18
「…………これは一体、何の騒ぎで…………?」
一夜明けて金曜日。私達三人は法国の大聖堂に朝早くから足を運び、『聖女』に謁見しようと思っていたのだが。
どうにもこうにも、大聖堂は蜂の巣をつついたような騒ぎに包まれていた。
「わからん」
「なんでしょうね、それはそうとして凄く嫌な予感がびんびんきてるんですけどね、なんででしょうね」
一般の参拝客らの人ごみに紛れて様子を見ると、あちこちで怒号が飛び交いつつ、聖堂騎士団員らしき甲冑姿が何人もがちゃがちゃと音を立てて縦横無尽に走り回っている。
普段は静々と祈りを捧げているシスターたちも慌てた様子で、馴れていなさそうに息を荒げつつ小走りしている。
まるで誰かを探してでもいるかのようだ。
「どうしたのかしら……」
「さあ……何時もなら聖女様へのお祈りが始まる時間なのに、何をあんなに慌てているんだ?」
「ママー、きょうはおうたうたわないのー?」
「あ! あの人ってミハエル様じゃないか!?」
「教皇様もいらっしゃるぞ」
ギャラリーの声に確認して見ると、成るほど確かに聖堂の奥のあたりに焦りを顔に浮かべるミハエルの姿があった。
同じくらいの背をした、やや痩せぎすながらも柔和な印象の、頭部がやけに寂しい男が教皇様とやらだろうか。
二人ともただ事では無い様子で会話を続けている。
…………これ絶対会長案件でしょ。そうに違いない間違いない魂を掛けても良い。
私は振り返って連れの二人に提案した。
「ねぇ、帰っていいかなこれ。忙しそうだしさ、また今度の機会に来ようよ」
「上に賛成です。目的のブツは達成しましたし、週末の定例会で渡してあげるという方向で一つ!」
「うんそうしようえちごやさん! さーて帰りは時間かかるかもだけどゆっくり―――」
「もう遅いぞ」
ぴしゃりと叩き切るような御剣の言葉に、恐る恐る振り返る。
「――――――あ」
そこには私達の姿を認め、口を開き固まった聖堂騎士団ミハエル=ザカイエフの姿が。
「やっべ」
「……ヤマブキさん! ミツルギ殿! えちごや―――さん! 丁度いい所に!」
丁度よくねえよ! という言葉が喉から出掛かり済んでの所で抑える。
彼は教皇との会話を断りを入れて打ち切り、私達の方へずんずんと歩んできた。
非常に圧迫感がある甲冑姿が迫ってきて、人垣がさぁっと割れて彼に道を作る。一体何事かと周囲に注目される中、私達の前に来たミハエルは突然に頭を下げた。
「……恥を承知で申し上げる。どうかこの通りだ、私達に力を貸して欲しい」
周囲のざわめきがより一層強くなった。
栄えある聖堂騎士団団長ミハエル=ザカイエフが恥も外聞も無く小娘らに頭を下げるという、前代未聞の光景。
そりゃあ法国の皆さんもびっくりするってものでしょう。
本当に、一体何が、あったんでしょうね。
いやもうマジにどうなってんですか、会長には説明責任って奴があると思うのですが。
「諦めろ、こうなっては仕方あるまい、腹をくくれ」
「…………まさか会長が御剣以上のトラブルメーカーと化すとは思ってなかった」
「…………じゃ、私は特になんら関係のないただの商人さんなんで、ここらで失礼しますねっと……」
こそこそと鼠のように逃げ出そうとするえちごやさんの襟首を見もせずに鷲づかみする。
「名前呼ばれたでしょ。お前も来るんだよ」
「いやーーーーっ!? 二日ぶり二回目ーーーっ!?」
じたばたと暴れるえちごやさんを無理やりにでも引っ張っていく。
はっはっは。何があったかは知りませんが毒を喰らわば皿まで。会長の世話に関わったら最後までと言ったではありませんか。
「……いや口には言ってなかったっけか」
「何をですかぁーーっ!? もうやだうちおうち帰るーーーっ!」
「まったく、近頃は飽きる暇もないな! せっかくだ、えちごやよ、楽しめ。一事が万事楽しめれば、人生これ楽しけりと言う奴だぞ」
「そんな言葉聞いた事ありませんよぉーっ!」
酷く姦しい私達の態度を見て、頭を下げていたミハエルの表情に安堵の色が浮かんだようだった。
「……お三方、かたじけない! この礼は必ずや!」
「ああもうまた頭下げたりしないでください目立ちますから。さっさと人目の無い所に行きましょう、そこで詳しく話を聞かせてもらえますか?」
「了解した!」
「はっはっはっはっは!」
「うわーーん!」
何がおかしいのか高笑いする御剣。半泣きの引きずられるえちごやさん。自らの力不足を嘆いていそうなミハエル。ぽかんとした様子の教皇様とやら。ざわめくギャラリー。そしてポーカーフェイスの私。
……一体何が起きればこんな状況に陥るんだろう。
神よ応えたまへ。
具体的には‡ゆうすけ‡さんあたりとか、どうでしょうか。
「……無理か」
うんうんと唸ってみても、天から厳かに声が降りてきたりとかはしなかったのだった。
・
つい先日にも来たような、さっぱりとした金気の無い落ち着いた部屋でミハエルの説明は始まった。
「今朝の事だ。夜警明けの者らとの引継ぎを終え、聖女様の私室を訪ねてみた所返事が無い。何度お尋ねしても応答が無かったので無礼を承知で扉を開けたところ、そこはもぬけのからだった」
成るほど。つまり聖女様が行方不明、と。
「そしてまた別に、エミル様御付の侍女らからエミル様のお姿も消えたとの報告が入った。二人が消えたのはほぼ同時刻であり、何らかの関係性があると思われる」
ほうほう。聖女様に続きエミル=アークライト二十七世様も行方不明と。
―――国家の一大事じゃん何やってんの会長ーーーッ!!
「今法国は国家を上げてお二人を捜索中だ。なんとか情報規制を敷いてはいるが、あまり時間をかけすぎると勘の良い者は何が起きているか気づいてしまう可能性が高い」
教皇様とやらが、ミハエルの言葉に重々しく頷く。
「この話は本来なら他国の人間である貴女達が知っていい情報ではない。しかしだ、貴女達は……一名を除いては、だが、聖女様の受けた天啓によりこの場に居る。エミル神のお導きによるものならば、貴女達がこの場に居る事は全て神の思し召しなのだろう、だからこそ伏して申し上げる」
いやまぁ本当は違うんですが…………はい。
「どんな小さな事でも良い。聖女様が、エミル様が行かれそうな場所。あるいはお二人が抱えていた悩み、考え。それを教えて欲しい! たとえ推察のものであったとしてもいい! 今の我々には、それが必要なんだ!」
藁をもすがるという諺があるが、目の前のミハエルと教皇様はまさにそれだった。
国のトップから順番に数えたほうが早い立ち位置の二人に頭を下げられる経験なんて、そうそうあるものじゃない。
さすがに少し緊張してしまう。
「ううっ……」
隣に座るえちごやさんもそうらしい。
「了解した。ではまず始めに聖女様の部屋から探索するとしよう」
そんな空気の中でも相変わらず御剣は即断即決だし。もう少し躊躇いと言う物を持ってはいかがだろうか。
御剣のペースに乗せられてとんとん拍子に話が進みかける中、ミハエルが慌てて待ったを掛けた。
「せ、聖女様の部屋を!? た、確かに探索する必要性はあるかもしれんが、そこは流石にミツルギ殿とはいえど勝手に入らせる事はできん! 私も同行させて頂く!」
そこには断固とした意思があった。
会長の立場上、会長の私室には法国運営に関わる重要な資料が置いてあるのかもしれない。ミハエルの苦言は当然のものだった。
しかし、御剣は何故か嫌らしい笑みを浮かべて(めずらしくも)意地悪そうに言う。
「ほほーう? 男子禁制たる乙女の部屋を、それも『聖女様』の私室の探索に、是が非でも参加したいという事だな、ミハエル? ん?」
「ミ、ミツルギどの、な、なにを仰るのだ! わ、私はそんなつもりで言ったわけでは、断じてない!」
ミハエルが顔を真っ赤にして怒る。
「いやいや、別に? ただ、そうだなぁ。もしかしたら物の弾みで、『聖女様』の下着が見つかったりするやもしれんぞ? もしかしたら、もっと凄い、口に出すのも憚られるような品物も出てくるかもしれんなぁ……?」
「せ、聖女様に限ってそのようなハレンチな事はない!」
「ふむ? しかし乙女というのは秘密の多い生き物だぞ? 男であるミハエルには分からんだろうがな。……想像してみるがいい。箪笥の奥に大切に仕舞った、取って置きの、お気に入りの、恥ずかしくて滅多には着られない、けれど誰にも秘密にしてコッソリ手に入れた、向こう側が透けて見えるようなあのレースの薄目の下着を……」
「ううっ」
一体何を想像しているのだろう。ミハエルの顔色は別の意味でも赤くなっている。
「夜な夜な人目を盗んでは一人だけのファッションショーを開く日々。しかしある日の事だ、ふと外出から戻った折、いつもと下着を仕舞っていた場所が変わっている事に気がつく。『ああ! なんてこと! 私以外の誰かが、この下着に触れてしまったの!? 何て恐ろしいのでしょう! 汚らわしい!』」
御剣は途中でセラフの声真似までして―――しかもかなり似ている―――ミハエルを煽りに煽り倒していく。
「時々穿いていたはずのあの下着が、今では見るだけでも恐ろしい。もしや下種な男の手に触れられてしまったのではいかと、一人怯えはらはらと涙を零す。
そんな時だ。聖堂騎士団団長であるミハエル=ザカイエフが、『……申し訳ありません聖女様、貴女の部屋を探索してしまった事をお許しください、これは必要な事だったのです』と申し開きに来る。……一体『聖女様』はどうお思いになるだろうなぁ?」
「や、やめろ、やめてくれミツルギ殿! わかった、わかったから!」
「そんな悲劇も、探索を行った者が女性だけだったならば回避できる未来じゃないか? うん? 考え直したほうが良いとは思わないかミハエル?」
「…………ぐぅっ、し、しかし、私は……!」
「……ミハエル君。団長として心苦しいかもしれんが、ミツルギさんの仰る通りだ。聖女様の感情を配慮して、ここは女性に任せるべきだと私は思うがね」
ミハエルの肩を教皇がぽんと叩く。思わぬ所からの援護射撃―――いや、止めか、を食らったミハエルは、顔を赤くしたり青くしたりの挙句。
「……せ、聖女様の私室の探索を認める……」
血を吐くような声で、許しを出したのだった。
「……よく言うよ、本当」
「……同感です。うちともあろう者が呆気に取られました、御剣さんって実は商才もおありで?」
「メアリー・スーか何かかよ……」
御剣の舌を巻く様な話術に思わずびっくりアンドげんなり。
確かにミハエルが若干チョロいってのもあるだろうが、こう、なんというか、そのやりかたは反則技というか汚いというか……。
「さ、行くぞ二人とも。ミハエル、案内は頼んだぞ」
「う、承った……」
背中が煤けた風なミハエルが案内を始める。
ミハエル、強く生きろ。そう願わずにはいられなかった男の背中だった。




