馬車が遅れてるだけなんですー!」
「ふむ……それはそうと山吹、乳を揉むか叫ぶかどちらかにしろ」
怒られちった。……どっちがいいって言われたらおっぱいのほうがいいので、正直に答える。
「じゃあおっぱいもむ」
「……うむ」
ひゃー、やわらけー。
「……ううっ、こんな山吹さんの姿色んな意味で見たくなかったですねぇ。前に酔いつぶれた時だってこんなもんじゃなかったでしょうに」
「いや、俺だって初めて見るパターンの酔い方だぜこれは。ラミーが居なくなったのが相当なショックなんだと思う」
「……なんとおいたわしや」
「なんとかしてあげたい所ですが、私は法国を離れるわけには行きませんし……」
あーほんとうにやわらかいなー。ラミーのおっぱいもやわらかいのかなー。
あの時さわっておけばよかったかなー。
うう、ラミー。どこいったのー?
「うちはたまたま商売の関係でドーガスタに居ますから、ついでにラミーさんが帰って来ていないか探せはしますが……御剣さんはどうでしょう?」
「助けてやりたい所は山々だが、私は今ソードマンギルドに缶詰になっていてな、副会長に任せていた案件を片付けない事には身動きが取れ……んっ」
おおっ、いい反応だ! ここが御剣の弱点と見た!
「御剣スイッチだいはっけーん!」
「……たわけ!」
「いたいっ!」
「……クソッ、見てられん。これ絶対明日冷静になったら悶絶するパターンだろ」
「私は嫌ですわよ。翌日になって首をつった薬屋発見なんていう報せが来たら」
「……じゃあ、私今フリーだし、助けてあげてもいいよ」
霧が手を上げた。それを皆がビックリした様子で見る。
「たすけてくれるの?」
「うん」
「ころころしたりしない?」
「善処する」
「じゃあ、助けてくれる?」
「だから、そういってる」
「ううううぅぅ~」
霧、優しいよお。いい子すぎるよー!
「わあああ霧大好き大好きありがとー!」
私は幸せな気持ちでいっぱいになって走り出した。
でも走れない。霧をぎゅってしてあげたいのに。
あっそっか、御剣に抱っこされてたんだ。
「みつるぎ、放せ!」
「ならん。今のお前を放置すると、物の弾みでニトロ・ポットをそこらへんにばら撒きかねん」
「しーなーいー!」
しっけいなやつめ! 誰がそんなことするか! 多分大丈夫だと思う!
「……山吹、この際だから良い事を教えてやろう。世の中で信用ならん三大巨頭とは即ち、政治家と権力者と酔っ払いだ、覚えておけ」
「うぃむっしゅ!」
「……それ、使い方合ってないんじゃないかしら」
「だよな。……っていうか、霧がか? あの霧が手伝うってのか? マジで大丈夫か?」
「……一応王都に住む者として、連続殺人事件が起きないよう気を配っておきましょうか」
「そうだな、マジでそうだな」
「霧ちゃんありがとーう!」
「……うん」
まあ、とにかく。なんか霧が助けてくれるらしい。
これで行方の分からないラミーを迎えに行けるよ、やったー!
・
翌朝私は死にたくなった。
実際首を吊り掛けたが、まだそうするわけにはいかなかったのでギリギリ堪えた。
少なくともラミーと再び一目合うまでは、一時の感情に任せて全てを放り出すわけにはいかなかったのだ。
胸ポケットの中に差し込まれた一枚の紙片をもう一度確認する。
『王都。ヤマアラシ通りの【山盛り】。小兎の香草焼きを持ち帰りで三人分頼んで。ハーブはヨモギだけ』
霧が差し込んだであろうそれは、彼女が私を助けてくれるというサイン。
相変わらず会うのですら面倒な手順を踏まなければならない彼女だが、助けてくれるというのなら是非もなし。素直にそう従いましょうとも。
私は店を出る前に、防犯機能が問題なく作動しているかだけチェックした。
「行って来ます」
玄関の下げ札の上に、『勝手ながら暫く臨時休業致します、再開は一~二週間後を目処としております』と書かれた紙を貼り付ける。
早朝。人影もまばらなオーラムの街をそそくさと駆け抜け、馬車乗り場へと向かう。
「…………はぁ」
溜息をつきながら王都行きの切符を購入し、馬車に乗り込む。
それから出発時間になるまで、私は軽く寝た。
昨夜きちんと寝られなくて眠いというのもあったが、何より起きたままでいると、昨夜自分がやらかした数々の記憶が次々と脳裏に蘇ってくるのが嫌だったからだ。
ああ。それにしても。
なんて恥ずかしい事をやってしまったんだ。
どうせなら記憶が無くなるまで酔いつぶれていればいいものを……!
やんぬるかな!




