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我らは円卓に集う少女。
我らは互いの秘密を守るべく、協力しあう為に相互扶助会を設立した。
我らの規則は五箇条。
1.絶対秘密主義。
2.新規加入者は円卓の過半数の賛成をもって許可する。
3.定例会は毎週土曜日。
4.脱会は原則不可。
5.定例会に酒の持ち込み厳禁。
厳格に、そして厳粛に守られるべきルール。
これを破りし者は、それ相応の制裁を受けるべし。
各々がこれを肝に銘じ、互いの利益が得られるような健全なる活動を行う事を期待するものとする。
―――では、定例会を始めるとしよう。
会長セラフ=キャット、始まりの挨拶より。
・
「むう…………」
窓から差し込む朝日に目が覚める。
半年前は目覚ましをかけるくらいじゃなければ、昼過ぎまで寝ていた程不健全な生活を送っていたものだが、今となってはそれも昔の話。きちんと朝に目が覚めて、夜に寝れる常識的な一日を送れるようになっている。
名残惜しくもベッドから出て、朝の支度をささっと仕上げる。
錬金術師―――アルケミストの朝は早い。
「おはようございます、師匠! 今日もいい天気ですね!」
私室から出ると、ひと月ほど前から私の店に住み込みで働いている半犬人のラミーと丁度出くわす。
彼女がかけた花柄のエプロンから香る脂のいい匂いから察するに、朝食の支度が済んだ事を私に伝えに来たのだろう。
「おはようラミー。いつもありがとう」
「いいえっ、これぐらい弟子として当然ですから!」
ふんす。と両手で握りこぶしを作る彼女の尻尾は千切れ飛びそうなほど振り動き、いかにも褒められて嬉しいですという気配がびんびんに垂れ流されている。
まるで子犬だ。
いや、実際に半分は犬なのだからある意味当然だろうか。
ここでよしよしと頭をなでてあげたらどうなるのかなぁ。と毎朝のように考えているが、それを実行に移した事は未だかつてない。
まだそうしてもいいと思えるほど彼女とはまだ親密な仲ではないし、なにより私らしくもない。
いつかは試してみたいとは思うが……まず、それよりも朝食を済ませてしまおう。
「やっぱり朝はトーストとかりかりのベーコンに限るね。いただきます」
「はい、いただきます」
食卓に着いた私達は、感謝の言葉もそこそこに手早く朝食を済ませる。今日は朝から仕事が山積みだからだ。
毎週土曜日を休日としている私の店、薬屋ヤマブキは金曜日が一番忙しい。
私達が住む辺境の街オーラムには、薬屋は一つだけある。
つまり私の店しかないわけだ。そうなると、店が休みとなる土曜日の前に必要な回復薬だとかを買いに来る客が集中する為、結果として忙しくなってしまう。
田舎に一店舗しかないドラッグストアが休日前に忙しくなるのは、どこの世界も変わらないらしい。
「……そういえば師匠」
「うん?」
「郵便受けに手紙が入っていましたよ。差出人はミツルギって書いてありました。……たしか、師匠のご友人の方でしたよね?」
「うん、そうだけど……ミツルギが手紙? 珍しい」
「そうなんですか……。あっ、カウンターの上に置いておきました! はい!」
御剣とは私の友人の一人である、ブレイドマスターの少女だ。
燃え盛るような赤い長髪がトレードマークの苛烈な性格をした人物だが、彼女は何らかの連絡の為に手紙を送るような人物ではない。
というよりも私に手紙を送る必要性は無い、といった方が正しいのだが。何かあったのだろうか。
「ん。まあ、ありがと。後で見てみるね」
あまり良い予感はしない。彼女の事だ、きっとろくでもない厄介ごとを持ち込んでくるに違いないだろう。
陰鬱になりかけた気分を、食後の緑茶ごと飲み干す。
「……ごちそうさまでした。今日もおいしかった、ラミーさまさまだね」
「えへへ、ありがとうございます、師匠。わたしも、ごちそうさまでした」
二人して手を合わせ、私は一階に降りて開店の準備に入り、ラミーは洗い物ほか雑用へ向かう。
在庫の確認、商品の陳列、そして軽く掃除。一連の作業も慣れたものだ。
「しかしまぁ、なんだ」
準備を済ませた私は誰に言うでもなく呟きながら、玄関を出て背後を振り向く。
視線を上げると、そこには無骨な字体で薬屋ヤマブキと書いてある看板が誇らしげに掲げてあった。
私はそれを見る度に、少し恥ずかしくなってしまう。
「何も私の名前じゃなくても、よかったんじゃないか。……まぁ、今更遅いか」
人通りに面して目に付く箇所に私の名前がある、というのは思いのほか恥ずかしいものだと知ったのは、店を開いて大分後になってからだった。
おかげさまで何処に顔を出しても私の名前が知られてしまっている。
それは宣伝効果としては最上なのだろうが、今まで「目立つ」という単語と無縁だった私からすれば、この状況は未だに慣れない。
もしもこれを狙ったものだとするのなら恐るべきことだ。
今後定例会にはこの手の議題―――もとい相談事は持ち込まないほうが良いかもしれない。
彼らは良き協力者であり理解者でもあるが、それと同時に他者の不幸を舌なめずりしつつ待ち構えている亡者でもあるのだから。
「―――さて、今日も元気にがんばりましょうかね」
玄関扉に引っ掛けた準備中の下げ札をひっくり返して、店を開く。
そしてカウンターにおいてある一通の手紙を手に取り、封を開く。あまり中身は見たくはないが、見ないわけにもいかないので、見る。
取り出したそれは、丁寧に折りたたまれた一枚の紙。開いてみると、そこには簡潔に記された一行の文章だけが記されていた。
『近々そちらで狩りをする。エクス等級の各種ポーションを100ずつ用意されたし。到着は三月二十六日頃になる予定。草々―――御剣』
思わずカレンダーを見る。
今日は三月二十五日だ。
そして三月二十六日は明日だ。
「……明日ァッ!?」
やっぱりろくでもないことだった! 思わず叫んだ私を誰が責められよう!
あの御剣! ふざけんな! 地獄に堕ちてしまえ!
……いや、単に郵便屋が遅れていただけ、という線もありえるのか?
「師匠ー? どうかしましたかー?」
私の大声を聞いて二階からラミーが降りてきたらしい。
「……あー、ごめんねラミー。今日はものすっごく忙しくなるから、覚悟しておいて」
「えっ? は、はぁ……?」
普段は忙しい、で済んだはずの今日が死ぬほど忙しい、に変わってしまった。
やはり御剣からの手紙なぞ開くんじゃなかった。今からでも焼却処分して、そもそも手紙は届かなかったと白を切ってしまおうか。
そんな事を真面目に考えてしまうが、結局そうはしない事に決める。
なんだかんだ言って彼女には色々と世話になっているからだ。薬屋ヤマブキの最高の顧客である人物を無下にするわけにもいかない。
「値段一割り増しにしてやろうか……」
きっとそれくらいしても罰は当たらないはずだ。
「せめて先週の定例会で一言伝えるくらい出来ないのか、まったく」
愚痴る私の元に、からん、と玄関のベルが鳴る音が届く。
「いらっしゃいませ!」
「あっ、い、いらっしゃいませっ!」
反射的に営業スマイルが顔に浮かび、声は気持ち高めになる。すっかり接客が板についてしまったなとしみじみ感じてしまう。
やらなければならない仕事がどかっと増えてしまったが、致し方ない。
ひとまずは、目先の事から片付けて行くとしよう。
とにもかくにも、こうして私こと山吹緋色の一日は始まったのである。
・
突然の集団失踪事件。それが全国紙で騒がれ始めたのは何時頃だっただろうか。
日本全国各地において、全く同時期に、全く異なる場所で数名から数十名に及ぶ失踪事件が相次いだ。
失踪してしまった被害者達は、年齢も性別も住所も異なる人ばかり。
一時期はテロか、はたまた宇宙人に攫われたのかと噂された事もあったらしいが、有能な警察はすぐに被害者達の共通点を見つけ出した。
それは、被害者は必ず同じタイトルのオンラインゲームをプレイしていた、という点だ。
例えば2015年の7月に起きた23名が失踪した事件においては、「ドミネイションズ」というオンラインゲームを被害者の全員がプレイしていたし。
2017年の2月に起きた204名もの人数が失踪した大事件では、「Genie Souls」という超高難易度で知られるアクションオンラインゲームを被害者が全員プレイしていた。
このほかにも大小さまざまな事件において、各種オンラインゲームのタイトルが挙げられるが、それらゲームの開発者達は皆事件への関与を否定した。
そもそもゲーム開発会社がプレイヤーを拉致監禁したところで何の得もないし、それならまだテロの線で考えた方が納得も行くからだ。
実際、警察が幾度も綿密な調査を行ったがいずれも空振りに終わったとニュースでは報じている。
原因の分からない異常事態に、政府は遅まきながらも全オンラインゲームのサービス提供停止を命令。
とてもゲーム自体が原因とは思えないが、被害者は皆ゲームのプレイヤーである事が分かっている以上、こうした対策案しか打ち出せなかったのだ。
そして実際の所、それは一番の有効打だった。
もう少しだけ、あと一日だけそれが早ければ。
私達も、彼らと同じように失踪しなかったのかもしれなかったのだから。
―――その日、私はオンラインゲーム、「悠久の大地」をプレイしていた。
キャラクターネームは山吹緋色。性別は女性。見た目はまさしく可憐な美少女。それでいて知的な雰囲気もある。……一応念の為だが、プレイヤーである私は男だ。
アルケミスト特有の科学者然とした、白衣をベースイメージにしたフリルがフリフリの衣装を着こんだ彼女は、辺境の街オーラムの大広場の一角でベンチに座りながら、バニラソフトアイスを延々と舐め続けていた。
多額の課金を重ね美しく仕上げた「うちの子」だ。何処に出しても恥ずかしくないぐらい美しく、そして可愛らしい。
まぁ、そう思っているのは他のプレイヤーも同じだろう。近場には似たような―――ゴテゴテに着飾った美少女や美少年―――が、忙しなく往来している。
何時になくオーラムの街が慌しいのは、先日政府が発令したオンラインゲーム禁止令が原因だった。
例の失踪事件の影響で、ありとあらゆるオンラインゲームのサービスが一時停止する事となった為、プレイヤー達は皆しばらく遊べなくなるであろう「悠久の大地」を、この機会に時間一杯まで遊んでおこうとして、ログインが集中したのだ。
オーラムはこのゲームをプレイして始めにたどり着く街であり、いわば"はじまりの街"である。この街を活動拠点にしているプレイヤーも数多い。
故に、この盛況ぶりは当然の帰結だった。
私は昼食のカップラーメンを啜りながら、何時までもバニラソフトアイスを舐め続ける自キャラを横目にチャットログに目をやる。
「山吹さん昼の後空いてる? 紅蓮鉱取りに行こうと思ってるんだけど。休止日前だから空いてるっしょ」
フレンドである‡ゆうすけ‡さんからウィスパーチャット(1対1で話し合えるチャットの事)が届いていた。
紅蓮鉱とは、火山といったようないかにも熱そうなエリアに登場するモンスターが極稀に落とすレアアイテムの事だ。
上級のプレイヤーメイドの装備品に使われる材料の一つで、その価値はかなり高い。
ただ、その紅蓮鉱で作られる装備はもっぱら前衛系プレイヤーが使う物ばかりだ。後衛系である私には、はっきり言って不要である。
「折半でいいなら行きますよー」
カップラーメンを啜る口と箸をとめず、左手で器用に返信をうつ。
不要ではあるが、だからと言っていらないというわけではない。
せっかくのレアアイテムだ、マーケットに流せばさぞ良い金額になることだろう。
「おけおけ。んじゃ1時30分にポタ前集合で」
「了解です」
残った麺のかけらと汁を啜った私は、ゴミ袋の中に空いた容器を突っ込み、その辺にあったペットボトルを持って来て、ズボンを下ろした。
そして、小用を済ませる。
周りには、黄色く濁った不気味な液体で一杯のペットボトルが、幾つもある。ゴミ袋も一杯だ。足の踏み場も無い程に。
ペットボトルの蓋を閉め、ウエットティッシュで手を拭き、欠伸をひとつ。
ふと画面を見ると、そこにはやはり、バニラソフトアイスを舐め続けている自キャラ。山吹緋色がいた。
光の反射で、その美少女の背後に透けるようにして、無精ひげを生え散らかす醜い私の姿が映っていた。
「…………」
私は気にした風もなく、ポタ前―――各街へのワープポータル前へとキャラクターを移動させる。
おしゃれ装備の一つであるバニラソフトアイスを外し、変わりにクロスボウを装備させる。
そして、‡ゆうすけ‡さんを待った。
待つ間、私はずっと山吹緋色を見続けた。
暗く陰鬱とした部屋の中。煌々と光るディスプレイの中の美少女は、今の惨めな私との対比のようだった。
「…………今日で引退、するか」
会社を辞めてオンラインゲームに逃避し、貯金を切り崩す生活を続けること二年。ここらが辞め時だろう。
お膳立てしたかのように、丁度オンラインゲームと離れられる機会が巡ってきたのだ。この期を逃せば、恐らくきっと次は無い。
私は何時までも何時までも、ずるずると仮想世界の中に引きこもり続けてしまうだろう。
その先は言うまでもなく、緩やかな破滅だ。
「……でもなぁ」
しかし、私は未だにこのゲームにしがみ付こうとしている。
引退するつもりなら、紅蓮鉱なんて一つもいらないと返信してしまえばいいのに、そうしてない事からもそれは明らかだ。
その原因を私は痛い程よく理解している。
山吹緋色。
彼女が私にそれをさせてくれないのだ。
彼女は私が2年もの間心血を注いだ愛しいキャラクター、言うなればもう一人の自分だ。
幾多の大冒険を重ね、色々な人と出会い、沢山の楽しい思い出を得られたのは、全て彼女が居たからこそ。
彼女が生んでくれた幾つもの大切なつながりは、かけがえの無いものだ。
それを、消してしまうとでもいうのか。
2年間。730日だ。
そんな膨大な時間をかけて築き上げた彼女を、無かった事にしてしまうのか?
「…………ぐ……うぅ……」
―――そう考えると、吐き気がした。
「やっぱり……無理だろ……どう考えても……」
最早私の想像以上に、彼女の存在は私の中で大きい比重を持つ存在になっていたらしい。
今まで私が生きてきた日数と、生まれて間もない彼女と比べれば、価値の重さの違いなど論ずるに値しないだろう。
いや、そもそもただの電子データと一個の人間の生命とを天秤にかけるほうがナンセンスだ。
しかし彼女と私。どちらが大事かと問われれば、私はきっと声を大にして言える。彼女だ、と。
ヘビープレイヤーは現実と仮想現実の価値が逆転しているとはよく聞くが、今の私はまさしくそうだった。
「俺なんかよりも、山吹のほうが絶対大事だって……」
だから。
「へえ、そうなんだ? じゃあ成ってみる? 山吹緋色ちゃんに」
突如ヘッドフォンから聞こえた、歪な合成音声に、無意識に。
イエスと。答えてしまったのだ。
「…………え?」
今のは、なんだ。
ゆるりと顔を上げる。
そこには、ディスプレイ上に映る‡ゆうすけ‡さんがいた。
いや、よくよく思い返してみれば、それは‡ゆうすけ‡さんに似た何かだったのだろう。
その‡ゆうすけ‡さんに似た何かは、満面の笑みを浮かべて言ったのだ。
「契約成立☆」
実に嬉しそうなその声を最後に、何か疑問を覚える間もなく私の意識は急速に遠のいていった。
・
「…………ん」
どうやら少しうたた寝をしていたらしい。
業務を終え、急遽製造する事になった高位ポーション100本ノック3連荘をようやく終わらせたのが深夜2時のこと。
ちょっと一息つこうとカウンターの前の椅子に腰掛けてからの記憶がすっぽりと抜け落ちていた。
時計を見ると時刻は3時を指している。
起き上がると、肩にかけてあったブランケットがずりおちた。ラミーのものだ。
日中は暖かくなってきたとはいえ、まだまだ夜は冷える。気を利かせた彼女が私にかけてくれたのだろう。
いい助手……もとい弟子を雇えたものだと、心の中が暖かくなる。
「っと、寒い寒い」
とは言え肉体が感じる温度はまた別だ。
私は彼女のブランケットを持ち、自室へ戻るついでに彼女の部屋に寄り、ドアノブにブランケットを掛けて置く。
明日起きたら礼を言おうと心に決め、早々に自室のベッドへもぐりこむ。
ひんやりとした布の感触を味わいながら、それが体温で温められるまで辛抱強く待つ。
「それにしても、懐かしい夢だったな」
半年も前の事とは言え、過ごしてきた日々が濃厚だったからか、もうずいぶんと昔の事と思えてしまう。
あの時の‡ゆうすけ‡さんに似た何者か。
あれが恐らく日本を騒がせていた集団失踪事件の主犯なのだろう。
私は別段神様や超能力を信じているタチではなかったが、あの日以来その認識を改めるほかなかった。
あれはきっと、神だとか悪魔だとか、あるいは妖怪だとかの、人間よりも遥か上の高みに位置する高次元の存在だったのだろう。
彼、あるいは彼女が何の目的があって私をこの世界―――現実と化した「悠久の大地」に山吹緋色として生まれ変わらせたのか、それはわからない。
分からない、分からないが。
そんな事、今となっては最早どうでもいい。
男から女に生まれ変わってしまった今でも、あの時口から滑り出た言葉は偽りではないと神に、いや、‡ゆうすけ‡さんに誓える。
ただ……一言だけ‡ゆうすけ‡さんに、感謝の言葉を伝えたかった。
この世界に生まれ変われた事で、私は確実に幸せで充実した日々を過ごせているのだから。
「……ありがとう‡ゆうすけ‡さん」
果たしてこの思いは届いてくれるのだろうか。
温まったベッドの心地よさに、私の瞼は速やかに落ちていった。