【九】
「ならぬか?」
「なりませぬ!」
「ぎみんに、ほうびをやりたいのじゃ」
「義民であろうとなかろうと、奥座敷に百姓を入れるなど、断じてなりませぬ!」
「なれど、ぎみんぞ?」
「ならぬものは、ならぬのです!」
真正面からにらみ合う老臣と若君。
「……山川殿……」
対峙する空間に、おずおずと割りこむ椿。
「しばし待たれよ! いま取りこんでおるゆえ!」
「なれど……町人どもが……」
「なん……だと?」
椿の言にうながされ、見かえる山川。
「会津の若さまが」
「あんな幼子が」
「百姓に茶菓を」
「やはり、義を重んじる家」
「赤穂のときの、細川さまのような」
「「「さすが会津だ!」」」
「あ゛あ゛ーっ!?」
事態をさとり蒼白に。
「もはや手遅れです。すべて聞かれてしまいました。これで百姓どもを粗略にあつかえば、町人どもは手のひらを返し、会津に罵詈雑言をあびせかけるでしょう」
「若さまが……若さまが妙なことをおっしゃるゆえー!」
「……後の祭り、ですな」
「「「いかがなさいますか、ご家老!?」」」
ほかの家臣たちもくわわり、門内は喧々囂々大さわぎ。
「じいたちは、なにを、あわてておるのだ?」
自分が蒔いた種とも知らず、大人たちの狼狽ぶりを、他人事のようにながめる金之助。
「それは……」
身分秩序にうるさいこの社会で、大名の若君と百姓が同じ座敷――同じ高さの座面で対面するなど、常識的にはありえない。
この場合、若君・山川は座敷にすわり、百姓は座敷前の庭先というのが慣例だ。
だが、人々の耳目があつまるこの中で、それをどう説き聞かせれば……?
大野は途方にくれた。
義民びいきの聴衆たちは、慣例を逸脱した接待を会津に期待しているのだ。
――赤穂浪士に対しておこなった、熊本藩細川家なみの厚遇を。
吉良邸討ち入り後、四十六人の浪人たちは四つの大名家にそれぞれ預けられた。
その割り振りは、
肥後熊本藩細川家に十七名
伊予松山藩松平家に十名
長門長府藩毛利家に十名
三河岡崎藩水野家に九名――であった。
このとき細川家では、藩主・綱利が義挙を激賞していたため、下屋敷の広間二間を居室として提供し、三度の食事は二汁五菜の豪華なもの、ほかにも菓子・酒までふるまい手厚くもてなした。
それに対し水野家は、幕府の「浪人たちはみな軽輩ばかり。よって、長屋で十分」という判断にしたがい、中屋敷大書院を提供するのをあきらめて、下級藩士用の長屋を改修し、室外の戸・障子を釘で打ちつけた、まるで牢屋のような場所に収容した。
毛利・水野両家は、いちいち幕府に問い合わせながら対処したため、結果的に冷遇することになってしまったのだ。
やがて、この待遇差が世間に知られてしまい、幕府の指示どおり簡素な待遇をした毛利・水野は猛烈な批判をあび、細川は称賛された。
だから、ここで会津が慣例どおり百姓たちをあつかえば、「会津はつめたい」という悪評にさらされる。
今朝は冷えこみがきびしく、屋敷の庭でも一寸(約三センチ)ほどの霜柱が立った。
その凍った庭に義民たちをすわらせたら……会津松平家の名が地に落ちるのは確実だ。
「とうま」
返答に窮し、だまりこむ小姓に、キラキラしたまなざしをむける若君。
「のう、とうま、あいづのひゃくしょうも、おなじことをするかのう?」
「……はぁ……?」
質問の意図がわからず、またもや逡巡。
ところが、
「「「な、なんと!」」」
周囲でわきおこるどよめき。
「「「若さまが……あの若さまがっ!」」」
「「「ご立派なことを!」」」
「「「深いお言葉をー!」」」
一瞬にして、興奮の坩堝に。
「……む……?」
「……は……?」
首をひねるふたりの子ども。
かたや、
「つ、椿殿……」
「……山川殿……」
「聞かれたか?」
「はい、しかとこの耳で……」
なにやら感激した面もちで、涙ぐむ老人と中年。
「「なんという深慮っ!」」
(な、なんのことだ?)
周囲の激変ぶりにとまどう少年。
「……傅役となって、これほどうれしい日は……」
目をおよがせる少年をよそに、言葉をつまらせる老臣。
「お察しいたします。こう申してはなんですが、正直、若君は少々残念な御子とばかり思うておりましたが……」
「言うてはならぬことなれど、じつはわしも……」
「しかし、いまようやくわかりました。若君はやはり英明な肥後守さまの御嫡男、名君の誉れ高き保科正之公の直系。この御歳で、ここまで意識の高い御方はそうそうおられませぬ」
「実に」
「それもこれも、若さま生来の資質にくわえ、山川殿のきめ細かい扶育があったればこそ。
いままでご苦労された甲斐がございましたなぁ」
「椿殿っ! よう言うてくだされた! わしは……わしは……ぅうう……うれしいっ!」
「「「ご家老!」」」
「「「よくぞここまで!」」」
「とうま、じいたちはなんのはなしをしておるのじゃ?」
当惑する渦中の若君。
「それがしにも、とんと……」
対する近習も呆然。
「なんだ、わからぬのか、冬馬?」
あきれたように見おろす師。
「……はい」
「日新館一の秀才がどうした? 自慢の頭脳も、存外役に立たぬな?」
かるくあてこすられ、みるみる染まるほほ。
「お……お恥ずかしゅうございます」
「よいか、冬馬? 若さまは、
『会津の百姓も、同じことをするか?』と、おおせになられた。
これすなわち、
『もし父君が、左衛門尉と同じように幕府から転封を命ぜられたとき、会津の領民は、庄内の百姓のように立ちあがり、命がけで慰留してくれるのか?』と、いうことではないか」
「えぇ!?」
「なにが『えぇ!?』じゃ? しっかりいたせ!」
今度は、反対側から山川が。
「椿殿の申された『会津の百姓が一命を賭して慰留』というは、
『父君は、領民に命がけで引き留めてもらえるほどの善政を布いているのか?』という意味にほかならぬ。
つまり若さまは、父君の領国経営の手腕、領主としての実績を問いかけられておるのじゃ。
この御歳で、かような視点をもっている御子が暗愚であろうか?
いや、いずれは藩祖土津公に匹敵するほどの稀代の名君となられるやもしれぬ!」
「そ、それは……いささか……うがちすぎでは……?」
大野の知るかぎり、金之助はそのように建設的な思考をもつ子どもではない。
あれは、突如あらわれた訴人をきっかけに、にわかに『百姓』というものへの興味がかき立てられた幼児の好奇心から出た言葉としか……。
たぶん金之助は、ときおり目にする『肥桶をはこぶ葛西の百姓』と『越訴をする庄内の百姓』が同じ『百姓』だと知り、単純に(では、まだ見たことのない会津の百姓は?)と無邪気に思ったのだろう。
だから、さほど深い意味もなく、(このような場合、会津の領民も同じ行動をとるのか?)という疑問を――生き物の生態を観察するような感覚で――持ったのではないか……?
(みな、完全に誤解している)
大野は唖然とした。
日々、あの残念な姿を見ていれば、そういう解釈は生まれてこないはず。
なのに、なぜそんな曲解を……?
それとも、「そうあってほしい」という願望から生じた思いこみか?
……すくなくとも、大野にはそうは受け取れなかった。
しかし、
「「「なにを申す!?」」」
「「「近習のくせに、その御真意もくみとれぬとは」」」
「「「未熟者めが!」」」
歓喜に水をさされ、憤慨する大人たち。
無粋なへそ曲がりと思われたらしい。
(もしや……まちがっているのは、おれのほうか?)
さんざんなじられ、しだいにゆらいでいく確信。
(やはり……みなが言うような大器……なのか?)
大野は眼下の子どもをまじまじと見つめた。
「…………」
会津日新館一の秀才は、再度答えを見失った。
「のう、じい、どうしてもならぬか?」
つぶらな眸をむけ、ニッコリ。
「のう、じい~」
傅役の両袖をにぎり、ゆっさゆっさ。
「ぎみんじゃぞ~」
「若さま、そのお顔はずるうございます」
目をほそめ、そのちいさな体を大事そうにそっと抱く山川。
「なれば、奥座敷は障りがございますゆえ、大書院入側なら……」
高揚した傅役は、あっという間に美童に誑しこまれた。
大書院は、公的な対面所。
この座敷は庭に面して板張りの廊下がめぐらされ、さらにその内側には入側という畳敷きの廊下が座敷をぐるっと囲んでいる。
ここでの対面の場合、同じ階級同士や、山川・大野ら直臣は座敷に通されるが、陪臣――たとえば山川の家来と藩主が対面するときは、その人物は座敷ではなく、その外周の入側に座らされる。
山川は、この入側までならよいと、大幅に譲歩したのだ。
「大書院!? よろしいのですか!?」
思わず、聞きかえす大野。
「だいしょいん、いりがわ?」
「はい。入側には畳が敷かれておりますゆえ、ここなら暖こうございます。
また、若さまとの距離もさほどございませぬゆえ、じゅうぶんお話ができます」
「うむ、ならば、かしと、あついちゃをたんとな?」
そう言って大野の持つ重箱に視線をそそぐ若君。
大野は、先刻来この重い下賜品をずっと持たされ、腕がしびれはじめていた。
とはいえ、奥方さまからいただいたものだけに、そのへんに放置するわけにもいかず、しかたなくここまで運んできたのだ。
「では、ついでに、会津の酒でもつけてやりますか? 体があたたまりますぞ」
突然おどろくようなことを言いだす山川。
「それはよい! さすが、じいじゃ!」
「なれば、火鉢も用意しては?」
調子に乗った留守居のひとりが、そう進言。
「そういたせ。そなた、きがきくのう!」
「……みなさま……?」
大人たちの浮かれように、大野は震撼した。
うれしさのあまり、どこかのタガがはずれたとしか思えない暴走ぶり。
(……なんなのだ、いったい……?)
天保十二年一月二十日
底冷えのする早春の大気は、昼ちかくなって、ようやくぬるみはじめていた。