2-1
―――いいえ。別に私は恋をしているわけではないの。当然愛情を抱いているわけでもないわ。
何故なら、そのどちらも知らないから。
今まで私は数え切れない人達と関係を持ってきたけれど、誰にも特別な感情を抱く事は無かったの。
変だと思う? ……そう、変よね。私だってそう思う。でもね、それが私なの。
相手が男であろうと女であろうと、はたまたそれ以外であろうと……今まで愛おしいと思えた誰かは、一人も居なかった。
多分、きっとこれからも知る事は無いのだと思う。
……ふふ、それ以外が何かって、言わせないでよ。私は魔女ですもの、神をも恐れぬ所業はして当然の事ですわ。
貴女達も試してみる? 人生経験は豊富なほうが色々と楽しめてよ?
……あらそう。気持ちいいのに。
―――やっぱり興味がおありなのね? うふふ、分かりやすい反応で本当に可愛らしい。食べてしまいたいぐらいに……。
ちょっと、怒らないで下さいな。ただの冗談で―――きゃああっ!?
ま、待って! ここで本気出したりしないで! 貴女達が暴れると洒落にならないのよ!
あーっ! それはお客様に頂いた取って置きの高級ウイス―――。
とある娼館の一室で交わされた、部屋が半壊するまでの記録より。
・
日曜日。朝方の清涼な気配の中。
「わざわざお見送りして頂けるなんて恐縮です」
代表して頭を下げると、フードで顔を隠し一般のシスターに扮した会長が申し訳無さそうに微笑んだ。
その後ろには完全装備のミハエルが控えており、会長の隣には同じく一般人に変装したエミルの姿がある。
「いいえ、これぐらいしか出来ない私達をどうか許して下さい。本来ならば大々的に貴女達を表彰すべきなのですが……」
「わかっているさ。これは非公式なものだ、私達も名誉が目的でやったわけではないからな」
「うちとしては別に恩賞はしっかり頂きましたし、何も文句はありませんよ」
場所は法国軍事部の馬車格納庫。ここには旧型も含めたゴーレム駆動の馬車が多数保管されている。
一般人の目は限りなく無に等しいエリアであり、また馬車の整備に余念がない整備員たちや、辺りを巡回する警備兵らも全て法国軍事部関係者である。
故に会長やエミルが変装をする必要は全く無いのだが、何せあの大騒動から昨日の今日である。
安全面を考慮しての変装であった。
「…………」
兜を被ったミハエルは直立不動のまま無言を貫いている。
敬意に欠けたフランクな会話の私達を責める気配がにじみ出ているが、会長とエミルの手前それを指摘するのは控えているらしい。
なので私達はミハエルをあえてスルーする。
どうせこの後『スレイプニール』に同乗する聖堂騎士団員は、ミハエル以外の誰かなのだ。
怒られる心配が無いというのは実に清清しくてよい。
「み、皆様、セラフ様を、そして僕の事を救っていただき、本当にありがとうございました。大したお礼も出来ずに申し訳ありませんが、どうかこれを受け取って下さい」
エミルがおずおずと歩み寄ってきて、その手に抱えていた物を私達に順次手渡していく。
それは丸い筒のような物体で、蓋が付いているのか切れ目が入っていた。
卒業証書の入っているあの筒を彷彿とさせる。
「これは?」
「セラフ様と僕との署名が入った手形が中に入っています。も、もし今後何か困った事があれば、それを利用してください」
「―――」
私は思わず会長を見た。この手形が持つ力は、一個人に預けるにはいささか過剰である。
この手形はつまり、所有者の身分を『聖女』とエミル=アークライト二十七世が連名で認めるという事。
これを黄門様よろしく掲げれば、少なくとも法国関係者はその威光の元に跪く。
そうでなくても、大半はそうなるだろう。場合によっては、一国の王ですらも。
「……本当にいいんですか?」
二重の確認だ。『聖女』と会長、両方に問うたのである。
『聖女』には私達が外で問題を起こした場合に、『聖女』が被る被害等を承知なのかという意味を込めて。
会長には、もう十分貰う物は貰いましたよ主にえちごやさんがですが、という意味を込めて。
「ええ。貴女達はそれだけの……いえ、それ以上の事をして下さいましたから」
会長が微笑む。
……まあ、良いと言うならこちらとしても受け取らない理由は無い。
権力を笠に来て威張り散らす趣味はこれっぽっちもないので、これが活躍する場は恐らく無いだろうけども。
「……謹んで、お受け取り致します」
「ありがたく頂戴しよう」
「……おっほー……マジですか……ありがとうございます……」
三者三様の返礼の元、私達は手形を受け取った。
約一名は金に目が眩んでそうな気配がするが、流石に節度は守ってくれると思う。恐らく。
「……どうした。……そうか、了解した」
音も無く整備員の一人がミハエルに歩み寄って耳打ちする。
「聖女様、エミル様。『スレイプニール』の準備が整いました、お時間です」
「そうですか……。名残惜しいですが、これでお別れのようですね」
どうやら準備が整ったらしい。
普通なら寂しさを覚える別れのシーンなのだろうが、毎週顔を合わせる私達からすると寂しさなどまるで無い為、少し奇妙な瞬間だ。
ただ、一緒に酔いつぶれるまで酒を飲み交わしたミハエルと暫しの別れとなるのは、ちょっと寂しいかのもしれなかった。
「あ、あの、また是非法国にいらしてくださいね! いつでも歓迎しますから!」
健気の様子のエミルには、洗脳されていたという気配は全く感じられない。
会長直々の診断でも、完全に洗脳状態は解けているのだという。
……彼が会長に抱く恋心は本物だが、彼がかけた夜這いという凶行は催眠制御下によるものだ。
もしそれが彼の自発的な行動であれば、私達は遠慮も配慮も容赦もせず彼を痛めつけていただろう。
恐らくは会長に止められただろうが……それが現実のものとならずに、本当に良かったと思う。
一歩間違えれば国辱ものの仕業だが、私達が本気でやるとはつまりそういうことなので。
そこには年齢も性差も種族も地位の差も、何も無いのだ。
「……ええ、いずれ、また」
私はそんな残酷な内心をおくびにも出さず、外向けの営業スマイルをエミルに向ける。
「うむ。法国はいいワインが揃っているからな、そのうちにまた邪魔するとしよう」
「うちもいい取引先が見つかりそうですし、きっとそう間もなくまた来ますよ!」
「ふふふ。此度の騒ぎに懲りる事無くまた来ていただければ、私としても幸いです」
珍しい『聖女』の冗談に一瞬場が静まり、そして朗らかな笑い声が上がる。
温かな場のムードに包まれた私達は、聖堂騎士団員と共に『スレイプニール』に乗り込むと窓を開けた。
窓の外では兜を脱いだ仏頂面のミハエルが。
そして会長とエミルが寄り添いながら私達を見つめていた。
「本当に、ありがとうございました。―――貴女達にエミル神の祝福がありますように」
「祝福がありますように……」
「……」
二人と一人が真摯に祈りながら、胸の辺りで十字を切った。私達はそれに黙礼で返す。
「皆様、シートベルトをお締めください、非常に揺れますので」
聖堂騎士団員の指示に素直に従いシートベルトを締める。
そして間を置かずに『スレイプニール』が自動的に動き出した。
私は最後に一度だけ、窓から会長たちの姿を覗き見る。
「さようならー!」
元気いっぱいに手を振るエミルと、その横で静かに笑顔で手を振る会長。
その背後には見事な敬礼をしたミハエルの姿があった。
彼らは私達の姿が見えなくなるまで、ずっとそうしていた。
・
それから私が辺境の街オーラムに帰ってきたのは、夕日も落ちようかという頃合だった。
何百キロメートルと離れた地まで一日でたどり着ける『スレイプニール』は、帰り道もその超性能を如何なく発揮してくれた。
おかげ様でまたえちごやさんが吐きそうになったりとちょっとしたトラブルは発生したものの、私はなんとか無事に戻ってこれたというわけである。
「いてて……」
『スレイプニール』から尻を摩りながら降りる。既に他の二人の姿は無い、彼女らは先に王国で降りてしまっている。
「では、私はこれにて失礼させて頂きます」
私が降りたのを見届けると、聖堂騎士団員はさも当然のように言った。
「えっ、まさかこのままとんぼ返りですか?」
「これも任務ですので、では!」
凄い。流石聖堂騎士団員。主命とあらば不眠不休の強行軍も辞さないというおつもりであられるか。
私はそんな信仰心溢れる聖堂騎士団員を引き止める。良心が咎めたし、何よりブラック企業で働く社畜の面影がダブってしまい見てられなかったからだ。
「ま、待って下さい、それはいくらなんでも頑張りすぎでしょう。……これを持って行って下さい」
「これは?」
「私の作った『ミドル・スタミナポーション』です。疲労回復にどうぞ」
私達にとってはSPを回復するアイテムでしかなかったが、この世界ではそれに疲労回復の効果も付随している。
内部の細かい成分が分からない為何故疲労に効くのかは不明だが、きっとカフェインでも入っているのだろう。
薬屋がそんな事でいいのかと思わないでもないが、本当に分からないのだから仕方がない、そういうものだと納得するほか無いのだ。
「感謝します、ヤマブキさん……では、これにて」
「はい、わざわざありがとうございました。お気をつけて」
始めはゆっくりと、そしてしだいにスピードを上げていく『スレイプニール』を見送る。
そのうちに視界から姿を消した『スレイプニール』は、遠くから馬の嘶きにも似た爆走音を響かせながら去っていった。
「……さて、と」
この世に迷惑防止条例なるものがあれば一発検挙間違いなしの『スレイプニール』とは、これでおさらばだ。
幸いにも時間帯故かあまり人目は無い、誰か顔見知りに捕まってしまう前にさっさと家に帰ってしまうとしよう。
「―――ただいまぁ」
準備中の下げ札がかかったままの扉を遠慮なく開ける。
別に裏口から入っても良かったが、もしかしたらまだラミーが店の片づけをしてるかと思い正面玄関から帰ってきたのだが、誰も居なかった。
明かりもついていない。もしや二階に居るのだろうか。
「……今日は早めに店を閉めたのかな?」
まだ店を閉めるにはやや早い時間帯ではあるが、別段珍しい事でもない。
私だって営業時間を常にきっちりと守っているわけでもないし、気分で閉店や開店を早めたり遅めたりすることもある。
「ラミー? 帰ってきたよー?」
意識して声のボリュームを上げてみるが、返事が無い。
私は二階に上がりつつ、またも呼びかける。
「ただいまー? ラミー? 居ないのー?」
……またも返事は無い。
「…………」
私は念のためにいつでも戦闘準備に入れるよう心を入れ替える。
以前愚かにも私の店で盗みを働こうとした輩が居たのを思い出したからだ。
あいつは散々痛めつけた挙句、もう一度その顔見せたら次は無いぞ、と脅しておいたので盗人なら別口の筈だが、さて。
場合によってはラミーを人質に取っている可能性すらある。
そうなった場合は、下手人は色々な意味で生かしておけない。万死に値する。
「あれー? っかしぃなぁー、居ないのかなぁー?」
声だけはわざとらしい演技をしつつ、その実私は素早くラミーの部屋の扉の前に移動する。明かりがついている様子は無い。
ウェポンスタッカーから普通のクロスボウを抜きつつ、扉のノブを音を立てないように回し、そしてゆっくりと開けた。
「…………」
誰も居ない。
私は続けて自分の部屋の前まで行き、同じようにして扉を開けた。
「………………………」
誰かが居た。居たには、居た。
それはラミーだった。
私のベッドで、私のシーツに包まれながら、実に幸せそうな寝息を立てて眠っているラミーが居た。
私は扉を静かに閉めた。
「さて、ご飯……いや、先にお風呂入ってようかなっと」
こういう時は知らんぷりしてあげるのが人の情けである。
きっと、ほら、なんだ、あれだ。私の部屋を掃除してくれてる間に、ちょこっと眠くなっちゃって。
それでほんの一眠りのつもりが、爆睡っていうよくあるパティーンだと思うんですよ。
だからね、きっと起こしちゃうと、凄く恥ずかしいと思うんです、ラミーちゃんは。
だから私がお風呂に入っている気配で自然に目が覚めて、あっやばい師匠帰って来てたんだ起きなきゃ! ってなるわけですよ奥さん。
それが二人にとって一番都合の良い未来なんですよ、うん。
というわけで私は風呂に入る事に決めた。
・
のだが。
「しっ、ししょう……え、あの、な、なんで? えっ?」
「…………」
湯船に浸かる私の前には、極度の混乱の最中にある生まれたままの姿になったラミーが居た。
……ホワイ。
「……ただいま、ラミー」
「えっ、あのっ、そのっ、おかえりなさい……じゃ、じゃなくてですね! あの、なんでここに……?」
それはこっちが聞きたいですラミーさん。
あなた私の部屋で眠っていた筈ではありませんか。
「なんでって、帰ってきたからお風呂に入っているんだけど」
「えっ、で、でも師匠が帰ってきたなんて全然気がつかなくて……えっ?」
「……ラミー、ちょっと落ち着こう。裸で居るのもなんだし、風邪引いちゃうよ」
「えあっ、そ、そうですね、そうですよね、はい……」
そうしてラミーは風呂場への扉を閉めた。
「……」
「……」
そして今も尚私の目の前に居る。
「ラ、ラミー?」
「あの……師匠。私も一緒にお風呂入っても……いいですか?」
……ホワイ。
「えっ……?」
「だ、駄目でしたか?」
潤んだ瞳で見つめられる。別に断る理由もないのだが、何故今なんだろう。
「いや駄目って事は無いけ―――」
「で、では失礼しますね!」
言質をとったとばかりに、ラミーはいそいそと手桶を取り湯船からお湯を掬って身体を洗い始めた。
私はそれをぽかんと見つめるほかない。
「い、一緒にお風呂入るのって、初めてですよね師匠!」
とまあ、なんだかよくわからないが、ラミーと仲良くお風呂で過ごすひと時と相成ったのでござ候。
「……は、はい」
はいじゃないが。




