お留守番ラミーちゃん!
幕間No.1
忠犬ラミーの朝は早い。
いや、ラミーは半犬人であるからして忠犬という言い方は半分おかしいが―――まあとにかく忠犬である。
「ふんふふん。ふんふーん、ふんふふーん」
陽気な鼻歌交じりの彼女は、辺境の街オーラムに唯一存在する薬屋ヤマブキの店員兼、居候兼、助手兼、弟子である。
彼女がここに身を寄せた契機は、およそ一ヶ月前に遡る。
成人。つまり十五歳になったのを期に故郷である半犬人の国ドーガスタを離れたラミーは、とある目的の為に旅をしていた。
ハチを成す為だ。それはドーガスタに脈々と伝わる伝統である。
ハチとは何か。それは生涯で唯一、忠誠を誓うに値する高潔な人物を探す旅―――。
―――ドーガスタの伝統ハチは、かつては言葉どおりの意味を持っていた。
半犬人は種族の特性として、これと定めた主人に他種族の追随を許さない忠義を誓う事で有名である。
高潔な主人に永遠の忠誠を誓い、その者の為に尽くす。
その間柄には特別な感情など無く、例えるならば王と騎士との関係を築くようなものだった。
しかし時には、主人と従者たる関係が男女のそれとなり、主と僕でありながら夫婦でもある、という姿も時と共に多く見られるようになった。
その側面は時の流れと共に強まる傾向を見せ―――今ではその伝統はほぼ形骸化し、忠誠を誓う主人を探すというのは建前の、本音は婚活という有様と化していた。
……つまるところ、わかりやすく、そして身も蓋もない言い方をすれば、ラミーは婿探しをしていたのだった。
ちなみに、ハチ、という名の語源はドーガスタの偉大な忠義の男ハチという人物の名が元になっている。
主人を何十年も待ち続けたハチの御伽噺は、ドーガスタはおろか他国にも伝わる忠義とは何かを語るに欠かせない重要な逸話の一つだ。
「らんららん、らーららぁ~、らららら~」
故郷を離れ旅をしていたラミーだったが、幾つかの国や街を渡り歩いて見たものの、これという人物には出会う事がまるでなかった。
たしかにイケメンもいたし、お金持ちもいたが、こう、ラミーの勘にはピンと来なかったのである。
そんなラミーが、次もハズレだったらそろそろ国に戻ろうかな、と考えて最後に足を向けたのがここ、辺境の街オーラムだった。
「おぅぃぇ~、しっしょうはー、ほうこくへ~、うぉうぉぅわたしはぁ~、ひとりでぇ~おるすばん~ぅぅ」
そこでラミーは運命的な出会いを果たす。
定期便の馬車がモンスターに運悪く襲われ、しかもそのモンスターは用心棒の冒険者ですら歯が立たない強力な相手。
次々と犠牲者が生まれていき、残るは後ラミー一人だけという状況。
こんな所で死んでしまうのかと諦めた瞬間。
彼女がまるで御伽噺の騎士のように、颯爽と現われたのである。
『―――大丈夫? 可愛いお嬢さん。私が来たからには、もう安心だからね』
同性であるラミーですら目を奪われるような可憐な顔立ち。
いつかの国で目にした、薬師の服装にアレンジを加えた素敵な衣装。
目が覚めるような若葉の色を落としこんだ頭髪。
ふわりと香った、消毒液のにおい。
『まったく、遅いと思って心配して様子を見に来たらこれだ。そこの馬車には私が買った薬草がたんまり入ってるんだけど……一体何してくれてるの?』
軽口を叩きながら彼女が見せたその後は、ラミーの脳裏に鮮やかに記憶されている。
クロスボウを使った目にも止まらぬ早業と、強力な魔法の応酬。目を奪われるとはまさにこの事だった。
あっと言う間にモンスターを蹴散らせして見せた彼女を見て、ラミーの芯の部分がきゅんと疼く。
「でもぉ~さびしくなぁい~、なぜならぁ~、ここにはししょうのぉ~」
高鳴る胸の鼓動が、半犬人の遺伝子が、ラミーを突き動かした。
ご主人様になってください―――と初対面の相手に言うには重すぎたので。
ラミーなりに考えた結果、彼女に弟子入りを志願する事と相成った。
そのほうが、友達から始めるよりもより濃い付き合いが出来るし。
何よりも……自分の気持ちがつり橋効果も含めたただの一目惚れなのかそうでないのかも、判断できると思ったからだった。
―――まあ結局の所、そんな心配はただの杞憂だったのだが。
「…………いいにおいがいっぱい~だからぁ~」
いつの間にか侵入を果たしていた師匠の部屋の中。
ラミーは喜色満面の笑みを浮かべて、わあ、と掛け声を上げながらベッドの中に突入した。
「きゅふぅ~! 師匠で一杯だぁ、すんすんすんすん」
そして実に幸せそうに鼻を鳴らし、そこに漂う香りを胸いっぱいに吸い込む。
師匠成分補給の儀である。これがなくてはラミーの一日が始まらない。
きっと師匠が発する何らかの物質がラミーにやる気と元気を与えているのだろう。ラミーとしてはこれを真面目に研究して学会に発表すべきかと考えているが、正気を疑われそうなので秘密にしている。
ちなみに、この師匠成分補給の儀は朝昼晩深夜と四回に渡り粛々と行われる。
師匠が店に居る時はする必要がないので、未だにこれが本人にバレた気配はない。
「ふむ゛ぅ~~~❤」
声にならない声を上げて、実に奇妙な動きをしながらラミーは悶える。
シーツに包まって白い団子のようになったラミーは、しばらくの間そうやっていた。
何物にも変えがたい幸せなひと時だ。師匠に包まれるということは、つまりそういう事である。
……しかしながら、何時までもそうしているわけにはいかない。ラミーには師匠からこの店の留守を任されたという大役がある。
「……よしっ! 朝のチャージ終わりっ!」
名残惜しみながらも、ラミーはもそもそとベッドから這い出た。
きちんとベッドを元通りに戻し証拠を隠滅し、最後に一回だけ胸いっぱいに師匠の香りを吸って部屋を後にする。
「師匠。私、今日もちゃんと頑張りますからね」
そう呟いたラミーの瞳に宿る光は、駄犬のそれから忠犬のそれに変わっていた。
活動力を手にしたラミーは、今この時より忠犬と化したのである。
・
「いらっしゃいませ!」
「おはようラミーちゃん。いつものやつ五本貰えるかな? あ、あとスタミナも二本」
店を開くと、さして時間も空けずに今日初めての客が来店する。
よく店を利用しに来る冒険者の一人だ。
「はい。また馬車の護衛か何かでしょうか?」
「そんな所さ。近頃モンスターの動きが活発になってて、護衛や狩りに大忙しなんだよ。こちとら儲かるからそれはいいんだが、本当は俺達が忙しくないほうが世の中平和でいいんだがなぁ」
冒険者達の世界。つまり冒険と戦いと、生と死の世界はラミーにとって遠い国の出来事だ。
いや、実際には密接に関わっている。彼ら冒険者達が居る事で、辺境の街オーラムのようなど田舎でも安全を確保して暮らせるのだから。
それは当然ラミーも理解している。理解しているが、当事者ではないので現実感が薄いのである。
「そうなんですか……大変なんですね。はい、どうぞ」
だから『何か良くない事が起きてるのかな』と思いつつも、返事もややおざなりになってしまう。
「おう、ありがとな」
代金を受け取り、カウンターの下の金庫へ仕舞う。
「……ヤマブキ先生がここに来てくれてから、大分オーラムの街も雰囲気が良くなったな」
「そうなんですか? 私がこの街に来たのはつい最近の事なので、よく知らないんですけど……」
「なんだ、知らなかったのか? ヤマブキ先生から何も聞いてないのか?」
「えっと……はい」
ラミーはほんの少しの嫉妬心を感じる。自分が知らない師匠の話を男が知っていたからだ。
「……昔は薬屋が無かったせいで病気に罹ったり怪我をしたら『聖教』の教会に駆け込むしかなかったんだが、そこの神父がふてぇ野郎でな。治癒の為の寄付金と称して法外な金銭を要求してやがったんだ」
遠い目をして昔を思い出すその男の表情は、憎たらしい相手を思い浮かべているのか苦渋に歪んでいる。
「かといってポーションを仕入れようにもここは辺境だからな、どうしたって運搬に金がかかるし品質の問題もある。それに掛かる金額よりも神父の治療の方が微妙に安いと来たもんだから、街の誰も神父には文句が言えなかった。あいつがたっぷりせしめた寄付金のおかげで、法国からの評判も良くて奴を追い出す事も出来やしないし、追い出したら追い出したで俺達も街の皆も治療が出来ないで死活問題になる。それを良く理解して吹っ掛けてやがったんだから、本当にずるがしこい奴だったよ」
「そんなことが……」
ラミーがオーラムに居ついたのは一ヶ月前からだが、そんな話は聞いた事も無かったし師匠からも聞かされていなかった。
それにしてもだ。『聖教』の教えを守る聖職者にあるまじき下劣な行いに、ラミーは怒りを覚える。
「そ、それでどうなったんですか?」
「ああ。そんな生活が長く続いたある日の事だ、秋ごろだったかな? ヤマブキ先生がふらっとオーラムにやって来た。街の状況を聞いたヤマブキ先生は、『じゃあ私がなんとかしましょう』って言って、オーラムの皆にポーションをただ同然で売ってくれたんだ―――ああ、そこの奴と一緒のだったかな」
「ああこれで―――エ、エエ、エクス・ポーションじゃないですか!?」
ラミーは男が指した陳列棚の高い位置にあるポーションを見て目を剥く。
ポーションの中でも最上位に位置するエクス・ポーションは、最低でも二万近い値段のする高級薬だ。
これがたった十本で、ラミーの一ヶ月分の給料とほぼ等価である。
それを師匠はただ同然で配ったのだと、男は言うのだ。
「おう、正体を知った時は腰が抜けるかと思ったぜ。なんせ王都なら一本五万は下らない代物だからな。後で一体何を要求されるやらと怯えたもんだが、先生は『何も要りません』の一点張り。あまりの善人っぷりに気味が悪いぐらいだった。……あ、これ先生には言わないでくれよ」
「は、はい」
「で、その後何が起きたかと言えば、神父の野郎が先生に文句を言いに来た。当然だな、自分の商売が邪魔されると思ったんだから。先生は神父の野郎と話を付けるっつって、しばらくの間教会の裏手で何かをやってた。それから話し合いが終わったのか二人が戻ってきたんだが……」
「戻ってきて、どうなったんですか……?」
「……神父の野郎。嫌に気持ち悪い笑顔でみっともなく汗を掻きながら、『いやぁヤマブキ氏は素晴らしい御方ですな!』つって、逃げるように法国に引っ込んでいったよ! いやあ、あの時のあいつの顔ときたらなかったな、胸がすっとしたぜ!」
そして、男はわははははと大声を上げて笑う。
その時師匠と神父との間で何があったのか、あるいは何らかの取引があったのか、その正体は不明だが、とにかく師匠がオーラムの街に蔓延る下種な神父を追い払ったのだけは確かだった。
「そうですか、師匠がそんな事を……」
ラミーの心が温かくなる。
―――ああ、やっぱり師匠はすごい。強きを挫き、弱きを助ける。気高くて高潔な、『ご主人様』に相応しい人だ。
前々から同様の気持ちを抱いてはいたが、話を聞いた事でそれがより強まる。
「それから無人になった教会を取っ払って新しく建て直したのが―――ここさ」
「ええっ!? じゃ、じゃあここって、元々は教会があった場所なんですか!? それなら街外れの教会は一体……? それに取っ払ったって……」
通常、『聖教』が建てる教会は街や村には必ず最低でも一戸はある。
その場所と規模は法国の審査官が調べ決定するものであり、個人がそれを無理やりに変更したり教会を取り壊す事は明確な法国への反逆となる。つまり、神に唾吐く行為だ。
それぐらいは、ラミーも知っている……というより、一般常識である。
「何でも先生が言うには、『話は付けといたから大丈夫』らしい。……いやもうなんつーか、信じられねえよな、色々と。先生って前に何やってたんだろうなぁ」
「――――――」
最早何も言えなくなる。
男が言っている事はつまり、暗に師匠は法国の審査官の決定を覆せる程強いパイプが法国にある事を示している。
領主ですら時に逆らえないそれをどうにかできるという事は、つまり―――。
「師匠……すごいです……っ!」
ラミーが恋する師匠は、強くて、高潔で、紳士的で、優しくて、偉くて、憧れで、法国ともつながりがあって、もうとにかく凄いって事なのだ。
「ああ、すげえ人だよあの人は。……おっと、長話してる場合じゃなかったな。それじゃラミーちゃん、留守番頑張ってな!」
男は語り終えて満足したのか、踵を返し店を出る。
「はいっ! 私頑張りますっ!」
その背に向けて―――否、遠く法国に向かった師匠の幻影に向けてラミーは宣言する。
心の動きに合わせて尻尾が振り切れそうなほど動く。
頭部の犬耳は興奮してパタパタと動きっぱなしだ。
「うぅぅぅっ師匠凄い凄いすっごいすごい! 大好きっ❤」
きゃー! と叫んだラミーは堪らず階段を駆け上って師匠の部屋に飛び込んで、そのままベッドにダイブする。
「うううぅわぅわぅわぅわぅっ! くぅーんくぅーんっ! ふすーふすー! ししょー! だいすきでーす!」
先祖返りしたかのように転げまわるラミー。
五体全てで師匠の素晴らしさを表現するその姿は、その師匠本人が見ていたら笑ったものか困ったものか非常に悩ましく思っただろう。
「ラミーちゃ~ん、おはよう! ……あれ? 誰も居ない?」
来店を告げるベルの音が虚しく響く。
それからしばらくの間、店員が居ない事に困惑する客たちで薬屋ヤマブキはごった返す事になるのだが、それはまた別の話だった。
・
「いっきし」
「どうした山吹、風邪か?」
「うーん、かもね。後でポーション飲んでおこうかな―――おや、お久しぶりですね神父さん。その後は如何ですか?」
「おや、私の知り合いの方で―――ひぃいいいいぃぃぃぃぃぃぃっっっ!?」
「……知り合いの方ではないんですか? すごい勢いで悲鳴を上げながら逃げていきましたけど」
「いや確かに知り合いだけど……いやまあ逃げるか、そりゃあ、うん」
「何だ、何かやったのか」
「漏斗を使って、ちょっと」
「……それは逃げるだろう、普通に考えて」
「え、ちょっと、御剣さんが引くって相当なんですけど、一体何やったんですか、聞きたくないけど聞きたい恐怖の二律背反なんですが」
「世の中には知らないほうがいい事もあります故」
「そうだな」
「えぇ……」




